心の絵

田山録弥




 いつまで経つても、また何処まで行つても同じであるこの長い人生、時には退屈して何か人を驚かすやうなことをして見たいと思ふことはあつても、さて、さうしてやつて見たところで、矢張同じやうに何うにもならない人生――。この退屈さの対症療法としては、何も好い薬はないけれど、止むなくばそれ、孤独、無為、無想、無念か。

『あるがまゝで好い、あるがまゝで好い……。それを何うにかしやうと思つたことが間違つてゐた』
 かういふ風に、誰でも一度は感ずるに相違ない。そこまでは誰でも行く。しかしそれから先何うなるか。あるがまゝで好い……それですましてゐられるか。すましてゐられる人もあるかも知れないが、すましてゐられない人もあるに相違ない。矢張、其処に行つても、あたりは混沌としてゐるに相違ない。無限の度数があるに相違ない。
 従つてそこが難かしい。持つたものをしつかりつかむことが難かしい。持つたものを持つたと思はないやうになれば好いのであるけれども、苟くも持つてゐる以上、それを持つことを意識しないわけには行かない。そこに難かしい関門がある。従つて、人はその関門まで行つて、それを開ける方法を知らないでよく引返して来る。

 事実と想像との区別、何れまでが事実で、何れまでが想像だかわからないやうな微妙の心のあらはれ、さういふところがそのむづかしい関門のあるところである。人は誰でも『宗教的神』になることが出来る。『基督』になることが出来る。そして、その心の境は、事実と想像の細かい融合から出来上つて来る。
 何が事実? この疑問はいつも人間をさうした境に伴れて行く。

 表面にあらはれただけでは、人間はかなりに単純である。またかなりに知的である。しかし、一度てんでに内部に入つて行くと、そこには丸で異つた光景がある。そこでは人間はさう単純なものではない、またさう知的なものでもない。苦渋な暗い影もあれば、陰惨な醜い皺もある。業火が凄じく燃えてゐるかと思ふと、本能の洪水が漲るやうに押寄せて来てゐる。かなりに辛い地獄の『絵』がそこにひろげられてある。しかし、人間は成るたけそれに触れないやうに、やうにと心がけてゐる。何故なら、一度それに触れゝば、恐ろしい世界がそこにあることを知つてゐるからである。無意識的に知つてゐるからである。従つて、人間は表面しか知らずにゐるやうになる。知つてゐても何うにもならないやうになる。唯現実だけが問題になつて、内部のことは、全く触れずに打棄うつちやり放しにされてゐる。これでは、本当の人間といふことはわかる筈はない。事実と想像の触れ合つた細かい心の関門が通過されるわけはない。

 光と音響との関係を、事実と想像との上に持つて来て考へて見るのも面白い。何うしても表面にあらはれて来る事実の音響よりも、想像の光りの方が、底の底の不可思議をいち早く人間に暗示するものである。屹度、其処には何等かの暗示がある。光がある。そして、事実の音響は、その後から凄じくやつて来る。

 しかし、余りに深く人間の内部の『絵』に触れるといふことも、決して危険でないことはない。内部の『絵』は兎角人間を無の有の中に伴れて行く。有の無の中に伴れて行く。自己誇大の不自然な心の中へ伴れて行く。誰れでも持つてゐる『基督』が浮び出して来るやうなところへと伴れて行く。何うかすると、ハウプトマンの『エマヌエル・クウイント』になる。それにしても、面白いのは、トルストイがその内部の光景をいつも粉微塵こなみじん粉韲ふんさいしながら、常にその内部の光景に向つて進んで行つた形である。かれは何遍となくその内部を破壊した。そしてまた最初から新規蒔直しをやつた。あの位、内部を問題にしながら、しかも遂に内部に捉らへられなかつたことは、特異としなければならない。
 叡山の宝物の中の『十界図』を見た時ほど、さうした内部の心の絵をそのまゝ突きつけられたやうな気がしたことはなかつた。普通ならば、人間のあはれさとか、悲しさとか、罪深さとを感ずる程度にとゞまつたであらうが、そこでは私は恐怖を感じた。深い、戦くやうな恐怖を感じた。単なる譬喩とは何うしても思はれなかつた。皆な誰でもの内部にある恐ろしい『心の絵』だと思つた。また、その心の絵の自然の報酬乃至罰だと思つた。
 あらゆる外部のあらはれは、皆なさうした心から来る。恐ろしい『心の絵』から来る。塹濠の中の凄じい死屍も、尼港事件のやうな凄じい虐殺も、何も彼も……。

 退転するといふことは、外面的現実にかへることである。しかし、退転といふことは、人間にはなくてはならないことである。時々は外面的現実に戻つて来ないと、内部に捉らえられて何うにもかうにもならなくなつて了ふ……。
 神になつて了つては、もう凡ておしまひである。従つて、内部の心の光景は、常に、人を深い陥穽かんせいの中に陥れて了ふことを忘れてはならない。

 あらゆることが心の中にある。現実は滅びても心の中に印象されたものはいつまでもいつまでも残つてゐる。消えたと思つても、決して消えない。いつかしら再び浮き出して来る。私は今になつて、亡母や亡祖父の心をはつきりと自分の心に蘇らせて来る。そして初めて亡母や亡祖父のその時分の心の苦しみを知ることが出来たやうな気がした。(その時になつて見なければわからない……。四十なら、四十になつて見なければわからない)かう私は曾て言つたが、今でもそれを取消す必要はない。矢張その通りだ。前に行つたものも、後からついて来るものも皆さうだ。
 昔、若い時に年を取つた人の行為を見て、『自分は決してあんなことをやらない』などと言つたものだが、今になつて見ると、矢張、さう言つた昔の言葉は、若い者の単なる感想で、いつか自分も、さうした年を取つたものゝ心持になつてゐることを発見せずにはゐられないのである。此処までやつて来ても矢張『人生は罠だ』といふ気がせずにはゐられない。

 事実と想像の融合。――有と無との混和、これを具象的に言はうとすると、何うしても譬喩になつて了ふけれども、しかし譬喩にならずに、本当の心持として、また本当のあらはれとして、心から体感することが出来なければならない筈である。それが出来て、始めて難かしい不二の法門に入つて行くことが出来るのである。
 煙草なり、酒なりを、飲んでも、飲まなくつても同じだといふ心持――この心持に自己を伴れて行くといふことは、中々容易なことではない。さういふことはわかつても、さうした心持に伴れて行くことは難かしい。しかし、これは是非やつて見なければならないことである。そしてこれをやるについて、二つの方面がある。始めから無を研究するのと、有を押しつめて無に至るのと、この二つである。第一は一番手近で、且つ本当だけれど、何うも、人間には容易にこれが出来ない。理屈はわかつてゐても出来ない。第二は、方便的の手法と言つたやうな形があるけれども、しかし、それは、わざとその弱点を攻めるやうな――抵抗療法的なところがあつて、微妙に、且つ有効にその境に至ることが出来るものである。

 私はある日の日記の中に書いた。『私は想像と事実の問題について長い間苦しんだ。この二つの答は、ぴつたり合はなければならないのだが、何うもそれが旨く行かない。いつも、離れ/\になり勝ちであつた。次第に、私はそれを押し詰めた。突き詰めた。そして事実から想像を得て来た。想像から事実を得て来た』

 私は書いたものゝ中に、いつもその作者を見出すことをつとめた。何処に作者がゐるか。何処に何ういふ恰好をして、何といふ風にしてゐるか、それが私には一番大切なことであつた。いろ/\のものを私は其処に発見した。作者が笑つてゐるものもあれば怒つて激してゐるものもあつた。無闇に突かゝつて来やうとしてゐるやうなものもあつた。かと思ふとある作者はこれ見よがしに、自分の持つてゐるものを見せびらかすやうにした。しかも、その持つてゐるものは、玩具見たいなもので、すぐ壊れて了ふものであるのを知らなかつた。あるものは、有頂天になつて騒ぎ廻つてゐた。
 トルストイを評したものゝ中にも、その評者の苦しみやさびしみの方がトルストイの苦しみやさびしみ以上に余計にはつきりと出てゐるのを私は見落さなかつた。作者はその選んだ主人公よりも、却つて余計に自分を人に示すことをつとめるものであつた。無論、それは無意識ではあらうけれど――。
『矢張、自分だね。自分のことを言つてゐるんだね……。だから、私なら、私の小説を愛読して呉れる人があるにしても、それは、その私の小説の中に、その者の心をくつつけて、そして共鳴してゐるのであつて、本当に読んでゐて呉れるのではないやうな場合がよくあるよ。しかし、これは何うも為方がない』
 こんなことを私はある友達に言つた。

 自分の心一つを、あらゆるものから独立させて、社会にも、家庭にも、男女の問題にも、金にも、名誉にも、何にも彼にも捉えられないやうにしておくといふことは中々容易なことではない。それは丁度払つても払つても尽きずにやつて来る塵が、絶えず心の玉を※(「王+占」、第4水準2-80-66)けがさう※(「王+占」、第4水準2-80-66)さうとしてゐるやうなものであつて、少し油断をしてゐると、すぐ※(「王+占」、第4水準2-80-66)されて捉えられて行つて了ふ。中でも、家庭と、男女問題とが最も恐ろしい。社会とか、名誉とかいふことは、遠く離して置かうと思へば、置けないこともないやうなものだが、前の二者に至つては、一度即けば、容易に離れて来ることは出来ない。そして捉えられれば捉えられるほど、心の鏡は曇つて行つて了ふのである。

 何処まで行つても、くつついて来るのは、恐ろしい『心の絵』だ。





底本:「定本 花袋全集 第二十四巻」臨川書店
   1995(平成7)年4月10日発行
底本の親本:「黒猫」摩雲巓書房
   1923(大正12)年4月15日
初出:「文章世界夏期特別号 第十五巻第八号」
   1920(大正9)年8月1日
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:hitsuji
2021年6月28日作成
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