私は
あの草鞋を程よく兩足に
呼吸は安らかに、やがて手足は順序よく動き出す。そして自分の身軆のために動かされた
机上の
二三度土を踏みしめてゐると、急に新しい血が身軆に湧いて、
そして二里なり三里なりの道をせつせと歩いて來ると、もう玄關口から子供の名を呼び立てるほど元氣になつてゐるのが常だ。
身軆をこゞめて、よく足に合ふ樣に
と同時に、よく自分の足に馴れて來て、穿いてゐるのだかゐないのだか解らぬほどになつた時の古びた草鞋も
ところが、私はその程度を越すことが
さうなつた草鞋を捨てる時がまたあはれである。いかにも此處まで道づれになつて來た友人にでも別れる樣なうら淋しい離別の心が湧く。
『では、左樣なら!』
よくさう聲に出して言ひながら私はその古草鞋を道ばたの草むらの中に捨てる。獨り旅の時はことにさうである。
私は九文半の足袋を穿く。さうした足に合ふ樣に小さな草鞋が田舍には極めて少ないだけに(都會には大小殆んど無くなつてゐるし)一層さうして捨て惜しむのかも知れない。
で、これはよささうな草鞋だと見ると二三足一度に買つて、あとの一二足をば幾日となく腰に結びつけて歩くのである。もつともこれは幾日とない野越え山越えの旅の時の話であるが。
さうした旅をツイ此間私はやつて來た。
富士の裾野の一部を通つて、
野邊山が原の中に在る松原湖といふ小さな湖の岸の宿に二日ほど休んだが、一日は物すごい
其處から引返して再び千曲川に沿うて
そしてその水源林を爲す十文字峠といふを越えて武藏の
ことにこの峠で嬉しかつたのは、尾根から見下す四方の澤の、他にたぐひのないまでに深く且つ大きなことであつた。しかもその大きな澤が複雜に入りこんでゐるのである。あちこちから
峠を降りつくした處に古び果てた部落があつた。
栃本に一泊、翌日は裏口から三峰に登り、表口に降りた。そして昨日姿を見ずに過ごして來た中津川と昨日以來見て來てひどく氣に入つた荒川との落ち合ふ姿が見たくて更にまた川に沿うて溯り、その落ち合ふところを見、名も落合村といふに泊つた。
斯くして永い間の山谷の旅を終り、秩父影森驛から汽車に乘つて、その翌日の夜東京に出た。すると其處の友人の許に沼津の留守宅から子供が脚に怪我をして入院してゐる、すぐ歸れといふ電報が三通も來てゐた。ために豫定してゐた友人訪問をも燒跡見物をもすることもなくしてあたふたと歸つて來たのであつた。
この旅に要した日數十七日間、うち三日ほど休んだあとは毎日歩いてゐた。それも兩三囘、ほんの小部分づつ汽車に乘つたほか、全部草鞋の厄介になつたのであつた。
自宅に歸ると細君から苦情が出た、何日には何處に出るといふ風の豫定を作つておいて貰ふか毎日行く先々から電報でも打つて貰はぬことにはまさかの時に誠に困るといふのである。
もつともとも思ふが、私の方でも止むを得なかつた。たとへば千曲川の流域から荒川の流域に越ゆる間など、ほゞ二十里の間に郵便局といふものを見なかつたのだ。
また私は健脚家といふでなく、
それにしてもどうも私には旅を
然しそれも、『斯ういふ所へもう二度と出かけて來る事はあるまい、思ひ切つてもう少し行つて見よう。』といふ概念や感傷が常に先立つてゐるのを思ふと、われながらまたあはれにも思はれて來るのである。
今度の旅では幾つかの湖と、幾つかの高原と、同じ樣に幾つかの森林と、溪谷と、峰と、澤とを見、且つ越えて來た。順序よく行けば十日あればり得る範圍である。それにしてはよく計畫された旅であつた。私の十七日かゝつたのは例の
机の上に地圖をひろげて見てゐると、まだまだなか/\行つて見度い處が多い。いつも考へる事だが、斯うして見ると日本もなか/\廣大なものだ。どうか出來るならばせめてこの日本中の景色をでも殘る所なく貪り盡して後死にたいものだとしみ/″\思はざるを得ぬのである。
草鞋を穿いて歩く樣な旅行には無論幾多の困難が伴ふ。先づ宿屋の事である。次に飮食物の事である。
今度の旅でも私は二度、原つぱの中の一軒家に泊めて貰つた。二軒ともこの邊の甲州と信州との間の唯一の運送機關になつてゐる荷馬車の休む
それから妙なり合せで裁判所の判檢事、警察署長、小林區署長といふ客の一行から私は二度宿屋を追つ拂はれた、一度は千曲川縁の小さな鑛泉宿で、一度はそれから一日おいて次の日、その千曲の溪の一番の奧にある部落の宿屋で。一夜は一里あまり闇の中を歩いて他に宿を求め、一夜は辛うじて同じ村内に木賃風の宿を探し出し、屋内に設けられた
信州では、ことに今度行つた佐久地方では鯉は自慢のものである。成程いゝ味である。がそれも一二度のことで、二度三度と重なると飽いて來る。鑵詰にもいゝ物はなく、海の物は絶無と云つていゝ。
たゞ
田舍の漬物のことで一つ笑ひ話がある。ずつと以前、奧州の津輕に一月ほど行つてゐた事があつた。このあたりの食物の粗末さはまた信州あたりの比ではない。たいていのものをば喰べこなす私も後にはどうしても箸がつけられなくなつた。そして矢張り中で一番うまいのは漬物だといふ事になり、そればかり喰べてゐた。やがて其處を立つて歸る時が來た。土地の青年の、しかも二人までが、見てゐるところ先生はよほど漬物がお好きの樣である、どうかこれをお持ち下さいと云つてかなりの箱と樽とを差出した。眞實嬉しくて厚く禮をいひ、幾度かの汽車の乘換にも極めて丁寧に取り扱つて自宅まで持ち歸つた。そして大自慢で家族たちに勸めたところが、皆、變な顏をしてゐる。そんな筈はないと自分にも口にして見て驚いた。たゞ驚くべき
酒であるが、
それも獨りの時はまだいゝ。久し振の友人などと落合つて飮むとなると殆んど常に度を過して折角の旅の心持を壞す事が
旅は獨りがいゝ。何も右言つた酒の上のことに限らず、何彼につけて獨りがいゝ。深い山などにかかつた時の案内者をすら厭ふ氣持で私は孤獨の旅を好む。
つく/″\寂しく、苦しく、厭はしく思ふ時がある。
何の因果で斯んなところまでてく/\出懸けて來たのだらう、とわれながら恨めしく思はるゝ時がある。
それでゐて矢張り旅は忘れられない。やめられない。これも一つの病氣かも知れない。
私の最も旅を思ふ時季は紅葉がそろ/\散り出す頃である。
私は元來紅葉といふものをさほどに好まない。けれど、それがそろ/\散りそめたころの山や谷の姿は實にいゝ。
谷間あたりに僅かに紅ゐを殘して、次第に峰にかけて枯木の姿のあらはになつてゐる眺めなど、私の最も好むものである。
路にいつぱいに眞新しい落葉が散り敷いてその匂ひすら日ざしの中に立つてゐる。その間から
木枯の過ぎたあと、空は恐ろしいまでに澄み渡つて、溪にはいちめんに落葉が流れてゐる、あれもいい。ホ、もうこの邊にはこれが來たのか、と思ひながら踏む山路の雪、これも尊い心地のせらるゝものである。枯野のなかを行きながら遠く望む高嶺の雪、これも拜みたい氣持である。
落葉の頃に行き會つて、これはいゝ處だと思はれた處にはまた必ずの樣に若葉の頃に行き度くなる。
これは一つは樹木を愛する私の性癖からかも知れない。
事實、世の中に樹木といふものが無くなつたならば、といふのが
理窟ではない、森が斷ゆれば自づと水が
水の無い自然、想ふだにも耐へ難いことだ。
水はまつたく自然の間に流るゝ血管である。
これあつて初めて自然が活きて來る。山に野に魂が動いて來る。
想へ、水の無い自然の如何ばかり露骨にして荒涼たるものであるかを。
ともすれば荒つぽくならうとする自然を、水は常に柔かくし美しくして居るのである。立ち竝んだ山から山の峯の一つに立つて、遠く眼にも見えず麓を縫うて流れてゐる溪川の音を聞く時に、初めて眼前に立ち聳えて居る
私の、谷や川のみなかみを尋ねて歩く癖も、一にこの水を愛する心から出てゐるのである。
今度の旅では千曲川のみなかみを極めて、荒川の上流に出たのであつた。
その分水嶺をなす樣な位置に在る十文字峠といふのは上下七里の難道であつたが、七里の間すべて神代ながらの老樹の森の中をゆくのである。
その大きな官有林に前後何年間かにわたつて行はれた盜伐事件が發覺して、長野埼玉兩縣下からの裁判官警察官林務官といふ樣な人たちがその深い山の中に入り込んでゐた。そしてそれらの人たちのために二度宿屋を追はれたのであつた。
千曲川の上流長さ數里にわたつた寒村を
ずつと以前利根川の上流を尋ねて行つた時、
村の名にもなか/\しやれたのゝあるのに出會ふ。上州の奧、同じく利根の上流をなす深い溪間の村に
荒川の上流と言つたが、二つの溪が落合つて本流のもとをなすのである。その一つの中津川といふものゝ水上に中津川といふ部落があるさうだ。昔徳川幕府の時代、久しい間この部落の存在は世に知られてゐなかつた。よくある話の樣に、折々その溪奧から椀の古びたのなどが流れてくる。
傳説は平凡だが、私は十文字峠の尾根づたひのかすかな道を歩きながら七重八重の山の奧の奧にまだまださうした村の在るといふことに少なからぬ興味を感じた。落葉しはてたその方角の遙かの溪間には折から朗かな秋の夕日がさしてゐた。その一個所を指ざして、ソラ、あそこにちよつぴり青いものが見ゆるだらう、あれが中津川の人たちの作つてゐる大根畑だ、と言ひながら信州路から連れて來た私の老案内者はその大きなきたない齒莖をあらはして笑つた。
燒岳を越えて
越後境に近い山の中に在る法師温泉といふへ、上州の沼田町から八九里の道を歩いて登つて行つたことがある。もう日暮時で、人里たえた山腹の道を寒さに慄へながら急いでゐると不意に道上で人の
下野に近い片品川の上流に沿うた高原を歩いた時、その邊の桑の木は普通の樣に年々その根から刈り取ることをせず、育つがまゝに育たせた老木として置いてある事を知つた。だから桑の畑と云つても實は桑の林と云つた觀があつた。その桑の根がたの土をならしてすべて大豆が作つてあつた。すつかり葉の落ちつくした桑の老木の、多い幹も枝も空洞になつてゐる樣なのゝ連つた下にかゞんでぼつ/\と枯れた大豆を引いてゐる人の姿は、何とも言へぬ寂しい形に眺められた。
今度通つた念場が原野邊山が原から千曲の谷秩父の谷、すべて
都會のことは知らない、土に噛り着いて生きてゐる樣な斯うした田舍で、食ふために人間の働いてゐる姿は、時々私をして涙を覺えしめずにはおかぬことがある。
草鞋の話が飛んだ所へ來た。これでやめる。