久保田万太郎
牧野信一
きのふしばらくぶりで東京へ行き「文藝通信」の机でこれを書かうと二時間あまりもぼんやりしてゐたが久保田さんときくといつそ目の前の電話機をとりたくなつて、だがとうとうその決心もつかなかつた。それといふのは、先生から名ざされた「飲み友達七人」なる末席の栄を担ふ小生たるもの、何かの罰があたつて冬からかけてのブラブラ病ひで、酒といふものが云ひやうもなく口にはいらぬのである。無理やりに注ぎこんでも一向に酔ひもしないといふ奇病患者なのである。久保田氏はさういふ病態の小生を持ち扱ふこと夥しい。おもふだにこの胸は冷えるのだ。その代りこの男が、どんなに馬鹿々々しく酔つぱらつて、どんなにしどけない野蛮人と化しても、何故ともなくはつきりとゆるして呉れる(さういふわけでもないんだらうが、凡そそれについては自信のない小生に少くともさうおもはせて呉れる)唯一の先台である。後悔のほぞばかり噛みがちな酩酊輩にとつては、慈雨にもまさるありがたさである。今度の上京の節は健康をとり戻して、田舎弁いともさわやかに、大手をふるつて闖入したきもの――など、考へはぢめると、僕は、今、云ひやうもなく興奮して来て、ペンなども持つて居られなくなつた。
兎角、田舎に住むと、文学を語る友の無い無縁孤独。この前僕が、ひどくぼんやりしてゐると、氏は、三十九ぢやもの――と元気づけてくれるやうにわらつて、あれは何時何処で、そしてその時はどんな風にわかれたものだつたか。
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