疑惑の城

牧野信一




 ――嘘をつくな、試みに君の手鏡を執りあげて見給へ、君の容色は日増に蒼ざめてゆくではないか、吾等は宇宙の真理のために、そしてまた君が若し芸術に志すならば、芸術のために蒼ざめるべきではないか――。
 こんな風な調子の手紙を三枚四枚五枚と書いてゆくうちに夜は白々と明けてきた。サンタ・マリアの暦をはぐと、四月の十二日(一九三三)であつた。
 暦の端には、
「聖女ローザ童貞――我汝等に告ぐ、総て其の兄弟を怒る人は裁判せらるべし。」とあつた。
 ふるえる私の憤りは止まなかつた。
 私は封筒をふところにした寝間着の襟を掻き合せ、左右の手にガマ口とステツキを握つて深い朝霧の中に飛び出した。前の晩に芝居見物に上京して来た私の母親が、私の子供に与へた子供の学資金と、差押への札を貼られてゐた私の税のために私に借したいくらかの紙幣がそのガマ口の中に這入つてゐた。
 ポストの前に、私は恰もポストのやうに突つ立つて稍暫く考へたが、やはりこの手紙は彼に手渡した方がおだやかだと思つた。彼は嘘ばかり吐いた「偽大学生」であつたが、少くとも私に好意を抱いて朝となく夜となく私を訪ねてゐる以上、これを郵便に托するのは残酷過ぎると思つた。私は憤りの手紙を人に贈つた経験は二十代のはぢめに一度だけであつた。
 白く深い朝霧だつた。街は白い眠りに閉された化石であつた。私はポストに凭り掛つて、眼に見えぬ城を空想した。そして漸く一台の車を呼び止めることが出来た。
「善良」といふ言葉のシムボルにふさはしい彫刻の面に似た顔だ――と私は、つい此間彼と知り合ひになり、彼の言葉を凡て信ずるがままに、その容貌を心のうちで評したばかりであつた。彼ははぢめ創作が志望ではないと云つてゐたので、私は珍らしく小説家同志ではない交遊といふものに別種の悠やかさを覚えてゐたのであるが。
「僕は凡ゆる人の言葉を、凡てそのまま」と私はその手紙の中で思はずそれに傍点を打つた。「在りのままに信じるのを掟としてゐるのだ。何時誰が、凡ての現象ひとのことを目して疑ひを抱くほどのいとまがあるものか」と。
 しかし、もうその心の乾かぬ間に、忽ち彼の顔が「嘘言者の面」たる偶像として、はつきり其処に在るのを、見ぬ振りが私には能はなかつたのだ。どんな、ひよつとこな面を観ても私は滑稽とおもつたことはないが、観照は出来る。けれども「善良の面」と信じたものを、一朝にして「悪の面」と見直すためには相当な時間が私には必要であつた。凡て見る者の笑ひを誘ふものは「悪」の表象であるとはアリストテレスの「仮面喜劇論」中の言葉であつたが、私は「悪の面」にも「善の面」にも笑ひ如きは誘はれぬのだ。「滑稽」は終ひに私にとつては「笑ひ」程度の感覚ではなくて、単に絶体の存在であるばかりなのだ。
 感情は収つても、あれこれとはまた別種だと私はふところの手紙を叩きながら、未だ牛乳屋の車さへも通つてゐない薄暗い下宿屋通りへ折れて、あの学生の二階の窓を見あげて、
「交川君、交川君!」
 と、奇怪な声で十三遍十五遍と叫んだ。
 それが二十遍を越えた時、交川君は夢中で一枚の雨戸から、驚き、且つ寝呆けた一個の「嘘を吐いた面」を突き出した。その像は裸体に等しく衣服の前がはだけて、朝の健康者としての完全なる肉体の一部を露はにしてゐた。私も驚いて、思はず眼を反らせたまま、
「散歩をしないか。」
 と誘つた。
「どうも有りがたう。しかし私は嘘を吐いた覚えはないんです。」
 彼は手紙を読み終ると、こころもち両眼を沾ませて素直に云つた。
「……そんなら、それで好かつた。それを信ずるだけで、僕は吻ツとした。君が何ういふ仕事をしようとする人物なのか僕は知らないが、そんな類ひの偽者でもなく、また法螺吹きの像ではなかつたことは幸せだつた。しかし僕が昨夜から今が今迄思つたことは、今や君に対してあやまらなければならないことかしら?」
「いいえ――」
 と彼は、呼吸を朝霧の中に煙として吐き出した。
「僕こそ礼を云ひたい気持です。」
 私は胡坐をかき、彼は端坐してゐた。夜を徹して営業を続けてゐる或る廓の中の殺ばつな料理屋であつた。私達のまはりに遊蕩に疲労したらしい二三人の男が二三本の徳利がならんでゐる食卓の傍らで大鼾きをあげてゐた。また向ひがわの食卓では、ひとりの田舎風の紳士が酌女をつかまへて、彼に恋してゐるといふ女郎の話を吹聴して、いくつもいくつも力一杯酌女に背中をなぐられながら悦に入つてゐるのであつた。
 交川君に私は何んなことを喋舌つたか、日記にも書いてなく、大方忘れてしまつたが、たゞ私はひとりの酌女に向つて、
「俺達は決して今、遊蕩の帰りがけではないんだよ、では何故に斯んなに早朝から斯様な場所に現れたのかと云ふと――」
 と、何ういふわけか非常に四角張つて、交川君とのいきさつに就いて血を吐く如き熱弁を揮つてゐたことを覚えてゐる。それでも足りなかつたのか更に私は車を駆つて、朝あけの都会を遠く反対の区へ向つて一直線に横切ると彼の友人を伴れ出し、更にまた二人を促して彼等が畏敬する彼等の先輩の門を荒々しく叩いた。憤りでもなく、悦びでもなく、また悲しみでもないただ無暗と激しい向日葵の花のやうな激情が、私に、私のステツキを、刃向ふものとてもない虚空に向つての水車のやうな剣と擬せしめて、嘆けるアハヴのそれに等しい剣舞を強ひるのであつた。さうだ、さうだ、やはりこれがくたくたの嘆きの身であるばかりだつたのだ。――そして、次第に朝の輝かしい金色の光りの箭がキラキラと車の扉にあたりはぢめる頃になると、私は、ハツとして思はず伴れの勇士の肩に顔を伏せてしまつた。明るみに投げ出された化物のやうに――。
 交川君は何故かそれ以来杳として姿を現さなくなり、その面貌も次第に私の記憶から薄れようとしてゐるのであるが、最早私は彼の「仮面」をとつて、何のやうな説明――例へば、善良なる――とも、嘘言者の――とも、また、悲しめる者の――とも、乃至は、天狗とも武悪とも滑稽の――とも、とは云ひようもなく、しかし、ただ異状な面を有してゐた者として極めて微温的な恐怖に似たものを誘はれるかのやうではあるが、これは別段彼の面に限ることではなしに凡ての「過去」が吾に迫るところの自然現象の隈どりの一部である筈だ。神秘崇厳なる「仮面劇」の発生は、恐怖から「喜劇」へと憧れる原始民族の祈念に因するものと私は一冊の六つかし気な本で読んだ。
 二三日前田舎の小屋から送りとどけられたランプを燭し、同様のボロ手風琴を机の代りにして、既に初夏の夜深く私はまた或る手紙のためにペンを構えてゐたが、不図傍らの手鏡を執りあげて己れの顔を眺めると、それは「仮面劇論」書中の写真版にある深刻部の「苦しむ鬼の面」に酷似してゐた。――屡々私は忠実な税官吏の手数を煩はせて恐縮を繰り反してゐる境涯であつた。官吏は屡々私の部屋を見まはして、差押へ物件の皆無に途方に暮れ、
「しつかりして下さいよ。」
 と忠告した。――そんな鬼のやうな息苦し気な顔を見ると滑稽になつたので、私は歌でも歌はうとして手風琴をとりあげた。
 しかし歌など歌つてゐた日には、また今度税吏が現れる時に、ランプや手風琴が物件の役に立つやうなことになるかも知れぬ。しつかりしなくてはならぬとおもひ、屹つとなつて、田舎の叔父上様へ、
「前略。未だ小生の所有にかかはる土地の件に関しては度々申しあげたるが如く一切を放擲したきが年来の小生の念願なれば――」
 云々といふ手紙を書き出すのであつたが、交川に書いた時のやうな情熱が伴ふことなく、たちまち眠くなつて来るのであつた。彼処にはたしかに虚偽が蟠居してゐる筈なのだが、はじめからそれと解つてゐるためか一向もう此の方の心は花々しくもならぬのである。





底本:「牧野信一全集第五巻」筑摩書房
   2002(平成14)年7月20日初版第1刷
底本の親本:「鬼涙村」芝書店
   1936(昭和11)年2月25日発行
初出:「四季 第二冊」四季社
   1933(昭和8)年7月20日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年10月4日作成
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