あの世から便りをする話

――座談会から――

海野十三




 僕の友達で人格も高く、学問の上からも尊敬され、友人からも非常に尊敬されていた男があったんです。それが不幸にして最愛の細君を失いました。
 或る日、その友達が私の所へ来て、「『心霊研究会』というものがあって、其処に実に素晴しい霊媒れいばいが見付かった。自分は今まで研究をしてったけれども、これ以上の霊媒はない」事実、霊媒を通じて奥さんと話をすると、いろいろ符合する所があるそうで、例えば奥さんが夫には内緒で、指輪を奥さんの妹に買ってやった。それを先方むこうで言い出したのです。「あなたに内緒で妹に指輪を買ってやりましたが、誠に済みませんでした」と言った。これこそ誠に絶好なものであるというので、家へ帰って死んだ細君の妹に聞いて見ると、まさしくその通りでした。そのうちに細君が夫の科学的興味に共鳴をして、あの世の話をいろいろして呉れたのです。例えばあの世に行けばんなが神様のおやしろみたいな所へ入って、朝から晩までお勤行つとめをしているというような事や、空中を白い着物を着て飛んで行ける事や、大体だいたい野原で、机が出て来いと言うと机がたちまち出て来る。こういう物が欲しいと思えば直ぐ眼の前に現れるという、まことにお伽噺とぎばなしの世界みたいです。それから守護神しゅごじんというのが附いて居って、この守護神は青年団の団長みたいに、沢山後からやって来る霊の世話をする。死んだ当時は非常に世の中が暗いが、だんだん修行しているうちに視力が恢復して来る。つまりが夜明けになって昼間になって来るように、だんだん明るくなる。百年もてば丁度真昼のように四辺あたりが明るくなる。細君もかなり修行したけれども、それでもまだまぶしい位の明るさしかない。そういうようないろいろ話をしまして、その守護神というものに頼めば、大体どんなことでもして呉れる。自分が今あなたに言って居るのも、その守護神の許しを受けて、又その守護神の庇護ひごってあなたに言って居るのだというような話をして、結局私の友達は、未来の世界があることをよく知ることが出来たが、その未来の世界なるものには一向どうも科学者が働いていないように思えた。自分の現在いまこの世でやっている科学というものは、結局どうも無駄なものである。向うの世の中へ行ってやる科学こそ、最も最後的なものである。それから細君と前後六十回も話をしたでしょうか、私も一緒に行けと言われたんですが、遂に私は行かなかった。友達は私を詰問なじって言うことに、君も細君を亡くしているくせに、何という細君不孝だ。是非共細君を呼んで死んでるという自覚を起さしたり、その他いろいろやってやらないと、死んだ細君は浮ばれないぞ、と叱るのです。
 そのうちに友達はついに自殺をしました。早速さっそく私共も行きましたが、千葉の勝浦の権現堂ごんげんどうのある山の頂上てっぺんで死んでいました。其処は死んだ細君と知合になった当時、く両人が散歩した所だそうで、しかも死んだのは、彼のみならず、夫婦ふたりの間に出来た、たった一人の子供も殺して死んだ。
 さてその死後、友達の遺書というのが、私ともう一人の矢張り科学者の友達に遺されていました。その遺書で彼の死んだ事情が最もハッキリして居るのですが、「皆私を引止めて呉れたけれども、自分は科学者として死を選ぶのが一番善いと思ったんで死ぬ。あの世で大いに科学のために奮闘して、心霊科学も研究し、君達に呼びかけるから、君達も何なら早く来たらどうか」こういう事が書いてありました。
 私共非常に呆然ぼうぜんとしまして、科学的に最も尊敬すべき友達が、科学的に心霊というものを信じて死んだ。これは私共頭が悪いから、彼からいくら説明されても、矢張りあの世の在るということが分らないのだろう。とにかく彼が行き着いたかどうか、探して見ようじゃないかという議が、吾々仲間に起ったのです。今度は人数が大分多くなって、十人ばかりの同志がその心霊研究会へ行って友達を呼び出して貰ったんです。
 友達は出て来ました。が、少々怪しい友達が出て来た。いつもその友達から聞いていたんですが、霊媒を通じて出て来る細君は自分の細君と全く同じで、咳払せきばらいから、声の抑揚よくようから、話振りから、笑い声から、何から何まですべて百パーセントに死んだ細君そっくりである。それで思わず霊媒と手を取り合うようなこともあったんだという話をしましたが、私が行った時には、稍々ややがさつな友人が出て来た。いろいろ話をしたんですが、結局どうもあの世に無事に行き着いたから安心して呉れろ、という極めて普通な話ばかり出るので、少し専門的な話をして見ようと思い、始めたところが「今少し頭が悪いから」というのでねられました(笑声)。
 私はその友達から原稿を一つ預かっていました。それは雪の降る日に歌った新体詩しんたいしでしたが、それを何処かへ世話して呉れと頼まれていたんです。「僕は君の原稿を預かって居るが、あれは何時いつ出したらかろうか」と聴いて見ました。そうしたら「そうだね、それはやがて一週間程すると僕の四十九日が来るから、その時に一つ出して貰いたい」こういう話でした。ところが一週間後の四十九日という日は、八月の最中さなかです。八月の最中に雪がチラチラ降る新体詩が出せるものか出せないものか、これはオヤオヤと思ったです。第一、原稿ということがどうしてもその友達に呑み込めないのです。生前せいぜん原稿を毎日書いていた位の男が、死ぬと急に原稿が何であるかということを知らなかったのはどうもおかしい。分らずに苦しがっていたから「原稿というのはつまり君が何時いつだか書いた文章のことだ」と僕が助け舟を出してやって初めて分ったのです。そのうち到頭とうとう友人は大分苦しがりまして、愈々いよいよ引込むことになりました。「まだ話があるけれども、実は僕の妻が君に逢いたいそうで待っているから、かわる」というので、振切ふりきるようにして友達の霊は無くなりまして、今度は細君が出て来た。たちまち細君の声に変りまして、非常に優しい声です、やって居る霊媒はお婆さんですから、女の方がうまく行くんでしょう。「どうも生前はいろいろお世話になりました」から始まりまして(笑声)、結局最後に「何か申し残したい事はありませんか」と言ったところが、「それでは一つお願いがあります、実は品川区に私の伯母が住んで居りますが、そこの娘のチーちゃんを早く一遍いっぺん此処へ来て貰うように言って下さい」という頼みで別れました。その次の日でしたが、偶然品川駅の近所で、そのチーちゃんのお母さん、つまり死んだ細君の伯母さんに当る人に出会ったので、「あの友人の細君があなたの娘さんのチーちゃんにいたい、るたけ早く来て呉れと言って居りましたよ」と言ったんです。そうしたら伯母さんが怪訝けげんな顔をして、「それはおかしい。チーちゃんというのは私の家の娘ではありません。あの子の真実ほんとうの妹でございますよ」と言った。つまり死んだ細君は、自分の妹のことを伯母さんの子供みたいに思っていた訳です。其処も非常に間違って居る。
 そんな点からして、この霊媒は非常なインチキであるということが判ったんです。しかもそんなインチキな霊媒の所に、吾々が科学的に非常に信用していた友達が、前後六十回も通ってインチキたることが判らなかったのは何故であるかというので、俄然がぜん私は大なる疑問に打突ぶつかったんです。同時に又インチキであるがゆえに、当初これは未来の世界があると面白いなという科学の問題に対する楽しみがあったんですが、霊媒を通じて見ると、それもインチキであるということが判って、淋しがったり苦しがったりしたものです。
 そこでその友達の友人に当る某医学博士を訪ねて聞いて見ましたところが、簡単にその問題を解決して呉れたのです。「いや君、あの男は最初から発狂して居ったのだよ」(笑声)。「だって先生、科学的には非常に信用が置けるし、言うことも普通であるし、友誼ゆうぎ潔癖けっぺきであるほど厚いし、ことに細君のことなど潔癖で、細君が死んでから他の女には絶対に接しなかったという程の人格者としてはおかしいですが」「いや、それが訝しくない。そういう立派な人にく狂人がある」という話でした。
 そのインチキ心霊研究会が後になりまして、非常に功名を立てたという話があります。つまり毒を以て毒を制した話です。
 丁度今頃の初夏時しょかどきでした。私の所へ九州から訪問客がありました。「是非一つ先生に助けて戴きたい」と、私が先生になったんですが、「実は、先生がこの前お書きなった[#「お書きなった」はママ]電波病というのにかかりまして、電波がきこえて仕様がない。現に先生の前に坐って居りますが、私の所へ電波が掛って居るのが能く聴えます。さかんに只今やって居ります。そのために私は失業しました。そうして身体はおとろえるばかりで、非常に電波に妨害されて居ります。先生のお力を以てこの電波を止めて戴きたい」と言うのです。
 これは一種の病人でありまして、その頃勤め先の役所へも、度々そういう投書が来ました。私の所へ来る電波は、こちらから見て居ると、放送局のマイクロフォンの前で三人の男が並んで居る。二人はひげがないが、一人は髭がある。眼鏡を掛けたのが二人と髭のあるのが一人いて、それが何時も私に向って罵詈雑言ばりぞうごんを致します。いくら止めろと言っても止めませぬ。しかも受信機がなくてこれが聴えるから、まことに始末が悪い。安眠も出来ないから、おめを願いたいというのであります。
 さて、乗込んで来た人物を見ると、洵に眼つきから何から只者でない。生憎あいにく私の部屋なるものが、袋小路ふくろこうじ突当つきあたりみたいな部屋でして、どうにも逃げるすきがない。そこでいろいろ考えたのですが、丁度最前さっきの友達が死んで間もなくであったものですから、咄嗟とっさに思いついてその友達の話をすることにしたのです。
 それから私は落ち着き払ったような恰好をして「それは誠にお気の毒である。実はそういう電波があります。これは心霊波しんれいはと名付けますが、人間のうちでも誠に感度の良い人でないと、この電波は分らぬ。実は私の最も信用する友達で、最近心霊波の研究をするためにみずから自殺をしたのがあります」という話に移りまして、「あの世とこの世との交通が心霊波で結ばれ、そのために霊媒という受信機みたようなものもある。結局これは心霊波の元締もとじめをやって居る守護神しゅごじんというものに頼んで、その電波をめて貰うより仕様しようがない、あなたをひとつ心霊研究会へ御紹介するから、行ってごらんになったらかろう」とその患者さんに名刺を渡して先方むこうへ行って貰うと同時に、私は心霊研究会へ電話を掛けまして「今うした人が行くから、よろしく頼む」とやりました。
 これで危難を逃れた形ですが、到頭とうとう一年ほど経ちまして、その男が元気になってやって参り、「私は愈々いよいよ郷里くにへ帰ろうと思います。郷里の方も大変忙がしく、それに電波ももうこの頃じゃ殆んど聴えない。その上心霊研究会へ一日に一円ずつ払って(笑声)やっても居られませぬから、一応郷里へ帰って参ります」と、非常にせかせかと私に礼を言って帰りましたが、多分それは正気になってしまったんだろうと思うんです。結局そうして見ると、これは矢張り心霊研究会の威力であったんだろうと思うのです。





底本:「海野十三全集 別巻2 日記・書簡・雑纂」三一書房
   1993(平成5)年1月31日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
   1935(昭和10)年7月号
※初出は、大下宇陀児、浜尾四郎、甲賀三郎、江戸川乱歩、城昌幸、木々高太郎、小栗虫太郎、海野十三の原稿を、座談会形式で集めた「持ち寄り奇談会」。そこから、海野の執筆分を抜き出し、「あの世から便りをする話」とした底本には、他の「出席者」の「発言」が付されていますが、著作権の切れていないものが含まれているので、このファイルにはおさめませんでした。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について