心の階段

田山録弥





 十二年は有島君のことだの、武者小路君のことだの、地震だの、大杉君のことだの、いろいろなことがあつた。尠くとも作品そのものよりも、実際的に衝動を受けたことの方が多かつた。それに、私の一身上から言つても、半ば以上を旅に費したりして、しみじみ筆硯ひつけんに親しんでゐる暇がなかつた。
 静かに考へなければならない時がまたやつて来たやうな気がした。島崎君は老年に徹するといふことをその全集の序言で言つてゐるが、私はその反対に、再び青年にならなければならないやうな気がした。再び青年になつて、あの時分のやうな心持で勉強しなければ、これからの生を満足に送つて行くことは出来さうには思はれなかつた。
 ずつと初めに帰らう。そして一生懸命に勉強しやう! これが私の今の心持であつた。


 幸ひに病気は治つた。それにしても私はこの為めに何んなに心を濫費らんぴしたらう。何んなに心の弱小者になつて了つたらう。何も彼もそのために引繰り返された。私はその前に、法華経の真剣といふことを持して、むしろそれを十分につかみ得たと信じて、不惜身命などといふことを盛んに口にした。しかしさうしたことは容易に言ふべきことではなかつたのである。
『さうか? お前は本当に不惜身命などといふ尊い心の境をつかみ得たのか。それならば、果して本当に不惜身命であるか否かを試して見るが、何うだ?』かう私は言はれたやうな気がした。私は病気になつて始めて死といふものと相対あひたいした。今までにも死とは度々面したと思つてゐるが、それは空想で、本当の死といふものはそんなものではないといふことが始めて分つた。それはあらゆる悲哀、あらゆる慟哭、あらゆる祈祷、あらゆる焦燥を以てしても何うすることも出来ないほどそれは暗い、冷めたいもので、私はそれに触れてひやりとした。何も彼も失つて了つた。しつかり握つたつもりの法華経の真剣などは、いつか何処かに落して了つてゐた。
 私はいつか一度は、その時の心持を書いて見たいとは思つてゐるが、しかもそれは、容易に口で説明することの出来るやうなものでなかつた。私は意気地のない人間をそこに見た。空想に空想ばかりを積みかさねて無意義に生きて来た自分を見た。そこらにある半白の爺と少しも違つてゐない自分を見た。めつきは皆な剥げて行つた。『お前は、それで法華経の一心と真剣とを持してゐたのか?』かう何処かで悪魔が笑つてゐるやうな気がした。


 私はそこ此処に私のあはれな姿を発見した。荒れわたる海の怒濤の中で惨めにふるへてゐる私を発見した。孤独と戦ふために歯を喰ひしばつてつとめて忍耐してゐる私を発見した。次第に私はいろ/\なものを捨てた。かうまで意気地がなくなつたかと思はれるほどいろ/\なものを捨てた。私は唯病気を治すことにのみ全力を挙げた。
 不惜身命どころか、私に取つては、それほど死が絶望でいやでそして恐ろしかつたのであつた。恋でも私はつらい経験を甞めたが、いつそその前を暗く流れてゐる河水の中にこの激情を持つた一塊肉を捨てて了はうかと思つたことすらあつたが、否、その為めに、さうしたつらい経験を甞めたために、一心を持するといふやうな心の状態に達して行つたのであつたが、その恋のつらさよりも、死のつらさの方がもつともつと暗く悲しく惨めであることを私は暗示させられた。私はそれまでに私の取扱つた死の題材のいかに軽く且つ空想であつたかを思はずにはゐられなかつた。私は恥しい気がした。
 私はこの話は誰にもしなかつたが、唯一人の友達――その友達だけがそれと知つて、よく私を慰めて呉れた。『それは、一つの進歩ぢやないかね、君? 何うも、僕はさう思ふね? 一心を持するなんていふ心の状態になつた場合にはよくさういふことが起るものだよ。大丈夫だよ。安心してゐて大丈夫だよ』かうその友達は言つて呉れた。
 しかし、いくらその友達が保証してくれても、死と相面してゐては、それは何にもならなかつた。私は天上から※(「さんずい+卓」、第3水準1-86-82)でいたくの中につき落された傷いた獣か何かのやうだつた。私は唯喘いだ。唯もがいた。


 さうした心と体の状態から、やつと浮び上つて来たやうな心持がしたのは、十年の秋時分からだつた。やつと私は呼吸をついた。
 私は言つた。『矢張、地上にゐるものはしつかりと地をつかんでゐなくてはいけない。思ひ上つてはいけない。何も彼もわかつたと思つてはいけない。年を取つて、経験して、いろいろなことがわかつたとか何とか言つたとて、それはほんのわづかな、纔な、たとへて見れば爪の垢ほどもわかつてはゐないのだ。それだのに、天上にでものぼつたやうな心持を持つからいけないのだ。だから、忽ち地上に落されて了ふ……。現に、この私が好い見せしめだ』私はニイチエの言つた言葉の中に、『傷いた獣、それで好い、それで十分だ、創痍きずの治るまでは私は暗い地上に横はつてゐやう!』かういふ一句のあつたことを思ひ出した。
 天上の星と別れて、地上の動物となつた私は、いつの間にか、また再び天上の楽園を夢みつつあつたのであつた。私はもう一度地上の泥※(「さんずい+卓」、第3水準1-86-82)の中を這つて行かなければならないと感じた。痛切に感じた。そして、それは私自身の上ばかりでなく、今の思想界の上にも移して来て言ふことの出来るものであると思つた。
 私達は世間といふものの幽霊に捉へられてゐてはならない。また名誉といふものの重荷に引摺られてゐてはならない。スタイルは大切だが、しかもそれに全く縛りつけられて了つてゐてはならない。自分の周囲に自我の塊であり、利己の塊であるものを寄せつけてはならない。たとへ一時勢力は加はつても、忽ちその二倍の反動でかれから背いて行くものであることを思はなければならない。また私達は第二義的の低級な面白さに引寄せられてはならない。そのやつてゐることの真に本当であるか否かを何遍となく反省して見なければいけない。本当といふことは、わかり好いやうで実は甚だわかりにくいことである。ぢきつかまへられさうで容易につかまへられないものである。また折角つかんだことがあつても、すぐその指の間から滑つて落ちて行つて了ふものである。本当を持するといふことと一心を持するといふことは同じではあるが、しかも後者よりは前者の方が客観的になつてゐるだけそれだけ一層捕捉し難いのを私は見た。
 芭蕉の句などを見ると、それがよくわかつた。あの死ぬ前二三年の心持、あれこそ本当の心の境涯と言つて差支ないであらう。そしてかれはそこまで達するのに、何んなに色々の心の階段を経過したであらうか。談林風の洒脱や滑稽から入つて、キザな心の境も、調子の低い境も、月並の気持も、拙い場当りの感じも何も彼も通つて来た。これもつまらない、あれもつまらない。それも本当ではない、これも本当ではない。かういふ風に幾階もの心の階段を経て来た。そしてあの現象風な、後に蕪村などが到達した、物を平にそのままに見るといふところから、一躍してその本当の心の境涯に入つて行つた。何と言ふ羨ましいことだらう?『旅に病んで夢は枯野をかけめぐる』説明でなしに、その中に本当の心と人生とがひとつになつてあらはされてあるではなかつたか。そしてそれは描写といふ境から一階段飛び上つた心の境ではなかつたか。


 描写といふ心の境、それはたしかに好い。その関門は、我々芸術を学ぶものの何うしても一度は通らなければならないところのものだ。否芸術ばかりではない、哲学でも、宗教でも、この境はことに立派なものとして貴ばれてゐる。しかし、此の境からもう一度飛上る一階段は、それまで経て来た多くの階級の中でもことにむづかしいものであるやうに私には経験された。大抵の芸術家はそこまで行つて折角つかんだその現象のバラバラに破られるのを厭つて、そこから引かへして来はしないか。さうでなければ、忽ち傍道に入つて全く低い下り道につきはしないか。私はそこで飛上らうとして、失敗して、今まで持つてゐたものをバラバラにすつかり壊して了つたひとりのやうな心持がした。しかし情ないと思つて思ひ崩折くづをれてはゐられなかつた。更に初めから出立して、再びそこに行くことを心懸けねばならなかつた。





底本:「定本 花袋全集 第二十四巻」臨川書店
   1995(平成7)年4月10日発行
底本の親本:「夜坐」金星堂
   1925(大正14)年6月20日
初出:「福岡日日新聞 第一四四三五号」
   1924(大正13)年1月1日
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:hitsuji
2021年7月27日作成
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