孤独と法身

田山録弥




 東京の夏は色彩が濃くつて好い。山や田舎と違つて、空気にもいろいろ複雑した色や感じがある。行かふ女達の浴衣の派手なのも好ければ、洋傘パラソルの思ひ切りぱつとしてゐるのも好い。朝蔭の凉しい中だけ勉強して、日影が庇に迫つて来る頃からは、※(「石+(くさかんむり/溥)」、第3水準1-89-18)ばんぱくして暮らす。夕方近くなるとカナカナやみんみんが鳴き出す。それをきゝながら、行水をザツと浴びて、庭樹の下などを漫歩そぞろあるきする。いかにも夏らしくて好い。
 樹の陰の深い処に、籐椅子を持つて行つて据ゑて、会心の書を読むのも亦夏の楽みの一つである。不思議にも此頃は仏教の本が手に上る。華厳は大抵読んだ。今は大般涅槃経だいはつねはんきやうに移つた。
 それにしても仏教は巧妙な心理の立て方をしたものだと私は思ふ。楞伽経りやうがきやうの最後のところにある禁肉の理由は、トルストイの菜食論や其他の菜食説などよりもぐつと先きのところを言つてゐる。
 要するに、深い心理だ。心理を説いた立派な学問だ。大般涅槃経あたりに行くと、世尊がいかに唯我独尊であつたかといふことがいよ/\わかつて来る。
 をりをり深い瞑想と歓喜に打たれて、持つてゐた本を下に置く。日を帯びた樹影こかげがちらちらと籐椅子の上に動く。樹の間から大きな夏の雲が蓬々として日に染められて動いて行くのが見える。そこにも生命の力は動いてゐるのである。この我があるのである。かう思つてぢつとそれに見入つた。
 傍観生活と言ふことは、随分いろいろな批評を受けた。ある人からは贅沢だと言はれた。又ある人からは中ぶらりんだと言はれた。私も亦時にはさういふ風に考へた。しかしさうではなかつた。矢張傍観生活は尊いものであつた。
 法身といふことがある。傍観生活といふことはそれと同じである。人間は箇にして全である。人間には必ず法がある。所謂法とは自然である。生命である。生命の力である。宇宙の枢軸である。如来である。ところが、大抵の人はこの法を、自然を、生命を、枢軸を、生命の力をおろそかにして、寧ろ意識せずして、我にのみ着してゐる。我欲にのみ着してゐる。愛憎にのみ着してゐる。そしてその中心を法が、自然が金剛不壊こんがうふえの力を以て流れてゐることを夢にも知らない。そして一生を徒らに唯着して過して人間の一大事――死とか恋とかいふものに不意に出会でつくわして、そして驚いたり悲しんだり狼狽うろたへたりしてゐる。多くは皆さうである。愛をモツトオにしてゐる人達などは殊にさうである。ところがその多くの人間の中に選ばれた人がある。その人は箇の中にいつも全を見る。従つてその人は単に人間でなくて法の人間、自然の人間といふ形を帯びて来る。大般涅槃経中に、世尊の説いた法身は、つまりそれを言つたのである。かれはあらゆることを世間にやつて来た。歓楽もやつた。射御しやぎよ角力すまふの技も学んだ。波羅門ばらもんの徒のやうな苦行もやつた。すべて世間にありとあらゆることをやつて来た。何の故に? 世間に生れたが故に、かう世尊は言つてゐる。そしてかれはあらゆる歓楽、あらゆる煩悩、あらゆる苦悶に捉へられなかつたことを言つてゐる。即ちかれは法身である。法の身である。無窮の法の身である。自然である。如来であると言つてゐるのである。
 此処に私は尊ぶべき傍観生活を発見した。傍観が即かず離れずであるといふことは私は前にも既に度々言つた。つまり法身なるが故に、傍観生活が完全に営まれるのである。また傍観なるが故に、人間の本当の底の『自然』が見えるのである。法が理解されるのである。
 だから芥子けしの種の中に、須弥山を発見することは出来るのであつて、すぐれた作の不朽的価値は、箇の中にその金剛不壊なる全、法、自然を包んでゐるからである。
 この法身の法は、上は無窮の法に接し、下は社会の法律の法にもつらなつてゐると見ることが出来る。

 傍観を中ぶらりん乃至消極的だと見る人達は、偶々その人の種々相種々念に着してゐるのを証するに足りるのである。また、傍観生活に対して、孤独の思ひをなし、寂寥せきれうの思ひをなし、辛い悲しい思ひをするものは、(曾ては私もその一人であつた)矢張また我に着し、我に染まつてゐるところがあるからであつて、まだ本当に、法身の価値を知ることが出来ないものである、フロオベルの生活などは、稍々やゝそれに近いと言つて好いと思ふ。
『シンプルハアト』の最後の一節などは、余程、さうした尊い境を開いて人に示してはゐるが、それでもかれ自身はまだその老婆の歓喜境まで達してゐなかつた。

 孤独は法身である。従つて孤独は孤独でない。法身の無限大で無窮である如く、孤独も亦無限大で且つ無窮である。

 如来に伴侶なしと言ふことを言つてゐるが、これなども面白い。伴侶ある中は、決して本当ではない。まだ着してゐる。捉へられてゐる。法身は伴侶なくして猶且つ無限大の伴侶を持つたものでなくてはならない。
 考へれば考へるほど、深い深い心理が私の前に展けて来るやうな気がする。自分の身が大気の中に一つぽつかりと浮んでゐて、それは無限に漂つてゐるやうな気がする。小乗では無常を説き、大乗では常を説いた形なども深い。孤独は孤独でなく、死は死でない……。さうして、かうした境は一にかゝつて深奥幽邃しんおういうすゐな心理にあるのであると思ふと、何とも言はれないやうな気がして来る。
 私は静かに樹の間から洩れて来る日影を見た。

 和辻君の『応酬』といふ文は、思ひ切つていろいろなことが言つてあつて面白い。勿論、それはこの人の立場であつて、決して決定的のものではない。寧ろその知識の深浅、年齢から起る気分などを隠すところなく現したやうなものだ。
 秋声氏の作の評の中に、『だからヒドイことをしてもさほどそれがひどい感じを与へない』と言つてゐるが、一体作者が、ヒドイといふことを感じてゐない作品中から、ヒドイ感を求めるといふことは何ういふことか。トルストイや他の人達のやうな強い刺戟をその作に求めるといふことが、既にその作者の知識の浅いのを示してはゐないか。経験の狭く小さいことを示してはゐないか。又、さうした色の濃いものでなければ満足が出来ない幼稚さを示してはゐないか。
 さうでなしに、秋声氏の作にはトルストイのやうな強い刺戟がないからつまらないと言ふのなら、それは批評でも何でもない。作者の好き嫌ひだ。作者に取つては大きな御世話だ。
 この人はその他にも『生命に対して眼を閉ぢてゐる』とか、『人格的価値の十分な表出がない』とか、『人格的生命の昂揚がない』とか、『感受性が鈍い』とか言つてゐるが、これ等はすべて単にこの人の立場から物を言つてゐるのであつて――それも絶えず動揺してゐる立場から言つてゐるのであつて、批評と言つたやうなものではない。
 私などの考では、その人の揚げた『佐々木の場合』などは、決してさうすぐれたものではない、第一、あゝいふ風に考へた点が子供らしい。それにあの真面目があとになれば屹度当人自身にも馬鹿々々しくなる真面目である。あの女の形なども抽象的だ。さうした心境で、秋声氏の作などが素直に入つて行く筈がない……。
 それから、この人はよく人の世話を焼いて、意見がましいことを言ふのが癖だが、私も草平氏もその一人だが、こいつは御免を蒙りたいと思ふ。一体、大きなお世話だもの。漱石氏のものが日本の文壇の一番すぐれたものだなどゝいふ人の鑑定だもの、意見だもの、高が知れてゐるのはきまつてゐる。それでゐながら、この人は、意見の押売をして、そして恩をせてゐるのだから猶更やりきれない。
 だから、『大乗仏教風の理想主義』などゝ言ふ不徹底なことを言つたり、平等を同等と同じ様に見たりするのである。

 人に希望を述べることは好いにしても、それは先の人を成程と思はせるやうな豊富な材料乃至はその人に対する尊敬と理解とを持つてゐなければ、何の役にも立たないものである。折角骨折つて希望を述べても、忠言を呈しても、却つて先を怒らせたり不愉快に思はせたりする。親友の間ですらさうだ。況んや見ず知らずの他人に於てをやである。藪から棒に、貴様かうしたら何うだと言はれて、はいさうか、何うも難有ふと言ふものは恐らくない。和辻君などは、もう少し謙譲の徳を養ふ方が好いだらうと思ふ。
 人をつかまへて、『時勢につれて』とか、『附焼刃でないやうに心から祈る』とか言ふことは、随分人を馬鹿にした話ではないか。この態度で、折角ひまをつぶして、希望を述べたところで、その人が真面目に読み得ないのも当り前でないか。

 批評と言ふことはその作を評することである。その作者のわる口を言ふことではない。作者はピンからキリまである。上手な人もあれば拙い人もある。器用の人もあれば不器用な人もある。そしてこの天性は実に何うすることも出来ないものであるのである。努力と修養とは多少その欠陥を補ふことは出来たにしても……。
 だから、批評にうまいまづいは言つても差支はないが、わる口は成たけ言はないやうにしなければならない。それに、さういふわる口は害あつて益なしである。小乗風に、すつたもんだの面白味はあるかも知れないが、そんなことは実は何うでも好いのだ。
 すぐれた作品さへ出来れば好いのである。一つのすぐれた作品でも文壇に寄与しさへすれば、それでその作者の目的は達せられるのである。違つた特色を持つた人は違つた特色を出すが好い。人道主義が好いと思へば、それで思ふまゝのものを出して見るが好い。伝統主義が好いと思へば、又それでやつて見るが好い。それは箇々の持つた特色である。
 唯、批評はその中のまことなもの、正しいもの、すぐれたものをさがし出して来れば足りる。そしてそれを正しく批評すれば足りる。
 矢張、批評も傍観的、法身的でなければならないのである。まことなもの、すぐれたものは、竟に竟に金剛不壊である。





底本:「定本 花袋全集 第二十四巻」臨川書店
   1995(平成7)年4月10日発行
底本の親本:「毒と薬」耕文堂
   1918(大正7)年11月5日
初出:「文章世界 第十二巻第九号」
   1917(大正6)年11月1日
※初出時の表題は「樹の蔭」です。
入力:tatsuki
校正:hitsuji
2020年7月27日作成
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