私は「喜劇考」と題して喜劇の発生に関する物語を、宇宙万物の流転の涯しもない煙りが人々の胸に
不図私は今思ひ出したのであるが、「悲劇は――」と――。だが、これは夢でもなく、また私の勿論創作でもなく、たしかに田舎の水車小屋の二階で読んだ何かの書物からの思ひ出であるが、書名が思ひ出せぬ。またその薔薇とマートルの花を自分で描いた表紙の、そしてまた裏表紙には、詩人ホメロスがロータスやマールの花が咲き乱れてゐる花園に寝てネクタアの大盃を挙げながら――神々も眠り、人々も眠り夜はわが花園に冴へ、
で、Cの「悲劇論」に関する手帖であるが――その中には、その書名も無論誌してあり、また私がここに誌さうとする精密な抜書もあるのだが――私は、これを抱へて街に出かけて、泥酔して、不幸にも紛失してしまつたのだ。多分タクシーの中に置き忘れたのであらう。あの時の若い運転手君、生活の花々しい尖端に戦ひつゝある勇士よ、パンアテナイア祭の戦車競技の選手よりも颯爽たる君よ、あの晩君は、京浜国道を疾走中私がパンの歌をうたつたら暫し車を止めて月を仰ぎ、私の歌に酔つて賞讚の握手を求めて呉れた、友よ、これを読んで思ひ出したら届けて下さい、田舎の海辺に今はもう誰も住んでゐない蔦のからまつた窓のあるバンガローが私の所有に残つてゐる、これを貴君の所有に移さうから――。
何故また私がそんな抜萃書などを無闇にも街中へなど持出したかと云ふと、私は夏のはぢめからかかつて時に触れ折を見ては「サチユーロス頌歌」と題する詩を工夫してゐたのであつたが、恰度その日に一スタンザを六行とする二十聯から成る登場歌の部門を完成して、この書の余白に記入した。
登場歌は酒神サチユーロスの祭りに赴く人々の扮装――パン、ユターピ、カライアーピ、バツカス、エラトー、ユレーニア、とり/″\の思ひを凝らした山羊脚がある、鬼が出る、星の倅も、恋の使者も皆な脚並みそろへて繰出す騒ぎに初まつて、さて、ひとり/″\が名乗りを挙げて、各自が持つ来歴に就いて身振り手振り面白く吹聴を試みた後に、さあ皆なそろつて鯨飲だ、踊れよ歌へ、ぢやん/\騒ぎで夜を明せ――といふいとも賑やかな合唱で一段落となる。
登場歌から、舞踏歌、争闘歌、悲歌、歓喜狂乱歌、哀悼、絶望、回生、その他様々な部門を経て、「夜明けの頌歌」に至つて完結する長篇なのであるが、私は、世を、未だ善、悪といふ言葉も発見されなかつた原始境に借りながら、山羊脚の気焔も鬼の涙もバツカスの踊りも、悉く現在の己れの心を仮托反映せしめて秘かにアポロの慈悲に縋りたい念願であつた。悩みよ、恐れよ、憂さよ、この
ところで私はその日、第一部門の登場歌を完成すると忽ち烏頂天となつて街へ飛び出した。私は裏街の酒場で、衆に向つて、朗読を試みずには居られなくなつた。短長脚の六脚韻律を踏んで、砂時計の砂のこぼれるのを感じながら一気に一聯宛を朗読して、凡そ五分宛三区に分つて――これは滾々として尽きざるクライオ(歴史)のすいふくべだ、皆なそろつてさあ見得よく傾けて――といふ最後の句を読みながら、見得よく歌ひ手も盃を傾け、そして若し聴手の意に投じたならば彼等も一処に盃を挙げながら声をそろへて「めでたい夢を見ようではないか――」と合唱するのである。私はイトウ屋へ行つて先づ玩具の砂時計を購つてから酒場へ走つた。原始時代に於いては砂時計の代りに一人の役人が酋長の胸にぴつたりと耳をおしつけて、その鼓動を数へる事に依つて時を計り、規定の合間に達するとバラルダと称する大太鼓を打ち、それに依つて唱歌者或ひは舞踏者は暫しの息を衝くとその書にあつたと思ふ。
その時の私の朗読の結果は酒場の人達の間に何んな反響を呼んだか忘れたが――たしか余り芳しい結果ではなかつたやうに思はれるが――それはそれとして、この文章の主題に戻ると、「悲劇」といふものゝ端は、サチユーロス祭の唱歌隊、舞踊隊――彼等は大太鼓の合図毎に、夫々角型のすいふくべをとつてガブガブと酒を飲むのであつたから登場歌が終る頃にはもう悉く泥酔の鬼と化してゐるのだ――が、唱歌と舞踏の合間合間にとり交される「対話」に発したとある。
では、如何なる「対話」が残つてゐるかといふと、これも抜萃書の紛失で思ひ出せぬのであるが、然し、此処に端を発した「対話」の「悲劇」はその後間もなくカルデヤの一哲学者に依つて――悲劇は凡ゆる飲酒者の飲酒者の凡ゆる対話がその要素である――と断ぜられるに至つたのであるから、私は此処に何の選ぶところもなく、飲酒者の諸々の言葉を抜萃すれば足りる筈である。何千年の悲劇の発達史上の、古く古く、善、悪の言葉もなかつた頃の話で、此処にその端を発するといふのも今代の私には余りに唐突で容易に合点もゆかぬのであるが、こんな夜更けに独り呆然と生命の不可思議を思ひながら例へば前夜の吾ながらの痴酔の態を回想し、断片的に思ひ出す何んな言葉を取りあげて見ても、成程カルデヤの哲人の説が、そこはかとなく胸に迫つて来るかのやうだ。
私は、そんな妄想に駆られてゐると、何ももう酔つた人達の「対話」に限らない。日常生活のあらゆる言葉と言葉の享け渡しが、吾々の会話の一切が「悲劇」の一齣であるかのやうな気がして来る。断つて置く、最も原始的範囲に於ける怪奇な運命の舞台で、未だ人々が「悲しみ」とか「哀れ」とか、そんな繊細な言葉も知らなかつた頃の悲劇の意味である。単に生存の不可思議、声が言葉になる現象、笑ふ、泣く、歌ふ――動く人物が此処に居る――それだけの悲劇の謂である。
「都に来て一番苦痛なのは、植物や昆虫の採集に行く暇がなくて、運動不足になることだよ。そして酒の上で飛んでもない失敗を繰返す。言葉が無礼を働き、意味と表現とが反対の結果をとつて負傷をする、厭世観に追はれる――」
「君が厭世観に襲はれてゐるところの、顔を見たいよ、俺は――」
それから私達は何時も斯ういふ時の習慣になつてゐる有名な戯曲の一節を唸りあつたりするのであつた。「神聖なる羅馬の帝国、今尚和合団結せざるか。(歌)」「くだらない政治詩は止めて呉れ。投ずべきかな君骰子を――の歌でもやつて呉れ、我願ふところは富にあり――といふ。」水車の主は私に手風琴を弾かせて、俺のうちの水車が
「悲劇」の起因に関する「悲劇考」は嘗ての「喜劇考」と同様幾幅かの風景の描写に依つて現はしたいのが望みであるが、あの頌歌の合間で、私が息を衝く間に自らが取り交す諸種の対話を自ら注意することだけでも足りるのである。それにしても私のあの抜萃書は何処に埋もれてゐるのかしら? 真夏の夜更け、私は独り言葉もなく、ボロ手風琴を持ち出してサチユーロスの登場歌の節づけに余念がない。あんなノートも、もう欲しくはない。
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坂口安吾の「黒谷村」は傑作であつた。私は、その前の「風博士」で、はじめて作者の名前に接し、短い感想を書いたが「黒谷村」に到ると作者の視野は忽然として趣を変へ、極まりなき風景の、冷々と澄み渡つた霞を透して動く人物の姿が、得難きプリズム望遠鏡のレンズに映り出て手にとる如く浮んで来る。貴く、面白く、汲めども尽きぬ芳ばしい詩魂に満ち溢れてゐる。彼の作家の頭上には不変一徹の清新な雲が虹をはらんで絶え間なく揺曳してゐるのだ。私は今、この作家が次々に描き出すであらう稀有な詩境の「パノラマ」を熱心に待ちつゝある者だ。
附記――九月号の「文藝春秋」に発表される作は、これを書く迄に間に合はなかつたので未読であつたことを附け加へて置く。