あさぢ沼

田山録弥





 私は知つてゐる人に逢はないやうに沼の向う側を通つて行つた。なつかしい沼、蘆荻の深く生ひ茂つてゐる中に水あほひの濃く紫に咲いてゐる沼、不思議な美しい羽色をした水鳥の棲んでゐる沼、私の恋を育てゝそして滅して行つた沼――さびしい田舎の停車場を下りて、百姓家について幾曲も曲つた路を通つて、それからずつと此方へと歩いて来て、その銀色した沼の一部を眼にした時には、私は一種の顫えを心に感じて、ぢつとそこに立尽した。
 今は冬だ。そこには水あほひの濃い紫がありやう筈はない。またそのなつかしい水鶏くひなの声を耳にしよう筈はない。また私達の恋を世間からかくして呉れた蘆荻や水草の緑がありやう筈はない。あたりはさびしくなつてゐる。曾てそこにさうした恋が燃えたなどとは夢にも思へないほどあたりは冬に包まれて了つてゐる……。しかし私はそれを見に来たのではないか。その跡を、さういふ風にさびしくなつてゐる沼を見に来たのではないか。
 幸に私は誰にも逢はずに、逢へば必ずなつかしさうに向うから寄つて来て、その時はぢかには話さぬにしても、あとでいろいろと噂の種にはせずには置かないであらう村の人達にも逢はずに、丘の松の林の中の路をずつとYの城跡の方まで出て行くことが出来た。静かな初冬の日影がそこにあつた。私は纔かに残つてゐる封建時代の石垣のところに来て、誰にも見られぬやうにそこに草をいて坐した。


 私は灼熱したかの女の眼をそこに見得る。またその眼の何を要求してゐたかを見得る。否、その柔かなかひなが、またその美しい心が、いかやうにこの身に向つて触れて来ようとしてゐたかを見得る。そこにはあらゆるものがあつたではないか。詩があつたではないか。絵があつたではないか。あらゆるものを捨てゝ捨てゝ顧みない熱情があつたでないか。帝王の力でも何うすることも出来ない何物かがあつたではないか。私はそれをぢつと見ようとした。あの時と同じやうに見たり感じたりしようとした。
 あの時、私達は何を言つたらう。何んなことを言つたらう。それは昔から言はれて来てゐる言葉そのまゝではなかつたらうか。われはなんぢを愛す――さうだ、要するに唯それだけではなかつたらうか。私はこんなことに頭をくり返しながら、下に横へられた静かな日影のチラチラした沼を眺めた。
 私はその時を思ひ起した。初めて沼から此方へとやつて来た時のことを思ひ起した。あの蘆荻のさやぎ――二つの恋の魂の中までも静かに入つて来ずには置かないやうなあの長い葉と葉のすれ合ひ、舟の動く度に女の髪でも引摺るかと思はれるやうな半は倒れた蘆のなびき、をりをりは黒い水の中に魔のやうに藻が動いて、美しい紫の水あほひすら何か不可思議の世界を私達に暗示してゐるとしか思へなかつた時のことを思ひ起した。
 私達はしまひにはある恐怖に襲はれたやうにして急いでそこから出て来た。私達の顔は蒼白くあたりに際立つて見えてゐたに相違なかつた。私達はそこからあの船着のところに来て、そこに船を捨てゝ此方へと上つて来た。
 その時、私達はこんなことを話し合つた。
『船はあゝして置いて好いの?』
『大丈夫だよ』
『でも、もうあつちから帰るんでせう?』
『それはさうだけども、大丈夫だよ』
『取られやしない?』
『何を?』
『船を?』
『大丈夫だよ』
 かう言つて私達はそこから此方へとのぼつて来て――普通ならばお宮の方へと行くのがあたり前であるのに、そつちへは行かずに、そのまゝ此方へとやつて来た時のことを思ひ起した。しかし時といふものが不思議な力で全くそれを別なものにして見せたか、それともまた私の内部にあるものがそれをかうまで違つたものにして見せたか、それは何方どちらだかわからないが、兎に角それがそこであるとは思へないほど、そこを二人が歩いて上つて来たのであるとは何うしても思へないほど、あたりは全く変り果てゝゐるのを私は眼にした。それにしても、あれからはまだいくらも月日は経つてゐない。さうだ、五たびとまだ指を折らない。それであるのに、かうした変化は? あらゆるイリユウジヨンはすべてそこに埋めつくされて了つてゐるのを私は発見した。


 ふと気がつくと、すぐ下の畑で一人の百姓が鍬を立てゝさも疲れたやうにして休んでゐた。
 しかしそれは幸に私の知つてゐる顔ではなかつた。丘の此方側の百姓なら、大抵知らぬものはないのであるが、全く見覚えのないのを見ると、向う側のTの集落から働きにやつて来て働いてゐるものであるらしい。
 私は話しかけた。
『あなたはTの衆かね?』
『いや……』
 矢張、此方側の丘の下のものだといふのであつた。丘の此方側のもので自分の知らない百姓! 話をするのには、これほど都合の好いことはなかつた。
 私は別な方から訊いた。
『あの、この村に、Iといふ人はゐるかね?』
『Iさんて何軒もあるが――』
『そら、土手の側の……』
『あ、あそこけえ! あそこは後家さんがひとりつきりで、何うにもならねえで、もうあそこにはゐねえ』
『さうかね……』
『あそこも、娘が長いことわるい病気で、たうとう亡くなつたでな』
『ふむ……』
『それにその婿といふのが、東京もので、たまにしか来たことはねえが、その娘さんの死なねえ中から、本家の娘を思つたりしてな?』此処にゐる自分が現在その婿であつたなどといふことを百姓は夢にも知つてゐないのであつた。
『それで、その家ではもうあそこに住んでゐないのか?』
『一昨年だアな! あそこをそつくり引挙ひきあげたのは?』
『ふむ』私は余り深入りすることを避けた。
 私はその病妻を滅多に見舞に行かなかつたことをくり返した。月に一度すらも行かなかつた。それにしてもあの離座敷は! 夜も水鶏くひなの啼く声の絶えないあの離座敷は! そこで始めて私はその本家の娘といふかの女を見たのではなかつたか。その半年前までは夢にもさういふ恋がそこに待伏せしてゐようとは思はず、またその恋が※(「風にょう+(犬/(犬+犬))」、第4水準2-92-41)風か何かのやうに、病妻の死の前後を色濃く悲劇で塗らうとでもするかのやうにだしぬけにやつて来て、そしてまただしぬけに向うに行つて了はうとは少しも思はなかつたのではないか。私は今でもその烈しい恋の過ぎ去つたあとを唯ぼんやり眺めてゐるひとりであることをくり返した。
 私にはその離座敷はなれがはつきりと浮んだ。そこからはこのYの城址の松が見え、銀色をした沼の一部が見え、草で蔽はれた土手の長く連つてゐるのが見え、田が青く朝風に靡いてゐるのが見えた。水鶏くひなの声――嘴を半ば水の中に入れて雄を呼ぶといふ雌の啼声。朝の深い露。そこから土手の上までは何うしても足をぬらさずには行けないやうな田のくろの中の道。ある日は私はかの女を土手の向う側に待たせて置いて、そつとその露の深い畔の中の道を拾ふやうにして歩いて行つた。


 一時間ほどした後には、私は病妻の埋られてある寺の墓場の中へと私の姿を見出した。私はYの城址から丘つだひに、松の林の中の道をずつと此方へと歩いて来た。これも私に取つてはなつかしい道だつた。何遍私はそこを歩いたか知れなかつた。病妻がまだ生きてあそこに寝てゐる頃から、まだ本家の娘であるかの女と恋に落ちない頃から。否、あつく灼熱した頭の中に病妻とかの女との二つの姿が混乱して巴渦うづを巻いてゐる時にも、いろ/\の思ひを抱いて――時にはその身の不徳を責め、また時には恋の有頂天に心も魂も乱るゝばかりに狂つて、何遍このあたりを歩いたか知れないのであつた。私は何遍病妻の死を思つたらう。また何遍その後にやつて来る新しい恋の舞台の花やかさを思つたらう。しかし今はあらゆるものが過去つた。さうした恋も、心も、熱も、何も彼も過ぎ去つた。病妻の死と共にその恋もすぎ去つた。
 私はまた病妻が野を歩くことが出来る時分に、一緒にこのあたりを歩いて、ドイツのフエルランドの歌を口吟くちずさんだことを思起すことが出来た。それはかうした長い静かなメロデイで始まつてゐる小曲だつた。
おくつきの前に二人たちぬ
にはとこの花は香ににほひて
夕暮の風に草葉そよぐ……
 それを思ひ出しただけでも私の心は震えた。何うして私は過ぎ去つたかの女の灼熱した恋と一緒に、このさびしい病妻を思ひ出すのだらう。その小曲はかう言つてゐる。『私はこの世を去るだらう。それに疑ひはないだらう。私のよんだ歌だけがこの世にながらへ、君はひとり誰も慰めるものもない世に取残されるだらう。その時はさびしいだらう。たまらない孤独を感ずるだらう。私のことも夢に見るやうになるだらう。その時は私の墓をたづねていらつしやい。にはとこの花とさうびの花とで囲んだ墓を訪ねていらつしやい。そしてそこに生えてゐる緑の草葉をしとねにして、匂ひよき花の一束を私に手向けて下さい……。さうすれば、私は……』
なれし足音に眼をさまして
静かにしのびてなれなれしく
心を隔てずさゝやかまし、
共に世にありし時のごとく。
すぎ行く人々思ふならん、
にはとこの花をいとしづかに、
ゆるやかにそよぐ夕風ぞと……
 私は静かにその小曲を口ずさんだ。曾て病妻と一緒に口吟んだと同じやうに。『その時は世にあつた時と同じやうに、いろいろと浮世のことをきかせて下さるでせうね。そしたら何んなにかうれしいでせうね。そして私は私でよみのことをいろいろとお話ししませうね……』
その時互ひに心おちゐ、
目をさます星に力づきて
さらばと言はまし、いと静かに、
君は力づき夕まぐれに、
かへり給ふらんおのが家に、
おのれは再び花のそこに……
 私は病妻の埋められてあるつかの前で、向うにさびしい沼の一部を眺めながら、そのフエルランドの小曲を低声に誦した。『おのれは再び花の底に』かう歌ひ終つた時、私の眼には涙が一杯になつて来た。Immortal love がはつきりと浮んで来たやうな気がした。


 せめて半日をそこで過さうとしてやつて来た私は、いろいろと昔のことをさがすやうにした。私は松原の中の路を縦横に歩いた。恋のあとといふことをさがした。私に取つては、その銀色をした沼は、私の恋のあとではないか。そこに折れ伏してゐる蘆荻も、またそこにある浮草も、土の中に次第に深く埋れて行く石垣も、すべて私の恋のあとではないか。あの私の病妻の嫉妬も――あの眼で見るすら心で考へるにすら堪へられなかつたほどのあのすさまじい嫉妬すら、いつかあの灼熱した恋の心と一つになつて、絵の静かさとやさしさとの中に溶け合つて行つてゐるではないか。そしてそれがこのあたりの日影だの、松の林の中の道だの、墓への小道だの、沼ぞひの吹井ふきゐのある茶屋だの、音ばかりきこえてその形は見えない丘の上の荷車だの、あやつり人形でもあるかのやうに遠く野の畠に動いてゐる百姓の男だの、こんなところまで来てゐるのかしらと思はせるほどそれほど深く折れ曲つて入つて来てゐる不思議な錆びた沼だの、そこにさびしく一つただよつてゐる舟だのとひとつになつて来てゐるのではないか。
 夕暮近い頃になつて、私はやつと沼に添つてゐる吹井のある茶店の腰かけから身を起した。
『N駅の方へ行くのには、これを真直に行つて好いのかね?』
『さやうで御座います』
 病妻ともかの女とも来たことのある茶店の主人は、かう言つて奥から立つて来て、『N駅よりはT駅の方がお近いですが、あ、さうですか。N駅ならこれを何処までも真直に――松の中の道をさへ行らつしやればひとり手にそこにまゐりますから』
『難有う』
 私はかう言つて歩き出した。夕暮近く凩が起つた。丘の上の松の音が私と私の恋とを全く埋め尽した。





底本:「定本 花袋全集 第二十二巻」臨川書店
   1995(平成7)年2月10日発行
底本の親本:「草みち」宝文館
   1926(大正15)年5月10日
初出:「令女界 第五巻第一号」
   1926(大正15)年1月1日
入力:tatsuki
校正:津村田悟
2018年4月26日作成
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