いつか、凧に関する何かの文献を読んだ時、この凧は昔湘南地方の一部で挙げられ、現今では殆ど姿を没して居るとあり、尚その製作者は相州小田原町に唯一人生存してゐるさうだが名は解つて居らぬとあつた。わたしも、その唯一人といふ製作者の名は知らぬが、その地方では今でも極めて稀に冬の青空に見出すことがあり、わたしも現在その一体を所有してゐる。小田原の町から五六里北へ踏み込み、足柄山の麓にある矢倉沢村といふところの乙鳥音吉なる老人が、わたしの幼少の頃にもこれを作つてわたしに贈つたが、近年――と云つてももう六七年も前のことだが、急にわたしはそれを欲しくなつて、矢倉沢村を訪れたのである。乙鳥音吉はわたしの幼少の時にもチヨンまげをつけた相当の爺いさんに見えたが、いつか訪れた時もやはり同じやうな感じの頬のこけた鷲鼻の顎の長い爺いさんで、禿頭の後頭部に川蜻蛉のやうに小つぽけなチヨンまげを結んでゐた。たゞ昔と明らかに変るところは、完全な聾者になつてゐたことである。わたしは、その時も一ト月あまりも彼の屋敷に滞在して製作の助手をつとめ、その後も何故か冬になると、聾者の爺いさんと酒を酌む静けさが慕はれて、遥々と馬に乗つて訪れた。わたしはその家の一室に机を構えてゐた。
静かな小春日がつゞいてゐた。音吉が百足の頭部を、そしてわたしが尾端を恭しくさゝげ霜柱を踏みながら、
ムカデ凧の上げ方は、余程の練達を要すると見え、従つて其処に興味も深い仕儀ではある。わたしは特に凧上げの技巧が不器用とも思はれなかつたが、ムカデ凧を上げるには何時も余程の苦心を余儀なくされた。音吉の手にかゝるとあんなに他易く上り付いたが、わたしが此度は音吉に代つて糸をとり、合図を待つて、音吉のやうにその場で糸をたぐらうとする態の巧者を真似ようとしても、凧は地を舐めて引きずられるばかりで、いつかな空へなどのしたこともなく、忽ち此方の両腕ばかりが櫂のやうにしびれるだけだつた。寄んどころなくわたしは跣足になつてものゝ一丁あまりもあらうといふ急坂を芋畑の上から下まで糸を引いたまゝ一散に駈け降りるのであつた。それで辛うじて松の木の上ぐらゐまで上つたかとおもふのも束の間で、息切れを休めるうちには、とうにもう凧は地に落ちかゝつてゐた。音吉は、墜落の為にそれが破損することを何よりも怕れ、両腕の上に落ちて来る凧をうけようとして、上を仰ぎながら踊るやうな恰好で待ちうけた。凧は彼の近くに達すると、恰で甘えかゝるやうにうねりながら、ぐつたりとその腕の中に身を任せた。
音吉のコーチがあつてさへ、そんな態だつたから、もとよりわたしはあきらめて、上げるといふよりも、如何にもその組立がおもしろく、彩色の具合も華麗なので、壁か天井に飾つて置きたいのだ――などと負惜しみを云つた。伸すと八畳間の天井を隅から隅へ斜めに掛けても尾端は鴨居の下迄垂れさがつた。二条に岐れた長い銀色の尻尾であつた。そして例の舌と鬚をもつた怖ろしげな
「やはり、これも練習かね?」
とわたしは、音吉の聾の耳に口を寄せたり、その意味を手真似で示しながら訊ねた。
「お前さんは不器用の上に、気忙し過ぎるから、容易な辛棒ではなからう。」
音吉は一向わたしに望みを持たぬ気であつた。
「ともかく――」
とわたしは、然し望みを棄てたがらなかつた。「いくら不器用でも気永に落着きさへすれば、上げられるようにはなるだらう?」
音吉は、
「いつのことやら……」
と苦笑するだけだつた。
彼は去年の春、老衰病で歿くなつた。八十八歳で、一生涯薬を服んだ験がなく、その時も医者の手にもかゝらなかつたさうである。彼の道具箱から、わたしはムカデ凧の図取りを見つけ出した。絵は仲々器用で、絵具の配合なども大胆に見えたが、文字は自分の名前も書けなかつたくらゐであつたから、
またわたしは凩の風が吹きそめる頃から矢倉沢の、天井にムカデ凧が掛つてゐる炉端に赴いた。試みに、たつた一度それを持ち出して裏山へ登つたが、手伝ひの子供連さへが愛想を尽して嗤ふばかりで、埒もなかつた。わたしは、さういふ才分に欠けてゐるとあきらめかゝつた。加けに疳癪を起して荒々しく地面を引きずつたので、あちこちと破損の個所が大きく、どうやら小田原へ運んで残存者の手でも
わたしは、主にひとりで炉端の酒を酌みながら、天井の破れ凧を見あげた。わたしと乙鳥音吉とはどんなに夜更まで炉端に坐禅を組んだ後でも、朝ともなつて麗かな陽が紫色の山々を染め出してゐる日和を見定めると、とるものもとりあへず大ムカデを担いで裏山へ登つたものだ。憶ひ出の中では飴色の光りが輝き、青空にくつきりとそびえた山々の青肌に翼を拡げた鶴のやうなかたちの雪の痕が点々と望まれる和やかな冬の日ばかりが続いてゐるが、案外にもこのあたりの朝は、早朝から達磨型の矢倉岳を吹き降す烈風が麓の部落に渦を巻く日が多く、滅多に絶好の凧上げ日和などは見出せなかつた。それ故音吉もわたしも稀に左ういふ朝に出遇ふと胸を躍らせて自慢の凧を担ぎ出したわけなのである。
この頃わたしは炉端にひとり坐つて、天井の凧を眺めてゐると、何うせ物言はぬ音吉の気合ひを感ずるやうである。破目を洩る風が冷く焚火の上をかすめた。わたしは丘の上の凧日和を夢見つゞけるばかりであつた。――時々晴れた朝に出遇ふと、わたしは裏山へ杖を曳いた。霜柱が深く遠方の山には雪の斑点を見た。上げ手の姿は見えないがウナリを取りつけたダルマ凪があがつてゐた。トンビ凪が二ツ三ツお辞儀をしながら川向ふの