茜蜻蛉

牧野信一





 白いらつぱ草の花が、涌水の傍らに、薄闇に浮んで居り、水の音が静かであつた。咲いてゐるなとわたしはおもつた。トラムペツト・フラワ? いや、あれは凌霄花の意味だつたが、凌霄花もラツパ草も、うちでは昔から何処に移つても咲いてゐるが、誰もあの花が好きと云つたものも聞かぬのに――わたしは意味もなくそんなことをつぶやいた。泉水には水葵が一杯蔓つて、水溜りの在所も見定め難かつた。ラヂオが歌舞伎劇を放送してゐた。わたしは、紙屑のやうな心地であるだけだつた。吾ながら薄ぼんやりとした姿でわたしは、どこからともなく母の家へ戻つた。母も訊ねもせず、わたしも云はうともしなかつたので、まつたくわたしは何処から戻つて来たのか、きのふまでのことも、もう夢のやうであり、何処を何うしてゐたのか自分ながら支離滅裂であつた。――ただ母とわたしは何の変哲もなく、懐しみに富んだわらひを浮べただけだつた。余程わたしは疲れてゐたと見えて、無性に母の家のあかりが甘く、故郷の空気を貪るおもひであつた。母と子の情感を、不思議に沁々と感じた。
「ああ、けふは珍らしく腹が減つた。」
 わたしは水葵をわけて手を洗ひながら、厭に太い声だつた。母はラヂオのスヰツチを切つて、縁側の籐椅子に凭りながら、
「わたしたちは今済んだところなんだよ。ビールなら冷えてゐるけど、何う?」
 と云つた。随分久しく会はなかつたが、挨拶はそれだけだつた。わたしは座敷へあがると同時に、いつか泥酔の挙句唐紙などを蹴破つたり、手あたり次第のものを売り飛したりしたのが、非常に恥しかつたので、おそるおそる見廻したところ綺麗に痕かたもなく片づいてゐるので吻つとした。
 折角今、仕舞つたばかりのところを、お気の毒だがね。マツや、もう一度お膳の支度を頼むよ――と母は女中に註文して、不図気づいて、
「マツや、これがうちの長男ですよ。」
 と何か照れ臭さうに紹介した。わたしの見知らぬ三十歳ぐらゐの小綺麗な下婢だつた。マツは稍狼狽して、厭に丁寧なお辞儀をした。あまり風態が悪く、言葉づかひなどもぞんざいなので、女中だつてウロンな客だと思ひ、さつき何か妙な人物が庭先をまはつたやうだと告げたなどと母は、突然腹をかかへてわらつたりした。
「気まりが悪いもので、わざと憤つた見たいな顔つきをして……いつでも、左うなんだよ、これは……」
 母は更にわらつてゐた。――わたしは、それでも、何処に暮し、何処の旅の空をほつきまはつてゐても、母の夢を一番多く見るせゐか、そんなに長く会はなかつたおもひもなかつた。わたしは、屡々母とふたりで旅をする夢を見た。それにしても、久し振りに舞ひ戻つても土産ばなしひとつあるわけでもなく、妙な大面をさらして無愛想にあぐらなどかいてゐる自分の、そして母と対座してゐる無風流気な姿を、傍から眺めたら、凡そ、そんな夢などは見さうもない息子と映るであらう――そんなことをわたしは考へて、吾ながら堪らぬ冷汗におびやかされた。
「一向、病気さうな血色でもないよ。」
「ええ、それあ、もう大分あちこちを歩きまはつたんで元気はついたやうです。家庭といふやつが何うもわたしには、徹底的に苦手であるらしい。」
「ぢや、ひとりで方々歩いてゐたの?」
「左う――」
 わたしは母の望みに随つてカトリツクの小学校へ通つてゐた息子を更に厳格な同校の寄宿舎へ入れたことを告げたりした。息子の学資金に関しては、母とわたしとの間が何んな状態に陥入らうとも、母が引き享けることになつて居り、母の方の間違ひはなかつたのであるが、稍ともするとそれまでが、わたしの費用になりかはつてしまひ、妻とわたしの喧嘩の種になつた。重々わたしが悪いのみで返事の仕様もないのであるが、相手が女房だとなるとこつちも気位ゐが高くなつて、更に大酒をあふつたり、負債をつくつたりした。おもへば、妻も憐れであつた。その弟妹きようだいや父親達が卑劣な虚栄心やら、厚顔無智であつたりするために、暮しの恰好もつかぬ矛盾に悩まされ通しだつた。わたしは今では左ういふ人物達と、自分の妻とは切り離して考へられるようにもなつて居り、不幸や憂鬱を感ずるわけもなかつたのであるが、ただ彼等の虚偽だけが未だ如何にしても見逃せなかつた。わたしは自身を単なるストア派、乃至はキニク派流の小説家と自任してゐる限り、彼等に対して主観的なる憎念や侮蔑感を抱いた験は皆無であり、こんなことを誌す気拙さを吹聴と誤解されぬよう祈る次第であるが、憎しみはおろか十分なる温情を抱いてゐるのは事実であるが、われながらなる道徳観を覆してまで、自己の芸術観を尊重成し難つた。
「姉さん、喜太郎なんか近頃断然凄いんだぜ。すつかり立派な重役になつてね、阪急沿線に凄い西洋館を建てたつてよ。」
 義弟の勉助(長男)は、わたしの妻をつかまへて好くそんなことを云つた。「羨やましいだらう。」
「まあ、ほんたう……!」
 妻の唇は逞しい敵愾心で震へた。喜太郎氏なる人物は、わたしは面識はなかつたが、噂に聞くところに依ると立派なる立身出世の人らしく、尊敬に価した。そしてわたしは夙に苦学力行の人物には感心する傾向だつた。その人は昔、彼等の家が引越業を営んでゐた時代に車曳の傍ら三田の夜学へ通ひ、後に南洋貿易の商会へ務め追々と畜財を成したといふことである。そして、わたしの妻とは、彼女の父がとりきめた約婚者であつたのだが、民蔵(父)が昔の恩をかさに、あまり頻繁に金のゆう通ばかりを命ずるので遂に喜太郎氏は愛想を尽かして、
「あんな横着者の娘などを貰つたら、到底ウダツのあがりつこは無いから、逃げるよ。……せめて、アマのきりやうでも好いてんなら考へどこもあるんだけどな……」
 と引越屋の同僚である弥吉にはなして、見きりをつけたと、弥吉が、わたしに告げたこともあつた。
きい公の奴はウマクやつたものでさあ。図星だ。僕なんか、見きりが悪かつたんで、たうとう散々な目に会つた始末よ……」
 弥吉は、やはり民蔵のすすめで姉娘と結婚して業務を受け継いだが、田舎の田地田畑までも民蔵に喰はれて浮浪人と化し、現在では行方も知れなかつた。五人の子供を残された彼の細君は、今では田舎の料理屋で働きながら夫の両親をも養つてゐる由だつた。きやうだいのうちでも長女だけあつて、彼女のみは神妙であつた。勉助や妹達は、あんな田舎臭い女が姉だなんて云つて来られると震へあがるなどと軽蔑し、わたしの妻だけがひとり親しく交際してゐるだけだつた。弥吉が或時、喜太郎の新居へ金を借りに行つたところ、華麗な応接間に通され、友達だなどと云つて来られては迷惑すると、はね付けられたさうである。そして金は何も貸さなかつたといふことである。
「俺はね、心がゆるみさうになる時は、これを出して昔を記念してゐるんだ。君も、他人ひとに金など借りる了見を起さずと、もう一辺これを着て出直したら何んなもんだい。」
 何を出すのかと弥吉が眺めてゐると、喜太郎は「是為奮励努力記念也」と大書した箱から昔の反纏をとり出して、斯様な意見を与へられたとのことである。
 ――「ぜにがなけれあ、仕様がねえや。」
 勉助は、わたしにも聞えよがしにそんなことを云つて、金口の莨など喫した。
 近頃ではさすがにわたしの妻も、弟のそんな容子を眺めると困つた顔を浮べて、
「ちつとばかしお金がとれるとおもつて好い気になるもんぢやないよ。自分の勉強は何うしたのよ。」
 などとたしなめた。
「ちつとだつて、ヘン、お気の毒見たいなものだな。ここの兄さんよりは多いだらう。」
「日給はいくらになつたのよ……」
「――止せよ。ひとのふところを探るのは……」
 彼は偉く得意さうに、父の民蔵と生写しの眉間と鼻の先にだけ皺を寄せてセセラ嗤ふのであつた。彼はいつの間にかから下町の包紙屋の模様描きの職人になつてゐたが、さういふ職業や仲間達を吾から酷く軽蔑してゐて、教育のある自分は皆なから尊放され、芸術家扱ひを享けてゐるので、金が要るといふのであつた。「僕のことは、誰でもが、美校出身だと思つてゐるんだよ。」
「そんなことは何うでも好いから、自分のほんとの勉強をしたら好いぢやないの。小学校も満足に出てもゐない癖に、美校も何もないぢやないか。絵描きになるんなら、学校なんて気にすることもなからうにさ。」
「貧乏は厭だよ。本格的な仕事だつてやらうと思へば帝展や二科の若いやつ等になんて負けやしないんだけどな――一応生活を派手に構へた後でなけりや……」
 そして、また、斯んな恰好の洋服をつくつたとか、ゴルフパンツも幾通りあるとか、問屋の娘が惚れて持参金つきで貰つて呉れと、煩いなどと大層な熱を吹いた。――わたしは常々彼の画作の吹聴が素晴しく、あらゆる有名な画家の悪罵も物凄いので、いくらかは描けるのかと思つたこともあつたが、わたしの全く知らぬ間に彼が文芸雑誌社へ持込んだ挿画を一見して、怖毛をふるつたことがあるのだ。加けにそれが連載の呼物小説の挿画で半年もつづき、その間わたしは雑誌社へ遊びにも行けず堪らぬ自暴酒をあほらずには居られなかつたこともあり、今思ひ出しても総身が縮まるのである。さすが無智な姉妹共でさへも、それを眺めた時には開いた口が塞がらなかつたが、それまでは彼女等までが口をそろへて、同じ芸術の道にたづさはりながら弟の道も展いてやらないなど、わたしを責め、「本の装幀は一切勉助に任せたいものだ。」と力瘤をいれた。
「装幀なら得意だ、断然引きうけよう。」
 と勉助はいきまいた。後に考へて見ると、包紙の模様職人なもので、左ういふ自信が強かつたわけだが、わたしはそれにも気づかなかつたのである。――稀に出した本であつたがわたしは手にとるのも気おくれがする程の低劣至極な出来栄えだつた。でも、わたしは、それはそれだけのことだからとあきらめたが、奴等は益々増長して、次々のプランを持ち込み、有無も云はせぬ勢ひにわたしは圧倒されて、本の出版だけは秘かに断念せずには居られなかつた。奴等の自惚れは、恐怖に価するのみの強情さ加減である。
「何とかして親父が僕んちへ訪ねて来ないように出来ないものかね。今、二階借りてゐる下の人達にも僕は、実は――あれは他所の厄介者だと云つてあるんだよ。あんな身装なりで来られちやとても堪らんからね。お店でも、僕の親父は日本運輸の重役だと思つてゐるんだもの。」
「ハツハツハ……運輸会社の重役か!」
 と妹は思はず笑ひ、わたしの妻は唇を噛んで下向いたが、得意の弟をたしなめることも出来なかつた。
「おら、また勉公に追払はれたよ。……」
 民蔵は三日にあげず、歩いて来たなどと笑ひながら訪れた。
「当り前よ、父さん――。父さんが悪いんぢやないの、体が悪いわけでもなく、人一倍丈夫で、若い女などを引き入れてさ――小使ひでも、夜番でも、仕事をしたら好ささうなものにね。」
 温泉場の女給などもして、苦労は山程嘗めたと云つてゐるのに、勉助と同じやうに大法螺吹きで体裁屋の妹は、若い会社員と同棲してゐた。外国帰りのタイピストだと触れて稍ともすれば英語を口にして、無教育な人間とは一切交際しないと威張つたが、自分は日本文字の手紙も満足には書けなかつた。
「好く父さんは図々しく勉助のところへなんか行かれるわね、あなたは何時いつ親の責任を果しましたか。勉助は、ほんたうに可哀想なのよ。あたしの学校だつて、皆なあれが世話したんぢやないの。」
 妹は二三ヶ月タイプライタの学校へ通つたことがあるさうだつた。鼠のやうに姿も小さく、一見すると十八九歳位ゐにも見えたが、喋舌り出すと井戸端の老婦のやうな処世観が逞ましかつた。――わたしが田舎にゐると、自分のとも姉のとも見境へもなく成るべく体裁の厭に派手つぽいやうなものを身につけて、父の別荘へ行くと称して出向いて来るのださうであつた。
「稀には田舎の空気も好いですけれど、食ひものが不自由でしてね。父や兄も、それを思ふとやつぱし東京は一日も離れられないんですつて……」
 彼女は、わたしの母を稀には東京の邸に招待して芝居を案内しようなどと全く無責任な放言をして、大いに悦ばせたりした。そして、その父は相変らず会社の重役であり、兄は豪勢な図案家であると吹聴した。楽屋を共にしてゐるわたしから見ると、全く彼女の言葉は正気の沙汰とはおもへなかつたが、要もないのでわたしも黙つてゐるのであつた。彼女は食卓に向ふ度には、さもさも薄気味悪さうに箸をとつて、稍ともすると食ひ物の臭ひを嗅ぐ真似をしたりして何ひとつ半分以上喰ふことなしに、雀が突つついたやうに喰ひのこした。
「あたしが外を歩くとね、この辺の人は皆な表へ出て見物するぢやないの、厭になつてしまふわ。」
「東京の人は気が利いてゐるんで、珍らしいからですよ。」
 母はいつも彼女の気勢に煽られて、圧倒されがちであつた。
「ねえ、お母さん、ここの兄さんなんか何んな小説を書いてゐるか知らないけれど、ほんたうに駄目ですわね。いつまで経つても満足な暮しひとつ出来ないなんて、言語同断だわ、あたしお母さんやお姉さんばかしがほんたうにお気の毒だとおもふわ、うちのお姉様なんて暮しの苦労なんていふものは子供のうちから一度だつて味はつたことないんですもの。うちの勉兄様なんか、ここの兄さんなどに比べれば十以上も齢が下だつて、もう来年あたりは家を建てると云つてゐますわ、父と一緒になつて孝行したいんですつて――この辺に何処か土地を買ひたいんですつて。」
「まつたくわたしにしろ、息子のことでは……」
 母は、思はずわたしを恨んで涙を呑んだ。わたしは、兄妹きやうだいのそんな出鱈目や見得張りに接しても別段のこともなかつたが、飽くまでも執拗におしこまれて母の心象までを害される段になると迷惑せずには居られなかつた。ただでさへ無能力者のノラ息子と思つて、案じてゐる母に、そんな意地悪るな皮肉を浴せられては適はなかつた。空お世辞でも好いから反対にわたしのことを賞めてでも貰ひ度いほどの状態だつたのである。息子のことを賞められると、何は兎もあれ母は満悦となり、物資を惜まなかつたから、そんな客の出現はいつもわたしにとつては打撃だつた。わたしは、この愚昧な妹のお蔭で、母からさんざんな泣言を聞され、断腸の想ひに苛められることも屡々だつた。――「お前さへしつかりしてゐてさへ呉れれば、斯んな恥を掻かないでも済むものを、まつたく勉助さんとやらのことを見たつて、ちつとは負けン気が起りさうなものぢやないか。」
「母さん、ほんたうに済みません。」
 わたしはその度毎に母の前に手をついて、心底からあやまつた。徹底的な恥辱だとわたしも震へずには居られなかつた。
「口ばかりぢや駄目だわ……」
 とまた妹が傍から憐笑した。「あたしなんか斯うやつて稀に母さんの家に来るんだつて、ちやんと食費まで用意して来てゐるわ。」
「まあ、そんなことまでは云はないで呉れよ。」
 わたしが思はず困惑のあまり赤くなつて制御しようとしても、妹は勿論用意なんてある筈もなく辛うじて片道だけの旅費で来るのが慣ひなのに何かそんな類ひのことまで吹聴しないと自負心にでも係はるかと云ふ如き勢ひで、
「いいえ、父も兄も左う云つてゐるんですよ、小田原の家も息子がいつまでもあの有様ぢや余程苦しいだらうから、損をかけちやならないツて――それからお友達も二三人来るかも知れないけど、母さん、心配などしないで下さいね。」
 と鼻を蠢めかすのである。民蔵が彼女等の二階借りに来ても金の工夫のつかぬ時には、会社員の夫の眼をくらませて米包みや醤油罎などを運ばせつけてゐるせゐか、気の廻し方も手つとりばやかつた。折々妹達が、そんなことに関して勉助をなじると、
「フツ、あはれだね。」
 とさもさも小気味好ささうにふき出した。彼は子供の折から父親の厄介になつたことがないといふのが、得意であるのは結構だつたが、苟くもその親たる者を虫ケラ同然に鼻であしらふ態度に到つては、傍人の正視成し難い冷酷さであつた。
「驚いたな!」
 わたしが思はず呟くと、然し姉妹は忽ちあべこべに開き直つて、
「何よ、自分が一番齢上の癖に碌な責任も果しもしない癖に……」
 と喰つてかかつた。そんなことで云ひ争はうものなら、女共はのけぞり反つて、わたし自身は云ふまでもなく、わたしの亡父や実母の、聞くに忍びない悪態を吐いた。
「何だい、二万や三万の金が何うしたつて云ふんだい――人間はね……」
 とつづけるのが慣ひだつた。「貞操観念が一番大事だつてことを知らないか、金は返しさへすれば済むんだよ。いまに勉助がさつぱり払つてやつたらお仕舞ひぢやないか……」
「おいおい……」
 と勉助がにやにやしながら「俺のことを勉助、勉助つて云はないで呉れよ。俺は親の付けたそんな名前なんて、とつくに願ひさげて、今ぢや斯う改名してゐるんだからな。」
「何と読むの、これあ?」
 妹は勉助の取り出した名刺を眺めて、首をひねつた。
「手前えなんかに読めるかつてんだ、勝手にしろ……」
「好く斯んな六ヶ敷い字が探し出せたもんだね、ハツハツハ……」
 と妹達はわらつた。夫の会社員が不在だと民蔵はちびちびと酒を呑み出して、
「手前えらそんなに虚栄心ばかりが強くて、何うなるかつてんだ。親のことが気にならんのかね。」
 と眼を据えはじめた。
「余計なお世話だ。俺のことなんか指一本でも指され度くはねえや。」
 勉助は、ぬけぬけとうそぶいてゐた。
「世の中に金ほど卑しいものはないんだ、これ、勉公、好く聞け……」
「そんなに卑しい金なら、ひとにたからうとしないが好いでせうよだ。」
「馬鹿ツ、左うぢやないんだ。聞き直せ、金は返せば済むがだ……」
「何だ、そのことか……救かつたよ。」
 ――民蔵は何かわたしにでも拘泥してゐるといふ風だつた。べらぼうに敏感な邪推振りで、わたしには二の句も吐けなかつた。勉助の態度が余りに礼儀に欠けてゐるのが不快なので、わたしが無口になつてゐると、彼はわたしが兄妹等に対して親の恩でもかさに着て、わがまま三昧に増長してゐる――と現に姉妹共は口を極めて罵つたこともあるのだ。
「何時ころがり込んで来たつて厭な顔ひとつしないのは――あたし達兄妹はただ善人であるからだけなんだよ。手前えんとこの親類なんて、一晩でもおちおちとは泊れるところはなからう。小田原のボロ屋なんかに行く位ゐなら。旅館にでも泊つた方が気が利いてら――トリ子、もう二度とお行きでないよ。」
 女房は一味の低気圧を引きとつて、胸を張つた。暫く郎党と遠ざかつて、自ら「高尚なる趣味」に専念したせゐか、余程弁説の悪達者や嫉妬深さなどがなくなつたのに、又もとのもくあみだとわたしは慨嘆した。――云へばわたしの意気地なさなのであるから愚痴にもならなかつたが、そんな熱を吹いて、如何にも大層な正義感にでも燃えてゐるかのやうに眼眦を吊りあげる女の形相たるや、まことに颯爽たるものであつた。
「まあ、好えさ好えさ――」
 民蔵は、凡ゆる人類を馬鹿にする見たいな嗤ひと、そして急に勿体振つた沈んだ音声で、
「実はだな、鳥海松之助君の――」
 と息をのみ、さつきからあんなに卑しがつてゐた金銭の、その金額を口にする場合となると、持前の黄色いやうな声が、急に太く腹の底から込みあがる態の号令染みた唸りに変つて、
「一千万円――のだな……会社がいよいよ成立することになつたよ。」
 と陶然として盃を挙げた。何の会社だか知らないが、様々な大会社の成立案に関しては何十年も前から同じことを繰り返して飲み歩き、一度も成立した験はなかつたが、その口調には永年の習練のためか、全く疑ふべからざる不思議な底力がこもつてゐて、茶屋女までが屡々迷はされ、現在の、何処かから彼が伴れて来た若い売笑婦も、未来の副社長夫人を夢見てゐるさうであつた。蔭で相対しても、さんざんなことを云つてゐる兄妹達も、やはり、その音声に接すると、思はず昏迷の境にさ迷ひ幸福な夢に誘はれ、勉助などは言葉つきまで変へて、
「ぢや、僕の洋行も実現しますね。」
 と乗り出した。
「勿論だ。貴様等は芸術家なんだから見聞を拡めなけれやなるまいしな。この、兄さん夫婦と一緒に、先づフランスへ行くが好からうな。一切合財、俺が引きうけてやるわい。くよくよせんと、浩然の気を養つておけ。」
「あら、嬉しさうな顔してら……」
 女房はわたしの方を振り向いた。無論わたしだつて悪い気分ではないのだ。それにしても洋服の講釈などは一つ端だが、ゴルフ・パンツとやらが何よりもの贅沢品であると威張つたり、ひとの前ではものを喰らひ残すのが作法とでも心得てゐる勉助やら女房などと――わたしは思はずそんなことまでを空想した位ゐであつた。そして、やはり御免蒙らうと真面目に決心したりするのであつた。
「父さん、馬鹿々々しいわよ。そんな心配しない方が好いわよ、ええ、それあ、もう勉ちやんひとりで結構よ。誰も有難いなんて思やしないんだもの。人の好いことを云つてゐたら損よ。」
 わたしの女房も褐色のカマツキリのやうな父親が忽ち自家用自動車にでもをさまつた姿を想像して、
「俥でも乗りつけて、小田原の奴等に泡を吹かせてやら、さんざんひとを馬鹿にしやがつて、紙幣束でも叩きつけてやつたらどんな顔しやがるだらう。」
 などと勢ひたつた。
「まあ、そんな卑しいことは考へるなツと。鷹揚に構へてゐてこそ、人間の価値は自づと知れるものだて……」
「あたしだつて、朝倉の親戚に……あそこの奴等だつて、実にもう何とも彼とも云ひやうもない我利々々亡者ばかりで、金々ツて、厭になつてしまふ。貧乏人の娘だと軽蔑して未だにあたしの籍だつて入れないぢやないの。馬鹿にしてやがら、鼻糞月給とりの癖にしやがつて――あたしだつて、たたきつけてやら……」
 と妹も飯櫃を叩いて亢奮した。


(註)
 この文章の第二節は中断されてゐる。おそらく、この手記の筆者が書きかけの原稿を、その兄妹等と雑居した下町のせんべい屋の二階の一室で、他の者が寝静まつた刻限を見はからつて執筆してゐた折から、はからずも同居の誰かに盗読されて、引き裂かれたものらしい。
「そんなもの知らないよ。」
 大ぴらにも云へないので彼が、ぶつぶつと不平を滾しながら紙片の皺を伸して、紛失のところを訊ねると同居人共は一斉に横を向いてうそぶくのみであつた。郵便物などでさへ、誰彼の差別もなく封を切つたり、投げ飛したりしてしまふ始末であり、受取人でさへも留守したら最後その手には渡りもしないといふ有様だつたから、原稿などの紛失は毛程のこともある筈はなかつた。
「畜生、馬鹿にしやがつて……」
「悪党……」
「手前えばかりが好い子になつてやがら――未だになほりやがらないんだ。」
 或る晩、二階が抜けるほどのじたばたの大騒ぎが起つて、男女の酒に酔つた怒号叫喚が物凄かつた。終ひには物を投げ飛ばす音、肉体を擲る音、瀬戸物の割れる音……果は刃物三昧にでもなりさうな大騒動だつた。
「さあ、殺せるものなら殺せツ!」とか「このかたきは死んでもとつてやるぞツ!」とか「偽善者奴」とか、さうかとおもふと「助平野郎奴、手前えはこの間の晩、あたいの足をひつ張りやがつたらう、恥知らず奴、何でも彼でも皆なしやべつてやるぞ。」――などと云ふ女の狂乱の声があがつた。
「まあまあ、云ふことがあるんなら、改めてシラフの時に聞かうぢやないか、くだらんことを大声で喋舌るな……」
 いかにも狼狽の極度でおどおどと震へながら騒ぎをなだめようとしてゐる痩つぽちの男の影は、どうやら前文の手記者である彼の姿であるらしかつた。
「慌てるない――それでも大声をあげて騒がれるのは恥だとおもふ位ゐの、良心はあるのか、偽善者の倅! 狐野郎……空呆けるない、あたいだつて皆な知つてゐるんだぞ。おトリがみんな喋舌つてゐるんだ。手前えが何んな了見で、こんなところに潜り込んだのか、誰だつて知つて知らん振りをしてゐたんだい――この紙屑野郎奴。」
「業慾婆のガキ奴――脛つ噛りツ! 生臭坊主にでもなつてしまへつ……」
「姉さん……トリ子……好いよ好いよ、俺は決心してゐるんだからね、心配しないで呉れよ。何が、糞ツ……」
 さういふ男の声がすると同時に、二人の女のワツといふ悲鳴が同時に左右から巻きおこつて、
「勉ちやん、宥してお呉れよう……」
「勉助、屹度かたきをとつて呉れよう。わあツ、金持になつて呉れ……」
「口惜しいツ。馬の骨に馬鹿にされたツ! 一生の仇だぞ……」
 と、あらん限りの罵り雑言が止め度もなかつた。
「上品振りてえ奴は、いくらでも上品振らしておけば好いぢやねえかよ、けつに火の喰つつくのも知らねえんだらう――あんなことを書きやがつて、覚えてやがれツ!」
 男の物凄い啖呵も交つた。
「出て行けツ、出て行きやあがれ――たつた今、出て行けツ、面を見るのも汚らはしいんだ……」
 そんな物凄い騒ぎに追ひ立てられて、這々の態で跣足で露路へ駈け降りたのは、やはりあの手記の筆者である彼であつた。彼は、片手に駒下駄をぶらさげ、片手には苦茶苦茶な原稿を鷲掴みにしてゐた。
 露路は、二階の騒ぎを振り仰いで何事か犇めき合つてゐる人だかりで埋つてゐた。彼は原稿を握つた片腕をふところにかくして、夢中で人をわけて駆け抜けた。彼は川のふちにたどり着いて稍暫く頭をかかへたまま息絶れの静まるのを待つた。……考へて見るまでもなく財布ひとつ無く、これから何処へ行かうか見当もつかなかつた。水の上には二三艘の荷足舟がもやつて居り、ラムプが点つてゐた。
「一体俺は、このまま彼等と絶縁して済せるものだらうか?」
 彼は、そつと自問した。――義理ある者などを前にした時は、大変に兄妹仲が睦まじさうであつたが、勉助にしろ妹にしろ、金のこととなると十銭の損でも眼眦を裂き、親も姉もあつたものではないのだから、このまま自分が姿をくらましたら、妻は、その姉や妹と同様に明日からでも女給になるより他はあるまい――と彼は思つた。妹などは、彼が同居してゐてさへ収入の期日があやふやになつて来ると釜の蓋を蹴飛して、大層な面当を演ずる位ゐであつた。……彼は、身投げでもする人間と間違へられては大変だと気づいて、慌てて橋のたもとを離れたが、どうやらうしろがみを曳かれるおもひが強く、立去り難かつたので、もう一辺露路の近くへ引き返した。そして灯りのついてゐる窓を見あげた。もう、人だかりも散つて、二階はしんと静まつて、人の声も聞えなかつた。青く澄みわたつた月あかりの空の下に、古風な芝居の書割のやうに屋根がくろずんで見え、明るい窓が大きな行灯のやうに更けてゆく夜気の中にひかつてゐた。二枚の障子が内側の灯火をはらんで、今にも影絵でも映り出さうとするスクリーンのやうに見えた。出窓の台に、洗面器やら七輪やら、鍋釜の類ひが、ずらりと並んで居り、ひとつひとつの物品のかたちが切り抜いたやうにはつきりと映つてゐた。彼は、それらのひとつひとつを意味もなくかぞへて眼を凝すと、渋団扇とか、歯ブラシなどまでが出窓の手すりにぶらさがつてゐるのまで見えた。彼は、そこはかとない感傷に耽らずには居られなかつたが、幾度び決心しても、もう一度あの二階へ引返すには、あまりに膝がしらが臆病に過ぎて、進めなかつた。――女房には、然し、ハガキでも出しておいて、暫く時機を待たうと思ひ直して彼はその場を立去つた。一端、妻と定めたからには吾から愚痴を云ふこともなく彼は、また別の女にはしらうなどといふほどの夢などは持合さなかつた。――彼は大体に於いて、女性嫌悪症の患者であると自覚してゐるのみであつた。――それにしても、さつき奴等からえらく開き棄てのならない放言を浴せられたが、六畳一間に、旅行とか出張とか乃至は遊山へとかと知友に吹聴して来たといふ民蔵やら勉助達があつまると六人にも七人にもなつて雑居寝をするのであつたから、彼にしろ誰の脚か知れないものに頭を蹴られることもあり(因果なことには民蔵一族は男女の別もなく、世にも猛烈な寝像の悪さであつた。)彼の胸の上に馬のやうな脚やら、大根のやうな脛などが突つかかつて来ると、思はず彼は慄然として振り払ふことがあつたが――そんなものを邪念をもつてなどさすつたこともありはしないのだが――だが、夫々の主観的の考察である限り、引つ張つたの、引つ張らぬのと争つたところで、はじまらぬとおもつた。ただ、断じて彼女等が放言した如き大反れた了見をもつて、あの二階へおし込んだ次第ではない――と彼はひとりであかくなつて呟くのみであつた。それよりも彼は、妹が亭主の留守などになると、何処かの大学生やら若い会社員などを幾人も引き入れて、大層な衒学振りやら、社会観などを弁じて、そんな時には酷く大袈裟な気前を見せて下らぬものを喰ひ散した揚句、
「皆な今日は泊つておいでよ。ここはあたし達の合宿なんだもの……」
 などと云つた。兄妹は遊学の為に合宿して居り、故郷は○町だと云つてゐた。○町といふのは、つまり彼の故郷のことであつた。国元の父は相当の資産家で、名誉職にあるなどといふ法螺を吹いた。
「休暇には皆なうちにおいでよ、親父達は多分留守になるから……」
 ――そんなことは何うでも関はなかつたが、この上自分が居なくでもなり、気障な若ものなどを泊めたりして、間違ひでも起らなければ幸ひだが――彼は、そんな飛んでもないことが心配になつたりした。
「兄さん、あんまりだらしのない恰好をして歩かないで呉れよ。俺の兄貴だつてことは皆なもう知つてゐるんだから、とても気拙いんだよ。」
 勉助も好くそんなことを彼に云つた。


「ねえ、暫くぶりで熱海へでも行つて見ようか?」
 彼が幾日経つてもぼんやりしてゐるばかりで、本ひとつ読まうともしないので母は未だ彼が病体なのかと憂へた。母は、彼の妻の実家は妹達が云ふ通りと思つてゐるので気にも留めてゐなかつたが、彼は妻のことでは一日でも無責任にはなれなかつた。折悪くまた彼の仕事は全く行詰つたまま、何時にも一行の言葉さへ浮ばなかつた。彼は拠んどころなく、参考書を購ふのだとか洋服をつくらなければならないからとか云ひ、本は好い加減の安物を積みあげたり、洋服はチラリと見せただけで曲げ込んだりして、苦心惨憺の揚句、漸く月々百円ほどは工面して、送つてゐた。
「でも、僕は自分の働きもなくなつて、そんところへ行くのは気遅れがしますよ。今迄だつて何のくらゐ母さんには迷惑をかけてゐるか解らないんですもの……」
 彼は、ただ従順な息子であるに過ぎなかつた。――でも彼が遠慮などすると母は一心になつて、遊山をすすめた。
「いくらうちが左前になつたからつて、息子の病気ぐらゐのことは母さんだつて……」
「でも、熱海なんて、なまじ昔の顔があつたりして厄介ぢやありませんか。」
 派手好きな亡父が家を建てたりしたところで、今でも知合ひの旅館があつたりするので彼は余程気おくれがするのであつた――それにしても彼は、母と子の感情といふものを近頃ほど沁々と味はつたことは珍らしかつた。父と子の間といふものは、常に簡単に割り切れるものであつたが、例へば母と共に眺めた風景にしても、それは不思議と何時までも淙々たる悲しみの裡に明らかである――となど彼はおもつた。こんな息子の帰宅を、彼は父と対照して考へ、また常々自分を、子の父として省み、且つ想像しても、母と子の不思議には思ひ及べなかつた。更に彼は、己れの妻を、子の母として考へれば、どうやら父の感情よりは遥かに悠然たる慈しみに充ちてゐるのが明らかだつた。人の、凡ゆる行為を許容するものは、世に、その母以外に在り得べくもないといふやうなことが、何故ともなしに近頃の彼の人生観の土台となつてゐた。子の母としてのみ、彼は妻をおもふ時、絶対なる貴重さを忘れることは適はなかつた。
「帽子ひとつ買ひませうか、こんな坊主頭ぢや体裁が悪いですね。」
 彼は母と伴れ立つて下着やらガマ口やらを買つて貰ひに出かけた。彼は、帽子ひとつかむらず、よれよれの単衣ゆかたがけか何かで、何処からともなく戻つたままだつた。――これまでの彼に見つからぬやうにと特に母が仕立直しておいたといふ亡父の夏の一張羅を着せられ、博多の帯を締め、彼は何年にもつけたことのないやうな柾のとほつた駒下駄を履いてゐた。
「未だ麦藁の方が好いんぢやないの?」
「いいえ、近ごろは真夏だつてあんまり麦藁なんか被り手はありませんよ。冬も夏もなく、一帯にこのソフトといふやつでなけれや……それに、これ位ゐのなりをしたとなれあ、まさか、五円や六円のぢやをかしくつて……」
 彼は、いつの間にか、はじめの遠慮は何処かへなくなつて、そんな浅ましい御託をならべた。
「芸もないくせに、おしやれだね……」
 母は冷かすやうに苦笑しながら、帽子屋の鏡(姿見)の前で、あれこれのものを頭へのつけて、眼を据ゑたり、胸を張つたりして、全体の調和とやらをはかつてゐる彼の姿を眺めてゐた。ともあれ、母としても、息子のスタイルが紳士的に飾られるのを見るのは、相当の満足ででもあるかのやうであつた。
「これを被れや、母さんの嫌ひな坊主あたまもかくれるわけですね。」
 彼が、何処からともなく帰宅した時、母の先づわらつたのは、いつの間にか一分刈の坊主になつた頭のことであつた。彼の頭は、厭に鉢が開いて居り、左右の出ツ張りが尖つてゐた。ふわりと掻きあげておくと、それらの欠点がわからなかつたので、彼は何時も無造作さうに髪の毛を伸してゐたのであつたが、あの下町の二階を飛び出して間もなく、何を、何う思ひついたのか、見るも憎態な青坊主になつてゐた。
 彼は、漸く鏡の前で気に入つたソフトを選び終へ、不恰好な頭をかくすと、これも新しい籐のステツキなどを、おつに抱へ込んで、暫しおのれの容装に見入つてゐた。そして、胸のうちで、斯んなことを呟いでゐた。
 ――どうせ弥吉の二代目で浮浪人になるつもりだつたところ、想はぬ目に出会つて、こんな身装も出来るといふんなら、なまじの悟りなんぞひらいて坊主になんてなるんぢやなかつたものを――ああ、飛んだ早手まはしをしてしまつたものだ。俺だつて、これくらゐの恰好をつけれあ、まんざらの男前でもないではないか、少くとも、あんな安物仕立の勉助輩よりは、数等立派であり、仲々分別臭くも見えるではないか、あんな奴等に馬鹿にされ、小突きまはされてグウの音もあがらなかつたなんて、余ツ程あの時は何うかしてゐたといふものだ……。
「よしツ!」と彼は思はず唇を噛んだりした。その時、彼の目の先にちらついたのは、何と彼は、吾ながらあきれたことには、仕事や生活に対する奮発心などといふものではなくつて、帰郷してゐるうちに旧い友達に伴れられて遊里へ登楼した折に幾度か見たところのひとりの若い芸妓の姿であつた。彼女はおそらく、彼が何の職業かも知らなかつたが、友達が医者であつた手前、彼のことも、先生、先生――と尊敬した。そのことを思ひ出すと彼は、無性に嬉しくなり、
「この姿なら、先生と称ばれても退目を感ずるにはあたるまい。」とか「お前をこれからひいきにして、世話してやらうか――とでも云つてやらうか知ら……」などといふ全く一介の俗悪者流の満足さで胸をふくらませた。
「何を、お前はひとりで、にやにやわらつてなどゐるのよ!」
「いいえ……母さんと二人で汽車に乗るなんてことは何年振りかと思つたら、何だか急に自分の不甲斐なさが可笑しくなつて来たんです。可笑しいといふのは、つまり、悲しいといふのと同じわけなので……」
「馬鹿だね、お前は……」
 と、しかし、母は、わけもなく好意に満ちた微笑を刻んでゐた。――彼は、思はず、その母の言葉を腹の底まで吸ひ込みながら、如何にも沁々と、
「ほんたうに――」と感心した。
 それにしても、もうそよそよと秋風も立ち、折角拵へたばかりの一枚看板までを民蔵に持つて行かれた女房は定めしいらいらとしてゐるだらう、勉助などは二つの箪笥に一杯も蔵して居りながら、腕づくだつて民蔵になどは触らせはしないのだから――自分ばかりが好い気になつてヤニさがつてなど居られる場合ではない、何よりも先にあの一味の中から「子の母」を救け出さなければならない――と気づくのであつたが、差しあたつては何んな分別の手段も見あたらなかつた。





底本:「牧野信一全集第六巻」筑摩書房
   2003(平成15)年5月10日初版第1刷
底本の親本:「新潮 第三十二巻第十二号」新潮社
   1935(昭和10)年12月1日発行
初出:「新潮 第三十二巻第十二号」新潮社
   1935(昭和10)年12月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年10月26日作成
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