一
喜助君なら、今でも一緒に抱いて寝てやってもよいと思っているのであった。今年
大熊老人といえば、あの人かと誰でもがすぐ思い出すほどの
財産は五億円だとも云い、一説にはそれほどは無いが、すくなくとも一億円は越えているだろうと噂された。政党、ことに××党にとってこの老人は文字どおりの
老人には子供はないけれども、親戚は随分と多かった。彼等は常に老人の周囲に出没して、何やかやと世話を焼きたがった。中には親戚というには、余りに縁の遠いものまで交っている始末であって、そういう者に限り、特に親切を老人に売りこみたがった。実際彼等多くの親戚が、この気むずかし屋の
大熊老人は、今までに随分沢山の人を世話したけれど、どれも老人の気に入るようなのはなかった。唯一人、それは唯一人だけ、前に言った喜助だけが気に入りであった。
「お前は一生懸命に勉強して、
老人は、喜助に対して、いくたびとなく、此の訓戒を試みた。喜助は老人の好意を、実質以上に高く高く感じて、その都度、
喜助は幼にして両親を
喜助が小学校を卒業すると、大熊老人は彼を薬学校に入れた。喜助の成績は老人の期待を裏切って、上等とはゆかなかった。さりとて悪いというほどのところでもなかった。恐らく、それは喜助のお人よしに原因するところが多いのだろうと、老人は自ら安んじたことであった。学校を出た喜助は、老人の骨折で、
彼は小石川の
大熊老人も、喜助少年も、こうして毎日を至極幸福に平和に暮していた。それは金銭問題を離れた、神か大愚かというような清浄な生活だった。このような泪ぐましい情景は、末永く二人の上に止っているように誰しもが祈りたいところであるが、筆者は文章を売るため心を鬼にして、ここに突如として降って湧いたようなカタストロフィーについて述べなければならない。
二
日頃元気な大熊老人が、一週間ほどこっちへ、どうも何だか気分がすぐれないと云って、床についた。
老人が病床に横わると、即日といわず、即時から親戚の者共が大騒ぎを始めた。花を毎日取りかえる者があり、銀座裏の
中には、老人の箸のつけ方が少かったといって悲観するものがあるやら、あの果物がすくなくとも五万円に売れたろうと胸算用をする者もあった。
喜助は老人が病気になると、すぐさま勤めを休み、枕頭につめきって介抱をした。看護婦のよく行きとどいた世話振りよりも、喜助のヘマな手伝いの方が、どんなにか老人を喜ばせたり、元気づけたりしたかしれなかった。老人がいつになく枕があがりそうもない様子であるのを見てとると、喜助には大熊老人がいよいよ懐しいものに思われて来た。老人の容態が一歩悪化すると、喜助の食慾も一椀がところ減退した。彼は科学者の教育をうけたに似ず、心の中で心あたりのある明神様だとか、観音様などを、それからそれへと、いくつも並べ唱えては、老人が全快に向うことを祈った。しかしその効目はすこしも現れて来る模様がなかった。もしや、老人が此儘死んでしまうようなことがあれば、自分はどんなに淋しい身の上になることであろうか、それは帰るべき
梅雨空に重い雲が渦をなして老人の病室近くに舞い下り、枕許につめている人々は、
喜助少年は、今や前後を忘却して、大声をあげて、泣き喚きながら、老人の
「おじいさん。おじいさァん。どうして死んだんです。しっかりして下さァい。もう一遍生きて下さい。冷くなっちゃいやだなァ。よォ、おじいさん、しっかりして下さァい!」
「オイ君、止さないかッ」
突然、頭の上で太い声が怒鳴った。喜助にはそんな声なんか、アルゼンチンでしているようなものだった。喜助が一向その声を聞き入れないのを見ると、太く
「ウワーン、痛いよ、乱暴な!」
喜助は、不意打を喰って、しばらく息が止っていた。顔をあげると、老人の亡骸を遮るようにして一団の人々が刑務所の高塀のように
「…………」
「お前は何者だ」と喜助の面前に調子の荒っぽい言葉が飛んだ。「お前は大熊家にとって何者なんだよォ。ここは他人は一切入れないことに
「でも、僕は……」
「ダ、ダ、黙れ! 他人は帰ってもらいたい。それでも入って来ると、法律で警察へつき出すから、そう思え」
喜助は、そんな乱暴な口を利いている男の顔をはじめてマジマジと見上げて、大いに驚いた。それは四五日前までは、毎日のように彼のところへ来ては、老人へのよき
「他人は帰れ!」
の一言に、喜助は述べてみたい理窟もないではなかったが、言い出したが最後、今度は肋骨の一本ぐらいは折られそうな一同の権幕に恐れをなして、唯下唇をブルブルふるわせるばかりで、すごすごと退場しなければならなかった。
喜助は、重い足をひきずるようにして、叔父の家の二階へ、帰って行った。
三
二階の薄汚い彼の居間に入ると、彼は、
だが、その快よい悲歎の泪を、ときどきチクリと止める何物かが
老人は何故こう
親族達は、老人が死ぬと直ちに一致協力して、別に何の特権もないことが判って居る喜助を邸外に
更に、これは大秘密であるけれど、大熊老人は生前に於て、ひそかに喜助の手を借りて毒薬
そんなことを、いろいろ綴り合わせて考えてゆくと、若しやという疑惑が、なんだか本当にそうあったらしく思われて来るのであった。親族連中が一致団結して事に当っているのもおかしいと言えば言えないこともないし、死亡診断書を書いたN博士だって、何か動機があれば、インチキ証明書を書かぬとは言えないだろうし、そう言えば、老人がこのたび死病にとりつかれたのに、主治医としてN博士とその助手が二人ほど
(わかった、彼等一団の親戚たちは、一致協力して、あるまいことか大熊老人の毒殺を企てて、それが不幸にも見事に成功してしまったのだ。きっと、そうに違いない。自分を直ぐに室外につまみだしたのも、単に喜助という少年を嫌ったのではなくて、実は自分が薬学についての専門家であることに恐怖を感じて、排斥したものに相違ない)
喜助は、大きな泣き声を、いつの間にか、やさしい泣き
(
喜助の心は、どこまでも弱く、そして
その後に来るものは、無間地獄のような悲歎と
喜助は自殺しようと決心した。
喜助にとって、自殺することは、障子に手をかけてガラリと開くのと、その容易さに於て余り大差がなく感ぜられた。自殺して、天国の門口で、(おお、とうとうお前も来て呉れたか)と云って老人の胸に抱かれることがどんなにか楽しみであった。彼は堅くそれが出来ることを信じていたのだった。喜助はここで、死ぬ時間のことを考えた。なるべく早く死にたい。老人の葬式が行われるその時間に後を追いたい。
(素晴らしい! それだ!)
と思うような方法を突然思いついたのであった。彼は、金属ソジウムが水に会うと
それに、これは全く奇想天外の名案だと思うが、この一切の装置を、お葬式に使う花筒のなかに仕掛けるのだ。どうせ、明日は、叔父の一家は総出でお葬式の手伝いに出かけてゆくだろうから、自分ひとりが留守番にのこることになろう。そのとき榊の花筒の一個を特別に残して置いて貰って(これ位の頼みなら、叔父叔母はたやすく叶えて呉れるにきまっている。いけないと云えば、金を出して買いとることにしてもよいではないか)これを身体の傍に立てて置き、丁度よい時間に爆発させる。
すこし心配になるのはその爆発の力であるが、無論自分を殺すのには充分であろうが、炸裂力は必要以上に劇しくて、ひょっとすると、この花久の店を粉微塵に吹きとばしてしまうかもしれない。これは叔父叔母に対して申訳のないことである。だがまァいいや、大したことはあるまい。
喜助は、目に見えて、急に元気づいて来たのだった。
四
花久の店には、静かに
「…………」
ポトリとも何とも音はしなかった。
喜助はハァと溜息をついた。
しかし、又耳を筒の方へ近づけた。今度は何か
喜助は、更にまた大きく、ハァーと溜息をついた。
太い青竹でこしらえた花筒の表面に眼を近づけて丁寧に調べてみた。もう金屬ソジウムが水分を引いて発熱し、竹筒の青い色がすこし変ってきては居ないかと思ったのであるが、別にまだ異状は認められなかった。
喜助はこの爆発装置の設計に、欠点があったのに気がついた。何故もっと大きい
時計を出してみた。予定の爆発時間までは、もうあと五分しかない。だが五分間あると思って落ちついていることは許されないのだ。すこし位のことは計算の誤差で、後や前になるかも知れないのだ。もう目を閉じて、神に祈りを捧げるのがよい頃合であろうか。
喜助は、口を大きく開いて、苦しそうにハァハァ喘ぎながら、竹筒の表面から寸時も眼を放たなかった。式場の青山斎場では既に読経が始まっている頃であろう。死におくれては一大事である。
喜助はもう眼を開いて居られなかった。彼は腰掛けの台を後ろに蹴とばすと、矢庭に大榊の花筒にシッカリ抱きついた。彼はハァハァと息を切り、額から脂汗をタラタラと流した。彼は讃美歌を、声も無く、歌っていた。
しかしどうしたわけか、喜助の注文どおりに中々爆発は起らなかった。最初に算出した定刻を五分十分と過ぎて行ったが、彼の腹部もまだ安全であった。喜助はすこし調子ぬけがしてきた。そのときであった。
「ガラ、ガラ、ガラッ!」
やられたッ、と喜助は思った。が少し音の出どころが違うようである。ハッと思って眼を開いてみると、これはどうしたことか、閉めてあった筈の入口が開いて、叔父の久作が、顔色をかえて彼の前に立ちはだかって、口をモグモグさせながら、両手を意味なく頭の上で振っているではないか。
(叔父が帰って来た。大急ぎでとってかえしたのだ。とうとう自分の自殺を嗅ぎつけたのだ。この方法は失敗だッ)
喜助は突嗟に、そう考えてしまった。こうなる上は仕方がない。叔父たちに自殺を押し止められるよりは、電車に轢れた方がましだ、と思った喜助は、いきなり叔父を土間の上につき転がすと、裏口を開いて、真暗な往来へ飛び出した。
踏切の方へ! 線路へ!
其の日の斎場の光景は、まことに厳粛を極めたものだった。何しろ、実力に於て首相格である大熊老人の葬儀のことであるから、上はA総理大臣をはじめとし、閣僚全部を筆頭に、朝野の名士という名士、その数無慮五百名、それに加えて、故人の徳を慕う民衆の参列者が一万人に近いという話であった。斎場の正面のずっと高い石の壇上には、大熊老人の
棺の正面に今日の導師たる××国師はじめ一門がずらりと並び、一と通りの読経も
(プスッ)というような鈍い物音が大臣席のうしろの方にした、と思ったら、その次の瞬間に、「ド、ド、どーんッ!」と物凄じい大爆音が起った。
あとは何にも判らなかった。
五分、十分……やや静まった。門外に居た参列者だけは、重症を負いながらも、一命はとりとめたようである。その連中が門内を覗きこんで、一種異様な臭気を持った煙の
「
門内に居た五百人の親戚や名士達は一人として生きては居ないらしい。その惨状を、ここに記すのは、筆者としても到底忍び得ないところである。
それから三十分経った。
恐るおそる本堂の跡へ入りこんだ警官隊の一行は、本堂の正面にある石の壇上と覚しいところから、おゥ、おゥと叫ぶ人声のあるのに気付いて、胆をつぶした。よくみると、それは無惨にも片足を失った重傷者が、救いを求めているのであった。それを皆が寄って、ようやく下へ降ろして見て再び大吃驚をしなければならなかった。というのは、その片足のない重傷者は、その日、葬儀をした筈の大熊老人その人に違いなかったから……
後で判明したことは、大熊老人は毒殺されたが、平常の抗毒方法がうまく効いて、棺の中に居るうち段々恢復してきた。ところへ、あの大爆発が起って、身体の大部分は石段の蔭になっていたので微傷もうけず、唯足だけは爆発
喜助はどうなったか。久作が椿事に遭って生命からがら帰って来たのを感ちがいした喜助は、初一念を貫いて、あれから直ぐ後で、鉄路の露となって消えてしまった。
(「探偵」一九三一年七月)