R村々長殿
御手紙拝見いたしました。御督促にあづかるまでもなく「R村々歌」に就きましては小生夢にも忘るゝことなく出京以来もその構想に寧日なき有様にて没頭いたして居ります。然して、漸く、その
先日タバン・マメイドのマガレツトが出京いたして聞きましたるところに依ると、近頃タバンの常連も小生の在村中から見ると大分おもむきを変へた由ではありませんか。さもありなんことで御座います。小生が御村を出立いたす時は、未だ川べりの桃林の蕾は堅く遥か彼方の連山の頂きには残雪の痕がくつきりしてゐた頃ですもの――。執達吏のB君は遠く連山の向ひ側なるS州に転任となり、家族を引きまとめ、三台の馬車に、彼の報ずるところに依りますと、「一切の財産を積んで、野を過ぎ山を越へて」移つて行つたといふことではありませんか。執達吏はその後も屡々小生に書を寄せて呉れます、失言、執達吏の名ではなく一個のBとして、友達として――です。
「君が――」
とBは、その出立の有様を叙ぶべき手紙で云つて寄しました。「君が愛詠したウヰリアム・モリスの詩――ジエーソンの一生――の冒頭のやうであつた、その光景は――森に育つたジエーソンは、山向ふの村を指して、妻と子と、家畜とそして一袋の金貨とを携へて、旅路にのぼつた――といふあれさ。吾家の家畜は君も知るだらう、二頭の山羊と五羽の鶏と、そして一袋の金貨はなかつた代りに僕は昇給の辞令を意気揚々と小脇に抱へてゐたからな! 僕が村にゐた間の働きは、主に村長家と貴家両家に関しての破産整理に功労多かつたといふわけなのだよ。世は、何と、悲しく、皮肉なるもの哉! だね。」
――ですつて! でも、先生も飽くまでも村に対しての有情を重んじ、その日は国境ひの丘までも彼を見送つて、別れを惜んで下された由などを聞いて、小生も心から彼の出世を祝福し、そして、あの小生の机の上にいつも載つてゐる Pax の酒神の御像にひれ伏して先生と彼との、健康を祈りました。
また、先生は終に意を決せられて御子息のF君を御勘当なされた由も知りました。御心情推察はあまりありますが、あのF君の有様では、他に術なきことと了解出来ます。未だに彼はマガレツトの後を追ひまはしてゐる様子ですが、御安心下さい。彼女は、あんな怠惰な者の顔などは見るのも嫌だ! と云つて居りました。小気味の好いことです。
七郎丸は豊漁に恵まれて有頂天の由で結構ですが、夜々マメイドに現れて物凄い大尽風を吹かせてゐるといふ話ではありませんか! 軽卒な業でせう。どうぞ先生から手酷い小言を浴せて下さるようお願ひいたします。御存知の如く彼は底知れぬ好人物でありますから、何んな邪道に踏み入つてしまふか知れません。馬鹿な真似は好い加減にして、一日も早く水車小屋の車が廻り出すよう、資金を運用せよ! とお告げ下さいませ。小生は彼の父君から一種の嘆きの手紙を貰ひ、何と返事したら好いか当惑してゐるのでございます。
タバンの改築の相談、マガレツトの出京、偽画家の遁走、馬蹄鍛冶屋父子の騒動、R漁場主の更迭――の他村の出来事は大方マメイドから聞きましたが、これが小生出京以来五ヶ月のあの平和な村の出来事かと思ふと、幾多の感慨を覚えて止みません。来る日/\に対して広漠たる戦きを覚えると同時に、吾々の瞬時々々は飽く迄も明朗たる力の翼を伸べて、オプテイミステイクでなければならぬ! と今更ながら思つたりします。そんな意味では現在の小生達の東京生活は、まことに理想的であります。
人々は、凡てに拘りなく、鬱屈なく、臆測なく、その日その日の仕事を綺麗に所置して、夕べとなればダンス・ホールへ、または酒場へ、または街の散歩に出でゝ、未来への不安を知らず、過去への悔なく、一勢に健やかなるエピキユリアンであります。この所謂「モダン・ライフ」のアメリカニズムは、もと/\小生の望むところでありました。その上小生は、芸術は、常々生活線上の雲上にこれを求める質でありますから生活そのものに於ては最も簡明なる思ひなきものゝみを望みます。
何故なら小生は「芸術と経験」といふ言葉を殆んど信ぜぬからです。何んな生活環境に居ても、芸術は芸術です。だから生活に於ては、村などの「非モダン」よりも寧ろ都の人々の、機械的生活の明るさに多くの悦びを感じます。マメイドの常連の人情よりも、都会での機械的人情に同意します。何んなに暑くても、山も海もさつぱり恋しくはありません。この感想は近々先生が御出京の折改めて申しあげるつもりです。そして、酒場へでも御案内いたして、こちらでの小生の芸術上の友達を御紹介いたします。当今一方に於て、芸術の衰微とか滅亡とかといふ声が高く叫ばれ、小生なども田舎に居る間は、或ひは然らんか? と思ひましたが、こゝに至つて見れば決して左様なことはありませんでした。それは、モダン・ライフといふ言葉と、この生活に囚はれたる誤解者の言でした。斯る言葉の発言者は何んな平和な孤島に生活しても、生活のみの不平と陰鬱を呪詛して徒らにアポロの使徒を軽んずるでありませう。幸ひに小生の知友達は、悉く健やかなる至上芸術派として専念斯道に励みつゝあるブセハラスの矜持豊かなる騎手達です。
「文藝春秋」所載、拙作「歌へる日まで」に就て身にあまる程の賞讚辞を賜り満悦に存じました。六月の東京で、恰度昨年の六月村で書いた「山彦の街」の続篇を書くべく用意したのでありましたが、村での綺麗な思ひ出のみが余りに鮮やかに残つてゐたゝめに、消えぬ間と心して大車輪で書いたものです。
拙作に御寄せ下すつた七言絶句の賛は、早速表装におくりました。