青年実業家

内田魯庵




まるでおはなしにならんサ。外債募集だの鉄道国有だのと一つの問題を五年も六年も担ぎ廻る先生の揃つてる経済界だもの。近ごろ君、経済書の売行がいさうだが、何の事は無い、盗賊ぬすびとを見て縄をふやうなもんだ。戦争以来実業が勃興したといふのが間違つてる。何が勃興してゐるもんか、更に進歩しないと云つても宜しい、畢竟空株からかぶ空相場くうさうばが到る処に行はれたので一時に事業が起つたやうに見えたが、と/\が空腹すきはらに酒を飲んだやうなものでグデン/\に騒ぎ立つた挙句が嘔吐へどいて了うとヘタ/\に弱つて医者の厄介になると同様だ。我々の会社を見給へ、重役様がボーナスをちつとでも余計つかまうといふ外には何の考も無い。元来いつたい実業界の先輩と威張つてる奴らは昔からの素町人すちやうにんか、成上りの大山師か、濡手で粟の御用商人か、役人の古手の天下つたのか、ういふ連中のお揃ひだから真の文明流のビジ子スを知つてる者は無い。投機や株の売買も商売の一つだからつてもいが、ちつと道徳を重んじて呉れないと困る、昔から云つてるつてすが日本人は公共思想が乏しくて商売をしてもひとを倒すことばかり考へて商売其物を発達せしめやうといふ考へは無い。同商売の者は成るべくトラスト流に合同して大資本を作つて大きな商売をして貰ひたいのだが、日本人同志のなかではけちな利慾心が邪魔をするからとても相談が纏まらない。現に僕が関係してゐる会社では三四の同業者があるから合同して大きな工場を建てたら如何どうだといふ意見を持出した処が、此方こちの会社が十分優勢を占めてるのに以ての外だと排斥されて了つた。亜米利加アメリカでは大資本家が小資本家を吸収して利益を壟断ろうだんすると云つてトラストのへいを頻りに論じてるが日本では先づ当分トラストが行はれるほど進歩しない。一緒に大きく儲けやうとはしないで他人ひとに儲けられまい儲けられまいとケチ/\してゐる。裏店うらだな根性だ……
「併し頭の禿げた連中は仕方が無いとして若い者は奈何どうかと云ふと、矢張やつぱり駄目だ。血気盛んな奴が懐中手ふところでをして濡手で粟の工風くふうばかりする老人連の真似をしたがる。実業家といふと聞えが好いが近頃の奴は羽織ゴロの方に近い。立派な新教育を受けた若い連中てあひまでが斯様こんな怪しからない所為まねをしたがるから困る。例へば商業学校、あれが少しも役に立ちませんナ。元来いつたいビジ子スは実地に経験を積んで然る後覚えられるもんで、学校の教場で教師の講義レクチユアを聞いたつて解るもんぢやアない。銀行の取引実務とか手形交換の実習とか云ふものならむかしの商法講習所位のものを置けば沢山だ。経済学や法律学なら大学で、教へてゐる、私立の専門学校もある。実際また商業学校で教へる位の片端かたはしかじつたつて何の役に立つもんですか、無駄なつた。この金の足りない中で、殊に経費少ない文部省が這般こんな無用の学校に銭を棄てるのは馬鹿げてる。第一貴処あなた、困る事には此役に立たない商業学校の卒業生が学校を出れば一廉ひとかどな商業家になつた気でゐる、高等商業学校を初めとして全国に商業学校が各府県に一つづゝある、毎年卒業生が千人も出るでせう。百人に一人位真摯まじめなものもあるかも知れないが、大抵は卒業すると直ぐ気障きざ扮装なりをして新聞受売の経済論や株屋の口吻くちまねをしたがる。先輩の対手あひてにならないのは仕方が無いが後継者あとつぎの若い者までが株屋や御用商人の真似をしたがるから困る。その証拠には貴下あなた、斯ういふ学校出身者で細くとも自分で事業しごとを初めた人がありますか。多い中には有るかも知れないが、先づ学校を出ると会社とか銀行とかへ入つて端多はした月給でも貰つて気楽に飯の喰へる工風をする。校長初め教師までが其方を奨励する。実業家達は小才の利く調法な男をやす傭使つかへるのだから徳用向きの仕入物を買倒かひたふす気で居る。然るに高い学費を何年もつかひ込んだ商業学者先生達は会社か銀行の帳付ちやうつけにでもなると直ぐ実業家を気取つて、ごく愚劣な奴は安芸妓にはまり込んで無けなしの金を入上げる、ちつと生意気な奴は書卓デスク附属の器械であるのを忘れて一知半解なまかじりの金融論をする、少しばかりのボーナスを貰うと炭鉱とか日鉄とか直ぐ手を出したがる、事業其物に忠実なものは殆ど無い――
カラキシ何ももお咄になりませんや。我々のやうにちつと理窟でも捻らうといふ奴は継子まゝつこ扱ひされてテンで相手にされないのだから仕様が無いのサ。金を儲けるといふが何も難かしい事は無い。正実な道を踏んで立派に金儲けが出来る。何ツ――教へて呉れ? 教へてやらんでもない、正直に真面目に金の儲かる道はいくらもある。其内ユツクリ話して聞かせやう。今の実業家連中は情ない哉22が4といふ事を御存じない。22が6と算盤そろばんを弾き出すから景気が好さゝうに見えても実は初めから失敗しておるンだ。何だ――解らないと。矢張君も22が6の連中だらう――はツはツはツ」とわざと磊落らしく笑ひながら口のうちにて、(実は自分にも解らない!)





底本:「日本の名随筆75 商」作品社
   1989(平成元)年1月25日第1刷発行
底本の親本:「社会百面相 上巻」岩波文庫、岩波書店
   1953(昭和28)年2月
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2006年10月17日作成
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