百日紅

田山録弥





 山の半腹を縫つた細い路を私は歩いて居た。日は照つて居た。下には、石材を三里先の山の中から運んで来るトロコのレールが長く続いてゐて、其向ふには、松の綺麗に生えた山が重り合つてゐた。
 時々石を載せたトロコが、下りになつた路を凄じい音を立てゝ通つて行つた。……人足が両手を挙げたりなどした。
 私は一緒に歩いてゐる丈の低い友に話し懸けた。
『何うだね? 君にはさういふ経験はないかね。』
『ないね。』
 かう言つて、友は笑つた。『いよ/\出ましたね?』と言つたやうな軽い笑ひ方であつた。で、その笑ひ方が不思議にも私を沈黙させて了つた。私は長い間黙つて歩いた。ふと大きな釣鐘が頭に浮んだ。それはもう少し前に寺の本堂の前で見た釣鐘であつた。続いて其鐘を鋳た時の光景が眼の前にちらついて来た。大きな普請小屋……銅を煮る大きな釜……活々くわつくわつと燃えた火……熱心に人夫を指揮してゐる、年を取つた鋳物師――
『私は、これで、もう四十年も鐘を鋳て居りますが、本当にうまく行つたことはまだ一度も御座いません。何うか、せめて一度は立派に後に残るやうなものをと思ひますけれど、覚束ないもんです』こんなことをその鋳物師は言つてゐた。その皺の多い真面目な顔には火が赤く反射した……。
『もう、この鐘は五百年になりますよ。』
『さうですかね、そんなになりますかね。』
『ほら、こゝに、かう書いてある。○○何年何月何日何国住人……はゝア、そんな処の人がいこんだんですかね。……その時にも、そんな人が居て、かうした釣鐘を鋳たんですかね。』
 かう言つて、其人達は撞木しゆもくを握つて、鐘を撞いた。鐘は震へるやうな響をあたりに漲らせた。
 静かな自然の中に、その鐘の声は一つ一つ消えて行つた。あとは静かに、静かに……。
つくつたものゝ努力の跡は、かう久しい年月を経ても、依然として残つてゐるから貴いですな。』
『何うも日本人にはセンチメンタリズムが多いね。』
『本当だ。』
 一人がかう言ふと、
『本当にさうですね。』
 と他の一人が合せた。
 その二人は自分達二人のやうであつた。私は私のそばに居る丈の低い友と鐘を撞いて出て来たのではないかとさへ思つた。
 日はキラキラとトロコのレールの上を照してゐた。……寝てゐる子をつついたやうにして負つて、一人の子守が跣足はだしでスタスタ、レールの上を歩いて行つた。
 萩の花が咲いてゐる、蝶が飛んでゐる、黒い地に黄の模様のある綺麗な蝶が……。
 私達は汽車に乗つて、鉄橋を渡つて、松原を通つて、山の上にヒラヒラかゞやく朝の白い雲を見て、旗振りの爺を見て、それから此処等でよく見るやうな小さな停車場で下りて、庇の長く出てゐる田舎町を通つて、蒲焼をトントン音させて焼いてゐる路の角から曲つて、茅葺屋根の町役場の前を通つて、そして田圃の中をぬけて此所まで遣つて来た。何の為めに? 何を目的に?


『暑いね、君。丸で日影がない。』
蝙蝠傘かふもりを持つて来れば好かつた。』
『だから、持つて行かうかと僕が言つたのに、君が、邪魔だツて言ふから持つて来なかつたんだ。』
『仕方がないさ。』
 私達はこんな会話を取り交した。
 前に松の面白く生えた岳があつて、華表が一つ麓に立つてゐる処で、私達は、次のやうな話をした。
『京の三条の橋の上ツていふ流行唄はやりうたの主人公だね。此処の神は?』
『さうだね。』
『あの時代だから、えらいと言へば豪いんだねえ。それに勤王といふことは、トピツクが好いからね……。そんなに豪いツていふ人物でもなかつたんだらう……筑後で自殺したのも、何方かと言へば、センチメンタリズムにとゞまるからねえ。』
 華表の前近く来た時には、日影が松の間から洩れて、奥に小さな社がそれと手に取るやうに見えた。私達の歩いてゐる路に沿つて、小さな川が流れてゐた。目高が幾疋となく泳いでゐた。
『参詣しやうか。』
『いや、もう沢山だ。』
 かう言つて、其麓を素通りにして、松並木の方へ来た。
 綺麗な小流をまたいで、小ざつぱりした氷店があつた。其処では無造作に髪を束ねた若い上さんが、四角の箱の中から、鋸屑の一杯についた氷塊こほりを出して、それをながれで洗つて、鉋でかいて、雪にして、そして客に勧めた。其傍には、四歳ばかりの男の児が、跣足になつて、水鉄砲をバケツの中に入れて、頻りに面白さうに悪戯いたずらをしてゐた。
 水鉄砲の水は時々高く揚つた。男の児はその度毎に機嫌好ささうに笑つた。
『そら、そんなにして、お客さんにでもかゝると大変だがな。』
 若い上さんはかう言つて水鉄砲の水口を畑の方へ向けてやつた。
 若い上さんの笑顔えがほ! それが不思議にも私の心を惹いた。それは誰かに似てゐた。何処かで美しいと思つた誰かに? 眼、眉、其奥にその女が居た。長い間、私はその誰かを心の中に繰返して歩いた。
 友からはなしかけられる度毎に、その『誰か』が動揺した。名物松茸ようかんと大きく書いた字だの、赤い黄いビラビラした旗だのが、その『誰か』と絶えず一緒になつて眼にちらついた。忘れる位だから、さう親しくした女ではないが、しかし曾て深い印象を与へたことのある女には相違なかつた。
『さうだ!』
 思はず私は声を立てた。私達はもう大きな本堂の前に来て居た。
『漸く思出した!』
 かう繰返すと、友は、
『何だね?』
『なアに、さつきから思出さう思出さうと思つて、やうやく思ひ出したのさ。』
『何を?』
 私は十年前の旅の話をした。其女のことが暫し私の心を占領した。狭い暑い室だの鼓だの、三味線だのが私の頭を早く早く通つて行つた。明方には、私は蚊帳の中に私を唯一人見出した。一枚明けた二階の雨戸からは、凉しい朝風が入つて来た。蚊帳の裾が緩く動いた。
『一度逢つたツきりかね。』
『それはさうさ。』
『よく忘れないもんだね。』
『いや、もう既に忘れる処だツた。でも……関係した女だけに忘れないでゐたんだね。』
『女もさうだらうか。』
『女は男よりもさうだツて言ふぢやないか。』
『さうかな。』
 今度は相手の方が、さういふ話を盛にし出した。参詣人の多い本堂の境内を私達は笑ひながら歩いた。萩が咲いてゐたり、百日紅さるすべりが赤く見えてゐたりする境内だ。


 それも矢張狭い町の通りであつた。其処から、裏へ出て行くと、汚い溝があつて、その向ふに鉄道の線路が長く見えてゐた。汽車がをり/\がうと音を立てゝ来た。
『さうか、あの時さういふことをしてゐたのか、そんな風な素振は少しも見せなかつたがな。』かう思ひながら、私は相手の友の話を聞いた。
 秘密といふことが心から思はれた。
『人は何んな秘密を持つてゐるか解らないものだ!』
 こんなことを考へた私は、秘密の多い自分の身を翻つて考へて見た。
 友は話した。
『君の来た時分には、まだ、それほど酷くはなかつたけれど、それでも、もう、その女と出来てゐて、君が邪魔になつたことがないでもなかつたよ。君は覚えてゐるだらうと思ふが、会があるとか何とか言つて、遅く帰つて来たことが二三度あつたらう。あれは、君にかくれて女の処に行つたんだよ。君は堅かつたからね。あの時分は。そんなことはおくびにも出さなかつたからね。女郎買のことなどを言ひ出すと、真赤になつて怒つたからね。』かう言つて笑つて、『第一、あそこいらは安いからね。金なんかなくつたツて行けるんだからね。後には、毎夜のやうに行つたよ。田宮ツていふ処の女で、たかツていふ女だつた。今だに忘れられないよ。』
『あつちをやめて来たのも、その為めかい?』
『いくらか、さういふ関係もあつたね。始めはそれでも、ああいふ寺の学校の先生に雇はれて行つたんだから、神妙につとめてゐたのさ。けれど、年は若いし、話相手はなし、女を買ふ経験も知つてゐるのだから、長くはつゞきやしないやね。それでも土地でやつて解つてもいけないと思つたから、始めは土曜日から日曜日にかけて、汽車で彼方此方へ出かけて行つたもんだね。何処か見物に出かけるとか何とか言つてね。だから君、あの近所で、僕の行かない遊廓はない位だよ。』
『さうかね。』
『それから段々大胆になつて、さうさね、君が一月ほどゐたのは、月が瀬の梅時分だから、七八月頃かね。その時分から土地でも平気でやるやうになつて了つたのさ! 彼方をやめて帰つて来る時には、是非東京に帰つたら呼寄せるなんて、女をだまして帰つて来たんだが――』
『それから逢はない?』
『それから手紙を度々よこしたけれど、さうも行かないのでね、とう/\そのまゝになつて了つたのさ。』
『もう十五六年になるねえ。』
『さうだね。』
『さういふいふことも、皆な一つの話になつて了ふんだね。』私はかう言つたが、『女は何うしたか、其後、噂を聞いたことがないかね?』
『無いねえ。』
『今、逢つたら、面白いだらうね。』
『時々、そんなことを思ふことがあるよ。さうかツて言つて、わざ/\出かけて行つて見るほどの熱心はないんだがね。何かの次手ついでに、あつちに行つたら逢つて見たいといふやうな気は今でもするよ。』
『普通に、人の細君になつて、平和に暮してゐるだらうね。』
『さうだらうとも……』
『行つてさがして見たら、面白いね。』かう言つた私は、其地方でよく見たやうな百姓家の入口を頭に描いてゐた。其処には豆菊が黄く白く咲いて居る。入つて行くと、女は――姿も形もふけて、丸で百姓の上さんになつて了つた女は、じつと驚いたやうな顔をして此方を見てゐる……。
『モウパツサンの短篇には、さうした Seene を描いた物語が沢山あるね。』
 私はかう言つて友の顔を見た。
 十五六年前に其処で過した一月ひとつきの印象が鮮かに私の頭に蘇つて来た。日の当らない寒い二階の一間、朝寝てゐる中から聞えて来るとり貝売の女の声、寒い寒いとても顔を向けられないやうな名物の西風、雪で半ば白くなつてゐる高い山――『あの時分から見ると、君も変つたね。』かう言つた友の言葉が生きて私の胸に響いて来た。
 私は其頃海にあくがれてゐた。何ぞと言つては、其友人をさそひ出して、汽車に乗つて海岸へ出かけた。其処には絵のやうな松原があつた。松原の角には、小さい灯台があつて、其処から広い海が見渡された。広い広い海だつた。
『それぢや、あの海のそばにある遊廓にも行つたことがあつたんだね、もうあの時……』
『あの頃、君も一緒にあそこに行つたとき、もうその遊廓に、馴染なじみが出来てゐたんだよ。』
 友はかう言つて笑つた。
 松原の中にある遊廓――欄干には紅い蒲団や房のついた枕などがくつきりと午後の日影に照されて干されてあつた。松の声と波の音とが微かに其所から聞えて来た。


 レールの上をまたトロコが通つて行つた。上りは下りのやうな訳には行かなかつた。人足が三人して押した。
『この奥に温泉があるんだよ。』
『奥ツて、レールの行く処に?』
『あゝ。』
『行つたことがある?』
『十四五の時分、行つたことがあるがね、一度……。この山の向ふは、小さい山ばかりで、丘が丘へと連つてゐて、それは鳥渡ちよつと面白い処だよ。温泉と言つても、沸かす湯は沸かす湯だけれど……』
『それは面白いね。暇な身だと、行きたいがなあ。』
『行かうか――』
 突然思ひついたやうに友は言つた。
『でも、明日は何しても帰らんけりやならん体だからね。』
『でも、一日位好いさ。』
 私の頭には、電車と電車通にある大きな書籍の招牌かんばんとが浮んで来た。電車に並んで腰を掛ける洋服の男だの、髱の長く出た意気な女だの、小僧だの、ハイカラの男だのが見えたり消えたりした。続いて停車場にかけてある大きな女の額が不思議にも私の眼に歴々あり/\と見えて来た。
 其額の女は何故か私に親しみの眼を持つてゐる。親しみの眼……寧ろ忘れ難い記念の眼だ。――私はいつも其額の前を通つて自働電話をかけに行つた。その自働電話には若い派手な声をする女が出て来た。――その女の顔と額の女の眼と山奥の温泉とが暫しが間一緒になつて私の前に見えてゐた。
 ふと気が附くと、私達は茅葺屋根の寺を後にして、崖に臨んだ小さな亭見たやうな処に腰をかけて、見下ろすやうにして下をてゐた。
 日の当つた処と当らないところが際立つてはつきりしてゐた。静かな、しかし影の多いやうな日で、松の緑葉の堆積かさなりが一層冴えた凉しい気分を四辺あたりに漲らせた。殊に幾重ともなく山を分けて入つて行くやうな気分が私達の胸を爽やかにした。
 私はこの山の奥の温泉場を想像してゐた。レールが、山から山を越えて、また低い山麓をめぐつて通つて行く……小さい滝がけたゝましい音を立てゝ路に沿つた高い崖から落ちてゐる……石に砕けた水が白く凄じく音を立てゝ流れ落ちる……もう日が暮れかけてゐる。まだ温泉場までは一里位ある。静かな冷たい山気が肌を襲つて来る。……温泉場には綺麗な湯が溢れてゐる。……赤い襷をした女中……若い綺麗な……。
 開け放した寺は此方からすつかり見えた。おしろい草の赤いのと、向日葵ひぐるまの黄いのと、松の青いのとを隔てゝ、白い服を着た男と、羽織袴の若い書生と、寺男らしい爺とが、庫裡で顔を合せて何か頻りに話してゐるのが絵か何ぞのやうに見えた。寺男は時々顔を上げて此方を見た。
『義貞の墓は此処にあるのかね。』
『さうだ。遺髪位葬つてあるのかもしれない。』私はかう言つて少し途切れて、『昔は随分荒れてゐたんだがね。此頃は、名蹟保存といふことがやかましく言はれるやうになつたので、此位綺麗にして置くことが出来るやうになつたんださうだ。僕は十六の時、兄と一緒に遣つて来たが、その頃は随分ひどく荒切つてゐたよ。』かう言つた私は、ふと兄が其時壁に詩を題したことを思ひ出した。
 私は急いで其処に行つた。字は微かながらそれと読めた。
『さうかね、君が十六の時かねえ、これが……』
 友はさもめづらしさうに、登金山有作かなやまにのぼつてさくありといふ詩を読んだ。
 私は死んだ兄のことを考へずに居られなかつた。其時分に兄に対した心持が鮮かに私の記憶に残つてゐるそれだけ一層兄の一生が明かに静かに繰返された。兄は其時二十三四で二三年前から東京に修業に出て居たが、久し振で帰省したその冬の休暇に、五里の路を私と二人で金山へと訪ねて来たのであつた。兄は其時弓の折れたのを杖にして歩いて来た。其時私は初めて脚袢きやはんをつけて草鞋をはいた。
 それは松原の中を通るやうな路が多かつた。その林の途切れたところからは、沼の一角がちらと光つて見えた。私は蘭を採つて糸で縛つたりした。ある家で小さい蝦を干してゐるのを見附けて、安く負けさせて土産に買つて来たりした。しかしもうそれも遠い昔だ。
 元気な赤い頬をした顔と病院のベツドに横つた痩せた顔と、それが一緒に私の眼の前を横つて通つて行つた。あの兄、あの弓の折をついた兄は居ない。否、否、否、あの時、田舎の家に居た人で、今日生きてゐるものは自分より他に誰があるか。
 その五里の路の半頃なかごろに、何とか言ふ一つの小さな村があつた。何でも笠といふ字の着く村であつた。そこに祖母の墓がある。それを兄と一緒にお詣したのも其の時だつた。
 母の母の墓! その母の死んだ時も私はまだ覚えてゐる。
 其村に帰農した伯父は、『勤、伯父さんとこへ来い、餅を沢山御馳走するからな』と、いつも口癖のやうに言つた。私は唯一度出かけて行つた。丁度其時、向ふの村にお祭があつて、芝居がかゝつたと言ふので、私は従兄達にれられて行つた。鏡山の芝居だツたと覚えてゐる。
 兄と行つた時には、伯父の家はもう其処には無かつた。伯父はその一二年前に田地を売つて東京に出て行つて了つた。で、私と兄とは祖母の墓を探がすために、村の旦那寺の和尚を訪はなければならなかつた。
 竹藪を後にした暗い墓地の一隅に、其の祖母の墓があつた。兄と私とは、寺の庫裡から桶を借りて来て、水を汲んで、そして線香と花とを手向けた。
 その寺を出た処に、小さい川があつて、其向ふに雑木の繁つた藪があつた。兄はステツキにする好い木があつたと言つて、その藪の中に入つて、小さいナイフで、一生懸命にそれを切つた。私が川の此方で見てゐると、兄の姿は見えずに、木ばかりがガサガサと彼方此方に動いた。やがて兄はその切取つた木の枝を私に呉れた。
『いつの間にか、時が経つて行つて、今では自分の眼上の人がゐない位になつて了つたんだからねえ……もう直きだよ、僕等の過ぎ去つて了ふのも。』
 かう言つた私は、いつものやうに気軽に戯談にして了ふ訳には行かなかつた。私の声は沈んでゐた。
『本当だね、イザとなれば、無常より他には何もないからね。無常といふものに突当るより他に人間は仕方がないんだからな。』
 かう言つた友の声にも一種真面目な調子があつた。
『かうして、君と一緒に此処に来たといふこともすぐ過去になるね。』
『さうとも……』
 谷合の夏の昼は静かにしんとしてゐた。鳥の鳴声も聞えなかつた。其処からは、町の方へ出て行くレールが長く遠く見えてゐた。百姓が一人向ふの道を静かに歩いて行くのが見えた。


『暑いね、もう金山に登るのはやめにしやうねえ。』
 で、私達は其処から引返すことにした。私は其の山には三度登つた。最近に登つたのが一昨年なので、其印象がまだ分明はつきりと頭に残つてゐる。古い池だの、竹藪の中の路だの、昔の塹壕の跡だの、崖に臨んだ凉しい茶店などが私の眼の前を掠めて通つた。ふと、大きな二階の五十畳敷位の広間に大勢人が居流れて、誰か冴えた性急せつかちな声で演説をしてゐるのが聞える。『義貞と尊氏とは同じ国で、しかも三里も隔つてゐない処にゐたといふことは面白いことだ……』などゝいふ声が聞える。『義貞が笠懸野を出て、利根川を渡つて、勢猛に武蔵野に出て行つたさまは、今からでも十分に想像することが出来るではありませんか……』かう言ふ声が聞える。拍手の声が其処此処に聞える。かと思ふと、今度は演説する人が変つて、其人は其町の萎靡振いびふるはない原因などを説いてゐる。『町にばかりへばりついてゐるから駄目だ……』かういふ言葉も交つて聞える……。
 蓮の花の咲いた田の中の池……そこに沿つた裏道を此方にぞろ/\歩いて来る五六人の芸妓……玉子と静江と……、急に私の心は一種の不安を感じ出して来た。それはある停車場から湯屋の前を通つて、矢張田の中に蓮の花の咲いてゐる傍を掠めて、干した形付かたつけの布のパタ/\と風に音を立ててゐる処を通つて行く時の心の状態に似てゐた。ある時は、その形付をする男が傍の濁つた溝のやうな鉄色をした川で、せつせとその布を洗つてゐることなどもあつた。椎の樹……小学校……角に立つてゐる大師へのしるべ石……そこから黒い塀が長く続く……。
 何処かに行つて了つたら何うだ。永久にあの女が俺の眼の前から消えて行つて了つたら何うだ?
 ふと百日紅の赤いのが眼について、はつとして気が附く。一緒に歩いて来た筈の友達はずツと後になつてゐる。
 待つてゐる。大きな木の蔭で、
『もう、腹が減つたね、何時だえ。』
『もう一時だ。』
『ぢや腹も減る訳だ。』友は私の傍に来て、『何処か凉しい処はないかな。』
『此町では、とても、さういふ処はありさうもないね。』
 荒川のだといふ……大きな生の好い鮎の塩焼。
 汽車で来たのではないと婢は言つた。熊谷から妻沼を通つて、利根を渡つて、松原や灌木の林の中を一直線に通つて、そして此の町の料理屋の厨に運ばれた鮎だ。無論、今朝捕れたのだ。舟で出来た水車が五つも六つも並んで川にかけてある。それを隔てて遠くに秩父の山が見える。川に臨んで構へた小さい亭……ボテの中に綺麗に並んでゐるピカ/\した鮎。
『思出すよ。荒川に行つた時を。』
『行つたことがあるのかえ? 荒川に?』
『五六年前に鮎を捕りに二三人して行つたことがあるよ。其処に鵜が一羽飼つてあつてね、それで取つて見せて呉れたが、面白いもんだね。』
『さうだツてね……荒川の鮎も今では東京に随分入るやうになつたらうねえ。』
『それは入るともね……料理店などでも、玉川のよりも却つて荒川のを珍重するツていふことだ。』
『さうかね。』
 それは西日を受けた二階の一間であつた。庇も短く、日蔽ひもないので、暫らく居る間に、日影が畳の上にさし込んで来た。其処からは瓦屋根、トタン屋根、茅葺屋根などが見えるばかりで、他に何も目を楽ましめるやうなものはなかつた。床には軸物がかけてなかつた。
 麦酒の缶のレツテルが半ば剥がれてゐた。

 細い裏通だ。左側に溝がある。庇の低い家が両側に並んで居る。軒に赤い字で御料理と書いた軒灯がいくつも出てゐる。木槿が咲いてゐる。
 丁度厨になつてゐる処に立つて此方を見てゐた十八九の女……綺麗な眼をした色の白い女……派手な浴衣を着て居た――
 琴仙亭――
 福亭――
 こんな名が絶えず両側に続いてゐた。後姿を見せたり、長い髱を見せたり、白い顔を見せたりする女が幾人となく居た。此処等で見かけない二人づれを誰も皆な見送つた。家並の絶えた処からは、玉黎蜀の[#「玉黎蜀の」はママ]熟した畑などが見えた。
 烈しい残暑の日の光線を受けてゐるので、右側の家の中は稍影を帯びたやうに薄暗くなつて見えた。亭主らしい大きい肥つた男が手拭地の浴衣か何かでぼんやり坐つてゐるのもあれば、主婦らしい眼の腐れた婆が小喧しく何か言つてゐるのもある。昼間見たかうした巷は何処となく乾いたゴソゴソしたやうな感を私達に起させた。
『これでも夜になると蘇つたやうになるから面白いね。』
 私は小声で友に言つた。
 震へるやうな私語さゝやき、熱した心と熱した心、夜の暗い闇を隈取つた白い二つの顔、――さうした境が、夜になると、この細い裏通に起るのだ。私はこんなことを想像しながら歩いた。
 一町ほど行つても、細い裏通はまだ続いてゐた。しかし色町はもういつの間にか通り過ぎて了つて居た。今度は大きな医師の裏口があつたり、梅の林のある風雅な裏門があつたりした。子を負つた若い丸髷の上さんが向ふから来た。
 畑があり、森があり、百姓家があり、桔槹はねつるべがある。レールをそれと示してゐる電信柱からつゞいて砂利、運漕店、休憩所、停車場。


『それ、金山が見える。』
『あの白いのが華表とりゐだね。』
 こんな会話が其処でも此処でも起つた。汽車は、その山の麓の平野に彎形を描きながら東南へと絶えず走つてゐた。午後四時頃の日影は、列車の中に一面にさし渡つて、汽車の進むにつれて、段々それがひろくなつて行つた。金山から北の方に起伏してゐる山脈には、暗い雲がもくもくと凄じく湧き上つてゐた。
 私はじつと其山に見入つて居た。いつか一度起した同じ気分に私は全く心を奪はれて了つた。それは兄と一緒に来たのであつたか、それとも二三年前に来た時であつたか、それともまた全く此処とは違つた別なところで起した気分か、それは解らぬが、兎に角私はじつと其の独立した山の姿に見入つてゐた。松が二三本……中でもその右の松が一番高い。
 その高い松に白い雲が懸つた。


『さうですか、貴郎あなたがお小さい時、この町にお出でしたんですか。』
 主人の僧はかう言つて、私の方を見て、『幾年前ですか。』
『さうですね。』私は心の中で数へて見て、『さうですね、私が十二の時でしたから、今から三十年前ですね。』
『三十年前、それでは私などもまだ此処に来てゐない時分だ……私が三田さんと一緒に此寺で成長おほきくなつたのは、二十二三年前のことですから。』
『よく師匠にかくれて、祭文を聴きに行つたもんですな。』
 友は主僧の方を見てかう言つて笑つた。
『さうでしたね、あの広場で、よく祭文をやる男がゐましたツけ。』
 主僧も昔を思ふやうにして言つた。
 今日も其処を通つて来た。社の中の広場――『よく祭文を聴きに来たところだ。』友はそこを通る時、こんなことを言つて私にきかせた。私にも其の裏道は思ひ出の多い処であつた。狭い川に板をかけて、洗滌した糸をせつせと男が絞つてゐた。織物の出来る町、染色業の盛んな町、到る処は染めた糸が物干の棹に高く掲げられてあつた。
 紺だの、黒だの、茶色だの、浅黄だの、――それを母親は機屋から持つて来て、座繰車で、一枠いくらかでかへしてやるのを内職にしてゐた。傍で見て居る私にも、紺だの、黒だのときまつた色よりも、浅黄とか茶色とかの方が眼を惹いた。『今度は浅黄だ……』かう言つて私は喜んだ。
『何処です、貴郎のお出になつてゐたといふ家は?』暫してから、主人の僧が私に訊ねた。
『小松屋ツていふ家です。大きな薬屋でしたが――』
『小松屋ですか。』
『まだありますか。』
『ありますとも……あそこは名代の堅い家ですから……彼家あすこでは、薬屋の他に、つくり醤油もしてゐる筈ですが。』
『さうです。その時分もさうでした。』
『さうですか、不思議なことがあるもんですな、世の中つて言ふものは面白いもんですな、その時分には、三人かうして話しをするなんて言ふことは、さういふ因縁は誰にも解つてゐなかつたんですがな……不思議だ。』
『あそこに娘がゐた筈だが。』
『さう、ゐました。貴郎よりも少し大きい位のが、あれに養子をした、それが今の主人でせう。』
おふくろさんは意気なおふくろさんだツたが……』
『兎に角あそこは、堅い家です。』
 主僧はかう言ひかけて、コツプにビールをついだ。畑で出来た長さゝげだの、手打の蕎麦だのが膳の上にあつた。
 縁側の高い天井の高い大きな寺の庫裡くりの一間であつた。友は主人の僧を知つてゐるので、是非にと言つて、私を引張つて来た。門前には池があつて、路が長くそれに沿つてゐた。山門の前には地蔵尊が二基立つてゐた。世離れた凉しい綺麗な寺だ。
 三百年以前は、この寺の裏の山に城があつて、そこにはなにがしといふ支配者が住んでゐて、其支配者がこの寺を開基したといふ話を主僧はして聞かせた。それは北条家の部下で秀吉の小田原征伐の時に亡ぼされたといふやうな小さな大名であつた。其一族の墓は今でもこの寺に残つて居た。主僧は其の支配者の佩用した鎧を私達に出して見せた。外の大きな樹では、蝉が鳴いて居た。
 帰りには、主僧は停車場まで人車くるまを用意して置いて呉れた。わかれを告げた時には日はもう暮れかけて居た。『もう、何うぞ――』私達はかういつて幾度も辞した。それに拘らず主僧は山門の処まで丁寧に送つて来て呉れた。夕日は赤く池に照り栄えてゐた。
 前には車夫が二人歩いて行つた。車は山門前の踏石の尽きた処に置かれてあつた。その畳んだ幌には夕日が微かに当つてゐた。私は軽く酔つた身を静かに静かに歩いて行つた。
 何処かに身を隠して了ひたいといふ空想が、いつもよりも一層烈しい力で頭を襲つて来た。
 自分の生活、汚れた生活、洗濯しても洗濯甲斐のないやうな生活――その生活からのがれ度い。今まで逢つて居た総ての人達の眼から離れ度い。監督され、干渉され、知つてゐる人々から変な眼付をされる今の生活から迯れ度い。
 新しい生活へ! 自分の汚れた衣や、腐れた襦袢や、破れた帽子などを誰も知らないやうな生活へ!
 樺太殖民案内といふ書が私の眼の前に浮んで来た。掘立小屋の中で風雪の暴れるのを聞くやうな生活、それで十分だ。何も欲するところはない、何も望むことはない。人間の居ない処、眼や身振や心などで人の自由を束縛するやうな人間のゐないところ……さういふ処に行き度い。
『相変らずロマンチツクな考を持つてゐるねえ。』
 ある時、さういふ心持を話したら、この友はさう言つて笑つた。決してさういふつもりではない、真剣で言つて居るのだ。
 かう弁解しても友にはその心持が解らなかつた。何うしてか、今日は其の心持が殊に強く深く私の体を支配した。大きな切倒した木の傍に熱心に鋤を執つて働いてゐる老農の姿を載せて、車は夕暮のともしびのチラチラする街を一散に走つて行つた。

 迯れたいと気が附いた時には、もう体は遺憾なく束縛されて何うすることも出来なくなつてゐた。自由へは死へ! といふことと同じであつた。
 歓楽で縛られたり、人情で縛られたり。餓で縛られたり、義理で縛られたりしてゐる。――車の上の私の眼の前には、一年は食はなければならない馬鈴薯じやがいもだの、板で周囲を張つた小屋だの、蕎麦の畑の白い花だの、旅籠屋の前の灯だの、うどんかけと書いた明るい障子だの、柳の夕風に靡いてゐる坂のところだのが、絶えず往つたり来たりした。
 橋を前にした川の縁に出ると、それでも流石に気は晴々とした。日の落ちた後の夕焼が山から出た黒い雲と反射して、それが彎形をなして流れてゐる川を微かに照してゐた。ザツと言ふ水の音が聞えて来る。
 見ると、友は橋の袂で車を下りてゐる。
『まだ、汽車は時間には大分ある。少し歩かうぢやないか。』
 私も車を捨てた。
『好い処だね。』
『鳥渡、感じが好いね。』
 私達はこんなことを言つて、橋の欄干に凭つて立つた。
 夕焼に映えた黒い雲の形は、段々小さく小さくなつて行つた。荷車を輓いた男が何か声高く唄つて通つて行つた。水の音は絶えず聞えて来た。
 私達は黙つて橋の上を歩いた。
 私はこんなことを思つてゐる。『あの時は、このすぐ下の五町田の渡を渡つて来たつけ。赤い毛糸の襟巻をして、縞の双子の絆纒を着て、朝の寒さにぶる/\顫へて立つてゐたつけ。何故、自分はその薬屋に長く奉公して、平凡な人間になつて了はなかつたのか。なまじいに人の心などを研究して、そして人並勝れたやうな顔をしてゐるやうな生活を何故始めたのか。……豚のやうに地を舐めたり這つたりする生活よりも、その生活の方が何程清い純なものであつたかも知れやしない。其時の寒さうな姿の方が今よりもいくら幸福であつたかしれやしない。是非、これから、新しい生活を開かなければならない。今からでも遅くはない、新しい自由な生活!』

 私達は疲れて居た。
 停車場に来ると、いきなり腰掛の上に長く身を横へた。酒か女かでなければ、元気を恢復することが出来ないほど、私達はつかれてゐた。
『烟草を買ひに行きたいが、向ふ側に行くのが大変だ。』友もこんなことを言つてゐた。黄い顔を電灯は青く照した。
『でも、女といふものは盛んなものだね、こんなに疲れてゐても、それツて言へば、勇気が出るからね。生返つたやうになるからね、えらい力を持つたものさ!』
『それぢや一つ生返るかね。』
 笑ひながらこんなことを友は言つた。
 汽車は二十分ばかりおくれて来た。私達は急いで列車に乗つた。列車の中には暗いランプが一つついてゐるばかりで、四辺あたりがぼんやりしてゐた。誰の顔も死人か病人のやうに見えた。
 駅を離れて暫しの間はまだ灯がチラチラ見えてゐたが、やがて広い広い闇が両側にひろげられて来た。一つの火の光も星の光もない暗い無限の闇は、希望も光明もない荒凉とした私の心によく似て居た。私はそこに自分の心をまざまざとひろげて見せられたやうな心持がして、じつとそれに見入つて居た。漆のやうな暗い闇は長く続いた。
 それでも遠い灯が一つ見えたり、路傍の百姓家の裸蝋燭が逸早く掠めるやうにして通つて行つたりした。
 ふと、その闇の中に際立つて明るい灯が見えた。皷の音なども聞えた。
『生返つてる連中だね。』
 顔を近く寄せた友はかう言つて笑つた。
 くるはを取巻いた柵の中には、灯影ひかげが明るく花のやうに輝いて居た。三味線の音につれて騒ぐ人達の声も手に取るやうに聞えて来た。しかしそれも瞬間であつた。灯影は時の間に過ぎ去つて了つた。闇と沈黙とがまた続いた。
 洋服の男が暗いランプの下で、何か仕事をしてゐるのが硝子戸を隔てゝ見えた。それは松のある停車場であつた。その次の停車場が私の生れた町であつた。私は一種不思議な感想を抱いて、その停車場の来るのを待つた。記念の多い沼も松原も何も見えず、汽車は唯闇から闇へと駛つた。
 闇から入つて行つた故郷の町は、灯の多い人通の多い土蔵の多いところであつた。広い停車場には乗客が一杯になつて待つて居た。左の方には大きな製造会社の工場の灯が晴れやかに美しく夜を照してゐた。
 自分の生れた処とは思はれないほど栄えてゐる町を、私は闇の中に覘くやうにして通つて行つた。





底本:「定本 花袋全集 第二十二巻」臨川書店
   1995(平成7)年2月10日発行
底本の親本:「百日紅」近代名著文庫、近代名著文庫刊行會
   1922(大正11)年12月18日発行
初出:「太陽 第十八巻第十四号」
   1912(大正元)年10月1日
入力:tatsuki
校正:津村田悟
2019年4月26日作成
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