さあ、これから宿へ帰つて「東京見物記」といふ記事を書くのだ――おいおい、タキシイを呼び止めて呉れ、
「チエツ!」といふ舌打ち――と、
「同情するよ。」そんな声と、そして、
「甘え野郎だなア!」
といふ感嘆とも嘲笑ともつかぬ声が飛んだのに気づき、僕は、仰天のあまり肩をすぼませた。にわかに顔がカーと熱くなり凝つとしてゐられなくなつたので、前後の弁へもなく一つのタキシイに飛び乗つてしまつたのである。
「どちらまで?」
「……真直ぐ行つて下さい。」
タキシイは、歌舞伎座の前を走つてゐる。――やあ、あべこべの方角へ走つてしまつた。やあ、此方へ行くのではなかつた、僕は麹町へ行く筈だつたんだ間違へた/\! などゝ今更云つたら、定めし笑はれることだらう、お祭り見物に来た田舎者だな?
「厭だな……そんなに思はれるのも――。癪に触る。」……。
「今の、歌舞伎座でせう?」
と僕は訊ねた。
「えゝ、さうです。これつ有名な歌舞伎座です、今月の狂言は梅幸、羽左衛門、中車……」
運転手が説明する。(厭だな……そんなに思はれるのは!)とたつた今懸念したことがどうやら実現してしまつたらしい。
(えゝ、面倒だ、いつそ、あざやかなオノボリさんになつてやれ。)余程車を止めて、口でもあけて看板を打ち眺めてやらうかと思つたが、それもあんまり空々しいので、
「他の劇場の前も通つて呉れ給へ。」
と云つた。――実は、上京以来、僕たちは、或る友達の好意に甘へて、今月の大方の芝居を見て歩いた後だつたのである。歌舞伎座は、「葵の上」の琴に酔ひ、「十六夜」の、月もおぼろ……に、退屈し、演舞場では、折角楽しみにして行つた六代目が、病気あがりのせゐか、何うも観た眼に気勢の欠けた感じで、何となく淋しく、何とかといふ狐使ひの悪者に
思へば、僕はあまりに忠実な亭主でありすぎた。田舎に暮し続けた日は云ふまでもなく、斯うして、都に出てすら、芝居へ行くにも、友達を訪れるにも、酒場へ行くにも、ダンスホールへ行くにも、一分一秒も妻と別々な行動を執つた験しがない。思へば、往来の人にあんな嘲笑を浴せられるのにも一理はありさうだ。そんなことは何うでも
「もう一度銀座から出直さう。」
僕は真面目な見物者に立返つて斯う云つたが、それは寧ろ、何処かこれから半夜の歓楽をあがなふべき適当な処を思案する予猶を自分に与へるがため――でゝもあつた。車の行列でスピードが出ないのが返つて具合が好い。
「今度は?」
運転手に時々斯う訊ねられるのが切ない。
「大川端へ出よう、そして橋を見物して、その先は、更に考へる。」
「あれが新橋演舞場! 此方側のが来月から開場される東京劇場……」
「立派だね、国から親を呼び寄せて是非見物させてやりたいものだな。」
「お国はどちらですか、九州ですか?」
「いや、――まあ……」
「永代橋――渡りますか――」
「渡らう、そして清洲橋へ――」
十年振りで深川通りを走る。
「はい、清洲橋――あれが明治座……」
「ちよつと此処で降して貰はう。」
僕は欄干に凭つて月を眺めた。川蒸汽だけは昔のまゝであるらしい。月あかりでははつきりとはわからぬが――。明治座なら人形町は直ぐ近くだな。学生時分に、何年かの間自分はこの辺の住人だつたが、――小説(小川の流れ)にも書いたことがあるが、その僕が寄宿してゐた家には生意気な娘がゐて、娘に案内されて芝居を見歩いたり、この辺の河岸ぶちを散歩したりしたが、一向見当がつかない。娘が谷崎潤一郎の「あつもの」といふ小説を僕にすゝめたりして、いろ/\と僕に「下町情緒」とやらを教育したのもその頃だつた。僕は早稲田の文科に通つてゐたが、日本に何んな小説があるかといふことも知らなかつた。娘のすゝめに従つて、一葉を読み、荷風を読みしてゐるうちに次第に僕も現代小説に興味を持ちはぢめ、「新小説」「中央公論」「スバル」などゝいふ雑誌の読者になつて、潤一郎の新作を待ち兼ねたり、勇の歌を喜んだり、万太郎の作物を愛読しはぢめたりした。
「水天宮へ出て、人形町通りを下谷へ向つて走らう。」
僕は、あの頃の思ひ出に耽りながら水天宮通りを和泉橋へ向つて走り、娘の家への曲り角に気をつけたが無論見失つた。見つけて、曲つたところが今はもう娘の家があるわけでもないのだが。
「雷門――ずつと北方まで行きませうか?」
「沢山だよ。蔵前をまはつて、日本橋へ出て、丸ノ内を一周して銀座で降りよう。」
間もなく僕は、さつき細君と別れた――新聞社の屋根でまはつてゐる飾花灯の下で親切なタキシイに別れを告げた。
未だ時間が早い――。未だ僕は行先きについて思案してゐる。思案が浮ばない。で、仕方がなく白木屋の近所にあるG――といふ酒場へ行つて、誰かに、素晴しい歓楽場の所在を訊ねようと思つた。僕は、此頃洋酒は苦手で具合が悪いのだが――其処は、シーク・ドランカーの井伏鱒二君や中村正常君達に依つて知らされたところなので、彼等がゐれば好いが――と念じながら走つた。――が、誰もゐなかつた。僕はぐつたりとして
「この酒場の名前は、何処かの国の言葉で、細君がブツ/\言ふといふやうな意味なんだつて――」
「まあ、変な名前だわね――あたしも、少しブツ/\云ふやうなことに出遇つて見たいわ。」
「さつき、宿へ帰り損つた理由は後で話すが、決して僕は嘘をついたわけではなかつたんだよ。」などゝ僕は妻の肩に手をかけて懇ろに弁明したが、
それから、三人睦まじく打ち伴れて、ダンス場へ出かけ、一時間で引き返し、僕はこのペンを執りあげた。
(三月二十六日)