サロメと体操

ヘツペル先生との挿話

牧野信一




 学生であつた私は春の休暇で故郷の町に帰つてゐたが、うちでは勉強が出来ないと称して二三駅離れた海辺の村へ逃れてたつた独りで暮してゐた。そしてヘツペル先生へ長い手紙ばかりを書いてゐた。主に象徴的な文字で架空的な悩みを訴へるのであつた。間もなく先生からの便りで、わたしも君と共々に清澄な田園で祈りの生活を送りたいから適当な部屋を探して欲しいといつて寄こした。先生は最も敬虔なロマン・カトリツク教徒で、明快なる独身主義者であつた。私は東京の大学生である傍ら、横浜にあつた先生の私塾の語学の弟子であつた。たしか先生はそのころ四十五歳だと申されてゐたと思ふ。
 夕暮時に私が、先生のその手紙を読んで泉水の傍らで腕組みをしてゐると、
「丁字の香ひが大変ね!」
 と呟きながら、満里子が慌しい靴音をたてゝ石段を登つて来た。――「妾も今日からこゝの部屋を借りて、此方で勉強することにしたのよ。いいでせう?」
「いけないといつたら帰るかへ?」
「何いつてんのさ、あんたの勉強なんて何うせ小説を読む位ゐのものぢやないの、いくら気六かしさうな顔をしたつて平ちやらだ。」
 別段に交際といふほどのこともなかつたが幼い時分からの習慣で、何んな類ひの私達の往来ゆきゝでもどちらかのうちの誰でもが気にもしなかつたのであるが、そしてまた私達にしろ平気であつたのだが、仔細に考へて見ると私だけがいつの間にか彼女からとりどりの憂鬱を感ずるやうに変つたらしく、どうやら私の厭世思想も因をたゞせば至極簡単に変則な「片恋ひ」の上にかゝつてゐるらしかつた。恋してゐるのかと思へば気も狂はんばかりに満里子が恋しくなるのだが、顔さへ見なければ、今帰つたばかりの彼女の顔がもう思ひ出せないといふ風な白々しさで、その癖無闇に漠然と切なく恋しく――私は、自分のそんな痴想を堕落と考へて、真夜中になるとほんたうに涙を滾した。私にそんなに突飛な憂鬱が襲つてゐるといふことを夢にも気づかぬために満里子は、そんなに無邪気なのか、それとも誰に対してもさういふ性質なのか――などゝ私は頗る真面目に考へて「つまりあゝいふ風な女性を娼婦型とかヴンプ型とか称ふのであらうか?」
 決してそんな大した型であるはずもなかつたのであるが、その時は私は切なくそんなことを呟いで「さういふ女性は凡そ自分には縁なきものであればあるだけ魅力が怖ろしい。」
 私は唇を噛んで、首を振りながら孤りの村へ遁走したのであつた。まつたく、いつの間にかしらそんな憂鬱病を胸底深く掻き抱くやうになつてゐる私とは露知らずに、例へば満里子は至極淡白な態度で、私がぼんやりしてゐると後ろから目を覆つて頬ずりをしたり、さうかと思ふと靴下止めが痛くなつたから直して呉れなどと申し出たり、どうかすると悪ふざけが昂じて一処に寝ようよなどと騒いで、非常に朝寝坊な私の部屋へ飛び込んで来て、彼女の方は大童なのだが、私が辟易するのも無理がなかつた。――私は僧侶の夢を抱いて、村へ逃げ伸び、そして象徴的な言葉を連ねてヘツペル先生に手紙を書いてゐたのであつた。
「君見たいな乱暴な我儘者と結婚する人は災難だらうな。」
 未だ此方に移らない、或る時私はとても家に凝つとして満里子の相手になつてゐるのが堪らなくなつたので、知り合ひの水車小屋から馬を借り出して、滅茶苦茶に駆け廻つたら気が晴れるだらうと決心して出かけようとすると、どうしても自分も一緒に乗せて呉れといつて諾かなかつた。
「結婚すれば妾はとても従順になるわ、今だつて大して我儘者だと思つてやしない。」
 私は十九世紀の婦人のやうにせめて横乗りをするやうにと争つたのであるが、彼女はそんな器用な真似は出来ないと主張して、私の肩を踏台にして鞍に乗つた。私も同乗者を得て馬を操るほどの自信はなかったので、止むなくその時は轡とりになつたが、非常に憂鬱で折角の思ひつきも台なしとなつたばかりでなく、それ以来馬の脚音を聞く度に胸が冷々とするやうな飛んだ妄想に病はされはじめてしまつた。
「今頃汽車があつたかしら?」
「いゝえ、馬で来たのよ、お蔭でこのごろではひとりでも平気で乗れるやうになつたのよ。おまけに今日は荷物も一処につけて来たといふほどの――」
 満里子は寒竹の鞭で靴の先を叩きながら、
「十九世紀は何うしてもお派に合はない。西部劇のヒロインなら務まるけれど――今日なんてこの通りのベヤー・フツドよ。」
 満里子はそんなことをいひながら、振り分けに結んだ重さうな二つの登山袋リツク・サツクを運び込んで来た。――私がヘツペル先生のことをいふと、彼女はそれはこの家が一番適当だ、炊事係りは妾が引受ける、妾も一処に語学プラクテイカルが習へて好都合だ――。
「早速電報を打つて来よう――」と碌々私の返答も待たずに、もう崖下に蹄の音が響いてゐた。満里子は二年前に女学校を出て、東京の英語専門学校の生徒であつた。

          *

 ヘツペル先生は屡々満里子の美しさを極言して、タイスのやうだとか、サロメを髣髴するなどゝいつた。勿論それは夕飯後の先生の単なる愛嬌で、映画女優の名前などを知らない先生が、湯殿から満里子に呼ばれる私が鹿爪らしい顔つきでポンプをあをりに行くところを長閑にからかふ言葉ではあつたが、私は或晩ほんたうにサロメに扮した満里子の夢を見てしまつた。然も悲しかつたことには私はヨカナアンではなくて、サロメの衣を引いて、次第にそれが裸身になつてゆく態を眺めて涎を流してゐるヘロデの※[#「けものへん+非」、24-6]々大王であつた。私は酷い冷汗だつた。
「夢を見たの?」
 襖を隔てた隣の部屋から満里子が声をかけたが私は慄然として、毛布の中へもぐり込んで空々しい鼾を立てるよりほかに術を知らなかつた。余程異様な声を発して私はうなされたに違ひない。私と満里子は隣合せだつたが、先生の部屋は前に私の父親の友達であつたアメリカ人のために造つた泉水に面して鍵の手になつてゐる洋間だつたので、私はそれでも吻つとした。おそくまで満里子の部屋で先生が話し込んでゐることは珍らしくはなかつたので、もしそんな私の寝呆け声を先生に聞かれたら、面目ないと怕れたのであつた。およそ満里子には想像もつくまいが、先生であつたならば私が何んな類ひの夢を見たであらうか位ゐのことは、その唸り声から想像されるであらう――私は、自分の浅間しさに対して極めて臆病に神経質であつた。
「何だ眠つてゐるのか?」
 満里子は呟いて頁を繰つてゐたが、やがてパタリと本を閉ぢて、小唄などを口吟みながら寝床を敷くと、直ぐに眠つてしまつた。
 私はあたりが真暗になると、ますます怪しい夢が翼を圧しのべて、醜くく身悶えするばかりであつた。――もう皆眠つたであらうから、そつと庭先へ出て深呼吸でもして来ようと思つて私は跫音を忍ばせて廊下へ出た。
 すると月あかりの泉水のふちで誰かゞ無言のまゝでしきりとスウエーデン式の体操を行つてゐた。よく見ると先生であつた。うしろ向きで顔は解らなかつたが、半裸体となつた先生の体操は次第に力が加はつて、関節の鳴る音や呼吸のはづむ気合ひが、丁字の香りの中に犇々と窺はれた。
 翌朝町へ本を買ひに行くといつて馬に乗つた満里子を散歩かたがた村境の橋まで送つた私と先生が、帰り路を渚づたひに歩きながら、「信仰と悪魔」に関するハインリツヒ・ヒルゼルの所説を先生から聴いた後に私は質問した。
「先生が禁慾生活をお続けになるにあたつて最も有効な書物は矢張りヒルゼルやスパイスの如き宗教書の耽読でありましたか?」
「違ひます。」
 と先生は厳然として答へた。
「書物は一切無駄でした。――情慾の発作に駆られた時には、吾を忘れる程度の激しい運動に耽る以外に術はありません。私は断乎として、単にそれだけの方法でこの生活を続けて来たまでのことです。」
「それはもう先生にとつては過去の修行となりましたか?」
「――或程度まで……」
 先生は眼蓋を伏せていはれた。如何ほど慎み深い心からでもそれ以上の質問は私の念願をさへぎつた。
「いゝえ運動といつても単に肉体を疲らせれば済むだけのことなのですから、方法も何もありはしません、苦痛を誘ひさへすれば結構なまでなのですよ。」
 先生は微にわらはれた様子だつた。
 夕暮時に、また浴室から満里子が私を呼んでゐた。
「もう一辺シヤワーを浴びるのよ。久し振りで馬になんて乗つたら何だか目眩ひがして仕様がないの、陽気のせゐかしら? さつきは先生があをつて下すつたのよ、恐縮しちやつたわ……よろしいといふまで手を休めてはいけないよ。」
 私は目をつむつて水あげポンプの把手ハンドルにぶらさがつて、曳哉々々とあをつてゐたが、薄目をあくと、もう灯りの点いた浴室の硝子戸に、冷いシヤワーを頭から浴びて身をくねらせてゐる満里子の裸型が、サロメのやうにはつきりと揺曳してゐた。
「陽気のせゐだ/\!」
 と私は何気なさゝうに応へてゐたが、ストツプの声を聞くと同時に夢中で石段を駆け降りた。海辺へ走つて、昏倒するまでのランニングを試みて来よう、場合によつたら泳いでやれ! と決心したのである。
 しかし私は松林を脱けて白い砂原が一望の下に見渡せる砂丘の上に来た時に、恰度私の眼下で、それはもう実に壮烈な運動――跳んだり駆けたり、もんどりを打つたり――の最中であるパンツ一つの人影を見出すと、何故か見てはならぬものを見てしまつたやうに愕然として砂に突ツ伏してしまつた。勿論運動家はヘツペル先生なのだが、今朝先生は、この四、五年来といふものは永年の修行のためか或ひは年齢の加減か、殆どもうさういふ発作に駆られるやうな場合には出遇はなくなつて、何時も敬虔な気分でヒルゼルやスパイスのお経を繙けるようになつた、「アーメン!」と胸に十字を描いたので。





底本:「牧野信一全集第五巻」筑摩書房
   2002(平成14)年7月20日初版第1刷
底本の親本:「大阪朝日新聞 第一八四二四号」大阪朝日新聞社
   1933(昭和8)年2月19日
初出:「大阪朝日新聞 第一八四二四号」大阪朝日新聞社
   1933(昭和8)年2月19日
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年10月15日作成
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●表記について

「けものへん+非」    24-6


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