書翰

昭和十九年五月二十七日 川端康成宛

横光利一




388 五月二十七日 東京都世田谷區北澤二ノ一四五より鎌倉二階堂三二五の川端康成宛(封書・原稿用紙三枚・ペン書・速達)

先日は僕こそ失禮。上野へ行かうと思つて服を着たのだが、ふと小机を見ると蘭郁二郎君の葬の通知状が開いて、黒枠が見てゐるのだ。そうだ、今日は晝から海軍葬だつたと氣がつき、幹事長の職責の辛さ、また喪服に着かへた。行つて見ると、小説部會人無く、葬が始つてゐて誦經の最中、いきなり僕が弔辭を讀まされたが、そんなものを持つてゐず、やむなく、口で寫眞を見上げたまま喋つた醜態。この人とは生前一度も逢つたこともなく、作品を讀んだこともないので、弔辭を云ふにも云ひやうなく平向した。しかし、最初の文壇の犧牲者であるから、何とか形をつけねばならず、むにやむにやと云つたが、蘭氏の寫眞が不思議とにこにこ笑つて動いてゐるやうだつた。寫眞とは見えぬのだ。實に眞近で見ると良い寫眞だつた。
大河内氏の方へは詫状を出して置いた。
この次はぜひ茶碗を見せて貰ひたし。
それから、小説部會はますます難しくなりさうだ。といふより、ややこしくなつて來た。とにかく、ぜひこれは君の力をお借りしたい。さうでないと、出來ん。難しくなつたら、川端に聞けと云ふかもしれん。
いろんなことをして、文士を困らせても不愉快だし、さうかと云つて、せずにゐるわけにもゆかず、委員會が三十幾つもあつて、ここから出て來るものを受けてばかりゐるか、それとも、この委員會を動かして行くか、また、何かこちらから案を出すと、お金の袋の口を締めようとしてゐる事務局、何とかかとかと口を締めるだらうし、情報局は眼を光らせてゐるし、幹事諸氏、大衆の方はあの通りだし、まだ戰法も定めてない。
戰時緊急態勢とか云ふのが出來る。これは、寢耳に水だが、思想班、科學班、軍事班、農業班、何に何に班、およそ十幾つに分けてプールを作る、さういふ會が間もなく出來る案が、理事會を一昨日通つてしまつてゐた。これが出來ると僕はどの班へも出なければならなくなつて眼が廻る。不平をいふつもりはないが、君にだけは不平ばかりいふつもりだ。
○センスイ艦は四月五月は、日本の方が黒字になつて來たといふ情報課長の報告があつた。秋になると、飛行機がこちら「非常に」上るとも云つた。
○文壇といつても、約五千の人間が渦卷いてゐるのだと知つた。三十幾つも委員會のあるのは無理ではない。三十日には「文藝家總動員準備委員會」がある。班を作る委員會はまた別らしい。班のわけ方は、これが問題。このときには案をねり直すらしいのだが、是非出てくれ給へ。藝能班、かういふのもあつたやうだから。一番有用なのが、一番無用にさせられるのは定つたことだ。





底本:「定本 横光利一全集 第十六卷」河出書房新社
   1987(昭和62)年12月20日初版発行
底本の親本:「横光利一全集 第十二卷」河出書房
   1956(昭和31)年6月30日
入力:橘美花
校正:きりんの手紙
2021年3月27日作成
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