蔭ひなた

牧野信一




 或る朝、私が朝飯を済ませて煙草をふかしてゐるとAが来て、あがらないで、
「君、直ぐ散歩へ行かう、早く早く、直ぐ仕度をして呉れ。君は斯ういふ服装は持つてゐないか? あゝ、さうか、無ければたゞの洋服でよろしい、大急ぎで着換へないか。」と、大変勢急に口走ると私の返事も待たずに玄関を出て、そこの露路を気忙し気に口笛を吹きながらあちこちと往復してゐるのです。見るとAは、鳥打帽子、バンドつきの上着、乗馬ズボン、さう云つたやうな服装で、肩からは大型のマホー罎をぶらさげ、手には葦のステツキを持つてゐます。
 野道を歩き出してから私は、随分しばらく会はなかつたね! と云ひましたが、どうしたのかAの挙動には少しも落つきがありません。尤もAは時々突飛な行動をするので私は今更別段に怪しみもしませんでした。Aは、酒に酔ひでもしない限り殆ど口数を利かない男なのですのに(この点だけが彼と私と似てゐます。)、この日は私の顔色などには頓着なく私には恰で興味のない煙りのやうなことを独りでのべつに喋舌りたてるのです。殆ど息をつく間もありません。そして、俺は今日は妙に亢奮してゐるんだ! と一言説明しました。私も何の質問もしませんでした。
「俺は今小説を書いてゐるんだ。はじめこの第二節から書き出したんだ、幼年篇から。幼年時代のそれに関する環境を様々な叙事に依つて述べてから、三十一歳になつた私がいよ/\その未知の国に向つて出発するといふまでのおそろしく長い物語を計画したんだ。だがこの第二節である幼年篇を先づ書き起して、未だ一歩も本題に入らないうちに突然俺はハタと行き詰つた、場面の選び方も悪かつたのかも知れない、一体俺は筆を執るにあたつて成りゆきのことなどはあまり意に介しない放縦ケヤレス・フリードムに慣れてゐるのだがそんなに脆く行き詰るとは夢にも思はなかつたのさ。疳癪を起して俺は、いきなり最後に飛込んだ、そしてこれを第一節とした、が、またこれがハタと行き詰つた。」
 Aは何の前説明もなくそんなことを熱のある調子で語ります。これとかあれとか云つても少しも私には解りませんが、Aも頓着しないので私も勝手に彼に喋舌らせておきました。私は碌々聞いてもゐません。ハタと、ハタと、とAが云つたのが聞き慣れない言葉なので面白く響いたゞけです。
「どうして好いか解らなくなつた。昨夜も一昨夜もその前の晩も俺は、まんじりともしないで二つの未定稿を繰り返し/\読んだが、あゝ、駄目だ!」
「へえ! 随分熱心なんだね! 何だか。」
「駄目ではいけないんだ、何んとしても駄目ではいけないんだ、俺は斯うしてはゐられない……行くんだ、行くんだ。」
「何処へ?」
「君、俺に勝手なことを喋舌らせてくれ。実はね、喋舌つてゐないと俺は眠くなつてしまふんだよ、斯うして快活に歩いてゐないと眠くて倒れてしまひさうなんだ。今日で俺は、永い間の昼夜転換を取り戻すんだ、夕方まで何んな苦しみを犯しても辛棒したいんだ。」
「なあんだ、それで、そんなわけのわからないことを喋舌つてゐたのか、出放題なのか。」
「まあ、さうだ。――君、少しあしをしないか。」
「……うむ。」
「随分好いお天気だね、珍らしいお天気だね、こんなおだやかな朝は滅多にないだらう。」
「この頃は毎日斯うだよ。」
「チヨツ! 馬鹿/\しい。夜は矢ツ張りいけないのかね、君。こんな日に机に向つてゐれば、どうしたつて頭が不健全になりつこはないね。」
「俺は、生れて二三度しか徹夜はしたことがないから夜のことは知らないが……君、もう少しあしをゆるめてくれないか。」
「――静かな冬から春へかけての夜更けであつた。私は、水底の魚のやうに毎晩凝つと机に向ひ通した。私は追憶の巻から取りかゝつたのであるが、どんなに無選択にその頁を繰り拡げて見ても何れもが自分にとつては思ひ出の気分にならない、あの心の小さな蔭のやうなものが何らの変りもなく今日の心に因果と通じてゐる、そして私は回想に疲れて、惧れを抱いた。」
「おうい! もつと、ゆつくり歩いて呉れと云ふのに――」
「君は、何年何月生れだ?」
「俺か? ――眠気醒しの出たら目に返事をするのも馬鹿/\しいな。」
「俺は明治二十九年十一月だぜ。だから今年は三十一だ。」
「十一月か君は……」
「うむ、秋生れだ。――あゝ、今日は何といふ奇麗な天気だらう、空は実に好く澄んでゐるね。空気は水のやうだ、君、口をあけて一寸と駆けて見ろ、それあ好い気持だぜ。」
「眠気はどうだ?」
「大分好さゝうだ。だが喋舌る種が切れると困るだらう……この頃は君、月が出るのは何時頃だか知つてる? 十一時から十二時の間だ、好い朧夜だよ、たしか見事なハーフ・ムーンだつた。それから……」
 Aは、独白の種がなくなると、第一節がどうの、第二節がどうのと切りに呟きました。今日は別ですが、小説の話になると私は受け答へが出来ません。だからAだつて私の前で滅多にそれを口にしたこともありません。Aと私は子供の時からの友達です。Aも私も同じ学校の文科を出たのですが、専門が恰で違ふので仕事の話は殆ど取り換したことはありませんけれど二人とも他に親しい友達がないので昔のまゝに往来してゐるのです。Aは小説や戯曲を書いてゐるのですが、私は彼の作品を読んだことがありません。他意はないのです、機会もないし、また彼は私にさういふ類のものを味ふ頭がないことを知つてゐるので一切求めないのです。さうだ! 私は、たつた一篇彼の処女作とか云ふものを読んだ覚えがあります、たしか私達が二十一二の時です。何故覚えてゐるかと云ふと彼がそのノート・ブツクに書いてある小説を私に贈つたのです。第一頁に麗々と「余の第一作を幼児よりの友B兄へ捧ぐ。」と書いてゐるのを私が見た時、何だかかーツとして顔のあかくなる思ひに打たれたのです。「仮面の下で泣いた子」といふ題でした。
 子供である「自分」が毎日のやうに友達を集めて芝居ごつこをやります。女の子の見物を主にして集めます。彼の家庭の雰囲気についても種々書いてありましたが、こんな部分が主でした。彼は、春ちやんといふ女の子に秘かに心を惑かれてゐるらしく、その子の注目を惹くためにあらゆる努力をします。「役者は一様に強い大将ばかりだつたから芝居は関ヶ原の合戦ばかりが二慕も三幕も続いたが戦死する者などは決してなかつた。私は、なるべく乱暴な立廻りをして春ちやんをハラ/\させてやり度く、楽屋で秘かに三平をつかまへて「僕に殺される役目を引きうけて呉れないか」と頼んだ。――」
 常々から彼は、隣家の一人息子の玄吉を好かないで仲間に入れません。玄吉は泣き喚きながら母親を引つ張つて、母親の口から仲間入りを頼みます。誰も相手にしません。自分達より幼い癖に仲間入りをしたがるなんて生意気だと思ひます。玄吉が母親の髪の毛に武者振りついて喚いてゐるのを彼等は、態ア見ろと云はんばかりに冷たく見返りました。――、合戦は次第に激しくなり、彼はわざと春ちやんの目の前で花々しく大太刀を振ひました。見物は胆を寒くしながらも、勇敢な役者達に拍手を惜みません。
「この時突然、見物席に割れるやうな笑声が起つた。
「アラ、面白いわ/\」と云つて春ちやんも夢中で立ちあがつた。自分もそつとスサノヲの尊の面の下でそつと其方に横目を放つて見ると、素晴しい合戦の間を誰もが厭がつて手にしなかつたひよつとこ面をかむつた小坊主が、ふらふらと迷ひ込んで来るのであつた。玄吉である。役者達は内心驚いたが、眼もくれぬ態で益々激しく戦ひを続けた。自分は、ヤア/\とあらん限りの掛声を放つて、大槍を打ちふるつた。切つて切つて切りまくつた。ところが小坊主ばかりが見物の視線の的になつてゐるので、武士の面々は余程テレてしまつた。
「大将のお面でなければ厭だと云つて承知しなかつたのですが合憎あれが一つしか残つてゐませんで、やつと騙したんです。」
「まアまア、でもまア何てまア玄坊は剽軽な子でせう、それに巧いこと!」
 母達も出て来て切りに玄吉を賞讚した。自分達はムツとしたが、止めるわけにも行かずに戦ひを続けてゐた。玄吉は調子づいて踊つた。見物達は腹を抱へて笑ひ転げ、可憐な道化者の為に精一杯の拍手を放つた。」
 間もなく彼の、うつかり――彼の槍の尻がゴツンと玄吉の頭にひどく当りました。玄吉が悲鳴を挙げます。玄吉は、面を脱ぐ気力もなくその儘ワーワーと泣きました。見物人は大変玄吉に同情しましたが、それでも失笑を洩すものもあります。玄吉の滑稽で悲惨な姿に人気が集中します。
「舞台では三平等の合戦が尚も続いてゐたが私は、玄吉にかまつた方が多少でも見物の注意を引くので親切ごかしに彼をなだめた。玄吉は両手でしつかりと面をおさへて、ワーワーと泣いた。こいつ甘えてワザと泣きあがると私は憎々しく思つたが、やさし気になだめた。
 一寸と手荒な行動で私は玄吉の面をもぎとつた。彼の顔中は涙だらけだつた。やはりほんとうに泣いてゐたのかと私は思つて軽い好意を持つた。人気役者の素顔に接した見物は好奇の目を視張つてざわめいた。と玄吉は「アーイ」と最後の涙声を振り絞つて、見物の同情に報ゆるやうにニヤリと笑つた。」――。
「安心して帰つた母親が迎へに来て玄吉が帰ると、
「新ちやん、また遊ばう。」と、春ちやんが真ツ先きに駆け出した。それに続いて、
「これから、いよいよ真剣勝負の大合戦になりまあす。」と三平が立て続けに述べたてゝゐるにも係はらず大方の見物人は散り散りに逃げ去つて耳も借さなかつた。
「お春を捕へろ! 帰つた奴は酷い目に合はすぞ!」さう云つて三平が一目散に追ひかけると役者達もワツと云つて続いた。
「新公の奴はお春に惚れてゐるもんで来ねえのかあ!」
 遠くで敵意を含んだ三平の声がした。私は、ドキリとした。悪いことは直ぐに感じられるのか――そんな気がした。」――。
「私は、あたりをはゞかつた。幸ひ誰もゐなかつた。それでも自分は、とても明るい場所では泣けない気がした。こんな子供のくせにして俺は、女に惚れたのかしら? と思ふと私は怖ろしかつた。莚の上に独りしよんぼりと残された自分は、眼眦の熱くなるのに敵はなかつた。」――。
「ふと自分は足下に落ちてゐる面を拾ひあげた。私は、慌てゝそれを顔におしあてた。痛いほどおしつけた。――そして、泣いても好いと思つたら私は、急に馬鹿/\しくなつて、面を棄てゝしまつた。
 自分は、莚の上にどつかりと膝を組んで、たゞぼんやりしてゐた。――チクリとしたので手の甲を見ると蚊がとまつてゐた。私は、下唇を噛んで徐ろに片方の手の平をひろげて打ち降さうとした時、ふと、静かに、だんだん腹のふくれて行くところを見てゐたい気がして、その儘凝つと、専念に蚊のいとなみを視詰めた。」――。
 まだ/\長いのです、彼が青年になつてからのことまで書いてあります。Aは、その後間もなくこれを改作して何かの雑誌に出したと云つたことがありましたが私はそれは見ません。私は、つまらなくも面白くもありませんでしたが、そんな記憶はないが、若しや玄吉といふのが私の片影ではないかといふ気がしたのでAに訊ねたら、あれは空想の人物だと答へたのでホツとしました。うん……と答へたら私は、絶交するつもりでした。
 オギクボ、西オギクボなどといふ小駅を通過して私達は、大きな沼のあるイノカシラといふ処まで半ば駆歩で到達しました。少しベンチに休まうと私が云ひましたがAは、拒んで切りに喋舌り続けながらも、首を振つたり、腕の体操をしたりして、少しも体を休ませません。私は水の上の鵞鳥を眺めながら歩きました。Aは、斯うしてゐないと危いと云つて、主に空に眼を放つてゐます。
「眠気を辛へてゐるといふことも斯う極度に逢すると一種の快感だぜ。……最後に到達するところがないと如何してもあれは結べない、空想の上でも自殺は厭だし、泣き笑ひになるんぢや何だか古くさいし、それに俺の心にぴつたりしない……かと云つて、絶望状態や痴呆、放心、そこへ行き着くのは吾ながら残念なのだ……あゝ、やつぱり行くかな。」
 Aは、たゞ眠気醒しのためにあらゆる努力をしながら、眠気に向つて叱咤の声を浴せてゐるのです、たゞ力を込めて休まずに喋舌つてさへゐれば何んな文句でも関はないのです、だからAはそんな出たら目な独白でもが止絶れると、徒らにオーオーなどと、動物のやうなうめき声をあげたり、拳固を堅めて己れの頭を思ひきり強く擲つたりしてゐます。そんなに酷い徹夜をして、その儘起きてしまふのではそれ位ひに過激な動作をせずには居られないのだらうと私は、自分には覚えのないことだが深く同情してゐました。
「取りつき場がない/\! 放縦に祟られたんだ、何しろ俺は何んな場合にも結果を予想しないんだからな。馬鹿ア!」などとAは、号令したやうに叫びます。耳を貸したつて仕様がないし、たわ言に意味があるわけでもないし、だから私は、AはAでそんなことは叫びながらも深い苦し味があるものではなく眠気にさへ打ち勝てば好かつたのだから――私達は、勉強の余暇に散歩に出た学生のやうに呑気なのです。暗記物を口吟んでゐる者のやうでもありました、Aは。
「生活の単なる結果でも好いわけなのだが、その思索と生活があまりに貧しく――」
「おや、あの小さい茶色の鳥は何だらう? おツ、またもぐつた! ホツ! また、あんなとこに浮びあがりやがつた!」
「生活の変化を事更に求めるにも当るまい、若し五感が円満であつたならば……」
「おツ、一羽ぢやない、あんなところからまた頭を出したぞ、随分息が長いんだな!」
「徒らに己れを卑下したがるのは一種の神経衰弱の状態か? だが俺にとつては、徒らでもなく……」
「二羽! 三羽! 随分沢山居るんだな! おやツまた皆な居なくなつた!」
「止めた/\/\――当分! 行くと決めよう/\、無神経な妄想に走つてゐられる場合でないのだ。」
「妙な鳥だね、あれは!」
 私は、はぢめて見た消えたり現れたりする水の上の小鳥を面白く見ました。
 池を一周して私達は帰途に就くべく街へ出ました。街へ来るとAは、もう非常識な放言も出来ないし、それにもう話材もなくなつて、大分弱つたらしく見えました。
「どうだ?」
「頭がガーンとしてゐるだけだ。」
「これからどうする? その君に終日いちにちつき合ふのも……君だつて……」と私が、いくらか逃げ腰しになつて訊ねるとAは、街角の乗合ひ自働車を指差して、
「俺は、あれに乗るつもりだつたんだ。此処まで来ればもう一人で好い!」と云ひます。その自働車には天文台行といふ札が掛つてゐました。Aは、或る人から紹介状が貰つてあるので、これから天文台見物に行くのだと云ひました。そして彼は、好い話材に出遇つたかのやうに、今度の天文台の様子を詳しく語りました。野原の真ン中に椀をふせたやうな大きな半球がある、スヰツチを切るとその球は中央が徐ろに割れるのである、すると天に向つた大望遠鏡が煙突のやうに現れる、この目鏡で天を覗くのには、その下に寝台があつて人がそれに上向けに寝ると、丁度顔のところに目鏡の口がある、さうしなければ覗けない位、素晴しい大砲のやうな望遠鏡である――それを冒頭に彼は、そこの詳しい叙景をぺらぺらと述べました。で私も、興味を覚えて同行を申し出ると彼は、妙にあたふたとして紹介状の都合でそれは出来ないと拒みました。
「この次の時に――」
「では、その時頼む。」
「ぢや、さよなら!」と云つてAは、私の手を握りました。彼にはそんな癖があつて私は、普段からAとさようならをする時のそれが厭で、つい/\延ばすのでしたが、この日はまた馬鹿に仰山に握手をして私の顔を赧くさせました。――未だ見たこともない其処の話をAは、調子づいて面白く語り過ぎたのではなからうか? それで俺の同行を聞いて急に困つたのかも知れない、一体Aには愚かな誇張癖がある。さうだ、眠さを紛らす例の苦し紛れに不図自動車を見た時に話材にありついて、出たら目を云つたのかも知れない、彼奴があんなことに興味を持つてゐる話は何時にも聞いたことがない……よしツ、今度来やがつたら飽くまでも空とぼけて、同行のことを熱心に追求してやらう――と私は思ひました。(彼奴、屹度途中で自働車を降りて秘かに引き返したに相違ない、それにしても独りになつたら何んな風にあの眠気と戦つたらう、あんなに酷く眠がつてた人間を、俺は未だ嘗て見たことがない。望遠鏡の下に寝台があると自分で云つた時なんか、彼奴! 思はずふらふらとよろけやあがつた!)――(可哀想に、それ位ならもつと池のまはりをつき合つてゐてやれば好かつた、あそこで独白を呟いでゐたら、困つて自働車に乗るやうな破目にもならなかつたらうに!)
 私は、Aの来るのを心待ちにしてゐるのですがそれ以来もう二タ月あまりにもなるのに未だ姿を現しません。

 Aの細君は、Bのところへ行つて来ると云つて夫が出かけてから三日にもなるのにまだ帰らないので、Bを訪れた。
 Aの机の周囲は、書き散らしの原稿で埋つてゐた。
 その中で、割合にまとまつてゐる現実的なものを一つ二つ抜萃する。(他の断片は、悉く夢のやうな甘いお伽噺とか、池のはりで彼が呟いた放言の延長見たいな実感は怪しまれる訳のわからない感想風のものばかりである。)

その一(中途から。)


「それも好いだらう、未だ阿父さんの知り合ひも向方にはあるさうだから。」と母は、自分がその話を持ち出した時に大して驚く様子もなく賛成した。――「あるんだらう、お前も文通してゐるんだらう。」
「それあ――」と私は点頭いたが、母と共に露はに語り得ない事がこの渡航計画の一因なので自分は、母を気の毒に思つた。同行が出来るといふのでその計画を子供らしく悦んでゐる妻と私は、平気で露はに話し合つてゐるのであるが――「あたしよりもとしは上なのね、一つ? 二つ?」
「西洋風に数へると、何うなるかな?」
「同じぢやないのよ、馬鹿ね。」
「あゝ、さうか……?」
 まつたく自分は、夢見心地だつた。母を別々にする見たことのない妹に会ひに行くといふはつきりした一つの的もあるのだが、あまり物事を切実に考へる性質でない自分には、日頃の煙り深い頭がいくらか限られた範囲の夢の中でうつらうつらしてゐるばかりであつた。そんな的がある位なら返つて窮屈な気をして、折角その為に計画した渡航もだん/\厭になる気もした。――写真の印象だけでまさか見間違えることもなからうが、若しもあの眼の球が青かつたらどんなに薄気味悪いことだらう! そんなことを思ふ位なものだつた。
「さうすると、阿父さんが何歳いくつの時なんでせうね。」と妻は、甘い意地悪るな享楽に耽つてゐるらしい嗤ひを浮べて、わざと自分の返答を待つたりした。さういふ時の妻は、たしかに私の母に対して快哉的気分を何か感じるらしかつた。私は、屡々女の斯様に卑俗な感情を研究するために、故意におつとりと調子を合せて、その儘彼女の言葉をいくらか煽動気味に運ばせて行くと屹度終には彼女は、以下の言葉のうちの何れか一つを毒々しく嘲笑的に口走るのであつた。
「阿父さんは、あんたの阿母さんをそんなに好いてはゐなかつたのね。」
「何時か酔つてゐる時にあたしに云つたわよ――厭だから行つてしまつたんだつて!」
「あんたが生れた時、阿父さんは内心ガツカリしたかも知れないわね、ホヽヽヽヽ。阿父さんは二十二三だつたのよ。」
「余ツ程でなければ、生れたばかしの子供を残して出られないわ!」
 私には、そんなに雑駁な眼で一人好がりに父の立場を認められなかつた。私は、寧ろ雑駁に反対のことを思へば思ふのであつた。――だが、どちらにしても、そんなことを云はせてしまつてから私は、急に冷かさを失つて暗鬱な気に打たれるのであつた。……(自分は不自然な愛の間から生れた子に違ひない、???? それで俺は斯んなに馬鹿なのかしら! それで俺は、性質が妙に弱いやうな、狡いやうな、そして男らしい一本気に欠けてゐる、辛棒性がない、そのくせ悪く小細工をするやうな根性をもつてゐる。且つ何事にも飽ツぽい!)
 その上自分は、もつと自分は厭世的になつても好い筈なのに! などといふ気がして、始終うかうかしてゐる心を嗤つても、少しも悩みなどには出遇はなかつた。
(だが? 実際は、どちらの冷淡が、父を独り去らしめたのかな?)
 自分は、偉い疑問でも考へるやうに、そんな思ひに耽ることもあつた。そして自分は、自分もあまり好きでもなかつた眼の前の女の顔を、それとなく打ち眺めることがあつた。と、自分は、馬鹿な寒さを身うちに覚えた。
(俺は、独りで一ト月の旅行をするのも怖ろしい……吾々の長男はもう五才になつてゐる。――俺は、独りの旅をしたいといふ慾望が近頃非常に強いのだ。)
 一体自分には恋らしい経験はない、妻の前の或る女のことなどを思ひ出しても、一概に嫌な惧れを感じた、あれが続いたら何んなに幸福だつたらう! などといふ思ひ出は一つもなかつた。
「ともかく二十代なのね……」まだ妻は、意地悪るを続けてゐる。
「さうかしら――」
 ……だから自分は、今では先に自分のあのやうな痴想に惧れを抱いて、彼女に最後の言葉を放たせないやうに努めた。
「二人もあつたんだつて、子供が。だけどN――ひとりしか育たなかつたんだつて。一人で未だしも救かつたなんて阿父さんは云つたことがあるわよ。」
「…………」
 今日は終ひに何んな言葉を用ひるかしら? さう思ふと自分は、彼女の賤しい微笑に誘惑を感じたが――が、堪えた。この堪えるといふことは、不気嫌な気色を示すのに依るより他はない、自分はもうこんなことで彼女と野蛮な口論に達するのにも飽きてゐた――妙なことになつたと思ひながら、妙に不気嫌な気色を示して彼女の言葉をさへぎつた。――でも自分は、矢つ張り思ひたくない妄想に走らせられた。自分の弱い性質を、あの途方もない、汚らはしい想ひに結びつけた。
 私は、首を振つて、好い加減に口笛を吹きながら、合間に、世才に通ずる楽天家らしい口吻で云つた。――「……勿論、もう独身ひとりぢやないと思ふよ。此方にこそ知らせてはないが。」
「ヘンリーが死んでからは満足にお金が送れなくなつたのが間が悪くはない?」
「だからさ――。俺は、N――が屹度結婚してゐるだらうと思ふよ。……案外、大変に惨めな境遇に陥つてゐるかも知れないぞ。」
 私が、嘗て父に向つて、十いくつかになつて初めて父を見て以来、何だか妙で、倒頭、阿父さん! とは呼び掛けたことがないやうな不思議な父と子を見て来た妻は、どうかすると今でも自分が彼女の前などで父を口にする場合などには却つて他易くなつてゐる父の洋名を、こんな場合に彼女が真似て用ひると何だか自分は酷く厭な気がしてならなかつた。――だが、あの計画をたてゝ以来は彼女が、大変に安価な浮れ口調を用ひても自分は、これまでのやうに妙に気六ヶ敷気な顰め顔もしないで、却つて軽々と雷同することの方が多かつた。彼女は、急に洋服などを着はじめて英会話の練習に通つたりしてゐた。自分にも彼女と等しくその必要はあつたのだが私は、一寸と改まるとなると普段の会話でも、行儀正しく向ひ合つては酷く駄目な質で話の出来ないことには慣れてゐたから、そんな練習はいらないと思つた。尤も練習したならば寧ろあの方が無神経に話せるだらうといふ気もしたが、そんな妹や、不思議な継母に会ふのには話などは流暢でない方が自分にとつては都合が好い気がした。それに、おそらく未だ日本語を忘れてゐないだらうF――がゐるから差支へない、彼女とは私は、自国のどんな婦人と話す場合よりも無神経に、此方も故意に稚々と運ばなければならなかつた吾らの言葉での何年かの交際に慣れてゐたから。
「吾家も、これで仲々芝居がゝつてゐるんだね……加けに、事件が斯う通俗的では物語にしても面白くはあるまい。」
 わざとらしく自分は、そんなことを云つて退屈さうな笑ひを浮べたりした。
「でも、あたし何だか嬉しいわ。」
 日が経つに伴れて私は、妻同伴といふことに非常なつまらなさを覚ゆるやうになつて仕方がなかつた。目的なんぞはどうでも好い、独りで伸び/\とする航海を続けたい、でなければ行き甲斐がない――そんな希ひが強くなつて仕方がなかつた。一年ばかりの予定だつた。
 置くとなると妻は母と一処にしなければならなかつた。自分の胸には、そんな思ひがあるといふことは自分としても容易に妻に打ち明けることは出来なかつた。
「阿母さんは、N――のことはほんとうに知らないのかしら?」
「知らないことはないでせう……」
 ――「周子は、嬉しがつてゐますよ、一処に行くことを!」
「あれは平気だらう、あんな風だから――」と母は、厭味を示して嗤つた。いつも自分は、こんな時に母に妥協する追従の言葉を吐くのが習慣だつた。そんな場合にだけ自分は、わずかに、不健全な親孝行を感じた。母に引き比べて自分の妻などが、若さなどの点では許されない女のたしなみに如何に欠けてゐることか? 何といふ粗暴な女であることよ! さういふ意味のことを悪く微温的な調子で語り合ふのが常だつたが、そして自分は秘かに自分達の卑俗性を感じて浅猿しさに打たれるのが常だつたが、また自分が母の先に立つて左様なことを口にすることも多かつたが――だが自分は、今ではもう潔癖からではなしにそんなやりとりが馬鹿/\しかつた。
「…………」
 だから自分は、母に反対する言葉を放つて見事にその不気嫌を買ふほどの生気もなく自信もなかつた。私は、妻の前で口笛を吹いた通りに烏耶無耶に、にや/\してゐるばかりであつた。そして、そんな場合には、終ひには知らず識らず走る、己れの菲薄性を宿命的に踏みつけるやうな妄想に駆られて、極めて漠然と業を煮やすのであつた。男の不誠実に不平を鳴して見たり、また女の自尊心の邪しまな強さを嫌つて見るのであつた。例へば、母のみを孤独に放つて、自分の立場ばかりを野卑に賑はしく吹聴したといふ父の姿は、寧ろ悄然と頼りなく写つた。凝つと堪えて、無味な日を送つて来た不幸な母の姿は、却つて力強く怪し気な光りを持つて私に迫つた、そして私に怪しげな安心を与へた。
 自分にしろ今こそ妻のことを余融あり気に冷たく母などに向ひ、また自分に向つて吹聴するものゝ、はぢめのことなどを考へて見れば、自分のみが決して空々しく受身なものではなかつた。それなのに自分には、はぢめから或る不誠実性があつた、自分が最も憎む! 男の不誠実性が――。自分達は、夫々の両親に失望させて、野合的な結婚をしたのに!
 そんな想ひにつまらなく辟易して白々しくなると自分は、自分の怯惰を幼年期からの変則な家庭の罪にした。型だけは厳めしいが、おそらくヒステリー的であつたらう母方の若くして後家になつた祖母と、そして母とから、自分は何かを歪められたのだ。その間で自分は、父方の無智に呑気な祖父母から甘い惰眠を授けられたのだ。そして私には、見たことのない父が遠い国に居るといふことを忘れられなかつた――。結局私は、父方の朗らかに放縦な血を何かに奪はれ、母方の根強い自尊心と謹直な保守性を何かに盗まれて――私は、斯んなに痩せてしまつたのだ。私みたいな姿の者は良家の誰にもなかつた。私の面だちは、両家の誰の面影をも伝へてゐなかつた……自分は、何処までも弱々しくそんな想ひが伸びて行くのに、踏み止まる力を失ひ、煙の中に吸はれ込んで自分の姿も掻き消えてしまひさうだつた。
「…………」
 自分は、たゞ母に同意してゐるやうな態度を保つて、妻に関する批難を予期してゐると、母は、ふと、慎ましやかに気色を変へて「その方が好いよ、でないと周子も私と同じ目に遇ふかも知れない。」と云つた。
「目に? ……」
「当人が一処について行くと云ふんなら結構ぢやないか。」
「……え!」
「英吉はあづかるよ、一年位わけもないことだ……」と母は、はじめての孫のことを云つた。
 母にとつても未だ吾々が傍にゐない方が好いのかも知れない――さう思ふと私は、母に一層安心も覚えたが、ふと私は、そつと唇を噛むほどな異様に意地悪るな爪と何も知らない退屈の手に襟がみをとられて、新しい夢から、悪く住み慣れてゐるもとの自分の世界に無惨に引きづり返された。

その二


「月夜になると――」と祖母は説明した。たしか、この次の月が十五夜にあたるはずだが、それまでには未だ七夜も過さなければなるまい? と祖母は暦を繰りながら、
「月夜にならなければ!」と、横柄に唇を突らせて更に呟いだ。
 月のない或る初秋の晩に祖母と私は、柿の渋についての問答をとりかはしてゐた。初めの月夜に出会つた時に青い柿の渋は一度はなくなるが次の闇夜が来ると、それはもう一度もとに戻つてしまふのである。そして二度目の月夜が回つて来ると今度こそはほんとうに渋味がなくなつて、はぢめて柿はうまく喰べられるやうになるのだ――。
 さう祖母は、いつものやうに説明したのであるが私は、諾かぬ風に首をかしげてゐたのである。
「ぢや、お月夜にさへなれば直ぐにその晩から急に渋はなくなるの?」と私は、まさか! といふ調子を露はして問ひ返した。
「さう。」
 祖母はきつぱり答へて「あゝ、その晩から。」と深く点頭いた。馬鹿気てゐる! と私は思つた。
 祖母の家の周囲には、私になじみの深い柿の木が十何本も数へられた。――どの木にも、これがやがて赤く熟るのかとは想像も出来ない堅くて青い果実が鈴なりになつてゐた。私は、水のやうに明るい月光が樹々の上にさらさらと降り灑ぐ夜の光景を想つた。無数の青い実が蒼白い光りを浴びて、光りに磨かれて生々と浮びあがつた。青い実の滑らかな膚は、冷い汗を滲ませた。夜露ではない、あの苦々しい渋味が汗になつて滲み出たのである、月の光りは、そんな不思議な力も持つてゐたのである。そして、間もなく幻灯のピントが極度に明るくピタリと一定した瞬間と同じやうに、美しい月の光りが大手を拡げて輝き渡つた刹那に出遇ふと、あの無数の柿の実は、感極まり、一勢に打ちそろつてハラハラと最後までの涙を滾し切つてしまふのである……。
「おや、あんなに好いお月夜だつたのに、雨にでもなつたのかしら?」
 眠りに就いてゐた人々は、ふと耳をそばだてゝ斯う呟くに違ひない。――翌朝人々が起き出て見ると悉くの柿の実が一夜のうちに明るい赤味をつけてゐる。人々は己れの眼を疑つた。そして彼等は、あの雨がこの奇観をもたらせたのだらうと思ふ……。
「キネオラマ見たいだね。」
 自分の思ひ過しを忘れて私は、嘲るやうに呟いだ。祖母の話を信じるには自分は、そのやうに花々しい奇蹟を想ひ描かずには居られなかつた。私は、万の窓々に一時に灯りが点るキネオラマといふ見世物を例に思ひ出して、祖母の提言を無稽に嗤つた。――「いくらお月夜になつたつて、そんなに急に渋がなくなるなんて!」
「誰がお前に嘘をつくものか。」
「それに――この間、一つとつて、一寸と舐めて見たけれど、やつぱり甘かつたよ。」
「だから、その時は、この前のお月夜のうちだつたんだよ。お前はそんなことにも気がつかなかつたのか?」と祖母は、私の強情を折つた。
 そんな話は、祖母らしい単なる童話的のものに過ぎない、と私は思はずには居られなかつた。でなければ、柿の実を、点いたり消えたりする灯りにでもなぞらへるより他はなかつた、私の想ひでは――。
「そんなに早くから柿などを喰べる馬鹿はない、勿体ないことだ!」
 案の条祖母は、さう云つた。そして樹木の生命を説いた。熟らぬ果物を無駄にすることが如何に罪深い悪徳であるか! といふことを因果に律して物語つた。――だから自分には「月夜と柿の渋の話」が実際とは思へないのであるが、別に、祖母の宗教的な訓話は常々から体得させられてゐた。そして、怖ろしかつた。私は、近所の子供達のやうに熟らぬ果物に手を出したりするやうな悪戯は、決して行つたことはなかつた。
 余程思ひ切つた上で自分は、今祖母に、この間一寸と喰べて見た! といふことを告げたのである。疑ひを晴すために、青い実をもぎとつて噛んで見たのであるが、その時は確かに渋くはなかつた。だが、甘味もなかつたし喰べつゞける元気は持てなかつたので、眼を瞑つて、藪の奥へ投げ棄てたのである。祖母は、喰べるためにとつた果物が喰べられずに棄てなければならない時には、果物に向つて人に物を言ふ如くに謝罪して、芽が出る時を待つといふやうな励ましまで述べて、成仏させるのが常習だつた。その仰山な言棄を嗤ふ者もあつたが、私は嗤へぬやうに心から訓練されてゐた。
 苦い顔はするだらうが、実際としての「月夜と柿の渋の話」は取り消して、それを冷い訓話に換へるだらう――と私は思つたのであるが祖母は、頑として、
「だから、その時は未だお月夜のうちだつたんだよ。」と云ひ放つばかりであつた。
 お月夜だつたかしら?
 考へて見たが私は、夜のことは思ひあたらなかつた。私は、ほんとうに自分が負けたのかどうか? は解らない気がしたが、何となくつまらなくなつて、
「早く母さんが迎へに来れば好いな。」と呟いだ。笑顔をつくりながらではあつたが祖母に、折角なつた果物を喰べられもしないうちから無駄にするやうな人間は碌なものにはなれないぞ、これからは云々と堅く訓められて、おそろしく私は怯かされた。藪根の草葉の中から、歯型をつけられたまゝ棄てられてゐる青柿に眼があつて、憾みをのんで凝つと此方を睨めてゐた。
 祖母は、一人の息子を東京に住はせて永年独りでこの古い家に住んでゐた。孫は、私より他になかつた。私の母は、こゝの一人娘で近所に嫁いでゐた。母は、七才の時に父を亡したさうである。
 私の胸には、無性に怖い戦きと、月夜と柿に関する理論的な疑ひとが、ちぐはぐにうずくまつてゐた。――私は、そんな想ひを払ふやうに、
「今夜、母さんが蓄音機を持つて来ると云つてゐたよ。」と云つた。
「私は異人臭いものは真ツ平だ。聞きたくないと云つてゐるのにこの間うちからお静が――」
「英語だからさつぱり解らないよ。」などと私は、はつきり阿る心を承知しながら遠回しに祖母の歓心を買はずには居られなかつた。
 母は、提灯を吹き消して、
「蓄音機は、あとから国さんが持つて来る。」と云つた。祖母の家の唖の下男が、全部の道具を一まとめに容れられるやうに日本の建具屋に工夫させて拵らへた白木の箱を、軽いけれど重い物を持つやうに物々しく抱へて来た。その中には六本のレコードと、小さなメガホンと、仕掛けがむき出しになつてゐる小型の機械などが別々に板で仕切られて容れこしになつてゐた。
 母は、綿にくるんである筒型のレコードを茶筒のやうなボール箱から取り出して、丁寧に開いて、いちいち前説明をしながら順次に鳴らした。
 それでも祖母は、ランプの下で不思議さうに聞いてゐた。
 母は、夫がこれと一処に附けて寄したレコードの説明書きを、今度は稍々開き直つて読みあげた。
「第六号。」と母は、内側に“No 6”の貼り紙がしてある円筒を片手に取りあげながら「第六号――是ハ余等ノ学友ガ卒業記念ノタメニ自ラ作成セル歌詞ニ自ラ作曲シタルモノヲぴあのノ伴奏ニ依ツテ合唱セルヲ吹キ込ミタルモノナリ 謝恩唱歌ノ類ヒナリ 意ハ略スガ音律ニ依ツテ聞カバ己ズト通ズルモノアラン 余モ亦唱歌者ノ一員ナリ」と読みあげた。母は、もう吾家で読み慣れてゐたからどの説明書きも暗誦してゐたが、これは又事新し気に朗読した。そして私も、それ程聞き慣れてゐたので、母の様子がわざとらしくをかしく見えた。――私の父が前の年にアメリカ・フエーヤーヘブンの或る田舎の中学を卒業した時の記念品だつた。父は三十歳であつた。そしてこの年から都に出てカレツヂに入学したと報へて寄した。
 短い合唱歌である。
「どれが、父さんの声だらう?」
 私達は、吾家でも幾度も斯う云ひ合つて、抑揚の鈍い濁つた混声の中から徒らに父のそれを認めようと努力したのであるが、また母は祖母に計る代りに私に問ひかけて空な微笑を浮べた。――唱歌の途中に一個所太い調子放れのした声が一寸と韻律を乱すやうに、強ひて聞けば聞かれるところを根もなく指摘して、私達は、ひとりぎめに、あれが父さんだなどと戯れたのであるが、母はこゝでも同じやうなことを云つて微かに笑つた。日本人は父より他に居なかつたので、さう思ふと、その声は他のと一寸違ふやうにも聞えた。
「これ! これが! さうだなんて皆んなで話し合つてゐるの……」
 母は、祖母に同意を求めたりした。
 祖母は、黙つてゐた。――ふと娘が、その老母の顔を眺めると、その眼には涙がやどつてゐた。
 私達は、こゝに泊ることは珍らしくはなかつたが、その晩も言伝を頼んで泊ることにした。――私達は、此方を主にして暮したこともあつた。
 私は、先にうたゝ寝をしてしまつたが、夢に怯かされて眼を開いた時に、母が小娘のやうに祖母の傍に突ツ伏して細かに肩を震はせてゐるのを見た。それが、芝居の場面のやうに遠くに見えた。
 泣いてゐる! と私は思つた。私は、習慣になつてゐる目醒めの悪い愚図を鳴らすのを堪えた。
 私は、この間あれだけの甘さを持つてゐた柿がシブくなつてゐるはずはないといふことや、それにしても試して見る術がないので困ること、棄てた柿がもう黄色くなつて腐つてゐるだらう――そんなことばかりを考へながら眠つた。
 それから幾日かたつてのことである。
 月夜には、未だ間があつた。
 何処の柿もみんな青かつたのに、庭隅の大々丸と称ふ柿だけが奇妙な薄黄色を帯びて来た。この木には数へられるほどの実がなるだけだつたが、何処の柿より質が好くて、十三夜までおくと夏蜜柑ほどの大きさに熟るのであつた。祖母は、十三夜の供物にするまではこれには一つも手をつけないのが習慣だつた。
 まだ鴉や虫がつく頃でもないのに如何したのかしら? と祖母は、不思議に思つて丈の低い樹なので好く好くあらためて見ると、何の実にもほんの少しずつの傷が負はされてゐた。そして薄黄色を帯びた悉くの果実の皮膚は光沢と弾力を失つてゐた。一層好くあらためて見ると、その傷はたしかに人間の歯型の痕だつた。
 私が或る日、一番登りやすいこの木に秘かに登つて、なつてゐるまゝで一つ一つのシブ味を験して見たのであつた。あれも、これもと苛々して試したのであるが、悉く惨めにシブかつた。私は、唾を吐きながら、ぼんやりして木を降りた。
 私は、木にあるまゝなのだから斯うして置いてもその儘柿は成熟するだらう――と最初から思つてゐたのである。
 あの奇蹟のやうな「月夜と柿の渋の話」を私は、まつたく信じた。
 甘味が漸くついたけれど未だ青々としてゐる他の木の柿が十五夜に供へられた時分には大々丸は無気味に赤くうんでしまつた。碧く晴れた空にときならぬときに色づいた此処の柿だけが、風鈴の赤い硝子玉のやうにくつきりと浮んでゐた。
 間もなく小雨が降ると風もあたらないのに此処の柿は、ボタボタと地面におちて醜くゝ潰れた。石の上におちて、力一杯叩きつけられたものゝやうにグツシヤリと潰れてゐるのがあつた。石灯籠のかさにあたつて花火のやうに飛び散つてゐるのがあつた。泉水の汀の苔石の上に、赤児の糞にも見紛ぎらしいのがあつた。
 唖の国さんが、掃除をするのを面倒がつて軽く枝をゆすると、残りの柿は他合もなくいち時に落ちて醜悪な音がした。
(一五年・四月)





底本:「牧野信一全集第二巻」筑摩書房
   2002(平成14)年3月24日初版第1刷
底本の親本:「中央公論 第四十一巻第五号」中央公論社
   1926(大正15)年5月1日発行
初出:「中央公論 第四十一巻第五号」中央公論社
   1926(大正15)年5月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年5月23日作成
2011年4月23日修正
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