〔モダン紳士十誡〕

牧野信一




          *

 ひである――。
 アスフアルトの街上で。

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 ロシナンテ(馬である、私達の――)を飛して森の奥深く駆け込んだ。剣を抜いて、邪悪の魔術師と渡り合ふた靴は破れ、花は千切れ、胸に血潮が流れた――勝敗は知らぬけれど、私は「王の大業を害ひたる、邪悪の魔術師」の剣に、ものゝ見事な巻き落しを喰はせた! と独り我点した。悪魔の剣は朝霧の虚空に銀の弧を描いて、森を超へて、河原の月見草の中に突きさゝつた。私は、猟犬のやうに追ひかけて、これを拾ひあげた。私はそれをバンドで結び肩に斜めに背はふとしてゐると、不思議な分捕品は煙りになつて消えてゐた。その代りに私の破れ靴は黒光りの靴に変り、衣は燕尾服となり、私はシルクハツトをあみだに被り――おや/\、きらびやかなタバンの酒注台に凭りかゝつて、盃をあげながら淑やかなマーガレツトの御機嫌をとつてゐた。
「あなたは一日のうちに何度悲しみをお感じなさいますか?」
 と私は訊ねた。佳人は白羽根の扇子で悠やかに自分の慎ましやかな微笑を煽ぎながら「朝と、夕暮時と――二度――。妾のその悲しみのために、どうぞ……」
「お言葉を邪魔します――この円卓子まるテーブルの一騎士に、あなたの悲しみのために満身の力を込めて、吾楯をとり、剣をふるふことが叶ふであらう幸福を与へて下さい。」
「御身は若しや、アーサー王の円卓子から、ホリイ・グレイルの旅にお出ましになつた……?」
「モダン・ライフの円卓子で、たつた今宣讐の盃を挙げて――と申すのは、世の凡ゆる佳人と、折々に胸をかすめるであらう諸々の憂ひと悲しみと嘆き――とを、その一盃を唇に触れゝば忽ち爽かに拭ひ去り、二度触れるならば、常住の健やかさを、三度には、不老の悦びを――そのやうな類ひ稀なる清廉に法て完全なる! 盃を探し索めるべく発足したばかりのアスフアルト街上のチヤムピオンであります。」
「妾の熱心な祈り、があなたの後に向日葵の花のやうに附纏ふてゐるであらうことを、どうぞお忘れなく……」
「街を遍歴した後に、また装ひを改めて、山奥の魔女の住家へも、森蔭の古池の辺りへも――臆せず赴き、必ずモダン・ホリー・グレイルを探し求めて参ります、あなたの祈りの夢を武器にして――」
「どうぞ妾の、この手に……」
 ――私は、床に片膝をついて、恭々しく佳人の手の先をいたゞいた。

          *

で、「モダン紳士十誡は……?」
「どうぞ、この新装成れる新雑誌「モダン・日本」の何の頁でもを御自由に拡いて御覧下さい。粗野にして幼稚なる私の言葉などを俟つまでもなく、そこには、あなた方の憂さを晴し健やかな夢を誘ふであらう万花燎乱たる十誡が、百も千も咲きそろふて居ります。」





底本:「牧野信一全集第四巻」筑摩書房
   2002(平成14)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「モダン日本 十月創刊号」文藝春秋社
   1930(昭和5)年10月1日発行
初出:「モダン日本 十月創刊号」文藝春秋社
   1930(昭和5)年10月1日発行
※題名の〔〕は、底本編集時に与えられたものです。
※「モダン紳士十誡」と題した企画への、回答です。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年8月1日作成
2016年5月9日修正
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