美しい首飾、耳環、腕輪――やはり娘を誘惑するには、これ以外のものはなからうといふメフイストのはからひで、二人は大急ぎでそれらのものを整へると、メフイストがそつと娘の部屋へ忍び込んで、娘の鏡台の傍らに宝石の箱を置いて来ます。やがて娘は外から戻つて来て、不思議な箱に気づくと恐ろしさうに戦いてゐましたが見れば見る程立派やかな宝石類に誘惑を覚えはじめます。
「せめてこの耳環だけでも妾のものだつたら妾は何んなに幸せだらう。若くて美しいだけでは悲しいのよ。美しいといふことは幸せでも、
マルガレツテは沁々と斯んなことを呟き、そつと首飾を執りあげると、胸におしあてゝ羨ましさうに鏡の中を覗きました。メフイストはこの様子を眺めて、しめたぞ……と点頭きます。可憐な娘が、先づもつて悪魔の誘ひに陥らうとする発端です。
娘の気分がもう少し浮つくのを待つて甘い囁きをおくらうと尚もメフイストが物蔭で息を殺してゐると、隣家の未亡人が一人の僧侶を伴ふて娘の部屋に這入つて来ます。そして、宝石の箱を見ると仰天して、これは屹度神様がお前の罪を試さうと思召しておつかはせになつたものに違ひないから、早速神様の御許へお返し申してお祈りしなければならないと僧侶と共々に促します。
メフイストは折角の瀬戸際で出し抜かれて地団太を踏みます。そしてフアウストの処へ立戻ると、
「俺が若し悪魔でなかつたら、悪魔になつてやりたいところだ!」
と口惜しがります。「坊主の奴、天の報酬を待つが好からうなどゝ、唸りながら、無造作に自分の
フアウストは悪魔の口惜しがるのに頓着もなく「そしてマルガレツテの様子は何んなあんばいだね。」と心配します。
「毎日
「恋人の悲しみは僕を悩殺するぞ。早う/\次の一組を探して彼女へ贈らねばならない。」
メフイストは博士の騒ぎを秘かに嘲笑して「恋の亡者奴、日月星辰も吹き飛して娘の御気嫌を操らうとは恐れ入つたものだ!」と呟きながら次の誘惑にとりかゝるために出かけますが途々「実はさつきの宝物は悉く子供だましの玩具で、それと気づいた坊主の驚き顔を見てやりたいものだ!」斯んな棄科白を放ちます。悪魔は転んでもたゞでは起きぬと翼を伸して、敬虔な処女を堕落の淵へ追ひやりますが、兎角悲劇はうら/\と晴れ渡つた甘い朝の光りの中から勃発しがちなものだといふことであります。