熱い風

牧野信一





 強ひては生活のかたちに何んな類ひの理想をも持たない、止め度もなく愚かに唯心的な私であつた。――いつも、いつも、たゞ胸一杯に茫漠と、そして切なく、幻の花輪車がくるくる廻つてゐるのを持てあましてゐるだけの私であつた。廻つて、廻つて、稍ともすると凄まじい煙幕に魂を掻き消された。
 私は、そんな自分を擬阿片喫煙者と称んでゐたが、私の阿片は、屡々陶酔の埒を飛び越えて、力一杯私の喉笛を絞めつけながら怖ろしい重味で今にも息の根を止めようとするかのやうな勢ひで覆ひかぶさることが多かつた。
 私の無上の悲しみは、私が、私の幻を幻のままにこの世に映し出す詞藻に欠けて、余儀なく、凡そ自ら軽蔑し去つてゐる筈の、在りのままの身辺事を空しくとりあげては、さまよへる己れの姿に憐れみを強ひられる嘆きであつた。地上で出遇ふ「悦び」や「悲しみ」――そして、あらゆる出来事に対して、何か私は縁遠い妄想感を抱いてゐるといふかの如き自覚! それ自体が、不断の嘆きであつた。そして、また私は、事毎に、この世で出遇ふあらゆる出来事に、在る間は、惑溺し、熱中し、根限りの現を抜かして、棄てられるまでは自ら先に離さうとしない執心に、因果な矛盾を感じるのであつた。私は長年の間、謙遜と諧謔と憧憬とをプレトン派に学び、エピクテイタス、マルクス・オウレリウス流に遡つてゐるにも係はらず、この劣等な学徒は徒らに営養不良に陥つたり、空しく神経衰弱に罷つたりするばかりで、己れの妄想を、理想! と称びかへるまで健全になり得なかつた。
 それはそれとして、此処では斯んな雛祭りの夜の思ひ出から誌すのだ。
 その年の桜を見た後に永らく住み慣れた横浜の家を棄てて、一先づ自国アメリカへ帰ることに決つてゐたH氏の一家だつた。H氏から私は娘のFを、私の友達の家の雛見物に伴れて行つて欲しい、と頼まれた。私は、その晩に私がその頃寄宿してゐた日本橋の雪子の家にFを誘つた。雪子の家庭は、長女である雪子とその頃十歳位ひだつた光子との二人姉妹で、両親が大変な派手好みだつたから、そこの雛祭りはFの悦びを買ふに充分だらう! と私は思つたのである。私達の父親が夫々友達同志だつたのである。私は、学校の休日が続く時には父親の命令でFの家庭に赴いて、彼等の習慣に親しまされてゐた。
「私はこの頃になつて漸くお前が、友達のない寂しい人であるといふことが解つた。」といふやうな意味のことをFが私に云つたのはその頃だつた。
「僕をFの家に親しませてゐるのは、やがて僕をお前の国に住はせて、彼に似た経歴を持つ人にさせようとする僕の父親の心使ひであるらしいよ。」といふやうな意味のことを唸りながら徐ろに腕を組んで、稍ともすれば武悪面のやうな表情を保ちながら蔭を向く癖が私に出来たのはその頃だつた。人との別れを思ふと、止め度もなく感傷的になれた私だつた。
「僕は誰に限らず人を見送るといふことが嫌ひだから、親愛なお前達の場合には殊に許して貰ひたい。」
 Fが何と答へたか忘れたが何でも私は酷く笑れた後に、頬つぺたに接吻を享けたことを覚えてゐる。
 雪子の家には、母親と姉妹との夫々の雛が三組もあつて、その家の隆盛時代を物語るかのやうに最も豪儀な姉妹の雛段が存分な綺羅を競ふてゐた。Fが来るといふので特にその時はあらゆる数々を批瀝して、蔵前の板間を打ち払つて飾りたてたのである。輸出商だから夜の仕事はなかつたが午過ぎから店員総掛りで万端の飾りたてに尽した。
「僕は雛などの知識がないんでいちいち訊ねられると困るんだが、雪ちやんは何故もつと喋舌らないのかな。」
 雪子は私にばかりFの相手をさせて、はにかんでゐるので私が、云ふと、Fが横を向いた隙を窺つて、激しく手を振つたり、そんなことを云ふと後で酷いぞ! と云ふ代りに拳固を自分の顔の前で突きあげたり――する程慌てた。普段は左様でもないのだが何故かFは悉く自国じこくの言葉で私に話しかけてゐたのである。私は気拙かつたが否応なく同じ言葉で応じてゐたのである。何かに就いて事毎にFは私の袖を引いて、店員達が「どん! どん!」と称び合ふのは何故か! とか、雪子さんとお前はあんな小さな机を並べて彼処に坐つて勉強するのか? などと質問の矢を放ち続けて、そして親切に私が答へなければならないのを私は、雪子に見られるのが嫌だつた。外套は私が脱がせて呉れるものだと思つて後を向いて立つし、唐紙は私が開けたてして通すのだつたし――私とFとの、そんな礼儀正しさを私は、雪子に見られるのを何よりも恥ぢずには居られなかつた。
 粋! とか、芸妓風! とかといふことが念願であつた雪子は、Fが握手の手を差し出しても下向いてしまふのであつた。普段は騒々しい強ツ気なのだが、慣れぬ人の前では碌々口も利けない遠慮家なのである。その上、西洋人といふものを酷く特別な眼で見、一般に毛嫌ひしてゐる雪子だつた。――「あんたは矢張りFさん達に会ふと何となく女の気嫌ばかりとつてゐるやうな男になるの?」そんな馬鹿なことを私に訊ねることがある雪子だつた。「気嫌をとるわけではないが、それは――」と私も苦しく赤くなつて弁明しようとすると、雪子はもう頭から「おお、嫌だ」と身震ひして「でも、まさか、キツスはしないでせう?」と息をはづませて訊ねるのであつた。私は余り馬鹿々々しくて到底真面目にはなれなかつたので「手の甲や、額ぐらひなら――此方から先にすることはないようなものの……」と悲しさうに云ひかけると、雪子は真に汚らはしい者でも見るかのやうに沁々と私の顔を眺めながら、ほき出した。「まあ、あんたつて人は、図々しいのね。そんなでれでれした人とは思はなかつたわ。ああ、あたし聞いただけでも気色が悪くなつたわ。」と、胸を掻き※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)つて、堪らなさうにカーツ! カーツ! と喉を鳴したことなどあつた。
 そんな雪子の前にFを伴れて来たといふと私が酷く乱暴者のやうに映るが、雪子のは全くの抽象的神経から蔭で何うかするとそんな亢奮を洩すだけのことで、会へば、円満で、あらゆる歓待を惜まなかつたし、その晩のことなどは寧ろ彼女の発起と云つても差支へなかつたのである。私は、屹度私自身が窮屈になるだらうことを予想したから強ゐてすすめたわけではなかつたのだが、FはFで熱心だつたし、雪子も亦珍客をもてなしたがつたのでもあつた。――「あたしが、そのうちにお嫁へ行つてしまふことと、Fさんに別れるのと、あんたは何方が寂しい?」或晩私の枕元に坐つて雪子が云つたことがある。
「寂しい! だつて?」と私は吃驚りして訊き返した。嘗て、考へたこともなかつたのであるが、結婚! ときくと不図私は得体の知れぬ寂しさに襲はれた。恋ではない――普段、私の頭に始終もやもやとしてゐる熱つぽい幻が、はつきりと言葉をつかんで詰め寄つたかのやうに狂ほしく、寂しく、なつた。それと一緒に私は、私自身に堪らない幻滅を感じた。「恋を語れ! 相手を求めて恋を語れ! そしたらお前の似非神秘感は、お前の愚劣な神経衰弱であつたことに気づくだらう。」と私は夢にさゝやかれた。
「毎日々々、寝てばかりゐるのね、何うしたの? あんたFさんにでも恋してゐるんぢやないの?」
「……」私は点頭くことも出来さうだつた。
「寝呆けて、あたしの名を呼んだことがあつたわよ。」
「ほんたう?」
「それを光子つたら、とても笑つてさ。――あの子は、子供の癖に妙にませてゐて、あたし何だか嫌ひよ。あの子、屹度不良になるかも知れない。あたしが居なくなつたら、あんた気をつけてね。」
 姉も妹も、私と結婚するとしたら年齢が不似合だが、それが何だか却つて幸福のやうな気がしてゐる、屹度私は何時までも彼女等の親切な友達でありるだらう――といふやうなことを屡々雪子は私に云つてゐたが、私には意味が解らなかつた。雪子は、恋! などといふことを口にする時には、無邪気な悪ふざけで矢鱈に放言したり、結婚などといふ言葉は大変事務的に云ひ得る性質だつた。
 Fは雛段を指差してはしきりと私に質問を浴せてゐた。
「あれは?」
「宮庭の音楽家である。太鼓、笛、小鼓、大鼓、そして唱歌者の五人である。」と私は説明するのであつた。
「その老人の人形は?」
「何う云つたら好いだらう。」と私は雪子に訊ねた。
「高砂ぢやないのよ。お目出度いことを云へば好いぢやないの。」
 私は、先に雪子に云つて見た後に、咳払ひをして、生徒のやうに真面目な口調でFに向つて翻訳した。
「結婚者の永遠の健康を予想して、その幸福な姿を具象化したものである。彼等の年齢は百歳である。然も尚あのやうに健全で永遠の緑を持つ松の木の下で、円満な微笑を湛えて立ち働いてゐるのだ。」Eternal が口を次ぐ毎に私は、妙に亢奮して来るのであつた。「見よ、彼等の頭上には千年の齢を持つ一羽の鶴が祝福の翼を拡げ、彼等の脚下には万年の齢を持つ亀が悦びの双手を挙げて立ち上つてゐる!」
「おお、キレイ・キレイ。」とFは済して点頭いた。
「Fさんに訊いて御覧なさい、お気に入つたのをお持ち下さいツて?」
「あの提灯ランタンは何といふの?」
「ボンボリ――」
 雛段の両端には、一段毎に一対の雪洞が花やかに燭されてゐた。
「ボンボン?」Fは再度訊ねる時には、私の低い語調がさうさせるのかも知れないが、相手の顔を眼近かに覗き込むのが癖になつてゐた。私は、何となく雪子を気にしながら「否、BON-BO-RI!」と稍迷惑さうに云つた。するとFは、菓子のボンボンに気づいて、自分の失策を自分で噴き出した。そして、独りで恥し気に笑ひこけて、わけもなく私の手を握つたりするのであつた。
 恰度真上の二階では酒宴が始つてゐて、賑やかな笑ひ声や、歌声や、そして足拍子の音などが入り乱れてゐた。
「姉さん、あたしの踊りをFさんにお目にかけるんですつて!」梯子段を駆け降りて来た光子が、Fの手をとつた。光子は姉と違つて、子供ではあつたが凡そ人見知りをしない質だつた。私は、光子が現れたので、わけもなくツとしたのである。大袈裟に云ふと救ひの手が現れたやうに思つた。私は雪子のお蔭で酷く神経を疲らされてゐた。
「ゆつくり話せば、一通りは解るんだから、女同志が好いよ。踊りは別々に見物仕様ぢやないか。」と云ひながら私は、先に立つて二階へ上つてしまつた。
 私は、店員の仲間に加はつて光子の踊りを見物した。盃をさされると、私は無闇に酒が飲めるのに驚いた。(私が酒を口にしたのはこの時が初めてだつた。古いこの晩の記憶を未だに私は、初めての酒盃だつた! といふことにこだはつて回想出来るのである。)
 雛節句の夜は此処の家では、家を挙げてのお祭りで、いろいろな人が招かれて来るのが例だつた。
 一盃毎に眼を瞑つてグイグイ飲むと、忽ち頭の中がパーツと明るくなり、さつきから妙に胸に支へてゐた塊りが花のやうに散り去つたり、さうかと思ふと名状し難い寂しさが潮のやうに込みあげて来て危く涙がこぼれさうになつたりした。(酒の酔ひツて、斯んなものかな? だが、これは何もも忘れるといふことのためには真に名薬ではあるらしい、何も彼も忘れるツて? 一体俺には忘れなければならない何があらう! 何にもない筈だ。)
 向ふ側を見ると睦し気に並んでゐるFと雪子の姿が、私の眼に、それは普段でも時々一寸したハズミにあることだが、あたりが倒さまに当てた望遠鏡で見るやうに遠く小さく映るのであるが、その時もそんなになつて、豆のやうに見えた。私はその眼で、豆のやうなFが私に向いて遥かに洋盃グラスを挙げるのや、私が斯んなに離れてゐるのを難じる雪子が人知れず私に向つて拳を示したのを、見た。私は慌てて光子の踊りに眼を向けるのであつた。
 ……「おやおや、此処にもゐないわよ。何うしたんでせうね、仕様のない人だわね。」それは雪子の声だつた。
「お酒を飲んでゐたらしいが、慣れないので病気にでもなつたのぢやない?」それはFの声だつた。二人は切りに私を探してゐるのであつた。雪子は何時の間にかすつかりFに慣れてゐたが、Fは拙い危い日本語だつたし、雪子は当り前の口を利いてゐるので、半ばまでが辛うじて意が通ずる位ひらしかつた。その上、雪子は、私の為に夥しく慌ててゐた。「探し出さなかつたら、あたし困つてしまふわ、チヨツ! まさか酔つた気嫌でフラフラと何処かへ出かけたんぢやないでせうね。」
「どうしてあたし達は、気がつかなかつたんでせう。」
「かくれて逃げ出したのよ、屹度!」
「今迄にもそんなことあります?」
「お酒のことはないけれど、あたしあの人が書いた滑稽な手紙を見たことがあつてよ、とても熱情的な……」それは私が、何ともつかぬ悶々の情を誰にともなく出鱈目に書いた手紙ともつかぬ反古である。
「宛名は?」
「惜しいことにはそれは書いてなかつたのよ、ホヽヽヽヽ。」
 あれを、宛名のある手紙と思はれては堪らない、油断のならない雪子だな! と私は慄然とした。
 私は、さつき踊りを見てゐると急に胸苦しくなつたので、そつと座を外して階下に降りて来たのであつた。殆ど夢中だつた。――皆な二階に集つてゐたので、蔵前の雛段の前には人影がなく、徒らに雪洞のひかりが明るいだけだつた。私は、よろよろとしてもう歩けなくなり板の間に転げてしまつたが、不図思ひついて雛段の下に逼ひ込んでしまつたのである。暫く其処で休むつもりだつた。そして私は、重病人のやうに唸つてゐたのだつたが、そのうちにうとうととしたと見へて、あの声で始めて吾に返つたのである。斯んな処から逼ひ出したら彼女等はさぞ驚くことだらうと気づいて息を殺したのである。
「写真を撮ることをまさか忘れやしないでせうが?」
かまはない。」とFは云つた。「私のことを忘れることはないんだから……行つてゐませう、光子さんの踊を見に!」
「ええ。」雪子は点頭いたが、到底Fには通じない早口調の疳癪声で呟いた。「あんな当にならない人つたらありはしないわ、いまいましい。誰かと一緒に吉原へでも行つたんぢやないかしら! ねえFさん、うちのお店の人達と来たら、斯んな晩にはね、父さんが酔つて来るのを見定めて置いてね、それあ上手に、一人減り、二人減りといふ具合に姿をくらませてね、途中でしめし合せてから、屹度、吉原といふ凄い処へ遊びへ行くのよ。」
 雪子は、桜時分になると、斯んなにも大きな雪洞が沢山並んで、そこの夜桜といふのは昔からの名物だから、今年は一緒に行つて見ませうか――などといふことを述べながら、また二階へ上つて行つた。「あたしも、多分東京の桜は今年で当分の見収めになるかも知れないのよ。」
 私は、上向けに寝てゐた。眼上の赤い布に雪洞に照らされてゐる人形の影が立ち並んでゐた。斯うして裏から眺めると明るい赤と、鮮やかな黒との段々が、私の妙な眼であつたからだが、私の胸に架けられた、何処へ昇つて行くのか解らない空しい階段の一端を眼にでもしてゐるかのやうな、心地がした。私は、それをひいう、い? と数えあげたり、ひよつとして栄螺の呟きでも聞えないかしら? と耳を傾けたりした。――何れが踊りの足拍子とも判別出来ない、わやわやとどよめいてゐる二階の物音が私の胸に遠雷のやうに響いてゐた。


 私が太い吐息の唸りと一緒に突然卓子に突ツ伏したのを見て、さつきから同じ部屋の隅で退屈をかこつてゐる光子が、
「お邪魔ぢやない、出かけて来ようかしら。」と訊ねた。
「行かないでも好い。夜になつたら一緒に出かけるからそれまで其処で本でも読んでゐたら好いでせう。」と私は、持前でない切口上でいかめし気に云ふのであつた。私の卓子の上には物々し気な古書類や巻物が拡げられて、私はノートをとつたり、図面を引いたりしてゐたのである。
「晩、何をあがる? パンより他に何もないわよ、考へて?」
「…………」
 私が凝つと隣家の屋根を眺めてゐるだけなので、光子は慌てて「行つて来るわ、踏切りの先きでYが画を描いてゐるのよ、パンを持つてつてやるの。何時頃帰つて来たら好い?」
「十分か、二十分――」と私は煩ささうに呟くと、また切りにノートを翻し始めた。
「そんなに早くつて!」光子は却つて不平さうだつた。「折角東京へ来てゐたつて、つまんないわ。活動位ひ見に行つたつて好いでせう、これからYと一緒に――。画を描いてゐるなんて嘘なのよ。」
「ぢや僕も行かう。」
「勉強の邪魔になるからと思つて云つてゐるんぢやありませんか。それで、Yだつて、画なんて描けやしないんだけれど、兄さんの――」と光子は称び慣れてゐた。「絵具箱を借りて散歩に出かけたのよ。」
「いけないよ、活動だなんて――」と私はふくれ顔でさへぎつた。「もう、吾家うちへ帰るんだ。」
「厭、厭! せめて四五日――」
「あれだ!」と私は、あきれ顔をして光子を眺めるのであつた。「ほんたうに今度こそは姉さんに云ひつけるよ、いろんなことが溜つてゐるんだから――」
 私が斯う云ふと悲しさうに黙つてしまふ光子だつた。私は、光子を凡そ気儘放題に育んでゐたが、私の眼の先から離すことだけを許さないのであつた。現に私は半年程以前から研究に没頭してゐる仕事を持つてゐて日々斯のやうに一刻も惜んでゐたが、何うしても東京へ行きたいと云つて駄々をこねる光子に負けると、ほんの二三日のつもりでも鞄一杯の参考書類などを携えて、斯うして彼女の影の如く何処までも伴いて来るのであつた。そして落着く先々、処関はず店を拡げては不断の武悪面を保ち続けてゐた。――光子がYと呼ぶ竹下といふ学生が借りてゐる東京郊外の借室だつた。竹下は私の義弟の友達で今年夏中私達の海辺の家で暮したのだが、近頃切りに光子と文通をしてゐるらしかつた。
 私は、雪子から光子に関する一切の責任を負はされてゐた。母親は自分の許に伴れて行く、さうとすると今はもう東京には自分達の寄辺は皆無である、何も彼もお任せするより他はない現在の境遇だから、あなたの手で一日も早く光子に極く当り前な結婚をさせて欲しい、そして何よりもの願ひは光子の身辺に最も不自由な、最も厳格な眼を向けてゐて貰ひたい……と私は、雪子から切に頼まれたのである。私は自分ながら凡そそんな資格には欠けてゐるのを知つてゐたが、真向から私を信じて(空前のことだ、私が人から信じられるなど――)左様な独り決めをしてゐる雪子の今の身の上を考へると、別に否応もなかつた。私は、ただ雪子の希ひをその儘忠実に守つてゐるだけのことだつた。十年前の結婚に破れて、最近意を決して再婚をした雪子である。
 それで、私でなければ、私の賢い妻が何時も光子の伴れになるのであつたが、寒くなつてからといふものは、一着の外套を妻と光子が共用してゐるわけだつたので、私のために悉くの和服を失されてゐる妻は打ち伴れては外出が出来なかつた。三四年前、アメリカのFが私達の罷災慰問のために妻に贈つて寄した外套である。
 そこで、私の仕事といふのは――。
 私は、かねて或る文学博士のすすめで私達の郷国の風土誌の編纂にたづさはつてゐたのである。それで私は郷国の歴史を戦国時代あたりまで遡つてゐるうちに、遇然其処に私の絶大な興味を呼び起した一城主を発見して好奇の眼を輝かせてからといふものは、風土誌の仕事のことなどは打ち忘れて、ひたすらその城主の事蹟に就いての詳細な研究に惑溺する身と変つてゐた。博士は私の徒らな没頭を案じ嗤つて、屡々忠告の言葉を寄せたが、私は恋愛者のやうに馬耳東風だつた。溺れると私は限りがない。いつも頭に渦巻いてゐる詞藻を持たない幻が、堰を切つて流れ出すかのやうにこん限りの精力をささげて倒れるまでは熱中するのが例だつた。私の興味の対照はその時々で種々に変つてゐるとは云ふものの、それは私の倦怠性に依るのではなくて私の精力が途中で枯渇して止むなく中断されるのが例だつた。私は、営養不良に陥つて止むなくプレトン哲学の渉漁しやうりやうを断念したことがある。激烈な胃酸過多症に襲はれて、飲酒への沈湎を断念しなければならなかつたこともある。天体望遠鏡の製作に熱中して、恋に破れたことがある。――そして私は、熱が去ると、次の熱を見出すまで、ただ、洞ろに、かたちのない幻を抱きながら切ない、痴呆的な日を送るのであつた。ラツパでも、馬乗りでも、昆虫採集でも、酒でも――私には差別はない、ただ私の幻にとつて代るものでさへあれば、いつも私は根限りの熱中を惜しまなかつた。
 彼の城主は、目眩めまぐるしい戦国時代に身をおきながら一生を費して「天狗の夢」に耽り続けて、遂に身を滅した憐れな夢想家として一笑に附せられたが、果して彼の恍惚の夢を計り知り得る者があらうか――私のノートの端にはそんな落書が誌されて、また消してなどある。
 尨大な研究録を此処に批瀝するわけには行かないが(未だ私は、一年あまりを費したが彼の青年時代の行状に就いて少しばかりの参考を得たに過ぎないが――)、彼は天狗の羽ばたきを耳にするために凡ゆる生活を犠牲にして、世にも不思議な、いとも勇敢な生活を送つてゐる。彼は、大天主閣を建設して、その楼上に夜をこめて立て籠つた。私は、彼が天主閣建設のために出鱈目の窮状を捏造して、隣国の城主へ金子の借り入れを申し込んだ気の毒な手紙の写本を発見した。その他、城中記録の片々に依つて私は、様々な、馬鹿々々しい城主の奇行を無数に発見して、私は丹念に私のノートに写しとつてゐるのであつた。その最初の一頁を開いても、凡そ彼の人と為りが通じるかも知れないが、彼は、夏冬の差別を忘れることも珍らしくないといふ風な人柄だつた。硯箱の墨をつまんで菓子と間違へて悉く喰ひ、惨めな生理状態に陥つた時の彼の病床録があつた。彼は、浴場のつもりでほりの中へ飛び込んだことがある。侍女と見違へて生人形を引き寄せて、つまらぬ失策を仕出かしたといふやうなこともある。己れの身分、姓名を忘れた数々の、ただ無闇に慌ててゐる手紙を書いてゐる。私は、彼の奇妙な恋も発見した。屋上の櫓で詠んだといふ一巻の歌も見出した。――斯んなことを此処に誌し始めれば涯しもないが、悉く彼の日常生活は天狗の夢のために、影に等しかつた。
 彼の名は、私の町の停車場近くの誰も知らない竹藪の辺りで苔むした小さな石となつてゐる。私は、その墓を幾通りも撮影した。――私の仕事は、この『北条△△言行録』の作成だつた。
 私は、天主閣の見取り図の写しに取りかかつてゐたのであるが、長い勤労の疲れが凝つて稍ともすれば、唸り声をあげるのであつた。私が、凝つて肩を歪めると光子は甲斐々々しく後ろへまはつて首筋をもんだ。
「もつと、力一杯つかんでお呉れ。」
「これでも痛くない。これでもう力一杯だわ! Yが帰つて来たら、また頼むと好いわ。」
「苦しい!」
「此処で病気にでもなられたら困るわね。やつぱし帰るとしませうか……」
 私は時々発熱した、この仕事に取りかかつてからといふもの――。
「あと二三日で、此処のところが一寸一区ぎりつくだらうから、いつそ此処で続けようか。」
「外套を買つて頂戴な、さうすれば兄さんは来ないで済むでせう。あたし、あんたと一緒に出るのはこりごりだわ。」
 光子は、あと二三日を此処で暮したら竹下は屹度身を持てあまして、絵でも描いて来るだらうが、何んな絵を描いて来るだらうか? とか、自分は東京に住みたいから一層百貨店の売子にでもならうかしら! とか、いつか東京に家を借りるといふやうなことを云つてゐたがそれは何うなつたの? とかと、いろいろ話しかけるのであつたが私は、ただ空に点頭くだけだつた。
 夕暮近くになると、竹下がゐれば彼が代るのであるが光子は、外套を羽織つて酒を買ひに行くのであつた。
 私が窓の隙間から、生垣に挟まれてゐる小路を眺めてゐると、靴下の足に下駄を突つかけて、片手に酒の壜をさげた光子と、竹下が寄り添つて戻つて来た。私は邪魔にするわけではなかつたが竹下は、一間だけであるといふことを遠慮して私が仕事にたづさはつてゐる間は独りで出かけて行くのであつた。何故学校へ行かないのだらう! と私は思ひもした。――露路は縦に私の覗いてゐる窓に向つてゐるので、だんだんに近づいて来る彼等の姿が正面から手にとるやうに見えた。
 僕が持たうよ――とでも云つたらしく竹下が光子の壜を奪はうとすると、光子は済してかぶりを振つてゐた。そして二人は、稍暫く立ちどまつて話し合つたりした。
 私は、彼等の挙動を無興味で注視してゐる自分は、自分の眼ではなくして常々の雪子からの負担であるのを知つてゐる筈だつたが、珍らしく斯んな風な処から望んでゐると、不図妙に新し気な軽い妄想にさへぎられた。
 夕陽に向つて、眼を顰めてゐる光子の面立が、何如にも雪子の不気嫌な時の顔に好く似てゐる! と思つたり、恰度齢があの頃の自分達に相当してゐるだらう、Fとの――などと考へた。
「あんたも一緒に行くと好いわ、田舎へ。」
「昨日そんな話だつたね。」
「兄さんはあたしの為に一緒に来たやうに思つてゐるけれど、それは反対になつてるわ、屹度自分の勉強の気分のために――たまには別の部屋で……」
「だつて、此処ぢや!」
「いゝえ、時々変るのが好きなんだつて、変りさへすれば何処だつて関はないんだつて。」
「でも此処は少々物数奇過ぎるでせう。」
 私は、昨日聞いた二人の会話を思ひ出して、何を親し気に話し合ひながら歩いて来るのか聞えない向方の二人に、話させて見たりした。
「それが好いだらう、一緒に行くのが好いだらう。」と私も、その時云つた通りに、呟いたりした。「光ちやんの云ふ通り、此処の部屋は僕が借りて置くことにして、僕は時々独りで此処に来ても好い、全くもう村の仕事部屋には少々倦きてゐるんだから……」
 私は彼等に話しかけてゐたが、時々竹下が光子の肩に手を触れたりするのを見ると、厭に胸がときめいた。
 小路には人通りが止絶えてゐた。此方が夕陽を背つてゐたから、光りに向つて歩いて来る二人の姿が、如何にも生々として綺麗に見られた。
 竹下が部屋に現れると一緒に私は、
「さうだ、君も一処に行き給へ。」と話しかけて、たつた今独りで呟いたままの部屋に関することを附け加へた。
「ええ、ありがたう。」
「さうだ、君は来年卒業だと云つてゐたね、だから学校へは稀にしか行かないんだね、論文を書いてるの?」
「ええ、好い加減なものですけど――」
「好い加減だつて! それあいけないな!」などと私は真面目さうに眉をひそめたりした。竹下は、謙遜が無駄になつたのを持てあまして困惑の眼ばたきをした。彼は、夏の時分に比べると私の前では日増に窮屈気になるかのやうだつた。
 私は、勝手に彼等の結婚前の交際を思つてゐた。
 私もそれきり言葉が続かなかつたのを見てとつて光子がとりなした。
「今夜は飲めて呉れると好いわね。わざわざ踏切りの先まで行つて買つて来たのよ。」
「決して酒のせゐぢやないさ。然し、どうも相変らず欲しくないやうな気持で、困つたよ。」と私は胸を圧えて云つた。
 何うしたことか私の胸は酒を享けつけなかつた。私は不思議に思つて、飽かずに毎日試みたが顔ばかりが面を被つたやうに赤くなるだけで、それでも無理に飲み続けると決して酔が廻らぬうちに吐き出してしまふのであつた。いつも満腹に注ぐ酒のやうに味気なかつた。そして、酔を得ない私は明方まで悶々と眠れぬ夜を持てあました。
「今日は何うだらう、飲めて呉れると有難いが――」私は、晩の食卓に向ふ時には斯んなことを呟きながら、難かし気に首をかしげたが、いつも盃に触れる最初の舌ざはりが灰汁だつた。それと一緒に私は情けなさうに顔を歪めた。私は、不摂生で、そして健康に対しては常に大胆だつたから自発的に医家の判断を乞ふやうな余裕を持つたことはなかつたが、周囲の者達は私の運動不足を難じて、当分あの仕事を放擲するのをすゝめたりした。誰もが、酔を得ない私と相対するのを嫌つてゐた。それにしても私は、望遠鏡では神経衰弱症の夢遊病、プレトン哲学では営養不良、等といふ夫々止むを得ない病ひに襲はれて中断を余儀なくされたが、今度のは病気とすれば何だらう? と思つた。あの仕事の圧迫が斯んな珍らしい症状を強ひてゐるに違ひないとすると、未だ半ばまでも達してゐないうちにそれをあきらめなければならない破目になりはしないか? と臆病な取越し苦労をして私は未練のあまり思はず唇を噛むのであつた。それで私は、意地を張つて飲まうとしたが、バツカスの御意に触れたかと思はれる程日毎に迎へようとする酒が味気なかつた。
「今日はお午もあがらなかつたから好いかも知れないわ、関はずに飲んで御覧なさいな。」光子も竹下も共々私の酒を案じて、私が唇に触れるまでの盃を不安さうに眺めてゐた。
「場所のせゐぢやないかしら?」などゝ竹下は云つたが私には、おそらくそんなためしはない。そんな見境ひがなさ過ぎて屡々酷い失敗を繰り返した私である。何処ででも私は忽ち陶然として野蛮な饒舌家に変るのが常習の筈だつた。
「…………」
 私は、いつものやうに暫く凝つと盃を睨んでゐるのであつた。最初の舌触りで決する絶対の結果がおそろしいのである。「今日は酔えるかも知れない、いくらか胸が軽いやうだから。」
「大丈夫よ。」と光子が力づけた。
 私は、微かに震へる指先きで盃を撮んで怕々おそる/\に唇を近づけた。
「何う、今日は?」と竹下と光子が同時に訊ねた。私は毒薬ででもあるかのやうに舌の上の酒を稍暫く吟味してゐたが、思ひ切つて呑み込むと一緒に、忽ち般若の顔をして、
「また駄目だ!」と唸つた。――「折角だが、これぢや何うも仕方がない。」
「ぢや、何処かへ出かけませう。」私と共々に溜息でも衝きたいところを辛えて光子は、勢ひをつけるのであつた。
「銀座へ行きませう。」と続けるのが竹下の癖になつてゐた。「暫く歩いてからなら、屹度大丈夫ですよ。」
 そして私は、何んな自分の意見もなく、云はるゝまゝに彼等と肩を並べて出かけるのが例だつたが、この時は珍らしく微かに首を振つた。「一層これから、竹下君も一緒に僕の家へ行くと仕様か……」
 銀座などへ出かけると私は、酔ふには違ひなかつた。酒飲みの知人にでも出遇ふと、すつかり好い気嫌になつて次々とカフエーを飲み歩いた。私は、左右の光子と竹下の肩に凭れて戻つて来るのであつたが、何んなに快く酔つてゐても此処の借室に近づくに伴れて次第に私の酔は白々しくなつて、やがてもう酒の香ひも厭になるのが例だつた。――そして私は、明方まで、
「あゝ、堪らない!」
「斯うしてはゐられない。」
「酷い目に遇つた!」などゝいふことを不断に呟きながら、徒らに苛々と身を焦すばかりだつた。――六畳の間に、三つの枕を並べて、その真ン中にやすむ私であつた。あまり私が煩いので竹下も光子も碌々眠れない! と云つて滾してゐた。


「新町の家! それも俺のぢやなかつたのか、それは何うも……」と私は、薄ら笑ひを浮べながら呟いた。そんなことは私にとつては何うでも関はなかつたが、村住居ずまゐを引き払つて、家族は新町、そして自分の書斎は当分村の家に――と決めて、稍落着いたところだつたので、不図意外な気がした。
「それぢや、大急ぎで借家を一軒探さうぢやないか。」
「それ位ゐなら東京へ行かう。」と妻達は云ひ張つたが私は、この頃あの仕事に関して古跡の実地踏査までも進んでゐたところだつたので、それに応じるわけには行かなかつた。竹下は一週間に一度位ゐの割合で此処から学校へ通つてゐたが、今迄教師をして自活してゐる身だつたので、今度は私の仕事の助手を務めた。半年程前迄は活動写真に凝つて身を過つてゐる妻の弟が助手だつたが、不定な給料に関して不平を抱いて出奔してからは、そのまた弟の受験生であるNが代つてゐたが、私の仕事がすゝむに伴れてNだけでは手不足だつた。Nは機械に関することが得意で、兄と異つて何んな仕事も身を惜まず働くのでこの頃の私には殊に手助けとなつた。やがて埋められることに決つた濠の模様や、壊れた石垣や、松の森などを様々な方面から撮影したり、天主閣の跡に自製の望遠鏡を据えつけて四方の眺めを記録したりする仕事で彼等の手助けを得なければならなかつた。
 私は多忙の身であつた。
「父祖からの情実的な遺産は僕はもう沁々と閉口したよ。僕は始めから何もいらないつもりなんだから――。そんなものが現れると屹度僕は大事な自分の仕事を過つてしまふ。」と私は何時も煩ささうに云ひ棄てるのが習ひだつた。私が斯んなことを云ふと周囲の者は如何にも私が自身に自信を持つ者であるかのやうに思つて、何となく頼もしさうな顔をした。
 ――なまぢ思はぬ時に、これは何処々々が売れて、お前がとるべき剰余の金だなどゝいふものが入つて来ると憐れな私は、忽ち気分が滅茶苦茶になつて、それが在る間は、希望も何もない浮華な享楽派に変つてしまふのが吾ながら浅間しかつた。つい此間も、もうこれが最後だといふ蜜柑の山が売れた分配の金が入ると、私は悪事でも働いた者のやうに眼の色の変つた落着かぬ男になつて、仕事のことも打ち忘れて、二十日に近い日を何処ともなく姿をくらませたまゝだつた。そんな間の自身を私は回想するだに恥を感ずるだけなのである。そして、ぼんやり戻つて来た私は再び魂を入れ代へて一途に仕事に没頭しはじめてゐたのである。
 ……私のものだと思つて新町の方へ移つてゐた家族等は、いつの間にか村の家に立ち帰つてゐた。
「早く此処の家も人手に渡つてしまつた方が好いんだ。――借家探しも面倒か、そんなら誰のものだつて関やしない、今度こそは俺も一緒に新町の方へ移らう、お城通ひには彼処の方が便利だから!」
「だつて彼処の家、雨が洩るわよ。それを皆なして、自分達で直すと云つて、踏んで歩いたりしたので、それはもう! 湯殿などゝ来たら雨が降つたら傘でもさゝなければ……」
 私は仕事のことばかりに想ひが走つてゐたから、云つてゐる相手の見境ひもなかつた。
「屋根を直すには幾ら位ゐかゝるだらう?」
「知らないわ、そんなこと――」
「雨が降つたら、何処かへ出かけてしまふんだね。――おゝ、それも面白いぢやないか。」私はそんな馬鹿なことを云つて済してゐた。
「今日は好い天気だ、皆な向方へ引きあげたら何うだ。俺はもう出かけなければならない、さあさあ、仕度をして呉れ。」
 この間うちは何処を歩いてゐたのか、仕事の支度のために出かけたといふにしては余り長過ぎた! などといふ訊問が皆の口から始まらうとしたのを打ち払つて私は、いそがしくせきたてた。
「もつと速くして呉れ!」と私は、腰を浮せて切りに操縦席のNに命じた。私達は蜜柑問屋から借りて来たフオード自動車を駆つて町の城跡へ進んでゐた。Nは問屋の運転手に操縦を習つてゐた。私は、昔の大砲のやうな望遠鏡をしつかりと胸に抱いてゐた。
 冬の朝だが、春先きのやうに暖い静かな陽が漲つてゐた。この日は新町の家の取り片づけに行く一同だつたから私は独り、濠傍で別れると望遠鏡をかついで天主閣をめがけたまゝ一散に昇つて行つた。馬鹿な日を送つたので疎かになつた仕事を取り返すべく、爽々すが/\しく胸を踊らせながら――。


 折角本道に立ち返つて一途の研究にたづさはり初めた私は、また頓挫した。
 或日村から出て来て汽車を降りた私は、停車場前の「レゾート」に腰を掛けて、水を呑んでゐた。私は卓子てえぶるに頬杖をしながら差し迫つて考へなければならない用件のために、時々眼を瞑るのであつたが、ほかほかとするあまり快い陽気の加減か、頭の中はたゞ涯しもなく明るいやうな混沌の燻りが厭に長閑に棚引いてゐるだけだつた。そして眼の先にはチラ/\とする花片のやうなものが光りに映えて目眩しく散つてゐた。ぼんやりそれを眺めてゐると、忽ち花片はなびらの渦が一団の胡蝶になつて見霞む野原の奥へ消え去つたり、さうかと思ふと矢庭に眼近かに吹き寄せて、私の鈍重な眼蓋をパタパタと叩きながら見る/\うちに私のふところを眼がけて、こんこんと降り積つて来た。
「さあ/\、早く立ちあがつて今日の仕事を片附けて来ようぢやないか!」と私は、私をせきたてるのであつたが、実際に「今日の仕事」を思ふと滅入つた。――この幾日来のだらしのない飲酒生活で精根を尽したらしく物憂かつたが、私は更に飽くことない貪慾な眼を据ゑて悪だくみに耽つた。――町端れにあつた少しばかりの思はぬ宅地が、道になるために町の役場に買ひあげられることになつて、その手続きに迎へられたのが私の今日の仕事だつた。
 私は、祖先から着せられた私の着物を脱ぎ去ることに努め、そんなものに拘泥しないつもりでゐるのであつたが、現れると忽ち打ちひしがれてしまふ自分を軽蔑し続けてゐるものゝ、斯んな通知に接すると、何も彼も打ち棄てゝ、のこのこと出かけて来るのである。全く私のやうな者にとつては、父祖の物質的恩恵は身を滅す毒酒に違ひなかつた。――おまけにこの日の話といふのは、町役場に買ひあげられた書状に依ると、私は既にその土地を抵当にして叔父から金を借りてゐるといふことになつてゐるのだ。だから、その書状に叔父の捺印をうけた上で、役場に差し出し、渡される金は叔父に返済しなければならなかつたのである。私は、そんなことを知るも知らぬもなく、そんな話を聞くと同時に、友達に計つて、それがとれたら返すといふ約束で借金をして、放蕩三昧に日を送つた。――常々は、あんな淡白気なことを云ひ、研究道に余念がなかつたものゝ、一度びこんなことに出遇ふと、その悪だくみだけに頭を使ふ、惨めな、後ろ暗い人間になり変つてゐた。友達には返しても叔父の方をごまかしてしまへば、未だ大分残る。――そんなことを思ふと私は、悪騒しく巻き起つて来る花やかな黒雲が素晴しい翼を拡げて、見る間に一切の私を拉し去つてしまふのであつた。
「よしツ!」と私は、胸の底で唸つた。判をおさせるまでは律儀気な顔をしてゐて、とつてしまつたら、雲を霞と逐電してしまはう! と決心すると、胸一杯にけたゝましいジヤズが巻き起つた。
「行かう/\、あんな騒ぎを更に続けて酔ひ痴れてゐれば、太平楽に違ひない。」私は村の居酒屋におしあがつて酌婦相手の流連いつゞけをしたり、港町の奇怪なホテルに出没したり、銀座へ出かけてカフエーを飲み歩いたりして来た面白さに胸を踊らせた。
 後では喧嘩にもなるまい、何と云はれたつて黙つてゐればそれだけだ!
「それぢやお前は横領罪になるぞ!」と彼は鬼のやうな顔をして詰め寄るだらう!
「……」此方は、一切沈黙だ、別段きまりが悪くもない、たゞツとしてゐてやれ!
「普段は何にも知らん顔をしてゐる癖に、案外貴様は素ばしつこい悪党だな!」と彼は、あの笑つたのか怒つたのか解らない不思議な剣幕でいきりたつだらう。
「……」さうだ! とばかりに一ツ点頭いてやるか。
「馬鹿。」と、口惜まぎれに怒鳴るかも知れないが、あのアクセントの鈍い、普段は何につけても人の好いやうな間伸のした音声で、そして世間態ばかり気遣つて決して大声をあげないのが、喉と腹だけに力を忍ばせて怒鳴るだらうが、顔さへ見なかつたら、たゞの咳と聞き紛ふだらう。
「ぬすつと!」とも一喝するだらうが、そんな言葉は一層世間態をはゞかつて、ただ体中に力を込めて震ひ出すに違ひないから、それだつて咳のやうだらう、此方は恥知らずだから、あべこべに狂暴な叫びをあげたら、どんな姿で白黒するだらうか。
「煩いや、何云つてやがんだい。俺は手前なんぞに金など借りた覚えはないんだ。何うとでも勝手にしろツ!」煩くなつたら私は、あらん限りの大声を張りあげて、喚きたてるであらう。
 ――さうだ、愚図々々してゐないで、一そ彼の判を盗んでやれ!
「タルノさん!」と何時の間にか私の姓を覚えた銀座裏の酒場の給仕女があつた。彼女は仲々美しい。そして私に同情を寄せた。「あなた、失恋をしてゐるんですつてね、聞いたわ。」
 まつたく私の飲み振りは失恋者のやうであつた。吾家では病ひであるかのやうに酔へなかつたが、そんな金を握つて飛び歩いてゐる間は止め度もなく飲めるのであつた。「失恋! おゝさうだ、それに違ひない、滅茶苦茶な自暴酒だ。」
「でも、そんなに上つたら毒ですわ。いくらお上りになつても、妙にしつかりなさつてゐるのね。それがいけないのよ。」
 斯んなことを云はれると私は、真に失恋者の境涯であるかのやうな悲し気な自己陶酔に陥るのであつた。
「そして相手の人は知らないの?」彼女は私を独身者と思つてゐる。
「うむ……うむ……」などと私は首垂れてゐた。眼を閉ぢると、天主閣の窓に凭りかゝつて空を向いてゐる城主の姿が、不図女の姿に変つて見る間に遠ざかつたり、侍女が雪子であつたり、また/\好く見るとFが歌を詠まうとしてゐる城主の傍らで墨をすつていたり、さうかと思ふと金扇を翻して舞を舞つてゐる踊り子が光子で、不図私の耳に、
「あなたは、あたしに恋してゐるんですつてね。困つたわ、何うしたら好いでせう、あたしは……」と囁きながら啜り泣いたかと思ふと、いきなり私の胸に飛びかゝつて、
「偽善者! 偽プレトン!」と叫んだ。「そんな汚れた心があるとは知らなかつた。あたしを騙して、斯んな田舎に閉ぢ籠めたりして、今に何をするかも解らない。姉さんの頼みも何もあつたものぢやない。親切ごかし! やきもちやき!」
 私はそんな途方もない夢にうなされた。
 村の居酒屋で無明の酒に私が酔ひ痴れてゐるところを、叔父につかまつたことがある。
「お前は斯んな処に居たのか、あきれたね、皆なは引つ越しで騒いでゐるところだといふのに――」
「引つ越しですつて、何処へ?」
「新町だよ。お前もいよ/\向方に移らなければならなくなつたんだよ。」
「それは関はないけれど……」
「彼処は俺の持家だからな――」
「何ですつて、あれは僕のぢやないの!」
「お前のは村のでお終ひだよ。ちやんと自分で承知をしておきながら今更ケチなことを云ふのは止めて貰はうよ。」
「チエツ!」と私は舌を打つたが、斯んな場合でも相手が振り棄てぬ限りは後を伴いて行かうとする私は、奇妙な感傷家だつた。
「これから家賃を払つて呉れよ。」と彼は笑ひながらだつたが、厭にはつきりと念をおした。
「払ふ――」と私は云つた。別に家など探すのは却つて面倒だつた。それでも私は、その儘町の家へ行くのが厭で、港町の、混血児の酌婦がゐるホテルへ走つて、倒れるまで踊つた。船の汽笛の音が聞える部屋だつた。私は単独の床にもぐつて、汽笛の音をきくのであつた。此処の女も私を失恋者と思ひ違へて、踊り相手になるより他は近寄らなかつた。
 そんな日を送つて私は、無一物になつたので、今度こそは落着いて自分の仕事に取りかゝらうといふ花々しい想ひにえて一先づ村の住居に引き帰したところへ、役場から改まつた通知だつた。そして私は、再び擾乱されたのである。――思へば港町のホテルの夜も面白い。Fに習つた踊りとは趣きの異ふ、渦巻く自分の頭に至極ふさわしい乱痴気音楽に伴れて、バタバタと踊り廻る流行踊りを覚えたが、酔つ払つて、人目も憚らずそんなのを踊り狂つてゐるのは、さすがに愉快だ! 巧い/\、お前は踊りの素養が大分あるらしい! などゝ混血児の女給に賞讚されると、烏頂天になれるではないか! 銀座のカフエーの夜もなつかしい、失恋を同情されて胸一杯になるのはまたと得難い恍惚境だ。村の青楼で大尽風を吹かせるのも面白い。多勢の酌婦を侍らせて、おそろしく威張つた鷹揚なふところ手で脇側に凭りかゝりながら、悠長な絃歌をきいて、うつら/\と盃を傾けてゐるのも、思へば、忘れ得ぬこの世の歓楽だ。
 東京行! 東京行! 鈴を振りながら駅夫が呼ばはつてゐた。頻繁に到着する自動車が遊山帰りの華美な客を吐いてゐた。
「まだ大丈夫ですよ、ゆつくり召しあがれな。」
「まあ、せからしい、一汽車遅らせようぢやありませんか。」
「だつて駄目ですわよ。これで行つたつて初めの幕に間に合ふか何うか……」
「お母さん!」と私は、もう少しで呼びかけるところだつた。真ン中の卓子で三人伴れの老婦が、はしやぎながら遅午らしい食事をとつてゐた。その一人が母だつたのに私は気づいた。私は、これから母の手許にある筈の叔父の判をとるために母を訪ねるところだつた。私が図らずも荒々しい音でもたてたのか母が先に気づいて声をかけた。
「まあ、お前、何処へ?」
「…………」
「何といふ格構でせう、それは!」と母は、ジロ/\と私の姿を眺めながら、伴れに向つて嗤つた。「そして、また何をぼんやり立つてゐるんですよ、御挨拶は何うしたの。」
 伴れは海軍少佐の未亡人と、生花の師匠だつた。注意されても私は、挨拶も出来なかつた。
「何うしたの、何処へ行くの?」
「……たゞ、一寸、散歩……」と私は云つてしまつた。
「皆な、変りない?」
「……」私は、空で点頭いた。
 近くの村に居ながら何うかすると三月も顔を見ないことがある――などゝ私をさして、母は伴れに云つたりした。そして私がなつかしさうであつた。
「御安心ですわね、お息子さんが斯う御立派におなりになつたら。」
「何ういたしまして――」
「そして今は、何を――お息子さん?」
 私はそれをさへぎるやうに、
「あの役場が――」と母にさゝやいた。
「あゝ、あれ!」と母は承知してゐるのであつた。「お前の判をおして貰はなければならないんだつてね。そんなことはお前は嫌ひだらうが、近いうちに……」
「近いうちに僕、役場へ――」
「えゝ、行つて貰はなければならないでせう、御苦労だけれど――」
「いゝえ、それは……」
 そのうちに東京行の時間が迫つて芝居見へ行く人達は慌てゝ出かけた。私は、母の留守をはつきり頭に描きながら、孝行息子が見送りでもするやうに改札口まで伴いて行つた。


 母を送つてしまつた私は、日暮になるまでの半日を持てあました。――私は、夜でなければ厭だつた。
 私は新町の家へ寄つた。
「今日、お迎へに行かうかと思つてゐたのよ。青野さんから、村のお祭りがあるから泊りがけで来て下さい、といふ御招待なの。」と妻が云つた。青野の村の祭りには私の家では昔から招ばれるのが例だつた。母が東京へ行つて留守なので、此方へ来たのか知らと私は思つた。
「あなた行かれる?」
 妻達は私が自分の仕事に没頭してゐるとばかり思つてゐた。私は、城跡通ひを一先づ打ち切つて、当分村の書斎に引き籠つてゐる! と吹聴してゐた。
「もう、直ぐ出かけるの?」
「えゝ、これが終つたら。もう一時間で出来あがるわ、あたしはこれを着て行くのよ。」
 妻は庭先の日向に椅子を持ち出して、一心に毛糸のジヤケツを編んでゐた。「光ちやんたら、どうしてもあの外套でなくつては厭なんだつて!」
「だつて……」と光子は、妻の背中に覆ひかぶさつて、その口をおさへたりした。
「田圃道ばかりを行くのに、何だつて関やしないのにね。」
 妻と光子は戯れ合つてゐた。――私は、酔つて、あんな途方もない夢を見たりしたので、何だか光子を見るのが具合が悪くてならなかつた。竹下とNは小学校の運動場へバスケツト・ボールの練習に出かけたといふことだつた。
「青野の村の祭りか! そんなら僕は夜になつて行くかも知れない、後から独りで――」と私は呟いた。
「平気、あんな暗い田圃を――」と妻が眼を見張つた。私は、暗い田圃道を一散に駆けて行くであらう自分の姿を想像した。判のそろつた書状を持つて、また改めて町の役場へ出向くまでの二三日を青野の家に滞在して、徐ろに画策を廻らさう! 自分独りではなく皆なと一緒になつて、いち時につかつてしまふやうな遊びはなからうか、――などゝも思つたが、考は浮ばなかつた。
「それあ平気さ、俺は夜道を独りで歩くのは好きだよ。」
「どうせ来る位ゐなら一緒に行つたら何うなの!」と光子が云つた。私は、胸を打れたが何気なさを装つて、
「宵のうちに一寸人と会ふ約束があるんだ。」と云つた。編物が出来あがると妻と光子は共々湯に入つた。私は小さな泉水の傍らに腰をかけて、風呂場から声をかける彼女等と、近道を知つてゐるから競馬場のあたりまで送つてやらう! などゝ話し合つた。
「雨洩りは直つたの?」
「大概直つたでせう、今度降つて見なければ解らないけれど――」
「兄さんは何時から此方へ来るの?」
「…………」
「もう一ト月も、一緒に御飯を食べないわね。」
 私は時の移るのを気にした。
 青野のB村へ行くには町の北側の丘を超えるのが近道だつた。丘の頂きに着くと町が一目で見降せた。山の向ひ側は盆地になつてゐる競馬場だつた。競馬場の遥か向ふに更に丘があつて、その向ひ側が祭りの村だつた。
 菜畑が一面に拡がつてゐる中を一筋の村道が流れてゐて、その辺まで行くと畑の向ふから祭りの太鼓が響いて来る――私は、見えぬB村の彼方を指差して、事細やかに道を教へるのであつた。
「今頃行くと、たしかあの辺の煙草畑の畦道で、ぽつかりと天狗様に出遇ふかも知れないよ。」――私は、祖母に手をひかれて行つた頃から、そこで屡々、大槍を曳き、一本歯の高下駄を穿いた天狗に出遇つた。神輿の先に立つてゐる天狗なのだが、神輿は彼方此方を練り廻つてゐたから、天狗はたつた独りで半里も先を歩いてゐるわけだつた。遠くに太鼓の音が響いてゐるだけで見える限りは青々としてゐる畑だから、そんな中にぽつくりと天狗が現れるのが夢のやうである。
「よう、おそろひでお出かけですな、皆さんお待ち兼ねですよ、――と天狗が声をかけるんだよ。源兵衛さん、知つてるだらう?」
「えゝ、あの耳の遠いお爺さん!」と妻が点頭いた。青野の馬飼ひだつた源兵衛さんは六尺豊かの大男だつたから祭りの時には何時も天狗になつた。
「今日は御苦労様、好いあんばいなお天気で? とおばあさんは、普段の源兵衛さんぢやないから斯う云つて恭々しくお辞儀をしたけれど、お前達も出遇つたら丁寧に頭を下げるんだぜ。」
「あの源兵衛さんが天狗様になるの、まあ面白いわね。」
「面白いツて云ふ奴があるか、――此頃ぢや話が通じないから、黙つて通り過ぎてしまふだらう。おう、彼はまさしく天狗に近くなつたらう。」
 何十年といふ間、四季夫々の初めに催される祭りの度毎に天狗になつて闊歩して来た年寄だが、今はもう世の一切の物音から遠ざかつてゐる。老後を青野の家で静かに養つてゐるだけだが、あの晴れの役目を享けつぐ大男が現れないので、祭りの日だけは花々しく立ちあがつて村人の悉くに頭をさげさせながら、既に堂に入り尽した悠々たる物腰で、十年一日の如く歩き廻る年寄の天狗の心持は、吾等には思ひも及ばない――などゝ私は思つた。
「お神輿は未だ/\お練が大変で御座んすよ。どうれ、一服いたしませうか。」前には斯んなことを云つて、面を脱ぐと、話好きの源兵衛さんになつて、私達を相手にどての芝生に腰をかけながら四方山の無駄話に耽つたが、この頃は、話をしても面白くないもので、徐ろに行き過ぎてしまふのだ。
 私は源兵衛さんが祖母を相手に、作物の話などをしてゐる傍らで、彼の膝の上においてある真赤な天狗の面を怖る/\眼近かに見たものである。
「あゝ、すつかり話し込んでしまひました、太鼓の音が近くなつたやうですから、出掛けて参りませう。また晩にお目にかかりませうね。」彼は再び仮面めんを顔にして歩いて行くのであつた。私が、何か声をかけたりすると振り向いて、見得を切つて見せてくれたりしたのである。晩には、この晩に限つて彼が正座に直つて、おそくまで慰労の盃を享けるのであつた。――この前の祭り日に私は出向いたが、この頃は彼は酒もあまり飲まず、聞えぬ耳で坐つてゐるのも変だと云つて、面を被つて、凝つと、床の間に端座してゐたが、その姿に私は名状し難い威厳と魅力が感ぜられて、馬鹿な酔ひどれにならずに済んだ。
「僕は後から屹度行くよ。」私は丘の頂きで妻達に別れた。彼等は急な坂を手を引いてくだつて行つた。競馬場を寄切よぎつて、向方の村道へ出るのであつた。金時山、足柄山、阿夫利山などゝいふ山々が澄み切つた空に晴々とそびえてゐた。B村がかくれてゐる彼方の丘がその上に金色の陽を浴びてどてのやうに連つてゐた。田圃の中に釣堀が光つてゐた。瓦斯タンクの傍らを急行電車が警笛を鳴らして走つて行つた。田圃道を出ると豆のやうになつた彼等が此方を振り仰いで、手を振つたりしたが、私には顔の見定めがつかなかつた。――私は彼等に背を向けて町を見降した。海が白く光つてゐた。神社の森、学校の屋根、火の見櫓、役場、銀行、城跡――私はそれらの眺めを、ぼんやりと見渡して、「おゝ、あれは遊廓だ!」「あれは刑務所だ!」「新町の吾家は何の辺か!」などゝ、伴れの者にでも囁くかのやうに呟いた。中天を半ば傾いた陽が、海に映え渡り、屋根に反射して、目眩しかつた。
 私は腕を組んで立ち尽してゐた。日脚が傾くに伴れて私の鼓動がたかまつた。
「やあ!」
「やあ!」と私も思はず手を挙げた。彫刻家の藤尾だつた。彼は、木馬に乗せた子息を引いて坂をのぼつて来たのである。
「誰だか何うしても解らなかつた。」と藤尾は、軽く首をかしげて云つた。
「あゝ、僕も――暫く。」
「散歩?」
「えゝ。」
 彼の童顔は私の心を和らかにした。私は彼の去年の制作である牛の小品を見て以来の友達だつた。私は、彼の牛を感激の言葉を極めて賞讚して以来、時々そのアトリエを訪れることがあつた。「寄つて行きませんか?」
 彼はいつも止絶れ/\に口を利いたが、口数の少い者同志で感ずる窮屈を私は彼に感じたことがなかつた。三十分位ゐは黙つて向ひ会つてゐることも稀ではなかつた。彼は何時も円らな眼を、はつきりと視張つてゐた。それは如何にも彫刻家が物のかたちを見極める無言の観察であるかの如く、余念のない、清澄なうるみを持つてゐた。
「えゝ、有りがたう、また――」
「さうですか。近いうちに忘年会をやりませうか。」
「えゝ、やりませう。」
 そして稍暫く向ひ会つてゐるうちに、不図私は急な能弁家になつた。「僕は女のモデルを雇ひたいと思つてゐるんですが。たゞそれを見てゐるといふだけのことを幾日かの仕事に仕様と思ふんです。それについて貴君あなたのアトリエを貸して下さいませんか。」
「えゝ、どうぞ。」
「貴君は女のモデルは嫌ひですか?」
「いゝえ。」
「独りで見てゐるのは具合が悪いから貴君の仕事の見物をしてゐるやうな者として、僕は傍らで、たゞ見てゐるんです。」
「いゝでせう。」
「ぢや、どうぞ――」
「承知しました。」彼は別段不思議がりもしなかつた。
 私は、何うして突然、斯んな辻棲の合はぬことを云ひ出したのか、自分にもさつぱり訳が解らなかつたが、云ひ終へると、胸をひろげて、たゞ熱く、得体の知れない難し気な想ひに打たれながら、一本歯の高下駄でも穿いてゐる見たいな慣れぬ足どりで、漸く暮れかゝつた町へ降りて行つた。





底本:「牧野信一全集第三巻」筑摩書房
   2002(平成14)年5月20日初版第1刷発行
底本の親本:「西部劇通信」春陽堂
   1930(昭和5)年11月22日発行
初出:「新潮 第二十六巻第一号(新年特大号)」新潮社
   1929(昭和4)年1月1日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年7月18日作成
2011年5月3日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について


●図書カード