雨の日に

田山録弥




体感


 学んで積んだ知識で物を言つてゐるやうな人達が多い。そのために、議論が唯の議論で続いてゐて、互にその主張をして、最終まで理解が来ないで物別れになる。かうした傾向は決して好いことではない。またいくらやつてもつまらないことである。酔ぱらひが互に声を張り上げてその相手を罵つてゐるやうなものである。
 学問は必要だ。しかし、その学んで得たところを実行に移して行くところに、その学問知識の価値があらはれて来るのであつて、実行なしの知識は、徒に人を小怜悧こりこうにするばかりである。いくら知つてゐたからとて、実際の体感から得たものでなければ、それはまだ噂話や世間の物語程度以上に出ることが出来ない。
 伝統主義でも、自然主義でも、人道主義でも、唯知識と感じだけを言つてゐるのでは駄目だ。忽ち流されて行つて了ふ。噂話や世間の物語以上に、箇に又は箇の浸染した全に到達しなければ、本当の意義をつかんだとは言へない。自然主義は、今日では、人道主義とは丸で正反対のやうに言はれてゐるけれども、又は殊更に冷酷にメスを振ふのを大方針としてゐるやうに言はれてゐるけれども、決してさうではなかつたのである。自然主義の精神には、非常に深い人道主義が横つてゐたのである。であるから、新時代の作者の作などにも、私達が十年前にやつたやうな気分や感じを往々にして認めることがある。畢竟、人道主義、伝統主義、自然主義などといふことは、学者が、体感の十分でない学者が机の上で議論してゐることであつて、極く細かい小さな区別の上に互に異を樹てゝゐるやうなものである。
 しかし、人々の特質に由つて、或は自然主義から入つて行くものもあらうし、或は伝統主義から入つて行くものもあらうし、人道主義から入つて行くものもあらうから、何方から入つて行つたツて差支へない。要は唯その深味に、もう一歩先に入つて行くか行かないかにある。体感に生きるか生きないかにある。

正宗君の『随筆』


 正宗君のをり/\発表する随筆の中には、考へて見なければならないやうなことが多くある。先月の『我善坊にて』の中にある、昔と今との間に一がうも加はつたものはないといふ感想は正宗君らしくつて面白かつた。捨てた形が面白かつた。しかし、私などには、かうして捨てゝゐられないやうな気がする。正宗君にしても、かうして捨て放しに捨てゝゐるとは私には思はれない。否、かう捨てたやうに言つてゐるところに捨てないところがあるのではないか。


 死を涅槃ねはんとし、大歓喜とした釈迦の心は、一面から言へば、幻影に捉られてゐるやうにも取れる。美しい幻影の夢を見てゐるやうにも思はれる。しかし釈迦ほど空を説き、無を説いた人はない。あの浩瀚こうかんな大般若数百巻は、悉く空を説いてゐるのである。幻滅などは何遍も何遍も繰返してゐる。それほど無を説き、空を説き、幻滅を説いた人に最後に死に対するその大きな歓喜境が出たとすれば、幻影としても大きな尊ぶべき又は考ふべき幻影ではないか。人間は生きてゐる間は、この幻影に対するそく不捉ふそく又生滅の無限のつゞきを建てたり壊したりしてゐるのである。捨てたり拾つたりして行くものである。

島崎君の『燕の如く帰る』


 今年の秋の作品もかなりに読んで見た。新しい人達のものもかなりに読んだ。しかし私などには、矢張正宗君の作などが面白かつた。『夫婦なか』『小山老人』『病院の窓』皆な好かつた。『小山老人』では、独歩の『河霧』と『二老人』を思ひ出した。『病院の窓』の中にふくまれてゐる無の思想も、さびしく身に迫つて来るのを感じた。
 島崎君の『燕の如く帰る』は、春の『海へ』よりもまとまつた芸術的の感じを私に与へた。『海へ』は塗つた色彩の濃淡が際立ちすぎたやうなところがあつた。つまり作者の激情が際立ちすぎたのである。
『燕の如く帰る』にはそれがないので、静かに作者と共に遠い航海の里程を数へることが出来るやうな気分がした。
 有島武郎氏の作には好い作が多かつた。『実験室』『凱旋』共に油が乗つてゐて好い。しかし、『実験室』には観念を抽象したやうな不自然なところがあつた。それに題材からして既に不自然である。もし実際ああしたことがあつたとすれば、もつと非常に違つた形としてあらはれて来ると私は思つた。『凱旋』にも補綴ほてつ上多少の破綻のあるのを発見した。
 武者小路氏の『新潮』に出た小説には、純なところがあるのを見逃すことが出来なかつたけれど、要するに第二義的の世間を相手にした小説で、深い心理などにはまだ容易に入つて行けさうにもなかつた。
 里見氏はやゝ図に乗りすぎた。鏡花の作と共鳴するのも尤もだといふやうなところも段々飲込めて来た。『幸福人』は『善心悪心』あたりに比べると、余程トオンが低い。『ある生活の断片』といふ作あたりの張詰めた心はイヤに横に外れて行つて了つてゐる。もつと烈しいデカダンに行くか、でなければもつと魂を本当に考へなければならないと思ふ。『新潮』に出た作は、鏡花でも書きさうな作だ。
 芥川氏の特色なども段々分つて来た。大石を書いた作は、わざと大きく書かうとした点で失敗してゐると私は思ふ。『文章世界』の十月号に出た作は、才人の筆を思はしめるばかりで、氏の弱点が殊に多く出てゐるやうに思はれて惜しい気がした。
 徳田秋江氏の『五慾煩悩』と言ふのも読んで見た。つとめて見聞したまゝを危つ気なく書かうとした用意は好いが、そのため色が非常に薄くなつたのを遺憾に思つた。矢張りこの作はもう一度ひつくり返して本当に正面から書いて見るべきものではないか。

生活と作と


 艱難な生活を経て来た作者と、生活の苦労のない作者との間に起る心境の相違なども、大分人が問題にしてゐるやうだが、それは何方から行つても同じでなければならない筈のものである。
 艱難な生活を経た作者が、艱難に捉へられた形のあるのは、その作者の為めに恥づべきことであると同じやうに、生活に苦労のない作者が富貴安逸に捉へられるといふことも、矢張恥づべく改善すべきことである。
 生活が土台になつて特色を備へて来る作品であるのには相違ないが、その生活のために捉へられないやうなこゝろがなくては駄目である。
 職業であらうが、職業でなからうが、そんなことは、第二義、第三義的のことで、多く言ふに足らないと私は思ふ。
 職業にする位張詰めてゐなければ好い作が出来ない。かういふ言葉をも私は度々耳にした。またせつぱ詰つて書いた作に傑作が多かつた。これも真理の一面である。又この反対に、職業にするから、芸術家でなくつて職工になつて了ふ。生活の安逸さへあれば……。かうもいふ。これもまた真理の一面である。しかし、実は問題はそこにあるのではなくつてその作者自身の本質にあるのである。生活の安定を得ても、書けない人は書けない。職業的にやつてゐる人の作にも、すぐれた作は出来る。
 艱難と戦ふと、富貴と戦ふとは、形は違つても、実は同であるのである。

新技巧派


 新技巧派と言ふ熟字も、あちこちで問題にしてゐるやうだ。これは、新しい時代の新技巧といふ意味であらうが、それならば、別に異論もないことだ。十年、二十年と経過すれば、必ずその文体が一変する。これは日本ばかりではない、何処でもさうだ。フランスあたりでも、ユイスマンスあたりに行つて自然主義の文体が一変したと言はれてゐる。明治大正の文学も、その文体、技巧の一変しなければならないのは当り前のことである。しかし、この変遷は大きな位置から言ふと、海の表面の波のやうなもので、それが根柢から変つて行くものではないのである。しかしその当事者は、得てそれが総てだといふ風に思ひたがるものである。現に、十年前のある風潮の時にも、私などは僣越にも日本の思潮が根柢から変つたなどゝ思つた。しかし実はそれは自惚れで自分の努力の幻影に捉へられすぎた姿で、根本は一毫も変りはしないと言つても好い位に金剛不壊であることを感じた。
 であるから、新技巧といふことも大切でないことはないが、さうした表面上のことでなしに、もつと深く根本に入つて痛感することが必要である。新技巧から入つた根本でなしに、根本から出て来た新技巧といふ風になつて行くべきである。
 この間もS君に話したが、何うもこの頃の文壇の傾向は、表面上のことを重んじて、段々技巧的になつて行く形がある。精神よりも技巧を重んずるといふ形がある。学問や知識の亡霊が多くつて、実行がこれに伴うてゐるは、真の体感から来たものが少い。かういふ話をしたが、実際さうした傾向はあると思ふ。新しい時代の人達は考へてみる必要がありはしないか。

鴎外氏の近業二三


 鴎外氏の『伊沢蘭軒』は読まなかつたが、今年の夏頃から、『日々』を読んでゐるので、その末の方を少しばかり見た。それから、『鈴木藤吉郎』『細木香以』二小篇を読んだ。
 鴎外氏は伝記を書くのだと言つてゐるが、実際伝記だ。立派な伝記だ。無論、小説ではない。また芸術ではない。
 氏が、これを小説だ芸術だと言へば、非常に異論が多いと思ふが、又私なども意見を持つてゐるが、伝記として見れば、実にすぐれた面白いものだ。氏の大きな才能も歴史家のやるべきことにまでぐんぐん出て行つた。曾て文壇を覚醒したと同じやうに、今は歴史界を覚醒してゐるといふ形である。
 氏が芸術をつくつてゐないといふことは、『細木香以』の一小篇を見てもわかる。あの題材中、氏は芸術に最も必要なものをつゞめて小さく芸術らしくなく書いてゐる。あの墓を訪ねる章などは立派な『詩』だが、作者は却つてあゝいふところに重きを置いてゐるやうに見える。またあの伝記としてはあれで立派だが、小説乃至芸術としては、もつと構図、構成などについて注意を払ふべき必要が無論ある。それを鴎外氏はわざと無視してゐる。
 しかし、これは私の、または既成の芸術の標準を元にして言つてゐることであつて、この標準を破壊して了へば、またそこに違つたことが考へられて来る。あれで小説であると言へるかも知れないが、そこまで立入りたくない。
 それについて思ひ出すのは、写生を基礎にした高浜虚子氏のことである。氏も写生をその根柢に置いて、芸術――小説を構成することをいさぎよしとしない。そしてその書いたものも『椿の落ちる音』などゝいふ小説的のものよりも『十五代将軍』とか『一日』とか言ふものゝ方がすぐれてゐる。そして氏の芸術と人生に対する態度は小説でなくつたツて何だつて好いぢやないかと言ふ風に見える。不思議な気がする。
 無論鴎外氏の作物とは違ふが、かうした似たやうな傾向があるのは、注意すべきことのやうに私には思へる。





底本:「定本 花袋全集 第二十四巻」臨川書店
   1995(平成7)年4月10日発行
底本の親本:「黒猫」摩雲巓書房
   1923(大正12)年4月15日
初出:「文章世界 第十二巻第十一号」
   1917(大正6)年11月1日
※初出時の表題は「トタン屋根に落ちる雨」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:hitsuji
2021年2月26日作成
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