川を遡りて

牧野信一




 私たちは、その村で一軒の農家を借りうけ、そして裏山の櫟林の中腹にテントを張り、どちらが母屋であるか差別のつかぬ如き出放題な原始生活を送つてゐた。
 或朝テントの中の食堂で、不図炊事係りの私の妻が気附くと、パンが辛うじて、その一食に足りる程度しか無かつた! のを発見して、叫んだ。
「正ちやん――あたし、うつかりしてゐたのよ。済まないけれど、お午までに町まで行つて兵糧を仕入れて来て呉れない。」
「町へ行くのは何でもないけれど――為替は来てゐるの?」
「未だなのよ。」
 妻は苦笑を浮べて私の顔を眺めた。私は生のキウリを噛りながらパンを頬張つてゐたが、妻の注視を享けると、食物が胸につかへてしまつて、嚥込のみこむことが出来なくなり、ギヨツとした。――すると、そんな切端詰つた場合であつたにも係はらず、一同は、私の眼つきが、昼間の梟のそれのやうに間が抜けてゐて、見るからに気の毒気である! と評して、賑やかに笑つた。
 斯んなやうな類ひの出来事で忽ち仰天の色を顔に現し、真に眼を白黒させるが如き痴態を示すのが、最も速やかな分別を示さなければならぬ筈の立場にある私だつたから、このキヤンプ生活は恰も隊長のない探険隊に等しかつた。
「それあ、町へ行くのはドリアンを飛ばせて行くんだから僕は返つて面白いけれど、何しろ先月からは何も彼もキヤツシでなければよこさないといふ規定が出来たのでね。然し僕等は何もそれがために特別な憂慮を持つことは要らないのさ。僕等だけに対して、そんな規定が出来たといふわけではなくつて……」
「そんな憂慮なんてことは知らないけれど、ともかく、お午までにあたし達は……?」
「身にするものとか、物品とかを売るといふ術はあるが……?」
「術はあつたつて、価値のあるものなんて何もないからね……?」
「何うしよう、タキノさん――?」
「僕達一同は、夫々一人づゝのロビンソン・クルウソウになつて、こいつは何とか思案を回らさなければならないぞ……?」
 一同の者は次々に斯う云つて腕を組み、そして、その言葉の終りに感ぜられる「……、クエスチヨンマーク」は一勢に私に向つて放たれてゐたわけであつた。人、二人以上相集れば、指揮者を俟たなければならぬ。号令者の声を待たねばならぬ。――そして、最も年長であり、また常々最も高言家である! ことだけを理由にしても、私が、こゝに至れば、指揮者となり号令者と化して、奮ひ立たなければ、浅間しい内乱が生ずるより他に道のない嶮崖に私達は到達したわけであつた。
 で私も、喰べかけてゐたパンとキウリを卓子テーブルの上に置いて、厳かに腕を組み、最も思慮深気に、そして強さうに、凝ツと眼を据ゑて虚空を視詰めた。
 ――ところが私は、秘かに深い溜息を衝いた。それは、単に私自身を軽蔑し、慨嘆する溜息であつた。何故なら私は、これ程切端詰つた状態に立ち至りながら(おゝ、吾々生物の生活に於て、これ以上の窮乏といふものがあるだらうか!)私の頭の中は、何となく麗らかな空に白雲が飛んでゐるかのやうな、白々しさに澄み渡つてゐるばかりで、何んな類の思案も浮ばぬのであつた。若し、周囲の者の打ち沈んだ眼さへなかつたら、おそらく私は、そんなに厳かに腕を組んだり、凝ツと眼を据ゑたりはしなかつたであらう! これは一体何うしたといふことであらう! ――たゞ、私は、そんなことを思ひ、また、「最も麗はしい言葉」や、「未だかたちの出来てゐない創作上の夢が、不図斯んな場合に愉快な緒口を得て花やかに展けるかも知れないよ。」――などと思つてゐたので、私は一層私自身に軽蔑と慨嘆とを覚えずには居られなかつたのである。
「さあ、一刻も早く……?」
「ともかく吾々は斯うしてはゐられないのだから……?」
「号令だ、号令だ……?」
 それらの狂ほし気な唸りが火になつて私に迫つた。――私は、腕を組んだまゝ席を立ち、徐ろにテントのまはりを一周した後に、演説者のやうな熱いジエスチユアをもつて言葉を放つた。
「武装を整へて出発だ。――万一、獲物がなかつたら、掠奪より他に道はないよ。被掠奪者に対しては罪を感ずるが、凡ゆる努力をした後の、最後のうゑのための掠奪に対しては天に恥ぢる要はない筈だ。」
 私達は何時でも自由に借りることが出来る村の居酒屋のドリアンといふ馬に、テント及び炊事道具、調味料、鉄砲、手風琴、酒、十キロの米――等を積み、私が、トランプを切つて方角を定め、西北方、ヤグラ岳と称ばるゝ木立の深い山を目差して発足した。

 村境ひの橋のたもとで――。私達は居酒屋の娘にしばしの別れを告げに行つた学生の三原を待つた。間もなく三原と娘が田圃道を此方へ向つて歩いて来るのが解つた。三原は娘の肩に腕を載せてゐる。そして、時々歩みを止めて稍暫く二人は立止つたりする。私は望遠鏡を取出して見たので、私だけには、はつきり解つたのであるが、――私は嫉妬を覚えて、
「何を愚図々々してゐやがるんだい、馬鹿野郎!」
 と怒鳴つたりした。皆が、それに伴れてワイワイとはしやぎたてたりした。
 娘と三原は私達のところへ駆けて来ると、娘が、私の妻の手をとつて、
「あたしも一処に伴れてツて頂戴な?」
 と申し出た。すると他の三人の青年に、私も加はつて、一勢に横を向いて――「チエツ!」と云つた。一同は常々、娘の居酒屋の常連で、娘に同程度の関心を持つ者であつたが、(私も――)娘は、私達の中で最も若く、そして生真面目な三原に、露はな好意を示し、三原となら結婚をしたい! と私に云つたことがある。妻がゐた時に娘からそれを聞いた私は、賛成だ! と云つた癖に、別の時に娘が私に念をおすと、私は前のことなどは忘れた風にデレデレして、酔つ払ひ、厭といふ程娘に口のはたをつねられ、
「奥さんに云ひつけるわよ。」と突き離された。
 私が思はず他の者に加つて舌を鳴したのを妻は見とがめて、私に拳固を示し、そして娘に、
「行きませう/\、一緒に――あの人達皆、あなた達を嫉いてゐるんだから、たんと苛めてやると好いわ。」
 と誘つた。皆は、また一勢に舌打ちを繰返し、苦々し気に首を振つたりしたが、ドリアンの手綱をとつた三原が、もう先へ立つて歩き出したので、否応なく出発した。

 私達は浅瀬の多い河に添つて、昼顔が咲いてゐる堤を遡つて行つた。三原は投網を取り出して、浅瀬を渡りながら忽ち十余尾の鮎を捕獲した。――そして、河上の第一の村に着いたのが夕暮時であつた。
「これで、今夜の御馳走は出来たわけだ。」
「先づ掠奪に至らずに済んだことは、お互ひに幸福だつたね。」
「三原がゐなかつたら――」
「さうすれば此方の道は選ばなかつたばかりさ。」
 鉄砲に自信を持つ正吉(大学生であるが通学を嫌つて何時も私達の後を伴いて回つてゐる弟)が、既に夕霞みが低く垂込めて灰色に煙つてゐる彼方の森を指差して、負け惜みを云つた。
 ところが、その村には娘の知合の家があつて、娘が知らせたと見えて私達が河原に、テントを張り夜食にとりかゝらうとしてゐるところに、主が迎へに来た。是非一同に泊つて欲しい! と云ふのであつた。皆は辞退したが私は、テントよりも当り前の住宅の方を好む者であつたから、遠慮なくその主の大きな炉のある家へ赴き、馬の話に興がつて酔ひ倒れるまで酒を飲み、また、一行を呼び寄せ、手風琴を弾いて、ドンチヤン/\と踊つたり歌つたりした。
 翌日は、次の村に到着しないうちに、谷川のある森で日が暮れかゝつたので、三つのテントを流れの傍らに張り、盛んな焚火をして、其処に泊つた。――正吉が、山鳥を一羽打つたので、そして娘が前の晩に家から※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)を一羽と野菜類をおくられたのがあつたので、私達は、平和な夜食を執ることが出来た。酒は、もう無かつたので、私達は焚火の傍らで、おそくまでポーカーの手合せに耽つた。――負けた者は次の村で、酒の工面をする! といふ、空しい約束で――。
 私が、負けた。
 翌日の午頃次のR村に着いた。毎日々々麗はしい天候が続いてゐた。
 私は、酒のことが気にかゝつて、一行から稍おくれて、何となく迂参な眼つきをしながら、家々を眺めながらとぼ/\と歩いて行くと、梨の花が咲いてゐる納屋の傍らで藁をきざんでゐる老婆が、不図此方を向き、稍暫らく凝ツと私の顔を見守つてゐたかと思ふと、突然、
「まあ!」と頓興な声を挙げた。
「お前さんは、新町のお坊ちやんぢやねえかのう? まあ/\、好くお出なすつたのう。」
「婆やか……」と私も頓興に叫んだ。私は乳児の時代にこの老婆の乳をのんだ由である。それが縁でつい二、三年前まで春、秋には毎年老婆は農産物を携へて私の生家を訪れてゐたが、私の家が私の代になると、居所不明になり、私も、今が今迄老婆のことは忘れてゐた。
 私は、声を挙げて先に立つてゐる一行を呼び返した。
「よくまあ、婆やのことを忘れずに来て下すつたのう。おゝ/\、永生ながいきはしたいものぢやわい。それで、お坊ちやんはお幾つにおなんなすつたかな?」
「三十四――」
 私達は、はねつるべの井戸端で足を洗つて炉端を囲んだ。そして私は、老婆に向つて、自分達は、野に寝、山に寝――しながら、この山を超えて、甲州路へ出ようとしてゐるんだ! などと云ふと、老婆をはじめ、家族の者達は、即座に手を振つて、それは無謀だ、ヤグラ岳には今でも狼が出るよ、道らしい道もない、甲州路へ出るには此方の明神ヶ岳を超えて三島へ降り御殿場から富士の裾野を廻つて大月駅を目指さなければならぬだらう――と説明した。
「狼位ゐ出たつて、こいつがあれば大丈夫だよ。面白いや!」
「だけど狼は、喰へねえだらうな。」
「それこそ、まづいにきまつてゐる。」
 皆は口々に斯んなことを云つたが、内心ではこの儘、R村に当分滞在すべき安心を覚えてゐたのである。
 老婆は嫁を相手に餠つきをはじめた。
 その晩私は、老婆の言葉に依つて、私の所有に関はる少しばかりの田畑がR村に在ることを遇然に知らされた。そして一行の者は、その田畑をたがやすことに依つて、糧食が得らるゝであらう――といふことを知り、安堵の胸を秘かに撫で降した。
 翌日から私達は、市場通ひの馬車を駆つたり、水車小屋で米袋を担いだり、田の草をとつたりする労働にたづさはりはじめて、健やかだつたが、あの時若し老婆に出遇はなかつたならば? といふことは誰も口にしなかつた。娘はドリアンに乗つて一先づ帰つたが、時々町の便りを携へて私達を訪れてゐる。
 私達は辛うじて生活の安定を得た。
 私は、此処で、「ガリバー旅行記」「ラマンチアのドンキホーテ」「ピルグリムス・プログレツス」等の遍歴物語を読み、そして私にとつて、久しい懸案であつたところの「山彦の街」と題する至極浪漫的な創作の稿を起した。





底本:「牧野信一全集第四巻」筑摩書房
   2002(平成14)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「若草 第六巻七号」宝文館
   1930(昭和5)年7月1日発行
初出:「若草 第六巻七号」宝文館
   1930(昭和5)年7月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「私たち」と「私達」の混在は、底本通りです。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年1月17日作成
2016年5月9日修正
青空文庫作成ファイル:
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