わが家の、
北に面した庭に、
南天、
小さな木立をなしてゐる。
南天の蔭には、
洗面所の水が流るゝため、
水氣を好む植物が
一かたまりに茂つて、
あたりは一面の苔となつてゐる。
その中の
今年はひどく花がついた。
こまかな枝や葉の茂みから
清水でも滲み出る樣に
眞紅な花が咲き
初め一輪二輪と葉がくれに咲き、
やがてその葉の色をも包んで、咲き盛ると
いちはやくまた一輪二輪と散り出した。
厚い花辨の中に無數の
眞紅な花が、
一つ二つと散り出した。
それを眞先きに見付けたのは、
私の子供たちだ。
五歳と八歳の二人の娘は、
毎朝早起をしてその花を拾ひ競うた。
そして二三日のうちに
代つてその夥しい落葉を拾ひ始めたのは、
私の年若な書生だ。
耳のとほい無口な小柄な彼は、
誰に云ひつけられたでなく、
その木の蔭にしやがんでは、
ひつそりと拾ひとつて塵取の中に入れた。
いよいよ散る眞盛りとなると、
彼も
熊手を持つて來て、
うるほひ渡つた青苔を剥がぬ樣に、
その上にうづだかい落花を掻き寄せた。
その庭は、
苔に落ちた花も見え、
子供の拾ふのも可愛いゝと見、
書生の拾ふのもいとしいと見てゐた。
が、
流石にその
一朝ごとに減つてゆくその落葉をば、
いつか書生も捨ておく樣になつた。
けふ、
ふと私はその庭におりて行つて、
柘榴の木の下に立つた。
減つたとは云つてもまだ其處等一面に花びらは散つてゐた。
ただ古び朽ちてきたなくなつただけだ。
茂つた老木の枝には、
これはまたおもひのほかに、
殘つてゐる實がすくない。
みな今年のは
柘榴の茂み檜葉の茂みを透いて、
紺の色の空が見えた。
浮雲ひとつ無い空だ、
めらめらと燃える樣にとも、
または、
死にゆく靜けさを持つたとも、
いづれとも云へる眞夏の空だ。
十本たらずの庭木の間に立つて、
ぼんやりとその空を仰ぎながら、
ぼんやりと
長い呼吸の間に混つて、
何とも云へぬ冷たい氣持が、
全身を浸して來るのを私は覺えた。
名も知れぬ誰やらが歌つた、
土用なかばに秋風ぞ吹く、
といふあの一句の、
荒削りで微妙な、
丁度この頃の季節の持つ『時』の感じ、
あれがひいやりと私の血の中に湧いたのであつた。