親孝行

牧野信一




「新一、遅くなるよ、さあお起き。」と耳もとで母の声――。おや夢かな、と思ふ途端、悲しくも夢ではなかつた。私は亀の子のやうに床の中にもぐつた儘、眼を開いた。――なさけない程眠かつた。即座に夢を見る、といふことが非常に容易な事だつた。――何も横着で起きないのぢやない、自分の体が目下凡ての物をさし置いて、たゞ睡眠だけを欲してゐるのだから止むを得ない。――どうかもう五分間だけ眠らせてくれ。その五分間を自分は何れ程有用に費すか知れないのだから……などと思ひながら再びウトウトした。
「新!」と先程より稍強硬な母の声!
「ウーム。」と私は、如何に今眠がつてゐるかを表すべく、更にもぐもぐと夜具を引き被つた。
「さあ、さあ、お起き! お起き!」
 倅が可愛いと思ふのなら、もう少し眠らせてくれてもよささうなものだ。此の間、学校で修身の時間に「この身体は両親からさづかつたものだ、吾々は身体を大切にしなければならない、それが先づ第一の孝行である。」と。さうだ! 自分の体が今何よりも睡眠を欲してゐるところだ。それに逆ふことは身体を粗末にすることだ。……つまり親不孝だ。何といふ俺は孝行者であらう。母は、人としてだれでもが心得て居なければならない大切な金言を知らないのだらうか? 母は子供の時あれを教はらなかつたのだらうか……あゝ俺は何といふ不幸ふしあはせだらう。この心が解つたら、母はわが子の孝心に嬉し涙をこぼさなければならない筈なのに――。
「新一さん、お起なさいまし。お母さんに叱られますよ。ね、新一さん!」と女中お松の声。聴く耳もたぬ、安心して眠る。……あゝさうだ。不幸と思つたのは俺の過失あやまちだつた。母は矢張りあの金言を弁へてゐるのだ。孝子の心が初めて解つたのだ! 何といふ俺は親孝行者だらう。母は屹度どんなに悦んでゐるだらう。でお松に代らせたのだ。つまり「もつと眠つておいで。」といふ母のありがたい慈悲なのだ。お母さん、子は悦んでゐます、決してお母さんのお心に逆ひません。修身の教訓をこれ程適切に応用した者は一人もないだらう。俺はこんなに親孝行なのに、何故先生は俺の修身点を丙になどしたのだらう、と。
 その瞬間――。
「新! 戯談じやないよ、いゝ気になつて、これで何度目だと思ふの。お父さんに言ひ付けますよ。」と来た!
 あゝ神よ、母を救ひ給へ。
「今、起きます。」
 親父を呼ばれてはたまらない、親父は「金言を弁へざること」母以上であるから!
「さあ、お起き/\!」
「今、起きるところですよ。」
「愚図/\云はないで早くお起きよ。」
 ……余りといへば子の心を弁へぬ親だ。真の孝行といふものは親の言付に従ふばかりが孝行ではない「己の欲せざるところ、これを人にほどこすこと勿れ」だ。……何といふわからずやの母だらう、……俺が説いて教へてやらなければならない。だが口で云つても解らないだらう、行為おこなひに現して見せなければだめだ。親のためなら是非もない、もう三分眠つてやれ! と、両親のために、水火も厭はず……ムニヤムニヤ/\。
 母は堪り兼ねたと見へて、両手で私の夜具をゆすぶり初めた。こゝが我慢の仕処だ! そのうち母も悟りを開くだらう。あゝ孝なる哉。と、私はこの時、あの平の重盛の言葉「孝ならむと欲せば、忠ならず……」を思ひ出した。さうしてそれよりも更に強い言葉を発見した。曰く「孝ならむとすればその心通ぜず、孝子はたゆまず、これ最上の孝ならずや」と。重盛の言葉はあきらめだ、さうして嘆いて止めたのだ。自分はどこまでも……あきらめない、親を思ふ心はかくまで強いのだ……何事も親のためだ、――動くまいぞ/\。
「夜具をまくるよ、いゝ加減にしないと。毎朝毎朝他人ひとの手ばかりわずらはせて、ほんとにあきれた子だね。」
 ――ほんとにあきれた親だ、毎朝々々これ程までにおこなひにあらはして説いてゐるのに、未だ子の孝心をさとらないとは。かうなれば、どちらが我慢強いか根較べをするより他に仕方がない。今こゝで起きてしまつては、凡てが水泡に帰してしまふのだ。
 眠れ! 眠れ!

 ――もう一つ自分にとつて起られない理由があるのだ。自分だつて、もう中学の三年だ。小学校に行つてる時分とは異ふのだ。さう一々親の命令の儘に動いて許りは居られない。独立といふことが男子にとつて忘る可らざるものであるといふ事を考へてゐる。善きことであれ、悪いことであれ、例令親の言葉とは云へ、「かうしろ」と云へば立所に「ハイ」と何の思慮も反省もなく返事をするやうな軽卒なことでは、男として恥だ。恥ばかりでなく、そんな圧制的なことに従ふべくもない。俺は俺としての個人的存在を認めてゐるのだ。
 頑迷と云はゞ云へ! 自分は自分の信ずる処を動かさないばつかりだ。真理は一つだ。かの偉大なる釈迦は、「天上天下唯我独尊」を主張しをふせたばかりで、あれ程の者になつたのではないか。かのキリストは「われは神の子なり」といふ己惚うぬぼれを信じ終せたばかりに、つひには万人から神として仰がれるやうになつたのではないか。「吾等は皆神の子なり」とも彼は云つた。即ちそれは、自信を持てと云ふことだ。真理をつかめ、といふことだ。
 彼が云ふまでもなく、俺は俺自身を信じて疑はないのだ。俺だつて朝起きぐらゐはわけのないことだ。仕ようと思へば暗いうちにでも起きる。ところが、どういふまはり合せか、毎朝毎朝――さあ、そろそろ起きようかな、と思つてゐると、丁度その時母が来るのだ。――で俺はどうしても起られなくなるのだ。
 起しさへしなければ起きるのだ。だれがこんな苦しみをしてまで寝てゐる奴があらう――起されれば起される程、眠くなるばかりだ。

「未だ起きないね、この子は! もういゝ、たんと、世話をおやかせなさい!」
 仕方がないものと思つたのだらう母の言葉は少し丁寧になつた。が、かうなると、少々その次の言葉が怖いのだ。
「……お父さんに……」
 ソラ来たツ、と私は思つた。親父だつて別に怖いことはない筈だが、たゞ母だと多少猶予があるのだが、親父の番になると、天上天下を説く間もなく、「起ろ。」といふ声と共に、この偉大なる吾を……孝行させようともせず撮み上げて了ふので、仕方がないのだ。そこへ行くと母の方は、いくらか諭し甲斐がある。つまり救はれる望があるのだが……。
 それに親父が来ると、今まで頑張つてゐた俺が、一たまりもなくなつてしまふことが、――それを母やお松に見られるのが、それ迄の手前甚しく恥しいのだ――だから、「お父さん」と云はれると、どうしても起きることを余義なくされてしまふ。
「そんなに云はなくツても今起きますよツ。」と私が未だ愚図/\してゐた瞬間、
「新!」といふ厳然犯し難き親父の声!
 起きるなら今だ! と私は思つたから、――また説教は明朝続きに、と起き上つた。

 朝飯を終へて、制服を着て登校するときには、気も晴れ晴れとして、
「起きることも、かうして見ると、やはり親孝行かな。」といふ気がした。





底本:「牧野信一全集第一巻」筑摩書房
   2002(平成14)年8月20日初版第1刷
底本の親本:「少年 第二〇二号(魔の国ロシア号 六月号)」時事新報社
   1920(大正9)年5月8日発行
初出:「少年 第二〇二号(魔の国ロシア号 六月号)」時事新報社
   1920(大正9)年5月8日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年5月6日作成
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