「いくら熱心になつたつて無駄だわよ。――シン。鸚鵡だからつて必ず言葉を覚えるときまつてはゐまいし。」
アメリカ娘のFは、さう朗らかに笑つて私の肩を叩いた。足音を忍ばせて彼女は私の背後に近寄つたのだらう、声で、私は初めてFに気づいて振り反つた。
「僕は何もグリツプに言葉を教へようとしてゐたんぢやないさ。」
グリツプと称ふのはFが飼つてゐる此の鸚鵡の名前である。
「お前はまア何といふ嘘つきだらう! 教へようとなんてしてゐないツて? 妾はさつきからちやんと鍵穴から覗いて見てゐたんだよ。お前はグリツプの前で、指を出したり、顔を顰めたり、独り言を呟いたり、疳癪を起して二ツの拳を震はせたりしてゐたぢやないか! 今日ばかしぢやない。きのふもおとゝひも、いや一週間も前から毎日毎日! さア白状なさい、何といふ言葉をお前はグリツプに教へようと試みてゐるんだか!」
「僕は芝居がゝつた言葉や動作のとりやりが何よりも嫌ひな性分なんだ。子供の時から犬一匹飼つたことのない者だ。鸚鵡に言葉を教へようなんていふ可愛らしい心は僕は持たないよ。」
私はこの上ツ調子の態度が気に喰はなかつたので、子供の時犬を飼はなかつたわけぢやないのだが、さう言葉を誇張して、そして殊更に憂鬱気な態度を示した。
「グリツプといふ名前はお前に返さう。」Fは仏頂面をして叫んだ。
「勝手におし。返されても僕は決して不名誉には思はないよ。」
厭だと云ふのに、どうしても鸚鵡に名前を付けて呉れと云つてFは承知しないので、いつだつたか私は仕方がなしにグリツプと称ふ名前を与へたのだつた。中学の一年か二年の時に習つたチヨイス読本の中にあつた“LAZY RAT”といふ章を私は覚えてゐた。主人公の若い鼠の名前がたしかグリツプといふんだと思つた。Fは、いつもこの鸚鵡のことを「怠け鸚鵡」と叱つて、何を教へても少しも覚えないと
その翌日から私はもうFの家を訪れてもグリツプの傍には寄らなかつた。Fを庭にも部屋にも見出せずに、手持無沙汰の時には、アマさんに秘かに頼んで、Fの親父が飲用するウヰスキイを貰つてチビ/\と飲んだ。――。
「怠け鸚鵡」は何時でも、窓枠の置かれた籠の中から私の方を横目で睨んでゐた。
「貴様とはもう一切口をきかないぞ。」私も睨み返してさう云つてやつた。Fにあんな風に発見されてテレ臭くもあり、業腹でもあつたので、頭から否定してやつたのだが、ほんとは私は、Fの云つた通りこいつに一言ことばを教へてやらうと思つてゐたのだつた。
何と? ――それは、ちよつとこゝでは云ひにくい!
この頃私は、友達からも認められる程の酒飲みになつた。私は、洋酒は嫌ひで日本酒ばかり飲む。二度、私はFの部屋で独りでウヰスキーを飲み過して、泥酔して、Fに発見されて、一度は髪の毛をられ、一度はFが鸚鵡の籠を床に叩きつけて、大いに私の将来を諫めたことがあつた。――こんな下らないことを書くと私といふ青年が、いかにも以前は西洋かぶれのした不良少年だつたやうに響くかも知れないが、それは弁明しておきたい。それには私がどうしてF一家と友達になつたか? こゝに書いた以外の点ではどんなに私がFの善良な友達であつたか? そして私は日本旧式のどんな家庭に育ちその保守的で消極的である教育にどれ程感化されてゐたか? を一言すればいゝんだが、冗言に陥ることをおそれるから省くが――。
ともかくあの鸚鵡は、それから一年あまり、F一家が帰国する迄私の目ざわりだつたが、
Fからは一年に二度位は手紙が来る。去年の春、結婚したと云つて寄こした。「グリツプ」(一度返済したくせにワザとかつこしてさう書いて寄こした。)は丈夫だが、今だに一つも言葉を覚へないなどゝ云つて寄こしたこともある。夫が一生懸命で教へ初めたが何の効めもなくて可笑しい、などゝイヽ気なことを書いて寄こした。私は今だにあんな鸚鵡を飼つてそれを道具にして皮肉な微笑を洩らしたりしてゐるFを心憎く思つたり、また嫁入りするにもあれをたづさへて行つたFの心持を寂しく解釈して、Fの家庭で、Fが独りで窓枠の怠け鸚鵡と打ち語らふやうな退屈の時が無いやうに祈つてやつたりもするのだ。さう思ふと私もこの頃時々あの鸚鵡を思ひ出し、それを自分の傍に見出せないことを大変物足りなく思ふ時が多い。
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斯ういふ気持で、斯ういふ文章を書いたことがなく、また何を書いていゝか? も解らず、初め、此間地震見舞の手紙をFから貰つて簡単なハガキしか出して置かなかつたから、斯んな時に少しは詳しく手紙のかたちで此方の自分のことや、Fの幸福を祈つてゐることなどを書いて、こゝに出さうかとも思つたが、考へたゞけでそれは堪まらない感傷文に陥りさうな気がするので止めてしまつた。勿論Fへ――も。