冬の風鈴
牧野信一
三月六日
前日中に脱稿してしまはうと思つてゐた筈の小説が、おそらく五分の一もまとまつてはゐなかつた。それも、夥しく不安なものだつた。ひとりの人間が、考へたことを紙に誌して、それを読み返した時に自ら嘘のやうな気がする――それは、どちらかの心が不純なのかしら? この頃の自分は、書き度いことは全く持つてゐないと云ふ状態ではないのに。
言葉が見つからないのか!
今日になれば、あれもこれもあきらめてしまはなければならない――など今更のやうに思ふと、形のないあれやこれが今にも形になりさうな気忙しさに打たれ、かと思ふと反つて晴々しくホツともした。
母が、どんなに気をもんでゐることだらう! どんなに待ち佗びてゐることだらう!
そんな思ひ遣りで、一つは事務的な鞭韃を自ら強ひて今日まで伸び/\にしてしまつたのであるが、愚かなことだつた。
どうせ無駄に棄てるべき原稿で、続けることを思ふと退屈より他に何の感情も伴はない汚れた紙片は、焼き棄てる間もなかつたので机の抽出しに無造作に投げ込んだ。そして、稚々たる感激を故意に煽つた。――「九日を済ましたら直ぐに旅行に出かけよう。」
一刻も早く帰らう――と思つた。こんなことなら正月のうちに計画した通り、あの時東京を離れた方が得策だつたに違ひない。それにしても小説に没頭するやうになつてから反つて「非芸術的」になつたやうな矛盾に打たれる。
思ひきつてしまふと、それでもセイセイとして何か世俗的とでも称びたいやうな沾ひのない安らかさを感じた。流れに添つた温泉宿の一室で、現在の頭の中には夢にもないやうなことを切りに書き続けるであらう自分の姿が花々しく想ひ浮ぶ。何しろペンをたづさへて旅へ出るなどと云ふことは始めてなのだ。
「お前達だけはヲダハラにとゞまつても好いね。」
「それでも好い。」
「五月頃になつて此方には帰らうかね。」
ほんの一分違ひで決めて来た汽車に乗り遅れたので、吾々は停車場で二時間ほども待たなければならなかつた。
これで行くと家に着くのは夜中の十二時頃にもなるだらうから、出直さうか、明日に? そして今晩は街の方へ見物に行つて見ようか? と、妻を顧みて相談をかけると彼女は、神経的に首を振つた。拒んだのだ。
「今日、行き損ふと大変よ。」
「だけど、明日だつて……」
汽車に乗るのは殆ど半年振りだつた。乗つたと云つても、この前もやつぱりヲダハラまでゝある。東京から。
何も厭なわけはないのだが、あの△△線を曲らずに真つ直ぐ急行列車で通り過ぎたら、どうだらう? 降りたくなるだらうか?
「それあ降りたくなるだらう。」と思つた。思想的にもそんな感傷に病らはされてゐる気もする。
「飯を食ふには時間が足りないやうな気もするし……」
「二時間もあるのに!」
「いや、何だか厭なやうな……」
「ぢやあ二時間も斯うやつて立つてゐるの?」
「だから、よう……」
「帰つてからも飲むつもりなの?」妻は酒のことを云つた。一寸と不安な眼つきで。
「どうしてそんな風に、直ぐにそんなことを訊くのかなあ!」
「…………」
「それにしても二時間では半端だな? 何か斯う?」
「あそこが丸ビルか知ら?」
「一層、もつと遠い旅だと反つて都合が好いんだらうがね……この前の時に出かければ好かつたんだが……」
「知らないわ。」
そんなこと云ひ合ひながら愚図/\してゐると、父親の愚図な性質をはやのみ込んでゐるかのやうな五才の児が、
「おべんとうを食ふだあ! おべんとうを食ふだあ!」と、日々駅夫の呼び声を真似て、呼び慣れてゐるヒナリ声でわめきたてながら靴先きをもつてポンポンと母親の脚のあたりを蹴り飛ばした。家庭でならそれ位ひのことは平気なのに彼女は、妙なシナをつくつてオホヽヽと笑つた。そして、あかくなつた。自分も稍、顔のあかくなる思ひに打たれて、
「馬鹿!」と、よその眼を気にするやうな少し気取つた様子でたしなめた。
「お前の方が、よつぽど馬鹿だよう。」児は、頤をつき出して憎々をした。この頃では彼は、往々近所の友達と喧嘩をするのであつた。自分は、屡々それを見うけたが一度もたしなめた験しはなかつた。それに吾々夫婦は往々野蛮な口喧嘩をした。彼女は、口惜しさのあまり自分に向つて、
「お前の方がよつぽど馬鹿だよう。」と、噛み殺すやうな憾みをのべたことがある。
妻は、児を抱きあげて待合室を飛び出した。そんな妻の動作を自分は、不自然な軽蔑すべきものゝやうに思ひながらも、慌てゝ鞄をさげて後から続いた。
「出つけないから、ほんとに困る――」
「そんなことはない。」
「外へ出ると、ワザと云ふことをきかないやうに見える。」
「多少、さうかも知れないな。外ではお前が、叱らないから……」と、自分が云ふと妻は、厭な笑ひを浮べた。自分も。
吾々は、人気の少ない廊下に、二時間も待ち合せる者ではない。そわ/\した心でたゝずんでゐた。
ふと気づいて見ると児は、自ら意識する武張つた大股で、直ぐ前の飲食店へつかつかと入つて行くのであつた。一寸した時の彼の癖で、力んで夫々の脚を踏むのである。――いつも自家へ帰る時の自分の心は、どこかあれに似たわざとらしさがある――などゝ自分は、不意と思つた。
さつき待合室に居る時も、掛けるところがなかつたので吾々は人々の間に立つてゐたのであるが彼は、腰掛けの周囲を競馬のやうに駈け廻つたり、入口を廊下に出たり入つたりしてゐたのだ。彼は、そこの飲食店も客が一杯腰掛けてゐるので前と同じつもりで入つて行つたに違ひない。――吾々は、舌を鳴して追ひかけて行つた。
広い食堂だが殆ど此処も空席がない位ひに混んでゐた。吾々は、思はず入口のところに突つ立つた。
テーブルよりも丈が低いと見えて、児の姿は、自分が首を探照灯のやうにして彼方此方に視線を放つたが、頭も見えなかつた。
児の名前を呼ばうとしたが出なかつた。食堂中を見回るのは大変だと思つた。――自分はカーツとした。こういふ処にも吾々は入りつけないので、たゞ入るだけでも多少堅くなるのであつた。
横浜を過ぎる頃に児は眠つた。
これからは成るべく気軽に何処へでも出かけよう――九日の晩に、お前達もつれてヲダハラをたつとしようかな――トンネルが随分沢山あるぜえ! 熱海の道よりは少し陰気だけれど……山北に行くと機関車を後先きにくつつけたと思つた、たしか? ――などゝいふことを自分は話すと、妻は好奇の眼を視張つて是非同行したいと述べた。
彼女は、東京とヲダハラの往復にはあきてゐた。
「×さんがゐる。」
改札口を出ると妻は、そこに立つてゐる自働車の運転手を指差した。……大地震で彼等の合宿所が潰れた時、恰度その町に居合せた吾々の家は倒れなかつたので、その大半を×さん達に提供したことがある。此方こそ賑かになつて、あの不安から救はれた。×さんは、それ以来知り合ひの青年運転手である。
彼は、吾々を乗せて深夜のバラツク街をのろのろと走つた。吾々は、道々、自分達が何故去年の夏以来来なかつたか! といふことに就いて話した。×さんは、話のために道をワザと迂回した。そして町はずれの小バラツクの前で吾々を降ろしたが、妻が賃金の紙包みを彼のポケツトにおし込むやうにしても彼は、ひたすら拒んで、アツハツハ! と笑ひながら逆もどりの出来ない程な道なので、その儘真つ直ぐに走つて行つた。
吾々は、隙間から灯りが洩れてゐるバラツクの門をドンドン叩いた。――どなたですか? と誰何する声がしたが、聞えぬ振りをして自分はひたすら叩いた。
まさか忘れはしまいとは思つてゐたが、案外お前のことだから? と思つて随分苦労した。――などゝ母は、好意を含めて此方を呑気者に扱つた。お前のことだから――といふ風に云はれるのは、自分は親からでも擽つたい。それに、返事を書くのが厄介だから成るべく手紙を寄して呉れるな、などと勝手なことを云ふので、が、まア、遠慮してゐたのだが、あしたになつたら、電報を打つゝもりだつた……。
「でも、まあ好かつた。」と、母は、二度もそんなことを云つて笑つた。吾々は、努めてゞはなしに、笑ふやうなことばかりを多く話した。
「前の日に法事をして、それから九日にお墓参りをするんですね、ちやんと知つてるさ、それを×子てえばさあ、九日にいちどきに済せるんだなんて……強情!」
「それは、昔から――」
「いゝえ、あたしのお父さんの国ではさうだつて云つたゞけなのよ、お母さん。」
「手紙だけは、昨ふ方々に出しておいたよ、お前の名で――あとのことは、お前が帰つて来てから相談しようと思つてゐたんだが、もう今日となつてはそんなことも云つて居られないんで、大体、決めたが――」
「それは、どうも――ハ……。それだあからよう、私あ、もう、どうしても今日のうちにやあ帰るべえと思つてねえよう……」
「汽車に乗り遅れた時、何さ!」
吾々は、他合もないことを飽きずに語り合つて、夜が白々とする頃寝に就いた。
三月七日
自分は、午近くに起きた。ふつと眼が醒めた時には、何時もの東京の部屋かと思つた。居るだけで好いのだ、その他には自分には用はないので、母から少しばかり金を貰つて街に出かけて見た。
好い天気である。
東京の家で、苛々しながら机に向つてゐたことを思ふと何だか可笑しくなつた。――今なら反つて落ついて仕事が出来さうな安らかさを感じた。
だがこゝでは「仕事」のことは考へまいと思つた。それを思ふと「家うちのこと」が、鉤になつて上顎に引ツかゝつた。そして、その他の空想を絶つた。一体この釣鉤は誰が垂れてゐるのか! それにしても相当腕の好い釣手に相違ない、糸をなぶり、藻をくゞらせてまで、巧みに竿を操る。岩間にかくれて、いくらか痛さにも慣れたからこの儘夢でも見ようとすると、どつこい! と引きづる。振り切る隙も与へない、チヨツ! もう首も振らない、尾も蹴らないから、引きあげるものなら好い加減に引きあげて呉れよ、妙な大事をとらないで――。
また、春が来ようとしてゐるではないか。
自分は、そんな風に荒唐無稽な不平を洩らしてゐると、虫のやうに想ひが縮んで行くばかりだつた。
あれらの自分の仕事は、まさしく鉤を呑んだ魚が、身もだきながら泥を浴びて放つ嘆声に他ならなかつた。感情は歪んだまゝに固まらうとしてゐる。顎をつるされ、口をあんぐりと開いたまゝ、欠伸もする、稀には気晴しの唱歌も歌つたりするのであるが、開閉を許されない口から明瞭な音声の出る筈はない、法螺貝の音ほどの高低があるばかりさ。
夕方になつて戻ると、静岡の叔母も来てゐた。五年前に死んだ父方の次男のTの未亡人である。Tは医者だつた。この叔母は、今では静岡の在で単独で薬局店を経営してゐる。
自分は、近いうちに静岡を訪れようと思つてゐることなどを話した。静岡には、老妓のお蝶がゐる。勿論お蝶には手紙も行つてはゐないだらうが、父のあしたの法要には出かけて来るだらう――さう思つたので自分は、さつき散歩に出かけた時お園の楼を訪れて彼女の消息を訊ねたのである。
誰と話をしても面白くなかつた。その上、家内の者はそわ/\として坐つてゐる者もなかつた。母だけが(おや、いつから眼鏡をかけるようになつたのか?)茶の間の火鉢の傍で帳面をつけてゐる。
自分は、箱のやうな奥の部屋に引つ込んで机の前に坐ることにした。――少しも酒を飲む気がしないのは吾ながら妙だつた。こゝで、こんな風に机に坐ることなどを自分は、ついさつきまでも思ひもしなかつたのである。
自分は、鞄からペンと紙を取り出して机の上に伸べたりした。
書くことを考へて見る――新鮮味に欠けたおそろしく不自由な想ひばかりが、傍見を出来ないやうに眼を覆つてゐる。それだのに自分は机に凭つてゐる。昼間、お園の処で少しばかり飲んだが、それも水のやうに白々しく今になつたらすつかり忘れてゐる。いつかうちのやうに、あそこの家で酔つたりなどしないで好かつた――そんなことまで思ふと、そこでも、この自家でも往々酒の上で演じた様々な痴態がまざまざと回想されて、ゾツとした。
「××ちやんは何処へ行つたの?」
「出かけたの?」と、母が妻にきいてゐるのが聞えた。にぎやかな夕食が始まつてゐた。
「あたしも少しお酒を飲んだら、こんなに顔があかくなつてしまつた。」
のぞきに来た妻は、自分に飯のことを訊くと、自分は、もうひとりで済してしまつたと答へて、普段机に向つてゐる時と同じやうに素気ない表情をしてゐるので、妙な顔をして引きさがつて行つた。
屹度自分の眼は猜疑の光りに輝いてゐたに違ひない。――自分は、犯罪者のやうに夢を知らないおぢけた態度で周囲を見廻したり、平和な彼方のまどひに気を配つたりした。
前の日に片づけたのだと母が云つた雛の箱が床の間に載せてあつた。自分には女のきようだいがないので、これは祖母と母の昔の雛ばかりなのだが、そんなものが好く残つてゐたものだ。自分は、それに惑かれやうとしない心を無理に結ばうと試みた。
在るお雛様を飾らないと、節句の朝にお雛様は自らツヾラの蓋をあけ、行列をつくつて井戸傍に水を呑みに来る――祖母は、よく子供の自分にさう云つた。自分は、雛に関する愉快な思ひ出に耽らうとしたのだつた。祖母の話は、今の自分にも多少気味が悪い。
昨べ自分は、ふとそんな話を母に訊ねたら母は苦笑して、私は楽しみに飾つたのだ、その晩には十二時近くまでも起きてゐた――と寂しい慰めを求めたやうに云つた。今では、母と次郎だけの家庭なのに、この家の雛節句の宵はどんな様だつたらう……Flora がアメリカに帰る時に、自分達は雛を送つたことがある。母が不服さうな顔をしたが自分は、母の古い雛を一対混ぜて、あの祖母から聞いた話を戯談らしく云ひ添えたが、彼女は覚えてゐるかしら?
自分は、頬杖をして成るべく呑気な回想を凝らさうとしたが、如何しても自分の心はキレイにはならなかつた。
自分は、おそろしく、床の間の隅の母の手文庫に心を惑かれるばかりであつた。子供の時から見慣れてゐる楠の手文庫である。自分の心は、いつ頃からあれをねらひはじめたか? 旅を想つたりしたのも呪はれた自分の頭の自責を逃れるための方便だつたのかも知れない。
自分は、激しい鼓動に戦きながら、ふらふらと其方に手を伸した。
「書くことに迷つてゐる自分! 無能! 行き詰り! 苦し紛れ!」
つい此間、親不孝な男と称ふ題名の小説を文壇に発表して多くの嘲罵を買つた自分は、また同じやうな手を盗人になつて差し伸した。
「あ……」と、自分は絶望的な嘆息を洩した。――自分の手は棒になつて動かなかつた。自分は、明るい電灯に曝されてゐる骨張つた手を視詰めた。指先を憎体な熊手のやうに曲げて凝つと、指先きばかりを視詰めた。頭は一つの魯鈍な塊りに過ぎなかつた。――間もなく自分の腕は、渡辺の綱に切り落された間抜けな妖婆の薪のやうな腕になつてポツコリと転げ落ちた。
考へるだけに呪はしいと思ひながら自分は、この間うちからあれにばかり目をつけてゐたのだ。その自分を自ら遠回しにごまかしてゐたらしい。だが自分の心は飽くまでもあれに根元を握りしめられたまゝ、異様な無性を貪つてゐたのだ。
「いよ/\となれば――」
創作家であるべき自分の胸の底には、斯ほどにも菲薄な望みが、動物的な眼を視張つてゐたのだ。だから東京にゐる間も、あんな吐息をつきながらも何処かに薄気味悪い落つきを蔵してゐた。
だが、自分は、いよ/\となつた今、思はず腕を凝固させてしまつたのである。自分の右腕は、あのやうに浅猿しい姿に変つて生気なく転げてゐた。――自分は、その薪のやうな腕を拾ひあげると、ボコボコといふ音をたてゝ木魚に似た頭を、痴呆的な顔をしてセツセツと叩いてゐた。……「あゝ、俺は旅に行かなければ救はれない。」
母は、昔から日記をつけてゐるのであつた。その手文庫の中には母の今年の日記が入つてゐる筈だつた。
自分は、それを偸み見ようと計つたのである。偸み見て、小説の材料にしようとたくらむだのである。
何故母の日記に、自分が左様な醜い好奇と、自分にとつては小説的どころではないが或る意味で小説的な誘惑を強ひられるか? 何故自分が斯んなにも浅猿しい亢奮をするか? の記述は省くが、あの「親不孝な男」を読んだ人にだけは想像がつくかも知れない。――この頃自分は、親しく往復してゐる友達からも、どうも君のこの頃書くものは好くない、退屈だ! と云はれてゐる。
母は、昔から耽念に日記をつけてゐる。
年の暮に、自分の手を引いて書店に行く母は、
「博文館発行の当用日誌を――」と尋ねるのが常だつた。大晦日の晩に、その年の最後の頁を終ると、自分は覚えてゐる、母は、可成り仰山に感慨を含めた動作でパタリと日頃とは稍違ふ音をたてゝ閉ぢ、箪笥のやうな開きのついた黒い文庫の錠をあけて、厳かにこれを収めた。そして改めて坐に戻るとこの手文庫の蓋をあけて代りの新しい日記帳をしまつた。自分は、毎晩母と机を並べて、母から初歩のナシヨナル・リーダーや、スヰントン・リーダーとか、論語などの講釈をきいたのであるが、その頃には自分の前で母は日記を丁寧につけてゐるのであつた。――これは余外な附りだが、母は、リーダーをりいどると発音した。この町に初めて英語を輸入したといふローマ旧教の日本人の老宣教師から習つたといふ何らのアクセントのない発音で、いろはを読むと同じやうな調子でシーダボーイエンドダガール(See the boy and the girl.)とか、スプラーシユドダオーター(Splashed the water)とか、スピンアートツプ、スピンアートツプ(Spin a top)などゝ棒読みした。自分は、独楽のことをアートツプと覚えた。
日記は誰も他人が見るものではないから、お前も自由につけるが好い、思つたこと、出遇つたことを善し悪しに関はらず隠さずに誌すのだ。
「私も、さうしてゐる。」と自分は母から教へられたが、一月以上つけたことはなかつた。自分は、日記帳を絵で汚してゐたが、母は決して自分のそれに手を触れなかつた。それが証には、時々、つけてゐるか? を訊ねられて自分は嘘をついたが、嘗て露見した験はなかつた。そして、毎年自分も一冊づゝ与へられた。口にこそ云はなかつたが、吾々は、日記は、見せるべきものでなく、見るべきものでもないといふ観念に不自然でなく慣れてゐた。
吾々には、置き忘れても日記を他人に見られるといふ不安はなかつた。
あの儘の手文庫が、雛箱の蔭に別段あれ以上に古くもならず、手持好に艶々とした光沢を含んでゐた。
藁に縋るやうな自分の眼は執拗にあれに惑かされた。
また、自分は腕を伸した。だが、蓋に触れた自分の手先きは、激しく震えて如何しても自由にならなかつた。可笑しい程、蕪雑に震えた。
三月八日
午に迎えた少数の招待客は、日が暮れないうちに、大方引きあげて行つた。――自分は、とう/\昨べは徹夜をしてしまひ、その儘起きてゐるのだが、眠くなかつた。
酒も飲まなかつた。
「阿母さんは今でも、日記をつけてゐますか?」自分は、何気なく、親し気な追憶家のやうな調子で訊ねたりした。
「えゝ。」と、母は点頭いた。
「ずうつと、続けて?」
「まア……」と、母は微笑した。
「休んだことはないの?」
「……でも、昔のやうにも行かなくなつたよ。ほんの、もう――」
「さうかねえ……昔からのが皆なとつてありますか。」
「あるだらう。」
「随分沢山あるだらうな。……何処にしまつてあるの?」
「あまり古いのはたしか長持……」
「稀に、読み返して見たりすることもありますか。」
「滅多にないが、稀には――」
「面白い?」
「馬鹿な――」
「いつまでも残して置くつもり?」
「いまに一まとめにして焼き棄てゝでもしまはうか? と思つてゐる。」
「何故――」
「だつて邪魔ぢやないか。」
そんなところまで話がすゝんでも母は、それが他人に読まれるであらうといふ考へはないらしかつた。
「お前は、どう?」
「…………」
「つけてゐないの?」
「時々――」と、自分は小声で呟いた。この頃書く小説は日記のやうなものだ、と自分は秘かに弁明した。
自分は、前の日と同じやうに独りで箱のやうな部屋に引込んで机に突伏してゐた。見えない処にあれを蔵つてしまひたかつたが、そんなわけにもゆかなかつた。――自分は、未だ誘惑されてゐるのだ。その他には、何の思ひも働かなかつた。
「××は居ないのかね。」
自分のことを、年寄りの叔父が母に訊ねてゐた。
「昨夜、徹夜で勉強したとかと云つてゐましたから、大方奥で休んでゐるんでせう。」
「何あんだ、こんな時に勉強だなんて――でも、まあ酔つ払はれるより好い、ハハ……」
「この頃は、お酒もあまり飲まないさうなんです。」
「飲むも飲まないもあるものか、あの年頃で……無茶苦茶さ。」
自分が聞いてゐることを知らないで話してゐるらしいので、自分は出かけて行かうかとも思つた。
「でも、もう三十一なんですからね。」
「ほう、もうそんなになるのかな……」
しばらく経つて母が、
「寝てゐるの?」と云つて唐紙を開けた時自分は、居眠りをしてゐる通りな様子で巧にすやすやしながら机に伏してゐた。自分は、今にも出かけて行つて呑気な仲間に加はらうと思ふてゐた矢先であつたにも関はらず、思はずそんな真似をして後悔した。――母は、そつと自分の背中に丹前をかけて行つた。
そのうちに自分は、ほんとうに眠つてしまつた。雛が行列をつくつて、泉水の傍の井戸傍に水を呑みに来る夢を見た。これは自分には始めての夢ではなかつた。子供時分にも同じ夢を見たが、妙にはつきりと記憶に残つてゐるものだつた。
三月九日
自分は、午後の三時頃まで眠つてしまつた。一家の者は皆墓参りを済ませて帰つてゐた。父の三年忌日である。
自分は、待つてゐた妻と共に歩いて墓参りに行つた。
お寺で、お園とお蝶に遇つた。
*
「三月××日」
何の為めか知らないが彼は、以上のやうな事を七日からこの日までかゝつて、郷里の家で徹夜をしながら、おそろしく苦んで書いた。
彼はアメリカのAから手紙を受け取つた。Aは彼の東京の居住を不安に思つて郷里にあてて寄したのである。彼が、ずつと以前反古にした紙片のうちには次のやうな個所がある。
「この間私は米国へ行く友達のAを東京駅で送つた。アメリカへ行く友達――さういふことに私は或る家庭的の事情から愚かな感傷を持たされた。理由は省くが、普通の見送り人ではない一種妙な感情家にならされた。
Aは初めての旅だつた。それが決つて以来彼は日夜間断なく、悪く花やかに胸の鼓動が高くて苛々と、箒が投げ出されてゐる座敷に坐つてゐるやうに、胸先にハタキをかけられてゐるやうに――彼は、そんな形容をして変に悲しく落つかないと屡々私に告げた。何だかこんな気持は君にだけしか云へないと、彼は酔つては告げた。全く私は、病ひとさへ思はれる位ひな彼の落ちつきのないのにも、感傷にも、秘かな幾度かの送別宴にも、そして彼の酒の上での涙にも、私は、何らの恥らひもなく、痛ましく明るく行動を共にした。どつちが行く者か? 送る者か? 私としても終ひにはそんな区別を忘れてしまつた。
「君の気持が俺と一処に船に乗り、彼地に着き、さう思ふと何んだか薄気味悪い。」
或晩彼は斯んなことを云つて私の顔を眺めた。あの間こそ私が奇妙な病人であつたかも知れない。始終家庭にばかりごろごろしてゐた私が急に熱心な外出家になつたので終には妻が不安な顔をした。
出帆の光景といふものは私は一度も見たことがないので横浜まで行つて見ようかと思つたが、テープを引つ張るなどといふことを思ひ出して行きそびれてしまつた。
Aよ、君はもう彼地に着いた頃であらう、俺は未だ……。間もなく俺は君に妙な手紙を書くであらうが、君のその地に於ける第一の日曜日は俺の為に費して貰はなければならない――」
Aの手紙には、Flora の家族と、そして彼が未だ写真でしか知らない父だけを同じうする妹のHに会つた事が書いてあつた。彼女等は、彼の来航を信じてゐる――とも書いてあつた。
*
彼は、自分から頼んで母に宿屋を問ひ合せて貰つた△△温泉行をやめて、突然、
「あした東京へ帰る。」と云つた。
これを聞いて最も気をくさらせたのは妻だつた。彼女は、寧ろ彼の為に、東京での彼のダルな生活を見るに忍びなかつた。
彼は、文字で完全に一枚埋つてゐる紙片は殆どない断片的な数十枚の原稿、あの東京の嫌な郊外の寂しい家に棄てて来た反古紙に心を移すより他になかつた。どれもこれも、力のない夢のやうな呟き言に等しいものだつた。――ただ、それ等の中には何処にも自家の同人の姿が現はれてゐない架空的なものばかりだつた。
それだのに彼は、△△行を止めて東京に帰らうとする自分に、何か積極的な理由を感じてゐた。
それで、何んなことを書き散らしたかしら? と思つて見ても思ひ出すことは出来ないやうな果敢ないものばかりだつた。
彼が心の状態が最も哀れな時は、彼は往々内容には何の的もなく「題名」見たいなものを考へる癖があつた。尤も、これは小説を書くやうになつてからの習慣ではなく幼年時代から彼は、それに似た癖をもつてゐた。
絵でも小説でも題名を先に考へた場合に、その仕事がまとまつた経験を彼は殆んど持たなかつた。無理もないのだ、それは悪い幼稚な感傷で、決して内容が伴はない、それでゐて技巧的にも見ゆる浅はかな単なる文字に過ぎなかつたから。
彼は、だからいつも題名を先に考へたときには、慌てゝそれを抹殺することは困難ではなかつた。稀にはわざとらしい題名に阿つて曲文を弄することもあつたが完成する筈はなかつた。
「何んなことを思つて何んなことを書いて来たのだつたかしら?」と、彼は、呟いだがまるで思ひ出せなかつた。
「冬の風鈴」
そんなことを紙に誌したことは覚えてゐるが、あれには例の如く一言の内容もない。
●表記について
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