往来で騒いでゐる声が何うも自分を呼んでゐるらしく思はれるので私は、ペンを擱いて、手の平を耳の後ろに翳した。
「誰だな?」
私は呟いだ。私は首を傾げたが、執筆に熱中してゐる頂上だつたので、そんな騒ぎも忽ち私の仕事の世界(Flattering Phantom)と混同されてしまつて、私は眼を輝かせながら更に呟いだ。
「GOD KHONSU の帰来かな? あの瑠璃色の翼を持つた大鳥が獲物を携へて、もう戻つて来たのか知ら?」
私は人々の騒ぎを覆つて堂々と打ち響いてゐる波の音を、人造大鳥である KHONSU の羽ばたきと聞き違へたらしい。
――私は、だゞ広い書斎の真ン中で、天井の隅から空(Vanity of Vanity)を覗いてゐる望遠鏡、一方のハンドルを回すと轆轤仕掛けで程好く廻転をする地球儀(私の発案制作に成る)、丁字、円形、三角等の大型定規、模型・発動機、その他種々なガラクタ様の物理器具等を控へて、
「ラガド大学参観記」
と称する記行録を、年余の歳月を費して作成してゐたのである。――私の部屋の天井には、これも私の発案作成に依る、大星座図が貼りつけられて、月々に依つて、その星座の隠見自存に工夫されてゐるもので、恰度W形のカシオペイア座が、きらびやかな翼をマールの花のやうに伸し、「ダイア」の女王がその花に凭つてゐるかのやうに目醒ましい秋の終りに近い晩であつた。その折々の空に従つて私は色紙製の星形を箱からとり出して、これを
(ラガドは、嘗て、二百年前に私達のジヨナサン・スヰフトが訪ねたあの科学国の首都であるが、彼の訪問時代にして既に、あの大航空器を有し、人造人間を活動せしめ、思ふがまゝの凡ゆる時代の人物を時を選ばず眼前に、トーキー式に依つて現出し得る活動写真器を持ち……と云ふ風な具合で、今尚ほ彼の記録が吾々を驚嘆させるに足る超数学国であるが、――そのラガド市が、二百年の年月を経た今日、一九三〇年代に至つて、あの上何んな発達を遂げてゐるであらうか? といふ興味は、おそらく今日の文明に生きる吾々にとつては等しく感ぜられる好奇心に相違ないだらう。私も常々その熱心なる一員であつた。ところが偶然の機会で(これは別の日に詳しく述べるつもりだが)私は、ラガド大学の受験資格を得たのであつた。「ラガド大学参観記」は、私の入学受験準備の仕事である。そして、仕事
「GOD KHONSU――ハロウ、ハロウ!」
私は呟きながら窓を開いた。ラガド市では悉くの人々が夫々一台の小型航空器を所有してゐた。この器具には Vanity of Vanity 測定器と称する一種の(斯う云ふ抽象語は註されぬのであるが)顕微鏡が備へられてゐて、例へば若し我々が仕事に没頭中に空腹を感じたとすれば、我々は仕事にたづさはつたまゝ、この航空器を駆つて、一定の空間を
KHONSU が帰来したと聞けば私は何事を差しおいても駆け寄つて、あの花の雫を浴び、野バラの実を食つて、いきをつかずには居られない場合であつた。この操従者には、これも私の秘かな命名に依るナルシサスといふ青年人形を指命して置いた。ダイアナ(Diana the huntress)の小間使ひとして、綺麗な悲恋に泣きつゞけてゐるエコウの想ひ人である Narcissus the hunter である。斯うした名前を弄して少しばかりのローマンスを味ふのも、この科学室に籠居する私の秘かな慰めであつた。「トローイア人を戦ひに飽かしむるまで――」の素晴しい勢で研究に没頭してゐる私にとつては、それは、箙にさしはさんだ梅花一枝の悲し気な風情でゝもあつた。
「渚に降りたのはナルシサスか? ナルシサスなら、僕の言葉に答へる先にヒツプスを投げよ。」
私は窓から半身を乗り出して斯う叫んだ。
「ヒツプスの代りに……」
と使者が答へたらしかつた。――が、崖の下の往来なので、人々と波の入れ交つた騒音の中から言葉を見出すのは余程の難儀であつた。その上、今宵は波が大分高いと見えて稍ともすれば騒ぎは波の音に消されてしまふのである。
「ヒツプスの代りに?」
私は(ヒツプスが得られなければ――)と、ギヨツとして、息苦しく乾いた胸を掻きりながら、思はず、
「おゝ、お前は何んな怖ろしい復命を、もたらせようとするのか?」
と追求したが、波がガヤ/\と砕けて何うしても次の言葉が聞きとれなかつた。
「おーい!」
「おーい!」
波と波とが砕け散つて、さらさらとする合間に聞きとらなけれはならなかつたのであるが、そして私は苛々としてその
「そんなことでは受験生の資格もなくなるぞ!」
と私は唇を噛んで耳を傾けた。
「おーい!」
「おーい!」
こいつは山彦かな?
山彦ならば――。
と私は注意して、
「バカ野郎!」
と試しに怒鳴つて見ると、
「どつちが馬鹿だ!」
微かに、だが、はつきりと太い声がした。友達の青野の声である。――おや/\、では、ナルシサスの復命かと思つたのは岩間を縫ふ波の響きを聞き違へたのか?
「青野か?
と私が呼ぶと同時に再び大きな波が砕けて、人の声を消し、波の音ばかりが縹渺と天地に響き渡るのであつた。
「大ちやん達だつたら何もそんなところで愚図/\してゐることはないぢやないかね。用があらうとなからうと、ともかく此方へ入つて来ないかね――」
無論斯んな複雑な言葉が波の合間に通ずる筈もない。だが私は仮令自分の声であらうとも電話機の前の会話態見たいに述べられてゐる人の音声に滋味を感じた。ラガド市に入つて以来私は人の言葉といふものを殆んど聞いた験しがなかつたから。
ラガド市では、音声を発する為に人間の肺臓が何んなに無益な振動をするか? といふ測定をした上句と、仕事の能率とのために人間同志の会話を一切省いて、意志の表示にはそれに順当する物品を示すことで、至極簡明に古来から用ひ慣れて来たことは知らるゝ通りであるが(斯うした健康法が役立つて、この市には三百歳以上の沈鬱な長寿者も珍らしくない。)近年に至つては物品の代りにプリズムに依るスペクトルを利用して会話に代へるやうになつてゐる。憶測とか口論とかは物品時代から絶無であつたことは言を待たぬが、スペクトル時代に入つてからは、会話の度毎に物品を指さしたり、つまみあげたりする時間と力が省けることになつたので、市民達の意志は更に一途に、人事交渉を絶して数理の無限に向ふことが出来るようになつてゐたわけである。
だが私は、時にはそれも余りに頼りなかつた。種別を問はず口論、憶測、談笑等の彼等の所謂原始性が慕はれて、私は秘かにナルシサスを相手に、蔭では、この下顎を上下――時には左右に歪め、舌を巻き、喉を鳴らせる生れながらに慣れた発声法を用ひて猥らな言葉なども放たずには居られなかつた。
「ねえ、大ちやん、何故来ないんだよ。例の婦人の伴れでもあるのか?」
などゝ下らぬことを訊ねたが、波の音ばかりで一向に透らず、次に辛うじて聞きとれるのは、たしかに、ナルシサスの復命である。岩間を縫ふ
「ナイルの……」
といふ声は、はつきりとナルシサスだ。二人の間だけでは概ねスペクトルを用ひないことにもしてゐたから――。だが、そのあたりの薄闇の中に光りの点滅も窺はれる。
そして、辛うじて聞きとつた彼の言葉の断片と光りの信号とを綴り合せて見ると、斯んな意味になつた。……ナルシサスがヒツプスを索めながら、森深く入つて行くと、はからずも古沼のほとりで、さめざめと泣き暮してゐるエコウに出遇つた。ナルシサスの無情を憾み続けてゐる可憐な娘である。
「お前がラガドにゐるといふことを妾は知つてゐる。そしてお前は、妾がラガドに住むことの出来ぬ身であるといふことを知つてゐる。お前は強ひてあの市に住む必要はないのだ。今日から是非この森にとゞまつて妾と一処に暮してお呉れ。」
娘は男の腕をとつて離さなかつた。
「やあ、そいつは羨しいな!」
私は、思はずそんな声を放つてしまつた。するとナルシサスは黄の原色光を斜めに振つたので、私は慌てゝ口を拭つた。
その光りの意味は、
「汝の言を軽蔑する!」
の意で、ラガド市上では殆んど使はれることのない古語に属するシニカルであつた。
だから私は即坐に、
「失礼。」
と挙手を返した。こんなところで「軽蔑する」だの「失礼」だのと仮令一分間でも時を無駄にすることこそ、彼等にとつては黄の光りを斜めに強く振るべきなのであつた。
何故、ラガド市にはエコウが住むことが出来ぬかといふ理由を一言附け加へて置かう。
ラガドでは十年前から音響の圧搾といふことが行はれてゐる。凡ゆるものゝ音響をラツパ状の巨大な反射管で吸ひとり、これを地下道のタンクに貯蔵して、恰度吾々が瓦斯の配給を得るやうに音響は縦横のパイプを通じて諸々に送られてゐるのであつた。汽笛の類ひは云ふまでもなく、近頃では発音体の振動数の差に依つて生ずる力を利用してモーターの代用にも用ひてゐる。――就中あの娘の叫び声(吾々は山彦と称び慣れてゐる。)は、貴重品として貯蔵され、数奇な調節を加へられた発送管で全市に敷かれて至るところで様々な音楽に変つてゐるのである。斯んな風で発音体が次第に減じてゐたが、一方では風力から音響を搾取する方法が請じられてゐたので、別段森の奥へエコウを捕へに行くほどの要もなかつたのである。また万一人間が声を発する場合には、郵便ポストのやうに街の辻々に反響管が備へられてゐるので、唯一つの欠伸、咳、クシヤミの類ひでさへおろそかにすることなく、これに向つて放つのであつた。凡ゆる音は変音所を通つてタンクに入るのであつたから、悉く同種同音に圧搾されて貯蔵されるわけである。(理論と実験説明は大学参観記で私が述べてゐるところだつた。今日は私にとつての日曜日であるから、仕事の説明からは自ら逃れたのである。)
「私は、これからエコウの許へ去らうと思ふのですが?」
言葉を止めてナルシサスは、斯んな信号を私に送つた。
「君に行かれてしまつたら僕は途方に暮れずには居られない。」
私は、反射管に向つて叫んだ。こんな大音を滅多に受けたことのない受話機は景気
「俺の天井のカシオペイア座が薄れて、アンドロメタが鯨と闘ふ星月夜まで待つて呉れ、ナルシサス、どうぞ頼む――でないと俺は……」
私は、声を振りしぼつて懇願したが、あゝ大きな波の砕ける音! 私の悲痛な声は鵞毛のやうに吹き飛んだ。
「待つて呉れ/\。」
とそれでも私は、執拗に腕を伸して虚空をつかんでゐたが、自分の声を聞き直して見ると、如何にもそれが息苦し気に響き、不図近頃の自分が多くの債権者に支払延期の申わけを余儀なくされてゐる姿が、まるで今と同じやうな物腰態度であるらしいのを思ひ合せると、思はず両手の平で口を圧へてしまつた。
それぎりナルシサスの合図は止切れた。
然し崖下の往来で私を呼んでゐるらしい騒ぎは相変らず続いてゐる。
「ワツハツハ……」
「ともかく提灯の用意を……」
そんな言葉が解つた。なるほど往来の連中は手に手に提灯を携へてゐる。相当の月夜ではあるが、そんな灯などを持つてゐるので、反つて向ふの人々の姿を見定め難くゝなつて、間抜けな狐火が青白い宙に飛んでゐる位ひにしか見えない。
「ワツハツハ……」
提灯の連中が一勢に声をそろへてゲラゲラと嗤ひはやしたらしくも聞へ、さうかと思ふと引き波に転がる例の小砂利の音でゞもあるらしい。
「提灯は解つた。――だが僕には君達のそれと同じやうな持合せは無い……」
これだけのことを彼等に通じなければならなかつたが、どうせ此方の言葉も完全に達する筈はなかつたから私は、窓枠に立ちあがつて、此方も灯火を携へてから身振りと手真似で発信しようと思ひ、書棚の隅にあつた誘蛾灯を取りあげて火を入れた。――これは秋のはぢめの頃、あの「参観記」の一説で少しばかりの昆虫に関する実験が必要であつた時に、多忙の身では到底野山を駆けまはる余猶は得られなかつたので、夜々これを庭先の蜜柑の木蔭に点じて、其処に集る虫類を採集して紀行文中に役立てたのである。
ラガドの会話体とは凡そ天地の相違のある、この黄色一元のランプを振つて、私は
「提灯の代りに、これでは何うか?」
の意味で私は先づ、空高くランプを捧げたのである。
「オーライ……」
よしやそれが何の響きであらうとも、そんな風に訊いてしまへば、もう私は
「一体、斯んなものを持ち出して、これから何をしようといふのだ、君達は?」
――の、意で、高くさしあげたランプを左右に狭く動かしてから、空間に、灯で、能ふ限りに大きなクエツシヨン・マーク型を描いたのである。
だが、その意は何うも向ふには通ぜぬと見えて彼等の提灯は悉くぼんやりと地に垂れてゐた。――関はず私は次の運動に移る。
私は、
「これだけの月あかりがあれば――」
で、遠く月を指さし、
「こんなランタンなどは要らぬであらうが?」
の問ひで、月をさした指を翻へして、ランプを打つ振りを示したが、相変らず何の返答もないので、
「やはり要らないのだらう。」
と、向方の言葉を察した合図で、フツと! 物々しい見得を切つて、灯を吹き消して見せたりした。
――私は珍らしく斯んな激しい運動を試みたせゐか、一ト休みしてゐると呼吸が酷く勢急であつた。ラガドのスペクトルに依ればこんな程度の会話は、三秒間に二種類の光彩を放つだけで、一万メートルの空と地の間でさへも易々と交されるのを、此処ではこれほど丁寧に、あれほど露骨な態度を用ひて発信しても、未だに彼等には此方の心持も通ぜぬらしい、何といふ猛烈な鈍感者達だらう、御免だ――などゝ思ふと私は急に肚が立つて来て、激しく舌を打ち鳴らしながら、
「アメリカ・インデアンにラテン語を教へ込むほどの六づかしさだ。」
「酒と喧嘩の権威者達よ。さよなら――」
と、ほき出して渋面をつくつた。
渋面をつくると私の肚立ちは、益々激昂して来るのであつた。私は、震へながら腕を組んで、
「俺は斯んな激しい怒りを嘗て経験したことがあるだらうか?」
と考へて、静まらうとすると、それが心理上のアルキメデス原理になつて、体内に充満してゐた「怒り」が一途に噴出したかの如き現象に出遇つてしまつた。
私は、二つの拳で無茶苦茶に空間を殴打し、喚き、そして足音物凄く部屋中を歩きまはり、窓のところに来ると、窓外に向つてマセドニアのヒリツプを論難するデモースゼーネスの思ひで、あらゆる罵詈と鞭韃の火を飛ばした。
「ニミアの獅子と戦つて来い。ゼリアンの牛をとらへて、牛車を駆つて帰れ。オージアスの厩から星のかけらを拾ひ出して、ネプチユンの歓心を得た後にラガドの門をくゞれ……」
次々に様々なことを喋舌り、例へばそんな風にまるで出鱈目なのだが、喋舌れば喋舌る程熱は加はつて、いつの間にか私は着衣を棄てゝ、裸形になつて猛りたつてゐた。
「音響を発しさへすれば関はないのだ。地下道の音響タンクのメーターを、斯んなに一時に昇らせたならば、市長がやがて俺を音響会社の重役に抜摘するであらう。――さうだ、諸君、ラガドの門をくゞる為にニミアの獅子と戦ふ要はない。僕と同じやうに今日から音響発声器として、堂々と隊を組んでラガドへ乗り込んでやらうではないか? ともかく来い、出発の準備をしよう。」
と私はさしまねいた。
すると、石段を駆けあがる草履の音がした。青野だつたのである。青野は、窓から顔をのぞかせて、
「練習は、もうお終ひ?」
と遠慮深く訊ねた。
私は、青野の顔に接して、始めて今夜の約束を思ひ出したのである。丘の向ひ側にある村長の家で忘年の仮装飲酒会を催さうといふ約束の宵だつたのである。
で、青野は、祖先の古着であるカミシモを着け、チヨンマゲをかむつてゐた。
「練習があまり長いので皆なヘトヘトに疲れてしまつたよ。」
青野が額の汗を拭きながら、そんなことを云ふと私は、酷く勿体振つた様子で、
「ふゝん、あれ位ひで疲れるかね。」
と、うそぶくのであつた。
「だつて、今日のは、普段のと大分趣きが違つて酷く六つかしいんだもの……」
「あれ位ひで六つかしいとは心細い人達だな!」
普段私は、青野等の熱心な申し入れに負かされて、彼等にダンスの教授をしてゐるのであつた。その教授振りが、私は、自分でも吃驚りした程、厳格で、彼等は稍々ともすれば苛烈な面罵を享け続けてゐたのである。
今日は、仮装飲酒会に出かけるので私を誘ひに来ると、茲に現れた私が、模範を示し始めたので――。
「これは屹度今夜の会席で吾々に踊らせようとするダンスで、見習へ! といふ意味だらうと思つたから、皆なは、君にならつて一生懸命に練習をしてゐたのだが――」
と青野は益々
斯うなると私は、いつの間にか、すつかり普段の厳しい先生になつてしまつて、
「笑ひながら練習するなんて、怪しからんぢやないか!」
と肩を突き出して唸つた。
「
青野は
青野は言葉が続かなかつた、胸が迫つたかのやうに――。
「ワツハツハ……といふ笑ひ声が時々起るんで、僕は非常に不愉快になつたから、それでちよいと君に来て貰つたんだが……」
「それは何かの聞き違へだらうよ。」
「…………」
なるほど耳を澄して、改めて聴き直して見ると、矢ツ張りあれは、岩間に転がる小石の音だつたのか! と気附き、私は自分を軽蔑したが、取り消さずに済まさうとした。
――だが、思へば思ふほど、あの波の音が笑ひ声に響いてならない……何といふボンクラな耳だらう!
「これは! これは!」
と悲しみのあまりに私は、それとなく耳をつまむと、側見者には何か神経的の思索中にあるジエスチユアであるが如く思はせながら、指先には力一杯の恥を集中して、
「驢馬! 驢馬!」
と叱りつゝ、厭といふほどつねつてゐた。
「だつて、今日のは、今迄の何んなワルツの中にも無い踊りで……」
青野は、自分達が叱責されたものと思ひ違へて、
「今夜は、一体何を踊るの?」
と不安な眼を挙げた。乱暴な私は、普段彼等にコーチする場合に、事毎に舌を鳴らして、驢馬驢馬! と罵るのが例だつた。
私は、
「いや、今夜は――」
と言葉をそらせた。「今夜は愉快な忘年会なのだから、たゞ滅茶苦茶に騒いで、明さうよ。……うむ、君は仲々それが好く似合ふね。蜜柑山の千吉君は何に
「Narcissus the hunter」
「…………」
私は、何か迷信的の怖れに似た翼に打たれてギヨツとしたが、辛うじて圧へて、
「鉄砲打ちか、そんなら彼に適当だ。」
と喉の底で返事した。
「鍛冶屋の八郎君は?」
「ゼリアンの牛車を引くハーキユリイズに扮して――つまり普段のまゝの……」
「よしツ!」
私は、怖れのために拳を振つた、何うして斯んなに、符合するのだらう! と震へるのを私は圧へるために――。
「ブルウカノ・タバンのキヨちやんは……」
「云ふまでもない、ダイアナの小間使ひ――」
「キヨちやんは、それぢや千吉君の……?」
「さう、恋人で――そして、君のヤマビコ……」
「あゝ、それは知らなかつた、道理でキヨちやんは決して僕のところへは……」
私は、悲しみのあまり立ちあがつて、爪立たずには居られないほど強く我とわが耳を釣りあげた。
その様子を見ると青野は慌てゝ、私の手をとつて、
「勘弁して呉れ。往来の連中が、その様子をダンスの模範と間違へて、見習ふかも知れないから……」
と引きとめるのであつた。――「それよりも早く君も仕度をしてお呉れ。君は何になるつもり? ラガド大学の不良青年にでも……」
「……えゝ、煩い。何と間違へようと関ふものか。彼奴等も、この通り耳を引ツ張らせてやらう。」
「して見るとさつきの踊りも……?」
「いや僕は、いちいち光りを用ひて合図をしてゐたから……」
「ほう、あれは信号だつたのか?」
「信号は君達の方から先に送つたのぢやないか。」
「僕達は、誰一人
「えツ!」
と私は、両眼をしばたゝいて、外を見降して見ると、それは、沖に出そろふた夜釣り船の誘魚灯の……と知ると同時に、哀れな科学者の全身は一陣の竜巻に吹きまくられた木の葉のやうに「無智の大空」に吹き飛び、やがてハラハラと、原始森の古沼の上に散りかゝる片々に砕けてゐた。
「烏賊釣り舟も、あんな風に出そらうと仲々綺麗なものだね。あれこそ、真の、デビル・フヰツシユ・ハンターだがな。」
私は、見るからに心細気な声で、単なる発声管になつて、鳴り響いた。
「綺麗だ/\! 夜釣りの火が――。時に青野! 僕は君に一つ質問をしたいのだ。俺は、世界を憎む、神秘なるが故をもつて――と歌つたプラトン時代の絶望詩人になつたが、君は何うだ?」
「そんなことは後にして呉れよ。さあ仕度をして出かけよう。」
「失敬/\。さて、僕は――?」
「僕はね、どうも巧い考へが浮ばなかつたので、結局、祖先に俟つ! といふほどのつもりで、斯んな格恰をして来たのだが?」
「賛成だ! では僕も、それを真似て――」
と私は云ひかけたが、カミシモはおろか祖先の物品は羽織一枚すら見当らなかつたので、書斎の壁に壁飾りとして掛けてあるアメリカン・インヂアンの容装をとり降して、手ツとりばやく身につけた。
これは私が、つい此頃食糧品と換へる目的で、先代の主の衣物の入つたトランクを払ひ下げた時に、買手がハネのけたものであるが、祖先のたしかなる唯一の遺物には相違ない。アメリカの大学生であつた先代が、これを着て仮装行列に出場したところの写真を私は見たことがある。