A
大隈侯が
前の
正月に
受取つた
年始の
葉書は
無慮十八
萬五千九十九
枚で、
毎日々々郵便局から
大八
車で
運びこんだと
云ふが、
隨分君エライもんぢやないか。
B
大隈侯のエライのに
異存はないが、
郵便局から
大八
車は
少しをかしいなア。
A ナニそんな
事はどうでもいゝ。
計數の
正確な
所が
俺の
話の
特色だ。
B
成程、
君は
子供の
時から
數學ではいつも
滿點を
取つたと
云ふのだね。
A さうさ。
俺が
先達て
先祖の
計算をして、四十
代前の
俺の
先祖の
數が、一
萬九百九十五
億二千一百六十二
萬五千七百七十六
人だといふ
莫大な
數字を
發表した
時には、三十三
萬三千三百三十三
人の『
中外』の
讀者が一
齊に
僕の
頭腦の
明晰を
感嘆したんだからね。
B 『
中外』の
讀者はそんなにあるのかい。
A ウン。ざつと三十三
間堂の
佛の
數の十
倍と
見積つたんさ。
B ぢや
大隈侯の
葉書の
數も
何かからの
見積りだらう。
A イヤ、あれは
本統だよ
君。ちやんと
新聞に
書いてあつた。それを
精密に
記憶してるのが
即ち
俺の
頭腦の
明晰なる
所以さ。
B さうかい。
大隈侯ひとりの
分が十八
萬幾らあるとすれば、…………。
A オイ
君。そんな
不正確な
話はよしたまへ。十八
萬五
千七百九十九
枚だ。
B さうか。よし/\。
大隈侯ひとりの
分がそれだけあるとすれば、
日本全國で
使はれる
年始の
葉書は
大變な
數だらうなア。
A さうさ。
非常なもんだよ。
君は
好い
事を
聞いてくれた。
俺の
頭腦の
明晰を一
層確實に
證據だてる
機會を
與へてくれた
事を
君に
感謝するね。
待ちたまへ。
大正七
年の一
月十五
日までに
全國の
郵便局で
取扱つた
年賀葉書の
總數は三千四百五十六
萬七千八百九十九
枚といふ
統計が
示されてる。
B 九十九
枚とはさすがの
君も
少し
窮したな。
僕なら二千三百四十五
萬六千七百八十九
枚と
算出するんだがなア。
A
馬鹿を
云つちやいかん。
統計は
神聖だ。
勝手に
算出して
堪るもんか。それよりか
君、
俺の
今度の
年賀状の
趣向を
見せてやらう。
B
又俳句だらう。
先年電車のストライキのあつた
時、あれは
何とか
云つたつけな、
妙な
俳句の
樣なものを
書いてよこしたぢやないか。
A ウン、あれは
斯うさ。『
君が
代の
電車も
止まる
今朝の
春』さ。
B もひとつ、
何とかいふ
首つりの
名句があつたぢやないか。
A ウン、あれは
俺のぢやないけれど、
斯ういふんだ。『
君が
代の
社頭の
松に
首くくり』さ。
B それで
君の
今度のは?
A
奇拔だよ。
驚くな。
口で
云つたんぢや
面白くないから
書いて
見せる。ソラ、これだ。
新玉の年立ちかへる旦かな 隱居
目の玉のでんぐりがへる旦かな 熊公
世界中ひつくりかへる旦かな 澁六
B
何アんだ、
隱居だの
熊公だの
澁六だのと。
A
馬鹿だなア、
澁六とは
俺の
變名ぢやないか。『
立派なユーモリスト』『
日本一のユーモリスト』として
俺の
盛名を
知らないとは、
親友甲斐のないにも
程があるぢやないか。
然しそれはマアいゝとして、『
隱居』と『
熊公』とが
分らないとは、
君の
頭は
隨分お
粗末なブロツクだね。
B ブロツク・ヘツドに
分る
樣に
説明したらいゝぢやないか。
A いよ/\
馬鹿だなア
此奴は。
凡そ、
洒落、
皮肉、
諷刺の
類を
説明して
何になる。
刺身にワサビを
附けて
煮て
食ふ
樣なもんぢやないか。
B
僕は
折々刺身を
煮て
食ふよ。
中々うまいものだ。
A
仕樣がないなア。ぢや
説明してやる。よく
寄席で
落語家がやるぢやないか。
横丁の
隱居が
熊さん八さんに
發句を
教へる
話だ。
隱居が
物識ぶつて『
新玉の
年立ちかへる
旦かな』
先づこんな
風に
云ふものだと
作例を
示す。すると
熊さんが、『
發句ツてそんなもんですかい、ぢや
譯アねえ』と
云ふので、『
目の
玉のでんぐりかへる
旦かな』とやりだす。
落語家の
見識からすると、『
新玉の』は
本統の
發句だが、『
目の
玉の』は
無茶な
句だとして、それで
聽衆を
笑はせようとするんだが、
俺の
見る
所は
之に
異なりだ。
即ち
熊公の
口から
自然に
迸しり
出た『
目の
玉のでんぐりかへる』といふ
大膽な
用語が
寧ろ
奇拔でいゝね。そこで『
立派なユーモリスト』なる
澁六
先生之に
和して、『
世界中のひつくりかへる
旦かな』とやつたんだ。どうだ
分つたか。
B
分つたには
分つたが、
君の
其句の
何處が
面白い?
A
仕樣がないなア。ロシアも
引つくりかへつた。ドイツも
引つくりかへつた。
今に
世界中が
引つくりかへるんだよ。
B それは
分つてるが、あんまり
面白い
事でもあるまい。
A
面白いぢやないか。『
世界改造』が
講和會議のモツトーになつてる。ウヰルソン
大統領は
曩にドイツ
國民に
對して
國家組織の
改造を
要求して、とう/\あの
革命を
勃發させた。
日本は
英佛米伊の四
國と
共に
支那に
勸告を
發して、
早く
南北の
爭ひを
止めて『
世界改造の
偉業に
參加せよ』とやつたね。
支那はお
蔭で
南北合同の
大共和國になるだらう。
今に
此の
筆法を
以て
日本國内の
政治を
改造せよと
迫るものがあつたら、
君は一
體どうする
積りだね。
B そんな
事を
僕が
知るものか、
僕は
政治なんぞに
關係した
事がない。
A だつて
君も
日本國民の一
員ぢやないか。
B
日本國民たる
者は
誰でも
政治に
關與する
筈のものかい。
A
當り
前ぢやないか。
B
然し
今日まで
誰も
僕に
政治上の
相談なんど
持ちかけたものが
無いのだもの。
A フン、それは
相談をしない
方が
惡いんだが、
向ふで
相談しなけりや
此方から
相談しかけたら
可いぢやないか。
B
然し
僕なんどが
相談しかけたつて
誰も
相手になつて
呉れないだらう。
A それだからいけないよ、
君は。
何でも
相手にさせるんだよ。
相手にしなけりや
承知しないと
云ふんだよ。それが
政治機關を
改造する
所以なんだらうぢやないか。
B そんなに
僕を
叱つたつて
仕樣がない。
A
或程、
君を
叱つたつて
仕樣がない。
今に
俺は
大いに
外の
奴等を
叱つてやるんだから、
今日はマア
君と
女の
話でもしよう。
其の
方なら
君の
專門だから。
B
別に
專門といふ
譯でもないが、
政治の
話より
女の
話の
方が
面白い。
A Mさんの
近況はどうだね。
健康は
大いに
回復したかね。
B あゝ、
大きに
此の
頃はいゝさうだ。
最近の
報告に
依れば、
體量が十二
貫三百五十
匁になつたさうだ。
A ヤア、
君も
女の
事になると、
大ぶん
精密な
數字を
擧げてくるね。
B だつて、さう
書いてよこしたのだもの。あすのあさ
來る
葉書にはキツト
又五
匁ぐらゐふえてゐるだらう。
A あすの
朝、
葉書が
來ると
極つてるかね。
B うゝ
極つてるよ。
毎日、
朝と
晩と一
枚づつ
來る。
僕も
毎日、
朝と
晩と一
枚づつ
出してる。
A おや/\、
驚いたねえ。お
睦まじいこツた。
B だつて
是非さうして
呉れと
云ふのだもの。
A イヤ
大きに
結構。
双方で
一月九十
錢づつの
散財だ。
精々葉書の
贅澤をやりたまへ。
B
僕の
友人には、
旅行中、
毎日必らず三
度、
留守番の
細君に
葉書を
出す
人があるよ。
A おや/\。
毎食後三十
分を
經て
白湯にて
用ゆかね。
B
全く。
始終葉書を
書く
癖をつけると
持藥の
樣なものだよ。
A
持藥は
好かつたね。
何しろマアそれでヒステリー
病だの
悋氣病だのが
直れば
結構だ。
年始状を
無暗に
澤山出したりするのに
比べると、
君等のは
蓋し
葉書利用法の
上乘なるものだね。
B まだ
斯ういふのがあるよ。
矢張り
僕の
友人だが、
國の
母親がひとりで
寂しがつてゐると
云つて、
毎日一
枚づつ
繪葉書を
出してゐるが、モウそれを三四
年間一
日も
缺かさずやつてるから
感心だらう。
A ラヴレターなら
昔から、
馬に
積んだら七
駄半なんて
云ふ
先例があるんだけれど、
母親へ
毎日缺かさずは
全く
感心だね。
蓋し
葉書利用法の
最上乘なるものかね。
B まだ
斯ういふのがあるよ。
矢張り
僕の
友人だが…………
A
葉書に
關する
君の
知識は
非常に
豐富だね。
女の
話ばかりが
專門かと思つたら、
葉書の話も
專門だね。
B
僕は
自分が
隨分よく
葉書を
書くから、
人が
葉書を
書くのにも
注意してる。
其女はね……
A
女かい、それは?
B あゝ
女だよ。
A それが
君の
友人かい?
B あゝ
友人だよ。
女の
友人があつたつて
何も
不思議な
事はあるまい。
A イヤ、
別に
不思議とは
云はない。それで?
B それで
其女はね。
或時或男に
結婚を
申込んだ。
A
女がかい?
B あゝ、
女がだよ。
女が
結婚を
申込んだつて
何も
不思議な
事はあるまい。
A イヤ、
別に
不思議とは
云はない。それで?
B それで
其女はね。
私の一
身を
捧げる
人はあなたより
外にはないとか
何とか
云つてね。
是非この
哀れなる
悶えの
子を
救つて
下さいとか
何とか
書いたものだ。
A
葉書にかい?
B イヤ、それだけは
封書だつた、さうだ。
所が
男の
方では、まだ
結婚なんどする
積りがなかつたものだから、『そんな
事を
云つてくれては
困る。
自分はまだ』
何だとか
斯だとか
云つて
曖眛な
返事をした、さうだ。
A をかしいぢやないか。
其男と
其女とは、それより
以前どんな
關係に
在つたんかい。
B うゝ、それはマア
双方の
間にキナ
臭い
匂ひぐらゐしてゐたのだらう。
其中、
女が
國に
歸つて、
暫くしてから
其の
手紙をよこしたんだ、さうだ。
A
何だか
少しをかしいね。
然しマアいゝや。それから?
B それから
翌月の一
日になると、『
御返事を
待つて
居ります』と
只それだけ
綺麗な
柔しい
字で
書いた
女の
葉書が
來た。
男は
又好い
加減な
事を
云つてやつておくと、
又その
翌月の一
日に
葉書が
來た。
矢張り『
御返事を
待つて
居ります』と
只それだけ
書いてある。
男は
何とも
云つてやり
樣がないので、
其のまゝ打つちやらかしておくと、
又その
翌月の一
日に
葉書が
來た。
矢張り『
御返事を
待つて
居ります』とある。
男は
困つて
了つて、あんな
葉書を
度々よこしてはいけないと
云つてやつたが、
矢張り
又その
翌月の一
日には『
御返事を
待つて
居ります』の
葉書が
來た。
其後、
男から
何と
云つてやつても、
女からは
依然として
毎月一
日に『
御返事を
待つて
居ります』の
葉書が
來た。とう/\それが一
年間續いた。
男もさすがに
少し
心を
動かされたけれども、まだどうあつても
結婚などの
出來る
樣な
身の
上でないので、
仕樣がないから
葉書を
取りツぱなしで、
打つちやらかしておいた。
所が
葉書は
矢つぱり
來る。そして
依然として『
御返事を
待つて
居ります』とある。
男は
少々氣味が
惡くなつた。とう/\
又葉書が十二
枚たまつた。
丸二
年間、
小言も
云はず、
怨みも
云はず、
只『
御返事を
待つて
居ります』で
責められたのだから
堪らない。
男はとう/\
落城した。
然し
今更、
何とか
斯とか
長文句の
手紙も
書けないものだから、『
承諾、
直ぐ
來い』と
書いた
電報の
樣な
葉書を
出したんだ、さうだ。
A
其女が
即ち
現今房州に
出養生の
君の
細君だね。
B ハハア、まあそんな
譯さ。
A どうも
永々と
御馳走樣。
葉書で
始まつた
御縁だから
毎日二
枚づつの
往復ぐらゐ
當り
前だね。
然し
何しろ
葉書といふ
奴は
面白いものだね。くど/\と
長たらしい
事を
書いた
手紙よりか『
御返事を
待つて
居ります』の
葉書の方が、
遙かに
君の
胸をゑぐる
力を
持つてゐたんだね。
B
全くさうだよ。だから
僕は
大いにハガキ
文學を
唱道してるんだ。
A ハガキ
文學は
好いね。ソラよく
雜誌社などで
原稿を
集める一
手段として、
諸名士に
往復葉書を
出したりするぢやないか。
B あゝ、あれは
駄目だよ。
葉書一
枚ぐらゐの
短文で、ちよつと
氣の
利いた
面白い
事を
書き
得る
樣な
名士は
幾らも
居ないからな。
A
中には
隨分長文の
氣焔を
吐いてよこしてる
人もあるぢやないか。
誰も
讀みはしないだらうに。
B
全くだよ。あんな
人に
限つて
有數の
惡文家、
乃至、
駄文家だから
堪らない。
A
待てよ。
此の
對話は『
中外』に
載せるんだから、そんな
話は
少し
遠慮して
置かうよ。それよりかモツト
葉書に
關する
無邪氣な
面白い
話でもないかい。
B あるよ。
僕は一
體、
滅多に
封書といふものを
書かない。そんなに
人の
見て
惡い
樣な
事を
書く
場合はないからなア。それで
僕は
何用でも
大抵葉書で
濟ますのだが、
若し一
枚で
足りなければ二
枚續きにする。二
枚つゞきにしたつて
封書と
同じ
事で三
錢だ。たまに三
枚續きにする
事もあるが、
状袋に
入れたり、
切手を
張つたりする
面倒がないだけでも、一
錢五
厘の
値打はあるからな。
A
成程、
葉書の二
枚續き三
枚續きはチヨツト
變つてる。さすが
君は
葉書の
專門家だね。
B
僕は
又折々葉書で
友人と
論戰する
事がある。十
枚づつも
葉書を
往復すると
可なり
面白い
論戰が
出來る。まじめな
論戰をやる
事もあれば、
惡口の
吐きあひや
皮肉の
言ひあひをする
事もある。
其間に
顏を
合せる
事があつても、
口では
其事は
何んにも
云はない。そして
内に
歸つてから
葉書を
出す。チヨイト
面白いものだよ。
A
成程、それも
惡くないね。
今度、
君と
俺とで
一つやらうか。
B やらう。
是非やらう。
葉書の
返事なら
僕はどんな
忙がしい
時でも
直ぐ
書く。オヽ、それからまだ
斯ういふ
面白い
話があるよ。
矢張り
僕の
友人だが、――
今度は
男だが――
或奴から
少し
取るべき
金があるのに、どうしてもよこさない。いろ/\
掛合つて
見たが
埓があかない。
忌々しくて
仕樣がないけれど、まさかナグリに
行く
譯にもゆかない。そこで
毎日々々催促の
葉書を
出した。十
日も
續けて
催促したら
何とか
返事ぐらゐよこすだらうと思つたが、
少しも
手ごたへがない。いよ/\
忌々しくて
仕樣がないので、
又十
日ばかり
續けた。
矢張り
何の
手ごたへもない。もう
斯うなつて
來ると
此方も
意地だ。
畜生、いつまでゝも
止めるものかと
根氣よく
書きつゞけた。
文句は
色々に
變へて、
或は
強く、
或は
弱く、
或は
罵り、
或はふざけ、
種々樣々の
事を
書いてやつた。
中途で
凹たれては
全く
敵に
降伏する
譯だから、
例の
持藥のつもりで
毎日書いた。もう
斯うなつて
來ると、
取るべき
金を
取らうと
云ふ
最初の
考へもなくなるし、
又それが
爲めに
葉書代を
費すのは
損だといふ
樣な
考へもなし、
只だ
是非とも
仕なければならない
日課として、
毎日々々根氣よく
書きつゞけた。たまには、こんな
事をしてゐて
結局馬鹿を
見るのぢや
堪らないと
考へた
事もあつたが、モウ二ヶ
月あまり
續けて
見ると、
今更やめる
譯にはどうしても
行かない。
困つたものだとは
思ひながらも、
一つは
習慣の
惰力でとう/\五
個月間やりつゞけた。さうすると、どうだらう。
或日先方の
奴が
突然僕の
内にやつて
來て……
A
君の
内にかい?
B うゝ、
實は
矢張り
僕のやつた
事さ。
A だらうともつた。
君が
細君から
施された
術を
今度は
敵に
應用したんだね。
B マアさう
云つた
樣な
譯だらう。
所で
奴、
突然僕の
内にやつて
來やがつて、『どうも五
個月間の
葉書攻には
閉口しました。あなたの
根氣には
實際驚きました』なんて
云やがつて、三十
圓の
金を
置いて
行つたが、
僕ア
實に
嬉しかつたよ。あれで
若しいつまでゞも
放つて
置かれた
日にや、
僕たる
者、
實に
進退きはまる
所だつたんだが。
A さうさねえ。つまり
根氣くらべだね。
然し
如何なる
人物でも、
毎日々々葉書で
攻め
立てられちや
放つて
置けないものと
見えるなア。
假りに
俺が
其の
地位に
立つたとして
考へて
見ても、
事柄の
如何に
係はらず、
毎日葉書で
何のかのと
云つて
來られた
日にや、
實際やり
切れまいと
思ふよ。
別に
自分がそれについて
弱味を
持つて
居ないにしてもさ、
永い
間には
何だか
斯う
不安を感じて
來さうな
氣持がするね。
B
全く
不安を
感じるよ。
薄氣味がわるくなるよ。
A 『
御返事を
待つて
居ります』がよほどこたえたね。ハハヽヽ。
B ウフヽヽヽ、それからまだ
斯ういふ話があるよ。
或學校で
學生間に
教頭排斥が
起つて、
既にストライキをやらうとしたのだが、ストライキでは
犧牲を
出す
恐れがあると
云ふので、ハガキ
運動といふ
事を
誰かゞ
思ひついて、
有志の
學生は
毎日一
枚づつ
教頭に
宛てゝ
辭職勸告の
葉書を
出さうと
云ふ
事に
申し
合せた。サア
其の
翌日から
教頭の
宅に
葉書が
盛んに
舞ひこむ。
初は二十
枚か三十
枚だつたが、
追々五十
枚となり、百
枚となり、二百
枚となり、三百
枚となつた。
其の
教頭は
隨分頑固な
男で、こんな
不都合な
示威運動に
讓歩しては
學校の
威嚴が
保たれないと
云つて、
葉書が
何百
枚來ようと
見向きもしなかつたが、
其の
状態が
一月ばかりも
續いて、
葉書の
數が五百
枚に
達した
時、とう/\
教頭の
奧さんが
泣きだして
夫に
辭職を
勸めた。
其時には
頑固な
教頭自身もモウ
好い
加減不安を
感じてゐたのだから、お
前までがソウ
云ふならと
云ふ
樣な
譯で、それをキツカケにして
早速校長の
手元に
辭表を
出した。それでも
學生の
中の
何人かは
矢張り
筆跡が
證據になつて
退學處分を
受けたんださうだが。
A フーン、そいつア
面白い
話だね。
學生としては
少し
不穩な
行動かも
知れないが、
多數の
葉書を
受取る
人の
心理を
研究するには
好い
材料だね。
君は
實際、
葉書研究の
專門家だよ。
先つきの
貸金の
催促といひ、『
御返事を
待つて
居ります』と
云ひ、
皆な
面白い
話だね。
B
所が、
此のごろチラと
聞いた
話だが、
右のハガキ
運動を
選擧權擴張の
要求に
應用しかけてゐる
者があるさうだ。
A ヘエ? それはどういふんだね。
B
僕は
政治上の
事に
趣味がないから
委しい
事は
知らないが、
何でも
請願の
代りに、
多數の
人民から
衆議院議長に
宛てゝ
葉書を
出さうと
云ふのださうな。
A さうか。そいつは
面白いねえ。『
普通選擧を
斷行せよ』『
我に
選擧權を
與へよ』なんて
云ふ
葉書が
毎日々々、
何千
枚も
何萬枚も
衆議院へ
舞ひこんだら、
議員も
萬ざら
知らん
顏をしては
居られまい。
B
何アに、あれらは
無神經だから
知らん
顏をしてるよ。
A だつて
君、
若しか
國民の
多數が
年始状を
出す
樣な
氣になつて
見たまへ。
俺の
計算に
依れば、
少くとも三千四百五十六萬七千八百九十九
枚の
葉書が
衆議院に
舞ひこむ
譯だ。
若し
君の
計算に
讓歩するとしても、二千三百四十五萬六千七百八十九
枚が
舞い
込むんだ。
B さうかなあ。
議員なんて
云ふ
連中でも、それだけ
舞ひこんだら
矢張り
多少の
不安は
感じるだらうかなア。
A それや
君、
少しは
薄氣味わるくなるだらうぢやないか。
只つた十八
萬五千七百九十九
枚の
年始状が
大隈邸に
運びこまれてさへ
新聞種になるんだもの。三千四百五十六
萬七千八百九十九
枚、
若しくは二千三百四十五
萬六千七百八十九
枚の
選擧權要求書が、
毎日々々大八
車で
衆議院に
運びこまれるとしたら、
如何に
無神經でも
堪るまいぢやないか。
彼等は
謂ゆる『
世界改造の
偉業』に
參加すべき
責任を
有しているんぢやないか。
國内政治機關の
改造を
要求する
人民の
聲を
無視する
譯に
行くまいぢやないか。どうだい
君、
君はサウ
思はないんか。
B
僕か。
僕は
政治に
關係がないのだから、そんな
事はどうでもいゝ。
然し
事苟くも
葉書に
關する
以上、
其點で
聊か
僕の
注意を
引いてるのだがな。
A
仕樣がないなア。イヤ、
然し
有りがたう。お
蔭で
色々面白い
話を
聞いた。
俺は
之からモ
少し
善くハガキ
運動について
考へて
見なくちや。
左樣なら。いづれ
又。
(大正八年)