二人の小さな中学生が、お茶の水橋の欄干にもたれて、じっと水を見ていました。
「君、この水はどこへ
「海さ」
「そりゃ知ってるよ。だけど何川の支流とか、上流とか言うじゃないか」
「これは、神田川にして、隅田川に
「そう言えば、
Aの方の学生がずるそうに、そう言い出したので、Bの方も無関心でいるわけにゆかないものですから、わざと気がなさそうに、
「ああ」と言いました。この二人の小さな中学生は、今日学校を
「閉め出しだ」Bが言いました。
「君もおくれたの?」Aは、おなじ境遇におかれる友達が一人出来たのに力を得ながら言いました。
「
「家へなんか帰ったら余計にわるいよ。散歩しようじゃあないか、どこか」
「ああ」気の弱いAも、そうするより外ないと思って、Bのようにすることに決めました。
「ニコライへいって見ないか?」
「ああ」
そこで二人の小さな中学生は、大学の学生が大威張りで銀座を散歩するようなつもりで、もしその勇気があったら
「なあんだ、ニコライ堂は帽子を脱いでしまったじゃないか」
塔を見あげながら生意気らしくズボンのポケットに手を入れて、Bが言いました。
「ほんとだ、地震に降参しちゃったんだね」
Aはまだどうも学校へ講義をききに
学校では、地理の教師のカイゼル(その
「ミスタ、ヤマダ」
「ヒヤ」
「ミスタ、コバヤシ」
「ヒヤ」
「ミスタ、ヤマカワ」
「ヒイイズ、アブセン」
Aは、ニコライの
「
Bがそう言ったのです。
「うん」
「しっかりしろよ、もう学校はあきらめたんじゃないか」
「そんなこと考えてやしないよ。ただ……」
「ただ心配なんだろう。だって仕方がないよ。遅れたものは遅れたんだから」
「そうさ、銀座へゆこうよ」
二人の小さな中学生は歩き出しました。そこはこの季節によくある、もう春がきたのかしらと思われるような、ぽかぽかと何か柔かい暖かいものが、空気の中に浮いているような素晴らしい上天気でした。
須田町へくると、いろんな人間が
それに年末の売出しで、景気づけの
けむりもみえずウ くももなく
かアぜもおこらず なみたたず
かがみのごときィ こうかいはァ
そうです。ふたりの学生は、一杯帆に風をはらんだ船のように、肺臓に一杯空気をふくらませて、出帆しました。かアぜもおこらず なみたたず
かがみのごときィ こうかいはァ
かアぜもおこらず なみたたずウ
たッ たッ たッ
小さな中学生達の航海は、たッ たッ たッ
「この芋の山はどうだい!」そこは青物市場で、白い大根や、
「ほう、こんな所に芋があるのかなあ」それは新しい発見でありました。
「君、ここは神田の
神田鍛冶町の
角の乾物屋の勝栗 ア
堅くて噛 めない
勝栗 ア神田の……」
「は、は、は、あの乾物屋だね、きっと」角の乾物屋の
堅くて
二人にとってはそんな風に、何もかも見るものすべて珍しく面白かった。どうしてだろう。学校を
学校の
いつの間にか二人は、日本橋を渡っていました。それから二人はまた
「隅田川だね」
「ああ」
ここまでやって来ると、もう二人ともすこし疲れて、それに腹がへっていましたから、ものを言うのさえ
一銭蒸気がぼくぼくぼくと、首だけ出して犬が川を渡るような
「お
「君は弁当持ってる?」
「持ってない、君持ってるの」
「パンがあるよ」
二人は一つの弁当をかわるがわるちぎって食べました。すると何か飲むものがほしくなりました。
「君お金ある?」
「ああ、二十五銭」
「ぼく五銭だ」
「お茶が一杯ずつのめるね」
二人は笑いませんでした。
「なんだか
「ああ、よそうよ」
二人は喫茶店の店先までそっと歩いていったが、
敵がどこまで追跡してくるかわからないような気がして、なんでも、横町を三つばかり曲って、時計屋の飾窓の下まできて、ほっとして足をとめました。二人は、もう大丈夫だと思ったのです。
ちっくたっく ちっくたく
がっちゃこっと がっちゃこっと
いろんな時計が、いろんな音をたててうごいているのです。そして八時十五分のもあれば、二時四十分のもありました。がっちゃこっと がっちゃこっと
「幾時
「時計屋の時計はあてにならないね」
時計屋の隣の散髪屋の時計は、十二時を八分過ぎていました。その隣の果物屋のは、十二時五分前でした。なんしろ今頃学校にいれば
二人はもうちっとも幸福ではありませんでした。何かしら重い袋でも背負っているように、その袋の中に何かしらない心配がつまっているような心持でした。
学校がひける三時まで、こうして街を歩いているのが、とても苦しくて、罰をうけているようだと思われだしました。
「学校へいって見ようか」
「ああ」
二人は、来た道を逆にまた学校の方へ歩き出しました。二人が学校のあの街の方まで
こわごわ門のとこまできてみると、大きな門はぴったり閉まって先生や小使が
すると砂利を踏む足音が門の中から聞えてきました。
「来た!」
「先生だ!」
学校のわきが原っぱで、垣根の中にアカシヤの木が茂っていました。二人はその中へ飛込んで、死んだようにじっとして、
「あ、あれだ」
「山本先生だ」
それは体操の先生でした。いつもなら怖い山本先生が、今日はなんだか、急になつかしくなって、涙がぼろぼろと出てきました。
こんなことでAもBも、許されない冒険が、そんなに思ったほどたのしいものでないということを学びました。しかしこの経験は、すぐわすれてしまいましたが……。
それよりも、それから後にAが、あの時のことを
それはこうです。その年が暮れて、あくる年のお正月のことでした。Aの家ではある晩のこと、親類や知人の家の子供達を集めて、一晩カルタやトランプなどをして遊んだことがありました。そのあとで“who, when, where, what”という遊びをしたのです。「誰がいつどこで何をした」と読みあげるのです。詳しく言えば、まず
ところがその晩どうしたものか不思議にも、中学生Aのところへこんな文章が出てきたのです。
「かっちゃんは、去年の暮、ニコライの塔のてっぺんで、べそをかきました」
というのです。Aのことをみんなかっちゃんと呼んで居ましたから。
「かっちゃんたいへんね」とAの姉さんが言いました。みんなAの方を向いて笑いました。すると十一になる
「かっちゃん本当?」
と
「うそだい」
かっちゃんは元気らしくそう言いました。それでもすこし心配なので、そっとお母様の顔を見ました。するとお母様はすこしも感情を動かさない顔でしずかに笑っておいでだった。かっちゃんは、それでほっと助かりました。