書翰

大正十一年九月(推定) 小島勗宛

横光利一




44 九月(推定)小島勗宛(四百字原稿用紙十一枚・ペン書)

此の手紙は幾度も書かうとした。しかし、その度に僕はひかへることにした。別にひかへる理由はないのだが、默つてゐても、あるときが來れば僕の氣持ちが判然とするだらうと思はれたから。しかし、今は、書かないと云ふことのためのみにでも、僕は益々憂鬱に、そして落ちつきがなくなりつつあると云ふ状態だ。何もかも總てのことがらを書かうとすれば恐らく千枚の長篇にはなるにちがひないのだが、しかし、今はここではさうは書けない。そのために、或ひは誤解をされないとも限らないとも思はれるが、しかし、どうぞ、怒るやうな所があつても、それは後からにして欲しい。そして俺の文字だけでも讀んでもらひたい。何から書いていいか。とにかく僕はここでは嘘を書かない。そのため、僕の思はぬ所で君の不愉快な所があるかも分らない。君が此の頃僕に不愉快を感じてゐる原因、それは俺にはよく分る。君の留守に君の家へ行くこと、これが第一の原因だと僕は思ふ。僕もそれをいけないことだと充分思つてゐる。しかし、正直に云ふと、僕は君の留守にではなく、總ての人達の留守のときに、行きたい氣持ちが張りつめてゐる。君は「俺を無視してゐる。」と思つてゐるにちがひなく、さう思はざるを得ないのも充分分つてゐる。しかし、僕のあの行爲は決して君を無視してゐるのではない。俺のやまれぬ心だ。俺は君に叱られれば勿論、何の返答もなく頭を下げざるを得ない。けれども、俺の愛は四年の間、常にどうして一つの所にとどまつてゐることが出來るだらう。俺は締めに絞めて來た。しかし、それは、いくら締めても漸次に深みへ前進して行く締めかたにすぎなかつた。最初は、僕の愛人が(どうぞかう書くことを赦してくれ。)どんなことをしやうとも僕は少しの嫉妬も感じなかつた。しかし、軈て嫉妬を感じ始めた。これが苦痛の最初であつた。その頃は誰が傍にゐやうとも僕は決して不愉快を感じなかつた。さうして話が自由に出來た。此の愛の時代が最も長かつた。しかし、僕の愛人はだんだんと人々が傍にゐると、僕に對する態度が、ごく普通の者に對するそれと同じになつて來た。それにひきかへ、人々がゐなくなると、益々、彼女の愛情が深まるのを僕は感ずることが出來るやうになつて來た。一體、何人が、かかる現象を喜ばない者があるであらう。僕は彼女の愛を感じやうとしたければしたい程、人々が二人の傍にゐることを欲しなくなり出した。しかし、僕は僕の所へ一人來て下さいとは曾て一度も云はなかつた。もしも、彼女が、僕の友人のシスターでなかつたなら、僕は二年前に云つてゐたにちがひない。しかし、このときから、自分の愛人が友人のシスターであると云ふことが、安全であることを喜びながらも、その一方で多くの苦痛になるにちがひないと思ひ出した。何ぜなら、絶えず二人の愛情は進化を赦されなくなるに相違なく、さうしてそれをつつしまない限り、二人の愛はいかにつよくとも、破れるやうになる恐れがあるのは分つてゐるから。それに僕は絶えず多くの者と鬪つて來た。鬪ふ必要がないとは、愛してゐる者にとつては、云ふ可き言葉ではないと思ふ。この鬪ひがいかに苦痛であつたかいかに多くの精力と不純な心を用ひさされねばならないことであつたか、さうして、いかに、長らく續くのであらう。先きを見れば、いつ止むべきものとも分らなかつた。それと同時にそれに共なふ苦痛がいつ止むべきものとも分らない。この多くの者との鬪ひが、いくら自分を絞めくくらうとしてゐても、益々自分の愛情を色濃く前進させずにはをかなかつた。しかし一方、僕の憂鬱はだんだん色濃くなつて來た。もうこの頃では、その長らくの間の鬪ひから來る苦痛が、一人の敵が自分の愛人の前に現れると、直ちに總ての世界が暗黒になつて自分を襲ふ。しかし、誰が敵であるのか、と君は反問するであらう。僕にはもう總ての者が敵に見えて來る。俺の心眼は今は全く曇つてゐるのだ。それを知りつつも俺は駄目なのだ。俺はこの苦痛を蹶りつけようとした。しかし、いくらもがいても、俺はどうすることが出來るのだ。俺の手では何一つ出來ることがあるだらう。しかし、俺には、俺の愛人とただ二人で、いつの場合にも、ゐられ得る特權があるのだ、それは俺だけだ。さう云ふある馬鹿げた權利觀が、最早やただ一つの俺を救つてくれてゐるすべとなつてゐた。最早や、苦痛が俺をかかるユーモアの中まで追ひ込んでゐた。ところが、君がそれをいやがり出した。俺はそれを感じた。俺にとつて、これほど大きな打撃があつただらうか。俺は悲しんだ。が、しかし、總てが正當なことだつた。が、それが正當であると分つてゐればゐるほど尚、俺には苦痛であつた。けれども、俺はどうすべきであるのだらう。俺は俺の心臟を誰かの冷膽な心臟とつめかへない限り、何とすることが出來るだらう。俺は泥棒のやうにぬき足さし足で、愛人と愛情を感じなければならなくなつた。これが俺の自尊心をいかに傷つけたことであつたか、いかに自分が憐れに見えたか、しかし、俺は常に泥棒であらねばならなかつた。何ぜなら、俺の愛情は最早や逆轉することがとても出來得るものではなくなつてゐたからだ。俺が此の夏神戸へ歸つたのは、この苦痛まぎれだ、血みどろの感情からであつた。俺は暫らくでもいい、此の苦痛を逃れたかつた。さうして歸ると、親父が死んでゐた。俺に何の金のないのも、はつきりと分つた。ああ、俺は愛人を失はなければならない。俺に愛されると云ふことは、どんなに苦痛であるか、もうこれ以上、愛を續けたなら、俺の愛情は罪惡である。さう思ふと、俺は絶望した。俺は死んだ、さう俺は決心した。そして、君ちやんに手紙を出した。總てのことを書いて。すると、どうであらう。俺の愛人は、あなたの不幸は私の不幸と同じである、と云ふ返事であつた。俺はどうすべきであらう。俺は長らく迷つた。が、たうとう俺は負けて了つた。俺の愛情は爆發した。どうぞ赦してくれ。『經濟状態が、それ相應でない限り、愛すると云ふのは罪惡である。』と君はいつも云つてゐた。今の場合、この言葉が俺の胸をひつかき廻す。俺は金を儲けやう。さう云ふ決心が猛然として起つて來た。俺は今、儲けやうと思へば何時でも儲けられる、さう云ふ自信が理論的について來た。俺は愛してもいいのだ。さう思つた。そして急に上京して來た。俺は君の前で、金もないくせに、金のあるやうな顏をしなければならなかつた。「この帽子でも、これでも高いんだぜ。」と俺は或時云ふと、そんな氣持ちから云つたのでは決してなかつたのだが、しかし君は「誰が安いと云つた。」と皮肉つた。その皮肉が、さう云ふ皮肉のためであるとは僕は思はなかつた。しかし、僕の胸には、一生の中で、あれ程、痛くなさけなく響いたことがないだらう。俺はあの時泣いた。しかし、泣きながら俺は君の家へ君ちやんを見に行き續けた。俺が君の家へ行くと云ふことが、どんなに今苦痛であるか。或るとき、桂田氏の所へ行かうとして、住所をききに、君の所へ行つた。そのとき君はまだ歸つてゐなかつた。すると暫くして、君が歸つて來て、不快さうな顏をして默つてゐた。そして、急に、「桂田さんの所へ行かうと思つて來たのか」と恐ろしい顏をして僕に云つた。君の云つた意味は、桂田さんの所へ行くのなら、一緒に行くのだつたのに、と云ふ意味らしかつた。が、しかし、あの場合の俺には、俺が、びくびくしてゐたときであつたそれだけ、俺は悲しかつた。俺の愛もたうとう破れて了つた。さう僕は思つて直ぐ家を出た。その以後、僕は君のゐないときには決して行かないことにした。俺は全然、行きたくはなかつたのだ。しかし、俺は涙ながらに行かねばならなかつた。俺は俺がもう可愛相であつた。が、また、君の所へ行くと云ふことは、なほ、君ちやんにひきつけられるために、なほ苦痛を増しに行くのと同じことであつた。先夜、君が、エバタ氏の所へ行つた留守、引き返へして、君ちやんに逢ひに行つたのは他でもない君ちやんの意志をききたかつたのだ。二人ぎりの時でない以外、どうして俺はほんたうのことばが云へる場合であらう。他は皆嘘だ。僕と君ちやんと二人ぎりのときは、いつも向ひ合つて、どちらもただ默つてゐる。一時間でも二時間でも。これだけが喜びなのだ。どうぞ赦してくれ。君の氣持ちはそれはよく僕には分る。僕としては俺が惡いと思ふ以外に何も云へない。今鷹にもこのことを云つたなら、このことと云ふのは自分の妹が愛してゐると云ふこと、今鷹も君に同情してゐた。
「俺だつたらいやだね。」と彼は云つた。
「俺だつたら、君の妹になら最初から戀なんかしなかつたね。」
と、僕は云つた。しかし、僕でも、自分に妹があれば今鷹のやうなことを云ふにちがひないと思ふ。けれども、僕と君ちやんとのは普通のではない。俺からは破ることが出來ない。この四年間の苦痛からだけでも何か芽を出したい。俺は待つとすれば、君ちやんの愛のなくなるのを待つ以外、最早や俺としてとるべき方法がない。今は俺はさう決心してゐる。そして、今の場合誰が俺以外の態度をとることが出來るだらう。俺から最早や「君ちやんを下さい、」とは金のないために君にも、君のお母さんにも、どうしても俺は云へない。俺は實際すまない。これは嘘でも、裝飾でも決してない。僕と君ちやんとの間を、もしかしたら、君はきたないことがあつたと思つてゐるのかもしれない。が、しかし、それは疑はないでくれ。俺は君ちやんが友人の妹である、とは絶えず思つてゐる。俺は疑はれてもいい。しかし、君ちやんを疑はないでくれ。あの子は兄と云ふことを非常に尊んでゐるからだ。君があいつを愛するな、と云へばあの子は俺を必ず愛しなくなる子だ。それだけに俺としてはさう云ふところが、頼りなくも思はれる程だ。それから俺の態度として、君が疑つてゐるにちがひないと思ふが、俺以外の友人が君の所へ行くことについて、俺が、それを防がうとしてゐると、君は思ふだらうと云ふことである。このことについては、俺は絶えず、最も自然であるやうにと心掛けてゐる。俺としては、出來ることなら、行かしたくはない。何ぜなら俺と君ちやんとが離れてゐる場合、不安なことがらが非常に多いからだ。しかし、俺はこのことだけは、自然な態度を失つたことがないつもりである。そしてかう云ふことは、君と俺との仲を案外、變な具合にしてしまひはせぬかとも思はれる。ここが一番むづかしい。しかし、君ちやんのことで、君と俺とは仲が惡くなりたくはない。尤も、中山のやうな放蕩者に、俺は自分の愛人を合はせたくない、この氣持ちが俺に働いて、俺は君の自由な氣持ちを暗くすることがないでもないと思ふ。が、とにかく、俺は非常にむづかしい立場に立つてゐる。
俺は出來る限り、君の所へは、もう行かないことにする。これは惡い意味にとつてくれるな。君から來てくれればありがたい。しかしこんなことを云つても、これは恐らく俺には守れさうにも思はれない。君に逢ひに行くのではなく、君ちやんに逢ひにゆくのだ、とさう君は思つて不愉快なのは分つてゐる。しかし、さうは思はないでくれ。何ぜなら、いづれそれにちがひないのだから。そして、それが友情のない證據だと、どうして云へるであらう。俺は今こそ、自分を最も喜ばすただ一つのこととして、まだ君の家へ來ない以前、誰よりも君と早く知り早く親しくなつたと云ふことを思ひ出して自分の純粹であつたのを、自分に向つて誇り得る。僕は君ちやんを見て君と親しくなつたのではない。君ちやんを見てより親しくなつただらう。しかし、それが何故にいけないのか、俺は誰よりも純粹であつた、さう俺は思ふと、たとへ君ちやんのために、君と俺とが分裂したとしても、僕は自分をきたなかつたとは思はない。君の創作なり物事を批評するとき、俺の頭は、君ちやんのために、曇らされたこととて一度もなかつた。もしさうであつたなら、そのとき、君は俺をののしつてもかまはない。俺は君と爭ふべき所は、爭ふだらう。もし俺の頭が君ちやんのために、君に對する俺の言葉を不純にするやうなときがあつたなら、俺はそのときは誰からも放れてゆくと思ふ。こんなことは云ひたくはないことであるが、しかし、これから、度々この困難な場合に出逢ふにちがひないと思ふ。そのとき、俺が嘘をまぢへたなら君の不幸になると思ふ。僕はいろいろなことを云つて來た。とても口に出して云へないことまで云つた。しかし、そのため、僕は落ちついた。この手紙の中では僕が君の留守をねらつて行くことの自分の不愉快さを君にきいてもらひたかつた。しかし、こんなことを云ふと、却つて君が弱るかもしれないと思はれ出した。どうしてくれ、とは少しも云ふつもりがなかつた。しかし、かう書けば、どうかしてくれと君を促すやうで、却つて僕も弱り出した。けれども僕は、君がどうしてくれやうと、君ちやんに愛がなかつたなら、僕がいかに愛してゐやうとも、僕からどうぞよしてほしいとお願ひする。「俺は君ちやんの愛人なんだ。」と俺が、この空虚な部屋で、一人威張つてゐたつて、一體誰れにさしつかへがあらう。と俺は思つてみてもゐる。俺と君ちやんは幸福になれると俺は思つてゐる。その點だけで、俺は君ちやんの愛人になれると思つてゐる。君がもし俺に君ちやんをやらうと云つてくれるなら、俺は君ちやんを幸福にしてみせる。どうぞこれを傲慢だとは思つてくれるな。何ぜならかう云はねばならない俺も察してみてくれ。それから、どうぞ、これもお願ひだが、俺と君ちやんとの愛を、汚ないと思つてはくれるな。このやうな問題は、きたないと思へば、いくらでも、きたなく見えるものだし、美しいと見れば、いくらでも美しく見えるものだと思ふから。どうぞ二人にとつて、都合のいいやうに、美しいと見るやうにしてくれたなら、俺は助かる。ならうことなら、世界の中で、二人の幸福者を増すやうにしてくれないか。これだけは、君にたのむより仕方のないことだ。實際俺は今、一生の中で最も苦痛なときだと思ふ。そして、その苦痛なときに、一番苦痛なことが起り、その苦痛なことが、また最も苦痛な状態になりつつあるのだ。もし、この苦痛期をきりぬけることが出來たなら、俺は何事でも最早や忍耐することが出來ると思ふ。俺は豪い人間になることが、そのとき初めて出來るのだらうと思はれる。どうか、今鷹のやうに「俺ならいやだね」とは云つてくれるな。何ぜなら、君にとつてそれはただ一片の感じから來る言葉だとしても、俺にとつては、倒れるか、起き上るか、とにかく、致命的なことなのだから。俺は今は必死だ。俺は俺の一生を棒に振りたくはない。俺は君の感情に對して全然盲目では決してない。が、しかし、俺は必死だ。俺は俺の目標に向つて、力の限りぶつかつて行つてゐるのだ。もう、良いとか惡いとか、とても考へてゐられない。
多くの怒るべき所があつたことと思ふ。そして怒つてくれるなとは俺はもう云はない。怒つてくれ。何ぜなら俺の書いて來たことは皆本當だからだ。俺は俺として仕方がない。さう云ふより云ひかたがなかつたからだ。俺は讀み返してもみない。どうぞ赦してくれ。





底本:「定本 横光利一全集 第十六卷」河出書房新社
   1987(昭和62)年12月20日初版発行
底本の親本:「横光利一全集 第十二卷」河出書房
   1956(昭和31)年6月30日発行
※副題は、井上謙氏により底本編集時に、月日、宛名人の順に加筆されたものです。
※中見出しの番号は井上謙氏により底本編集時に加筆されたものです。
入力:橘美花
校正:奥野未悠
2020年5月27日作成
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