エハガキの激賞文

牧野信一




友を訪ねて


 僕は一ト頃外国製のエハガキを集めたことがある、その頃は、集めた数々のものを酷く大切にして、夫々のアルバムを「科学篇」とか「歴史篇」とか「物語篇」とか「考古篇」とか「美術篇」とか「地理篇」とかといふ風に分類して悦に入つた。稍ともすれば、それらのコレクシヨンを人知れず取り出して、何時までゝも眺めて空想にふるへた、知る人は多いことだらうが、エハガキに寄せる興味は、一種微妙な夢幻感と科学感が交錯して仲々深々たるものがある。
 ところが何時の間にか僕は、そんな蒐集に飽きてしまつた。一体僕は飽性なのである。熱中の度が強いだけに飽きたとなると未練がない。自分の芸術といふものに関心を持たなかつた時分には、時に応じて僕は何かしら凝つてゐたものだ。一年で終つたものもあれば四五年も続いたものもある。エハガキは熱中の期間が殊の他長かつた部類のものである。
 A・Yといふ理学士の友達がゐる。この頃僕は次第に疎かになるかたちだが、僕等は可成りながい間手紙のやりとりが頻繁な仲を保つてゐる。
「そんなら、之から僕に呉れる手紙はあのエハガキにしないか。」
或時はYがそんな事を云つたことがある。大分前のことだが――。
「みんな進呈しても好いんだよ。」と僕は云つた。
「いや、当分、さういふことにして貰はう。その方が俺は面白い。君の一ト時のあゝいふコレクシヨンを尊敬する意味でゝも。」
「それは思ひつきだ。」
 と僕は卓子を叩いて点頭いた。あゝは申し出でたものゝYに斯う云はれて見ると僕にしてもこの程度の散逸法が最も適はしく思はれたのである。僕等は、読んだものゝ印象、観たものゝ印象、新たに出遇つた人の印象、ちよつとしたアツフエア、不図思つたこと、研究のはかどりに就いての報告、鬱憤、歓喜、悲嘆――などに就いて、電報的な通信を取り交はすのが習慣だつた。
 もつとも、森かげの家で、望遠鏡で天ばかり眺めてゐるYからは計算的な報告が主で、僕のは感情的なのが多かつたが、僕が読んだものなどの報告をすると、彼は情熱をもつて、それらを探しもとめて熟読するのであつた。そして、僕の言葉に逆らふことは殆どなかつた。だん/\に彼は、彼の研究書以外では僕のすゝめるものだけを読み、期待するといふやうになつてゐた。天文学者ではあるものゝ、彼は芸術の観賞に就いては傑れた胸を持ち、その上、素晴らしい感激性に充ちてゐた。
Y「どんな花環をつくつたら好からうか、君、考へて呉れ。派――も、あれなら、派を脚下にふまへて鮮かだ。感心した。」
僕「それで俺も観に行つた。君の友達に表現派の科学者はゐないか?」
Y「居ないよ。花環――は、僕達のこれだけの言葉に代へて、またの機会まで預つておかう。何うでも好いことだが一体あの芝居は評判が好いのか知ら?」
僕「知らない。――」
 これは大分前「築地」で「牧場の花嫁」といふ表現派の芝居を観た時に、やりとりしたハガキだ。
 それはそれとして、つい此頃僕は大変に久し振りで彼を訪れた。もうヂイ/\蝉が鳴いてゐた。非常に暑い真昼時だつた。Yは、パンツ一ツの半裸体で望遠鏡の組立に余念がなかつた。
「そろ/\君のシーズンが来るな。」
 といひながら僕は、もう一つ傍に出来あがつてゐる大砲のやうな眼鏡を覗いた。青い、何もない空が写つてゐた。
「この頃、面白く読んだ小説はないのか?」
あれ以来暫く読まないが――」

新星


「あれ以来といふのは、あの井伏鱒二以来といふことか?」
 と云ひかけてYは、僕が、何か見えないか知らといふ風に望遠鏡の筒先を動かさうとしてゐるのに気づいて、
「おい/\。厭だよ/\。第一今時分、何方を向けたつて何一つ見へるものかね。」
 と慌てゝさへぎつた。
「雲ひとつ出てゐないな!」
 僕はつまらなさうに唸つた、そして、
「うむ、さうだ、井伏鱒二以来だ。」
 となほも残り惜さうに眼鏡を覗くのであつた。
「井伏鱒二といへば大変な騒ぎさ、あれ以来!」
 とYは輝かしい眼つきをして、仰山な思ひ入れをした。
「俺の友達は一人残らず賞めてゐるよ。就中大変なのはユキ子さ――」
 ユキ子といふのは、ついこの間外国へ旅立つたYの直ぐの妹である。
「ユキ子は、彼の小説をトランクの中へ入れて持つて行きたいといふ騒ぎさ。彼の小説集はないのかしら?」
「知らない。」
 と僕は綺麗なユキ子のことを想ひ出して新しい名残を感じてゐた。
 井伏の小説は、これまで(と云つても未だほんの短い期間だが)あまり普遍的の雑誌でないものに載るので、大概僕は読むと(読むと何れも傑れたものばかりだ!)Yに送るのであつた。
 僕が、この「新星」を発見して驚喜したのは、たしか去年の一月だつた。「三田文学」の二月号である。寒い日で、昼間僕は酒を飲みながら何気なくその雑誌をとりあげると、偶然に開いたところで「鯉」といふのを読み出したのである。僕は読み終ると一処に、
「やあ、これは何といふ傑れた小説だらう!」と仰天の声をあげたのである。
 僕は即坐に立ちあがると書棚のエハガキ・アルバムをとり出した。そして、ドイツ製の綺麗な色彩の六枚組のを抜き取つた。中世紀風の群衆が空の一角を指さしながら、口々に何事かを叫びながら大騒ぎをしてゐる六枚の続き絵である。馬に乗つたジヤンダルクのやうな娘がゐる。白の長裾を翻して狂奔して来る貴婦人がゐる。素足のみるくしぼりの娘もゐる。望遠鏡を担いだ天文学者がゐる。兵士もゐる。水夫、学生、羊飼ひ、料理人、教授、御者――これらは、持つてゐるものや服装などで解るのであるが、他は何商売の者かは解らないが、兎も角あらゆる階級の老若男女が、戦勝の叫びを挙げてゐるかのやうな姿で一勢に空の一個所を指さし、或者は駆け、或者は跳躍しながら眼を視張つてゐる図なのである。孰れYにでも、この絵の解説を問ひ訊して見ようとは思つてゐるが、何々といふ新しい星が突然現はれて、何処かの市の群衆が大騒ぎをしてゐる光景で、僕が「歴史篇」のアルバムから引き抜いたものである。詳釈がドイツ語で僕には、カシオペイアといふ字が一つぎりしか解らなかつた。
 僕は、このエハガキに「鯉」に与へる激賞の文句を書いたのである。そして、井伏鱒二といふ人に贈らうと思つたのである。
 だが考へ直したら、相手は全然未知の人で住所も何も解らない。余ツ程、三田文学社へ宛てゝ投函しようか知ら? と、四五日の間は気にしてゐたが、だんだん気恥しくなつて来て、止めてしまひ、それはそのまゝ一組を袋にいれてYに出したのであるが、その日は、とても愉快で、まつたく天文学者が新星を発見した時は斯くやと思はれたほど愉快で、近所の友達を呼びあつめて、バカに酔つ払つて、その頃僕が住んでゐた僕等が僕等の「サンニーサイド」と称んでゐた村の家だつたが、其処に先住の外国人が残して行つた、変に巨大な円卓子のまはりを盃を挙げながらグル/\と回つたり、演説の真似をして、この新星発見の歓喜を吹聴したり、歌をうたつたりした。
 僕は、不図Yの書棚から一冊のエハガキ・アルバムをとり出した。それは、もう九分通りまでエハガキに充ちてゐた。
「それは皆な君からのハガキだよ。」
「斯んなに!」
「二百枚ちかくはあるだらうな。あれは未だ大分君の方へ残つてゐるか?」
「今度こそは、いちどきに残りを皆な小包で送つてしまはうか? ――何だか、斯う、そろへられてゐて、このウラに皆僕の字が書いてあつて――この先も、だんだんに、これが幾冊もたまつて行くのかと思ふと僕は、とてもテレ臭くつて堪まらないな。」
「さうかね……?」
「自分の手紙を行つた先で目にすると、何んだか具合が悪いからな。」
「そんなものかしら?」
「たゞのハガキでも君は友達の手紙をとつておくのだつたかしら?」
「そんなことはない。」
「ぢや僕は、これから、たゞのハガキにすることに仕様や――」
「小包で貰ふのは何時でも関はないが、まあ当分エハガキを使つて呉れよ。」
「…………」
 僕は、困つた笑ひを浮べながら、膝の上でアルバムの頁を繰つてゐた。
 井伏へ宛てた続きエハガキもならんでゐた。――が、此処で、そのハガキの裏をかへして「鯉」に与へた言葉を写しとる要もあるまい。
 それよりも、その時彼に就いて取り交したYと僕との会話の一節でもを誌して置かう。
「新しい星だが、あれはあのまゝだんだんに光茫を輝かせて行くに違ひない頼もしい星だよ。」
「さうだ。」
 と僕はいちいち賛成するのであつた。「大丈夫だ、次々に非凡な、ニセモノでない素質が解つて来る傑れた作家だ。」
「そして、仲々の努力家らしいな。」
「何時までゞも同程度の新しさを含んで着々と進むだらう。」
「見事な才分に恵まれてゐる。」
「だから、何んな取材で、何んな文章を書いても皆相当に面白いよ、単に才分ばかりのことでもない。」
「デツサンが、既に、たしかだから――」
「もう、止さう。近頃ハヤリの座談会みたいになりさうだから。――だが僕は、折角新しい星を見つけ出しても、吹聴するとなると、批評的な言葉を持ち合せないので、いつもつい引ツ込んでしまひ、どうかすると悪いことでもしたやうな気がすることがあるんだが、これからは少々クリテイズムを研究して、せめて法定的なボケブラリイだけでも豊富にしておかうと思つてゐるよ。」
「ハツハー。まあ当分は俺にハガキでも書いてゐた方が無事だらうよ。」

デトロイドの第五街


 随分以前から、その作品の印象を誌さうと思つてゐながら、今のその引ツ込み思案でつい/\そのまゝになつてゐる対照にタルホ・イナガキがある。
 この作家のものは「千一夜物語」以来――だからおそらく頭初からだらう――僕は愛読しつゞけてゐる。
 勿論、このアルバムの中にもタルホの作物に就いて誌したエハガキがあるはずだ――斯う思つて僕は、心あたりのエハガキを順々に抜いて、裏を見て行つた。
 あつた!
「世界一ノ明ルイ街――デトロイド市の第五街」
 この写真エハガキの裏には斯んなことが書いてあつた。
「タルホは、ラリイ・シモンの讚美者だつた!」
 また、あつた!
「リツプ・バン・ヰンクル・ハウス。CASKILLS N.Y」といふ、森の中に、水色の屋根を持つた白い二階建の簡粗な木造づくりの家と、その前に独りの男が御者台にゐる一頭だての馬車がたゝずんでゐるの、ウラを見ると、
「タルホが偉い作品を発表した!
「飛行機物語り」
 おゝ、Very Bright」
 と書いてあつた。
 まだ、ある!
 これは「タバーンス、プレジユア」と題したドイツの学生の、昔から今に至るまでの、酒場での風俗を画家の筆で描いた十二枚組のエハガキである。
「これは愉快な本だから贈る。このハガキを一枚出さうと思つたのだが、気づいて見ると十二枚組だつた。バラバラにするのも具合が悪いから一処に贈らう。」
 と、その一枚に書いてある。愉快な本! といふのはタルホの「千一夜物語」である。
 何も僕は、決してエハガキの絵を、いち/\意味あり気に使用してゐるわけではないが、Yが欲しがつてゐるので、いろ/\な機会に遠慮なしに使ふわけなのだが、「世界一ノ明ルイ街――デトロイド市」には、意味を含めても赤面しない。――といふのは僕は、常々、わがイナガキ タルホを、
「世界一ノ明ルイ作家」と思つてゐるからである。





底本:「牧野信一全集第三巻」筑摩書房
   2002(平成14)年5月20日初版第1刷
底本の親本:「時事新報 第一六五五六、一六五五八〜一六五六〇号」時事新報社
   1929(昭和4)年7月19、21〜23日
初出:「時事新報 第一六五五六、一六五五八〜一六五六〇号」時事新報社
   1929(昭和4)年7月19、21〜23日
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年7月16日作成
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