〔編輯余話〕

牧野信一




入社の辞〔『少女』〕


 私はこの七月から入社いたし皆様のために働くことゝなりました。私の心はよろこばしさに充ちて居ります。それは皆様といふ沢山なお友達を得ることが出来たからであります。庭の草花もほゝえむでゐるかのやうに見える程、私は爽かさを感じながら面白く仕事をして居ります。
 しかし世の中のことがさう易々と運ばれるわけはありません。殊に巣を出たばかりの私のすることは定めし皆様方に御不満が多からうと恐れてゐます。いづれは努力の結果が玉となつて皆様の前に見出される日はなければならないと私は堅く信じてゐます。
 未来は長いのです。私はこれから皆様の前に活動することのみによつて、私の芸術を築き上げる決心です。


入社の辞〔『少年』〕


 私は此の度本社に入社することになりました。私は皆様には初のお目見得であります。それと同時に私は社会といふものに初めて出会つたわけです。
 私は長い間の学生生活を初めて脱したのです。学生時代の閑暇ひまな日にはつくづくと疲労を感じました。奮闘努力、額に汗して働くといふことはどんなに愉快なことだらうと思つてゐました。その通り私は今非常に清々しい思ひで事に当つて居ります。
 然し私は未だ何の経験も持たぬ者です。こゝしばしは諸先生方の御指導と諸君の御同情とに依り、近き将来には充分皆様へ御満足を与ふるだけの素養をつくらむことを期して居ります。


銀座の月


 記者(私もいよいよ自分の事をかういふやうになりました。)は、毎日素ばらしい元気で働いて居ります。避暑などといふ意気地のない事は考へもしません。働いてゐる間に感ずる清々しい気分が、一番愉快なのですもの。つい此の間、仕事が山のやうに溜つたものですから、記者は夜の編輯部に活動してゐました。周囲は静かになつてゐました。珍しくも窓に月が見えました。街の梧葉を吹いた微風が汗ばんだシヤツを程よくかすめました。……その時の気分は何と云つていゝかわかりませんでした。……来号にはこんな事を書かうと独りうなづきながら、歩いて帰りました。記者はこれで仲々運動はやつたものです。殊に競走などはうまかつたものです。どうです読者諸君、一つ戦ひませうか。野球でも庭球でも何でも御座れ! それとも諸君と一処にチームを作つてアメリカへ遠征でもしませうか。


夜と孔雀


 △皆さんのお友達となつて丁度半年となりました。学生々活を脱したすぐその日から、名誉ある鳩ちやんの記者となつたことは、私としては余りに喜ばしいことです。こうして私の未来は永久に鳩ちやんと共に輝かしい春の花園に暮すことが出来るかと思へば自分の力で出来得ることならさうしてそれが鳩ちやんのためになることなら、如何なる努力も厭ひません。
 △幸ひに方々の皆様から種々いろ/\御親切なお言葉を送られ、その度毎に私は自分の責任の重いことを感じて居ります。新しき年に新しい努力を充して精一杯皆様の御満足になるやう活動いたします。
 △新年号が終ると直ぐに二月号に取りかゝります。二月号には「嘆きの孔雀」といふのを、今書いてゐます。室を密閉して赫々と火を起して、静かに室に坐つてゐると、電灯の光りは人魚の住む深潭の水の如く重く明るく輝かしくよどむで居ります。カーテンの隙間からは一枚の硝子戸をへだてゝ眠つた街が見渡されます。そこは厳寒の冬、さうして硝子戸の中は春のやうな暖さが、孔雀の羽根のやうに静かに、吐息をしてゐます。こうゆふ夜私はいつも美しい孔雀の羽根を思ひ出します。


音楽家


 新年号は予想の数倍外に皆様のお気に召して私達はどんなに悦んでゐるかしれません。鳩ちやんのお友達が皆さんで集まつて手をつないだらどんなに大きな輪が出来るだらうと思つたりしました。
 附録の小冊子の来月に詩と和歌(少女文芸)を載せる事になりました。理想的の小詩集を作る考へですから、そのおつもりで美しいもの、立派なものを締切におくれぬやうにどし/\送つて下さい。
 少女小説を作るのには音楽の素養がなければならないと思ひましたので、私は此間からある音楽会に入つてピアノを習ひ初めました。ところが楽譜一つ読めないのにはとんと閉口しました。前の日に教はつたところを、次の日にはどうしても出来ないで先生に叱られてばかり居ります。ドレミフア――未だそれきり出来ません。とても唱歌など――。と云つてもあなどつてはいけませんぜ、ちよつと百年もたつたら独演会を開く予定になつて居りますから、その節は是非お出で下さい。


楽天家の悲観


△「日記から」、数日前からねらつてゐた山高帽子を買つて、思ひ切つてスツポリとかぶつて、すまして、兎に角非常にすまして、家へ帰つた。もうこの位のものをかぶるのはあたりまへだ、と、で少しもそのことに頓着ないやうな顔付をして、だが内心妙な滑稽を感じたが、強いて平然として「只今!」と云つた私の顔を一目見た家の者は、大きな声で笑つた。殊に母の笑声が一番激しかつた。
「往来の人はだれ一人笑やしないぜ。」と僕は憤々慨々として、口をとがらせて云つた。さうすると他の者は尚笑つた。僕は怒つて自分の室に入つてしまつた。僕がそんなに怒らうとは意外だ、といふ顔を母はした。僕はこの時自身を叱るやうな気持で、ゲンコツを持つてポカリ山高をなぐつた。頭がくぼんだ。と又僕は何も帽子に怒つたつて仕方がない、と思つたので、凹んだところを底からゲンコツでつき上げた。と、もとの通りになほつた。その時には僕の怒りも、母達の笑ひもすつかりなくなつてゐた。
△おや/\こんなことを余話に書くんではなかつたものを、とんだところを皆さんにしやべつてしまつた。皆さん決して笑つてはいけませんよ。他言無用。


歌ひませう


△春はよし、うた人ならでも碧空を仰いだ若人は何で歌はずに居られやう。折よくも私達の大会は日を余すこと僅日、私達はどんなに大きな声でわが「少女」の歌をうたふことであらう。必ずや私達の「悦びの歌」は空を駆る鳥も海に眠る人魚の群をも驚かすことであらう。
△地方の愛読者の方々へは来月の鳩ちやんがその日のことを詩とも歌ともなして――皆様のお机の上を飾ることでせうから、どうぞ楽しみにお待ち下さい。
△附録の「少女」文芸は月々に完全なものとなつて参りました。是は多数の中から僅々十数篇が選ばれて居るのですから、少女の文芸上の作品として誰れに誇つても決して恥しくないものだらうと信じて居ります。私はあの真珠のやうな短歌や詩歌を歴史上の大芸術品と歌はれてゐるものよりももつと愛して居ります。
△山高の失敗ではすつかり皆さんに弱味を握られて仕舞ひましたね。私はよく失敗をする者です。もう一つ非常に滑稽な内証話があるのですけれど。笑はないとおつしやれば、思ひ切つてお話しますが……「よさうかな」思案々々。


春の心


△方々の皆様からお手紙を戴いて居りますが、非常にせはしくて御返事差上げられませんでした。出来上つた美しい鳩ちやんを、その代りとも思つて御覧下さい。
△「嘆きの孔雀」は大分長くなりましたがこれからが弥々話の本題に入るのですからそのおつもりで御覧下さい。ほんとの話かうその話かといふ質問がありますが、それは勿論ほんとの話なのです、作りごとのやうな個所も後になれば解決をつける考へで筆をとつてゐるのですから。
△私は「少年」「少女」の小説を書く場合に、単に皆様の心だけを標準にして、かうしたら喜ぶだらう、あゝしたら悲しむだらうといふことは考へません。私はある程度までの自分の芸術的良心にもとづいて書いて居ります、その中から私の云はうとしてゐるところを見出していたゞき度いのです。必ず「真」といふ文字が発見されると信じてゐます。
△いろいろこゝで書き度いこともありますが来月にゆづります。
(三月二十日午後)


ゆく春


 大会の折は皆様にお目にかゝる事が出来て大変嬉しく思ひました。早いものでもう一日も経ちましたね。桜もいつか散り果てゝ……オツトそれじやまるでサツマ琵琶のやうだ、もう青葉の影には清新な風が薫るやうになりました。
「嘆きの孔雀」について直接御手紙下すつた方へ何れ暇になつてから御返事いたさうと思つては居りますが、それもついその儘になり勝なこともありますから、こゝで厚くお礼申し上げて置きます。
 この編輯が終つてから、ゆく春を惜む心と来る夏を喜ぶ心とを深く味ひたいと思つてゐますので……小さな旅行でもして見やうかと旅行案内など昨夜ひろげて見ました。


初夏


 去年の今頃は親友達と卒業論文の仕度で顔さへ合せれば「オイもう出来たか。」「イヤ未だ出来ない。」などと焦つた心にもなりながら、夕べの嬉しさは銀座通り、「取り掛れば一晩だ。」などゝ笑つて、つい文学の話ばかりに夜を更かした思ひ出。過ぎ去つた事などを想ふのは元気のなきことゝ云はれもしやうが、一年の間に遠くに離れ合つて仕舞つた友達のことを思ひ出さずには居られない、何と云つても友達程なつかしいものはない、我儘な、殊に我儘な自分の喜びや悲しみをほんとうに聞いて呉れるのは友達より他にない、それも同じ道に長い日を送つた友達、「此頃は君のことばかりを思ひ出してゐる。近いうち上京する。」と簡単な言葉だから嬉しい。「一日も早く来て呉れ。KやSも君の来ることばかりを待つてゐる。」と書く。「迎ひに行かう。」とS。「明日の晩だ。間違ひはなからうな。僕達が直ぐフンガイする者だといふことはよく知つてゐるから大丈夫だ。」「兎に角看いたら一先ひとまづ僕の家へ陣取らう。」と私。柳には風が光つてゐた。SもKも麦藁帽子の下に瞳を輝かした。私は煙草をくはへた。「オヤ君は禁煙したと威張つてゐたじやないか。」とSがとがめる。「許せ友よ。吾は悦びのあまりなり。」と。「ふざけちやずるいよ。」それも束の間、三人の歩みは停車場の光りに向つて、何といふ早さであらう。
 別の話。少女文芸はだんだんに進況を示して来ましたので私は大変に嬉しく思つて居ります。投稿の数も前に倍して来ました。最佳作の方には何れ私から花輪を送りますから、此後とも大に振るつて下さい。


困つた話


 さて此編輯が終つたら、海へゆかうか山へゆかうかなどゝ考へてゐる、海だつたら得意の水泳をやりたくなつて大切な小説が書けなくなつてしまふだらう、普段余り旅を好まない私は地理にも不明で、さてさて何処がよからうかな、と同じことばかりで一向定まらないのにはとんと困つて仕舞ひました。近頃写真などを初め目茶苦茶にカチリカチリとやつて居りますが、それも少しもはかどらず幽霊ばかりで、この手際で山へでも行つて写したらそれこそ魂を寒からしむる凄い画が出来るかも知れないが下手な手際を当にすることは心細いこと、困つたこと。然し皆さん、その下手なまぐれ当りでオモシロイのが写つたらお土産にお目にかけますから、待つてゐて下さい、余り待甲斐のあることでもありませんがね。マチガヘずに骨を折つて参ります。


秋の野辺へ


 大変に涼しくなりました、先日までは暑中見舞などで真夏だと思つて居りましたが、もう朝夕などは「何とまあヨイ気候ではありませんか。」机の上の灯火ともしびを明るくともして、本などひもとく快は古人の云つた例言が今更ながら沁々と忍ばれるではありませんか。又空晴れた日に友達などと小山や原へ行くことの快……それは今の私にはちよつと出来ないことですから何処か遠足へでもいらつしやつた方は面白いお話をお寄せ下さい、然し東京の近郊にも遠くの方々が予想も出来ないだらうと思はるゝやうに美しい然も小ぢんまりとした原や流れが武蔵野の面影を残して――秋の一日ひとひは私達の野遊ピクニクを待つて居ります、近いうちに私は大勢の友達と近郊へ出掛けやうと思つて居ります。写真がウマクとれたら今度こそはお目にかけます。


当二歳


△皆様と、私は来年で二度目のお正月に出遇ふことになりました。世間へ出てやうやく二歳になるわけなのです。世の中のことに就いては何にも知らなかつた私が……が未だやつと二歳になるんでは大して威張ることも出来ない――実際にその通り、その通り。
△十一月号に書いた「青白き公園」は、あれはたゞその前置で正月号から改めて私が計画してゐる新しい童話の方法で先づ書き初めるつもりで、で、その本筋の第一は来月号から順当にする考へなのですから左様御承知下さい。
△雑誌では年の暮ですが未だ世間は十一月でちよつと変な気がしないでもありませんが、「早い」といふことは快い感じも与へられます。「来年こそは」といふありふれた言葉は用ひたくありませんが、正直なところ私は今ほんとうに「来年こそは」と思つて居ります。月日の進むことは周囲のことに親しみの深くなることで――熟練と経験から算しても「来年こそは」といふ言葉は云はれなければならぬことで其処に新しい清々しい元気と意気と光明とが求めらるべきもので、つまり小さく云へば私達は毎日これを繰り反しては自分の理想に近づくことを期して居るのです。


春の自慢話


 △新年号が出来上つて何よりも嬉しく思はれます。大井先生案の双六も必ず皆様のお気に召すことであらうと思はれます。お正月には私もひとつこの双六を用ひて大ひに勝利を博して普段私をいぢめる彼女等始め墨クロ/″\と塗り立てゝやらむものか、腕鳴りて止まず。
 △運動会の記事に差挿んだ二葉の写真、いかばかり美ならずや! 誰人ぞ朦朧式などゝ云はむ? めでたくも亦いと稀なるわが手腕に我ながら感嘆の声を挙げて止まず――と実はもつと沢山に写して来たのですが斯くの通り記事満載の結果全部を挙げて此処に掲載し得なかつたのはかへす/″\も残念の極み果なし。
 △春近く悦びの心あふれていかにせばやめざましく勇ましく、いざ歌はん、春の歌を、朗かな響き煙るが如くいとたへに楽など弾かむ。――近頃のことをまた少しお話いたしませうか、それは又私は大いに運動に心を寄せて居る事です、近くは安倍首将に向つて戦ひを申し込む筈にて大いに準備中、大投手たらんか! ピアノ、写真、野球……とまだ/\沢山ですが先ず秘してこれだけの中での一つが一番上達するでせうか? 自分では何れもウマクなりさうに思へて駄目ですから、皆さんがひとつ予言を与へて下さい、矢の如く鋭き!
 △で、このやうな元気のうちに活動して居るのですからこの春からどんな活躍を試みるか、当にして待つて下さい、どうも自慢ばかりになつて……イヤ/\自慢ぢやないのだ、ほんとの話、だから笑つてはならぬ。――余技は別として小説と詩とはワガマヽな心の起らぬ限り心から流れ出す儘なれば出来得る限り「真実」にもとづいて書き続ける決心です。


又も自分の話


 △又も自慢とでも書かうと思つたけれどさう続いては、あべこべにフンガイのお株を占領されて仕舞ふおそれを感じたので、自分の話……と、これならおとなしくして大丈夫。
 △今度から「七路しちろ」といふペンネームをも用ひることにしました、依つて御披露に及むで置きます。
 △暮以来いろ/\御厚情の多いお手紙を戴いて居りますが、ついせはしいまゝに御返事を差上げる暇がありませんでした、いづれゆつくりと書きますから何卒悪からず思召下さい。いつぞや××帽子の失敗談をうつかりお話して以来(どうもとんだ事を書いてしまつたものだと、後悔のみ)次のものをも盛んに攻められるので、(これはどうも弱つた事になつたものだ)――それを書かなければ此方も不信……とか「フンガイ」するとか、……で(それにしても困つた)――いやフンガイされては大変だから、思ひ切つて白状に及ばう、さて……オヤオヤ、(いゝあんばい……ぢやない)紙数が尽きた、残念だけれども筆を擱きます、だから、――不信……や「フンガイ」は平におゆるしのほどを。(牧)


夢をのせて


 お正月気分もすつかり消えて、雑誌は早弥生の桃の影、薄紅色の宵にクツクツクツ、ちら/\と雪洞の夢に、蠑螺さゞえは鳴くといふではありませんか、で、雛段に供へた貝はドンブラコと貝のお国へ――其桃色の宵は更けて紫の夢へ……なつかしい夢をたどつてさて何と書いたらよからうかしらと私は毎晩のやうに想ひをはるかの空へ、またをかしくも自らのほとりにめぐらせて……。
 ほんとうに「怠ける」などゝいふことゝは反対な日ばかりを送つて居るのです。今日掲載する筈になつてゐたアノ続きは来月にすることにしました。夢のやうな夢でないやうなほんとのやうなさうでないやうな詩のやうなまたさうでないやうなアノ物語は夢中になつて執筆してこの上来月こそは必ずとも、自分のことばかり云ふやうですが私にその事に就いてお手紙を下すつた方々だけのお詫びのつもりです。その方々達よ、どうぞ悪からず。それに一一御返事を書かなければなりませんのですが、いづれゆつくりとまた書きますから、これもまた悪からず。雛の宵の蠑螺の忍びなきは涙ぢやありません、あれは歌をうたふのでせう……と察して、その桃色の宵、来月の誌上でゆつくりお話しいたしませう。


春は嬉しい


 入社してから漸く二箇年になりかゝつてゐる記者が、この歴史ある「少女」第百号を春と共に迎へることは、不肖なる身も忘れてひたすら悦びのうちに幸ひを思つて居ります。未熟な無経験な記者の力は誠に微々たるもので、未だ何らの期待をも現し得なかつたことは甚だ羞しいことでありますが、爾後たゞ自らの力を尽し得る限りこの任に当つて皆様の御厚情の深い声援に報ゆる決心です。
「春は嬉しい。」――ふと、私はさう呟いて、社のテーブルで今、空を見上げました、青々と澄み渡つた空を。「どこかへ小さな旅をしやう、ひとりで。」――そんなことを考へました。若し出掛けたら、写真はもう飽きて止めのことにして仕舞つたから御安心、で、やつぱり私は筆をとることのみに心を寄せて、続き物の稿を纏めたり又新しいものを書いて持ち帰ります。ともあれ、春は嬉しい/\、……、飛んでゐる鳥が、窓から見へる。「心そこはかとなく浮きつる。」……と。皆々様の「春の悦び」を祈りて。
(二十四日)


〔無題〕


 全くこの目醒しい大活動をフヰルムにでも収めて読者諸君にお目にかけたく思ふ。然し活動することは何といふ爽々しいことであらう。自分も近頃このことを大いに悟つて朝早く起きて本を読むこと、原稿を書くことに努めてゐる、ところが近頃どうも少年小説が気に入つたやうに書けないので困つた。今月も一つ書きかけたのであるが終に意に満ずして棄てた。来月こそは、と思つてゐる。読者諸君どうか僕の意のあるところを解して呉れ給へ。


相撲


△少年時分には角力が仲々の「通」で、常陸山、梅ヶたにおほとり、国見山、玉椿……「僕は常陸山だよ、だから僕には皆な負けるんだよ。」「君はづるいや横綱にばかりなるんだもの。」などと云つた思ひ出もある、絵葉書等も随分沢山集めた。終ひには母から大いに叱られた位だつた。
△それがいつの間にか忘れられてしまつた此の頃では場所が開いても、見に行かうとさへ思はない。尤ももう少し暇だつたらさうでもあるまいが。それでも時々表へ出ては勝負の札を眺める、さうだな何遍位見るだらう。――「大錦と栃木は強いな。常の花は間もなく横綱になるだらう。」
△パウリスタの二階から見降ろしてゐるといゝ角力見物が出来る、但し札ばかり!


山口君を送る


 △山口君が病気の為に止むを得ず退社することになつた。「少年」の為に力を惜まず尽された同君――君にしても定めし残念なことであらうと、自分は衷心から同情して止まない。房州へ静養に行かれるさうであるが、自分は読者諸君と共に熱心に君の保養を祈り、再びこゝに――共に机を並ぶる日を切に夢見てゐる。清新なる海辺の地は、必ずや君の健康に適するに相違ないことを信じてゐる。
 △既に七月となりました。諸君の大好きな海の日が来たのである。僕も海が大好きだ。今年は一つどこかの海辺へでも行つて大いに遊泳してやらうかなどとも思つてゐます。久しく海に入らないので泳げなくなつて了ひはしないかしら――斯んな不安も感ずる。


〔無題〕


 △今度は「美智子と日曜日の朝の話」を出しました。実は「青白き公園」を出さうと思つて居りましたが、どうしてもあの気分が続かなくなつたので、休まうかとも思ひましたが、また怠けるなどと云ふ怖ろしい誤解を受けることもいやなので、この短いものを書きました。「青白き公園」の読者の方に御申訳まで。


山か海か


 今年の夏休みはどこへ行かうか、自分は海が好き、水泳が好きだから、余り遠くないところの海辺へ行かうか? それにしても、去年は下総のあたりへ行つたけれど、つい海にばかり浸つてゐて書かうと計画してゐたことごとをことごとく、水泡に帰してしまつた。今年も若しやこの轍を踏むやうな仕末になりはしないだらうか、それだと大いに困る、では山にするか? 山気涼々たる緑深い窓に書をひもとかば心忽ちにして無辺の仙境に遊ばん。さて、では、何処の山辺にしようか? などと昨日あたりからしきりに地図など繰りひろげて山の空想をほしいまゝにしてゐる。果して自分自身を奈辺の山蔭に見出し得るであらうか――自分のことでありながら、そんなやうに考へられるのが可笑しい。やつぱり海へ行くことになりはしないか、と疑はれる。


遭難


 たつた今の話である、――余は編輯余話を執筆せんものとペンを執りたれど未だ海へも山へも行かざる身なれば何をか書かむものかと思ひ惑ひぬ、書きおくるれば前なる老眼いとも怖ろしく光りぬればせんなし――かゝることごと思ひつゝ、では何か書かむものとて後なる書類箱より原稿用紙を取り出さんとして体を斜めにすれば、わが手は五寸あまりとゞかず、立ち上つて廻れ右なせばよきものを、時間経済の徳を弁へたる余は、その儘椅子を反らせて、テーブルの裏で足の先を支へ、グツと身を後に延ばし、アハヤ手の先は書類箱の蓋にふれむとしたる刹那! 椅子の足は滑りし、余の足は強くテーブルの底を蹴る、かくして余は横の壁をめがけて仰向けにドサン! と、――あゝ偶然なり、――テーブルにしがみついたれどそれは余の大力に引よせられて、それも一緒に……ドサン!
 誰人か手なりと引きて呉れゝばよきものを。周囲の皆々は何と冷やかなるかな!
「アハ…………/\」と打ち笑ふのみなり。余は怫然とせり。
 それにしてもインキ壺が滑り落ちかゝつて危くテーブルの角で止まりたるは、天の我を棄てざるものなり。そのテーブルの角の下には真白なる洋服を着したる余が横たはり居たればなり。あゝ危きことの極みなりけり。
(七月十八日午後三時しるす。)


秋近し


 山口君から「此の頃は大変に具合がいゝ、すつかり元気が甦る。」といふハガキを時々貰ふので安心した。千葉県大原町といふ名前は古くから知つてゐるが、僕は未だ一度も行つたことはない。屹度いゝ処だらう。海水浴場といふんだから、僕の畑だ。一度行つて見ようかしらなどと思つてゐるが、つい出無精で行き損ふ。
 諸君は早、暑休なつやすみを終へて再び学窓の友になつたことでせう。休み中にきたへた腕はどんなに新学期の前に溌剌たる元気を盛り返してゐる事だらう――などと思つて見るだけでも快い。灯下書に親むべきとき、刻々にちかづく、万物は涼々たる清味を湛へ始めた時、――諸君の健康と努力とをひたすらに祈ります。


非カゲ弁慶


 △皆なで伊香保に出かけたことは嬉しかつたが、僕は非常に困つた。他の人は皆お話が上手で、二ツも三ツもの会で面白さうに話すのだが、――あゝ! この僕は何故話が出来ないのだらう。お話の会にもあまり出た事のない僕は、聴衆と同じやうにたゞ無暗と可笑しがつて独りでクス/\と笑ふばかりだつた。それでいつも後の方にかぢかんでばかりゐた。勇気がないと云ふのではない、カゲ弁慶といふのでもない。口惜しいけれどお話が出来ないんだから仕方がない。
「挨拶位したらよさゝうなものぢやないか、子供ぢやあるまいし、えゝ? さあ/\、これでお終ひなんだからちよつと君出給へよ。」誰かゞ切りに可笑しがツて、無理に僕を出さうとする。――エヘン、/\、と云ひながら、僕はたゞ笑つてゐるばかりだつたが、可成り困つて、胸がいやにドキ/\してならなかつた。遂々何もやらなかつた。あの時は全く僕、弱ツちやつた!


沈黙の七路


 △既に十一月号である。秋の清涼は窓辺に近く、灯のもと書に親しむの時で、諸君は必ず勉強に努めて居らるゝことだらうと察せられます。記者もこの秋は久しく鈍つてゐた筆を大いに駆つて、諸君の意に添ふ程のものを書かうといきまいて居たところが、近頃殊に編輯の方が忙しくて到頭達せられませんでした。(A曰く之は少々あやしいぞ!)然し本号の如く多数の興味深い読物が掲載されてある上からは、だまつて編輯に従事してゐることも亦諸君に対して忠実なことには違ひないのだ、などと自惚れたりしてゐる。これは決して憶病な言訳やなんかではないのだから、どうか記者の意中をかつて呉れ給へ。(七路)


私に送られた詩


 △近頃直接私へ宛てゝ詩や歌を寄送される方が可成りあります。ほんとなら私も直接にその感想を書いて返さなければならないのだが、うつかり物を云ふと「悪口や」だなんて誤解されるので、未だ返事を出さずに居りますが、送つた方の身になつて見れば、折角骨を折つて作つたものをその儘にされては不本意だらう、然し僕は好い詩を見せられた時には自分のことのやうに嬉しいし、また直ぐ感激して返事を出すのだが、近頃余り心を動かされたのはない。今、一寸時間がないのでしらべて見ることは出来ないが、松平まき子さんと麻布のみち子さん杉本染子さん芹沢十四子さん川瀬光子さん等のがあります。(その他の方のはいづれ。)一つも面白いのがない。まき子さんと光子さんのは一寸面白味がないでもないが。(他の人怒つてはいけない。)尤も僕は余り点が辛いかも知れないけれどお世辞を云ふのは嫌だ。まき子さんの海の歌はまう少しのところで、一寸面白いものになる、兎に角この中では一番よかつた。


御見舞御礼


△此度の本社出火のことは既に諸君も御存知のことでせうが、その節は多くの方々から早速お見舞をいたゞきまして厚く御礼申しあげます。幸ひに当部には大した災害もなく、平常通り雑誌が発行になつたことは何よりも幸ひでした。
△天高き候にて、心身共に快く、運動にも勉強にも励み得らるゝ時です。先達中せんだつてぢうの陰雨に引きかへつて此頃は空も浅瀬の如くに澄み渡り秋の涼味は玉のやうにうるはしく訪れてゐます。
△久しく鈍つてゐた筆を馳つて新春号には諸君の意に添ふべき程のものを出さなければならないと切に思つてゐます。


お詫びのこと


 △十月号并に十一月の懸賞の当選者にお詫びいたさなければなりません。それは出火の時、当選者の原稿の一部が紛失しました。責は勿論記者にあることで何ともお詫びの申しようもありませんが、不慮のことゝていたしかたなく、どうぞお許し下さい。それで賞品の発送がおくれて定めし当選者は御迷惑を感じてをらるゝだらうと思ひます。余計なお手数をかけてすみませんが、十月号十一月号両誌の懸賞当選者は、何月号の何々に当選といふ事を、御住所姓名を明記して十一月二十日迄に記者宛に御通知を願ひます。特別大懸賞考へ物及び十月号の普通考へ物の方は御通知に及びません。但し十一月号のはめ絵当選の方は御通知下さい、また本号の図画の当選の方も同じ理由でお名前を紛失いたしましたので、至急御通知下さい。幾重にもお詫びいたします。


大演習


 △窓から、飛行機が幾台も幾台も見える。鳶が二羽ばかり一緒になつて、面白さうに舞つてゐる。ちよつと飛行機と見紛ひさうだ。Aの飛行機が煙を吐いたかと思ふと、キラキラと光る爆弾を投下した。街の人がワイ/\うち騒ぐ、私も勿論さつきから空を見上げ続けてゐる。Bの飛行機とC、D、……が盛んに追撃をやつてゐる。鬼ごつこでもしてゐるやうに面白さうに見える。さつき投下した爆弾が風船のやうに静かに落ちて来る、直ぐ間近かく光つてゐる。「あれが若しほんものだつたら堪らないぜ。」どつかの人がそんなことを云つたが、他の誰も笑ひ出しもせず熱心に見守つてゐる。私も眺めてゐた。十一月十九日、陸軍大演習の日、街上にて。


お伽噺


 △昔々ある処に七郎といふ大へんに勇ましい少年がありました。彼は活溌で、正直で、同情心が深かつたもので、大概の者は彼の味方になつて居りました。すると七郎の隣の街に覆面太郎といふ、熊坂長範のやうに悪い児が住んで居りました。七郎は今云つた通りおとなしい少年、それと反対な覆面太郎とはいつも喧嘩ばかりして居りました。七郎は喧嘩は好きませんが、何しろ覆面太郎が様々に挑みかゝるので、さすがの七郎も遂に堪忍しきれず、「よし、それならば正々堂々と、真剣勝負をしよう。」と宣言しました。覆面太郎は、ちよつと驚きましたが、まさか今更止さうとも云へないので、「オーライ!」と剣を抜き放つて豪語しました。
 二人は期日を約して各々それ/\の街に帰りました。さうして味方の兵を集めました。が何と云つても七郎の方は未だ年がゆかないので、思ふやうになりません。それに引換へ覆面太郎の方は仲々の優勢で、たちまちのうちに数万の味方を引きよせました。それをきいて七郎は、多少心細くも思ひましたが、こんなことでへこたれては武士ナイトの名折れだと力むで、戦闘の準備を計画いたしました――。さて此の結末どうなりますか、それは次号で申し上げるかも知れません。


頭かきか記


 △諸君に大変御無沙汰いたしました。その間にもう春になりました。記者も昨年の暮から社を休んで、未だその儘になつてゐます。病気といふほどのこともありませんが、これから当分の間湘南の方に行つて、専心筆を執らうと思つてゐるのです。少年小説の方も久しく書かなかつたので、諸君も「どうしたんだらう」と思つてゐるでせうが――書かぬ理由を述べることは賢いことではありません。過ぎたことの云ひわけは止めてこれからは努力してその結晶を諸君にお目にかけたいと思つてゐます。
 △今日数ヶ月振りで出京して社を訪れました。河東かはひがし君が病気で欠勤の由、たゞでさへ手不足のところ――僕は自分を顧みて何だか気恥しさを覚へました。河東君が一日も早く全快して活動の日を祈りつゝ、この筆を擱きます。
(三月十六日)


小田原より


 △数ヶ月振で湘南から出京、先づ首相を訪ふ。種々いろ/\話があるつもりでゐたが、さて来て見ると花も咲かぬ、咲かないのは当り前だ、皆様に対してもその通り、誠に七路面目なし。二三日遊んで又向方に帰ります。今度帰つたら、もう怠けない、閑日を利用して大いに筆を馳つて皆様へ報ゆるつもりです。僕の病気なんてたわいもないものです。図々しい怠け病といはれても仕方のない。但しそれだけに自分にとつては悲しみの多いことです。
 △社の方も河東君が病気僕はこの通り。でも覆面冠者先生が元気でA首将と共に励まれてゐるので、こんな見事な雑誌が出来あがります。覆面氏と云へば、僕のめいお伽噺を横取して、自分勝手に太郎にばかり助勢し、勇敢なる七郎をとらへて凹郎へこらうだなんと、下らぬ結末をつけたこと、七路の憾みは骨髄に徹してゐるが、彼を酷めては病気にでもならう、さうすれば雑誌の方が困る、首相や皆さんには憾みはない、こゝで道理と忍耐に厚い七郎はいづれ機を見て覆面太郎と真剣勝負をすることに決心しました。
(三月十六日)


或る夕方


 △或る夕方賑かなハガキを受取つた。それは「少女」小集の寄書だつた。丁度僕は夕方の飯を食べてゐるところだつた。それ見て独りで笑つてゐて箸を持つた手も忘れてゐた。何となく口惜しい! 口惜しいから明日はひとつ此方も遠足でもしようか、――などゝ思つた僕は笑はずには居られなかつた、――たつた独りで一体お前はどこへ行く気か。
 △そこで「七郎」は「うむ、さうだ!」と何事か思ひ付いた態で呟いた。さうして間もなくペンを執り始めた――その物語りが幸に脱稿出来たらば、皆さんは屹度来月号の誌上で「勇敢なる七郎の姿」に接することが出来るでせう。


風かほる頃


 △編輯室は活気に充ちてゐる。病気だつた河東君も全快して、今日あたりはシヤツ一枚で編輯に余念がない。初夏はつなつの微風はやわらかく窓をうつ。この緊張した室に、ふくよかな微笑みをおくりこむ、あゝ快き初夏なるかな。僕もすつかり元気を回復した。僕の胸にもこの初夏の快き微風は、快き微笑をおくる、この微笑を、筆に変へずんばあらず――さう思つて見上げた空は蒼く蒼く澄みわたつてゐた――。

元気回復


 △覆面冠者が紫頭巾となつた事は公の事実です。「知理雄ちりを先生も紫頭巾先生もA先生も、みんなA先生なんでせう? 決つてゐますわ。さうしてみるとA先生は何といふ懸命さでせう、それに引きかへ七路先生のタイマン振は、何といふ懸命さでせう。」
 △僕は驚かざるを得ない、A先生と知理雄先生と紫先生のお三人の姿を眺めて、「これがどうして解らないのかな。」と思つた。僕だつて、僕だつて、チツともタイマンぢやありやアしない、――それそれ、この通りだ、おゝ、このペンの動きの早きことよ。





底本:「牧野信一全集第一巻」筑摩書房
   2002(平成14)年8月20日初版第1刷発行
底本の親本:入社の辞〔『少女』〕「少女 第八十一号(鳩ちやん号 九月号)」時事新報社
   1919(大正8)年8月6日
   入社の辞〔『少年』〕「少年 第一九三号(平和記念号 九月号)」時事新報社
   1919(大正8)年8月8日
   銀座の月「少年 第一九四号(月世界探検号 十月号)」時事新報社
   1919(大正8)年9月8日
   夜と孔雀「少女 第八十五号(新年号)」時事新報社
   1919(大正8)年12月6日
   音楽家「少女 第八十六号(二月号)」時事新報社
   1920(大正9)年1月6日
   楽天家の悲観「少女 第八十七号(三月号)」時事新報社
   1920(大正9)年2月6日
   歌ひませう「少女 第八十八号(四月号)」時事新報社
   1920(大正9)年3月6日
   春の心「少女 第八十九号(五月号)」時事新報社
   1920(大正9)年4月6日
   ゆく春「少女 第九十号(六月号)」時事新報社
   1920(大正9)年5月6日
   初夏「少女 第九十一号(七月号)」時事新報社
   1920(大正9)年6月6日
   困つた話「少女 第九十三号(九月号)」時事新報社
   1920(大正9)年8月6日
   秋の野辺へ「少女 第九十五号(十一月号)」時事新報社
   1920(大正9)年10月6日
   当二歳「少女 第九十六号(十二月号)」時事新報社
   1920(大正9)年11月6日
   春の自慢話「少女 第九十七号(新年号)」時事新報社
   1920(大正9)年12月6日
   又も自分の話「少女 第九十八号(玉椿号 二月号)」時事新報社
   1921(大正10)年1月6日
   夢をのせて「少女 第九十九号(つみくさ号 三月号)」時事新報社
   1921(大正10)年2月6日
   春は嬉しい「少女 第一〇〇号(記念増大号 四月号)」時事新報社
   1921(大正10)年3月6日
   〔無題〕「少年 第二一四号(日英同盟号 六月号)」時事新報社
   1921(大正10)年5月8日
   相撲「少年 第二一五号(伝説物語号 七月号)」時事新報社
   1921(大正10)年6月8日
   山口君を送る「少年 第二一六号(夏期特別号 八月号)」時事新報社
   1921(大正10)年7月8日
   〔無題〕「少女 第一〇四号(思出の巻 八月号)」時事新報社
   1921(大正10)年7月8日
   山か海か「少年 第二一七号(御渡欧記念号 九月号)」時事新報社
   1921(大正10)年8月8日
   遭難「少女 第一〇五号(御渡欧記念の巻 九月号)」時事新報社
   1921(大正10)年8月8日
   秋近し「少年 第二一八号(東宮奉迎号 十月号)」時事新報社
   1921(大正10)年9月8日
   非カゲ弁慶「少女 第一〇六号(コスモスの巻 十月号)」時事新報社
   1921(大正10)年9月8日
   沈黙の七路「少年 第二一九号(晩秋号 十一月号)」時事新報社
   1921(大正10)年10月8日
   私に送られた詩「少女 第一〇七号(秋草の巻 十一月号)」時事新報社
   1921(大正10)年10月8日
   御見舞御礼「少年 第二二〇号(読者文藝号 十二月号)」時事新報社
   1921(大正10)年11月8日
   お詫びのこと「少女 第一〇八号(時雨の巻 十二月号)」時事新報社
   1921(大正10)年11月8日
   大演習「少年 第二二一号(新年号)」時事新報社
   1921(大正10)年12月8日
   お伽噺「少女 第一〇九号(新年号)」時事新報社
   1921(大正10)年12月8日
   頭かきか記「少年 第二二五号(五月号)」時事新報社
   1922(大正11)年4月8日
   小田原より「少女 第一一三号(皐月の巻 五月号)」時事新報社
   1922(大正11)年4月8日
   或る夕方「少女  第一一四号(水無月の巻 六月号)」時事新報社
   1922(大正11)年5月8日
   風かほる頃「少年 第二二七号(七月号)」時事新報社
   1922(大正11)年6月8日
   元気回復「少女 第一一五号(文月の巻 七月号)」時事新報社
   1922(大正11)年6月8日
初出:入社の辞〔『少女』〕「少女 第八十一号(鳩ちやん号 九月号)」時事新報社
   1919(大正8)年8月6日
   入社の辞〔『少年』〕「少年 第一九三号(平和記念号 九月号)」時事新報社
   1919(大正8)年8月8日
   銀座の月「少年 第一九四号(月世界探検号 十月号)」時事新報社
   1919(大正8)年9月8日
   夜と孔雀「少女 第八十五号(新年号)」時事新報社
   1919(大正8)年12月6日
   音楽家「少女 第八十六号(二月号)」時事新報社
   1920(大正9)年1月6日
   楽天家の悲観「少女 第八十七号(三月号)」時事新報社
   1920(大正9)年2月6日
   歌ひませう「少女 第八十八号(四月号)」時事新報社
   1920(大正9)年3月6日
   春の心「少女 第八十九号(五月号)」時事新報社
   1920(大正9)年4月6日
   ゆく春「少女 第九十号(六月号)」時事新報社
   1920(大正9)年5月6日
   初夏「少女 第九十一号(七月号)」時事新報社
   1920(大正9)年6月6日
   困つた話「少女 第九十三号(九月号)」時事新報社
   1920(大正9)年8月6日
   秋の野辺へ「少女 第九十五号(十一月号)」時事新報社
   1920(大正9)年10月6日
   当二歳「少女 第九十六号(十二月号)」時事新報社
   1920(大正9)年11月6日
   春の自慢話「少女 第九十七号(新年号)」時事新報社
   1920(大正9)年12月6日
   又も自分の話「少女 第九十八号(玉椿号 二月号)」時事新報社
   1921(大正10)年1月6日
   夢をのせて「少女 第九十九号(つみくさ号 三月号)」時事新報社
   1921(大正10)年2月6日
   春は嬉しい「少女 第一〇〇号(記念増大号 四月号)」時事新報社
   1921(大正10)年3月6日
   〔無題〕「少年 第二一四号(日英同盟号 六月号)」時事新報社
   1921(大正10)年5月8日
   相撲「少年 第二一五号(伝説物語号 七月号)」時事新報社
   1921(大正10)年6月8日
   山口君を送る「少年 第二一六号(夏期特別号 八月号)」時事新報社
   1921(大正10)年7月8日
   〔無題〕「少女 第一〇四号(思出の巻 八月号)」時事新報社
   1921(大正10)年7月8日
   山か海か「少年 第二一七号(御渡欧記念号 九月号)」時事新報社
   1921(大正10)年8月8日
   遭難「少女 第一〇五号(御渡欧記念の巻 九月号)」時事新報社
   1921(大正10)年8月8日
   秋近し「少年 第二一八号(東宮奉迎号 十月号)」時事新報社
   1921(大正10)年9月8日
   非カゲ弁慶「少女 第一〇六号(コスモスの巻 十月号)」時事新報社
   1921(大正10)年9月8日
   沈黙の七路「少年 第二一九号(晩秋号 十一月号)」時事新報社
   1921(大正10)年10月8日
   私に送られた詩「少女 第一〇七号(秋草の巻 十一月号)」時事新報社
   1921(大正10)年10月8日
   御見舞御礼「少年 第二二〇号(読者文藝号 十二月号)」時事新報社
   1921(大正10)年11月8日
   お詫びのこと「少女 第一〇八号(時雨の巻 十二月号)」時事新報社
   1921(大正10)年11月8日
   大演習「少年 第二二一号(新年号)」時事新報社
   1921(大正10)年12月8日
   お伽噺「少女 第一〇九号(新年号)」時事新報社
   1921(大正10)年12月8日
   頭かきか記「少年 第二二五号(五月号)」時事新報社
   1922(大正11)年4月8日
   小田原より「少女 第一一三号(皐月の巻 五月号)」時事新報社
   1922(大正11)年4月8日
   或る夕方「少女  第一一四号(水無月の巻 六月号)」時事新報社
   1922(大正11)年5月8日
   風かほる頃「少年 第二二七号(七月号)」時事新報社
   1922(大正11)年6月8日
   元気回復「少女 第一一五号(文月の巻 七月号)」時事新報社
   1922(大正11)年6月8日
※題名の〔〕、中見出しの〔無題〕、〔『少女』〕、〔『少年』〕は、底本編集時に与えられたものです。
※「編輯余話」と題した雑誌のコーナーへの、原稿です。中見出しは、各部の発表時の表題です。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年5月26日作成
2016年1月30日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




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