雑事

田山録弥




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 大衆文芸でも、通俗小説でも、作者が熱を感じて書いてゐるものなら、まだ救はれることもあらうが、さういふものがはやるからとか、金になるからとか言つて書いてゐるのでは、とても駄目であらう。
 それはどんな中からでも、すぐれた才能を持つものは、その自己を光らせることが出来るとはいへよう。沙翁だツて、西鶴だツて、黙阿弥だツて、皆さうである。時代の空気もそれを誘つたには相違ないが、その根本は作者にある。これはその通りだ。しかし少くとも作者にはあれが真剣であつたのである。自分のやるべきことを十分にやつたのである。熱があつたのである。はやるからとか、金になるからとかいふことばかりで好い加減に書いたのではない。そこを考へて見なければならない。

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 今のやうに、低級な雑誌が売れ、通俗ものが売れ、新聞でもそれを歓迎してゐるのでは、まじめに書くものは、次第にわきに寄せられる形になる。書を著して名山に蔵しなければならなくなる。世間に追随したものに言はせれば、それはお前が年を取つたのだ、時代おくれになつたのだといふかも知れないが、それでも構はない。守るべきものは守らなければならない。自分の好いと思つたことは飽までもやらなければならない。曾てさういふことをある合評会で言つて、文壇の人達に仙人だと言はれたが、仙人結構だと私はいふ。

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 去年から今年にかけて、これはといふものはなかつた。中堅がことに振はなかつた。どうしたのだらうか。早くも種切れになつたのだらうか。つまらなく新聞の通俗ものなどを書いてゐるからではないか。本格小説を書くならもつと本当にまじめになつて書け。作者の頭に碌々その人物も光景も映つてゐないのに、その日暮しで書いたつて何の役に立つ。反古ばかりをつくつたことをあとで悔いたとて及ばない。

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 谷崎君、里見君のものも二三読んで見たが、ピチピチしてゐて面白いとは思ふが、作者の心の境はさう深く人生に入つてゐるとはいへない。正宗君のものは『人を殺したが』を読んだが、昔書いた『地獄』を思はせるやうなところがあつて捨難いが、やゝ実感に乏しい。誰にもうなづかせるだけの本当らしさがその中に活躍してゐなければ本当であるまいと私は思つてゐる。それにあれには斧鑿のあとがあまりに見えすいてゐる。しかし氏などは今年は働いた方であらう。佐藤君の『この三つのもの』はまだ何かいふには早いが、あまりにあたりに気がねをしすぎてゐはしないか。秋声君の短篇は評判は好かつたやうだが、いつも同じやうなもので、やゝ飽足らなかつた。

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 英雄崇拝、凡人崇拝などゝいふ題目が、ある新聞につゞいて出てゐる。別に深く読んで見たわけでもないが、そんなことはどうでも好いやうな気がする。英雄とか凡人とか名をつけて議論することがすでに間違つてゐはしないか。誰だツて自分を全く凡人だといひ切つてしまふものもあるまい。また誰だつて、自分から英雄だと名乗つて出て来るものもあるまい。英雄とか凡人とかいふことは、第三者が勝手につけたことであつて、そんなことはどうだつていゝのだ。当事者には何の関係もないことなのだ。或は理想主義、或は自然主義、これだつて、その時々の人の心の傾向を表示したゞけで、理想主義必ずしも理想主義ばかりではあるまい。また自然主義必ずしも自然主義ばかりではあるまい。人間は生きて常に流動してゐるものであることを私達はもつと深く考へて見なければならない。

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 同人雑誌が実に沢山出来る。雨後の筍と言つても好いくらゐである。それは互に砥礪するといふ上からいへばさういふものがいくら沢山出来ても好いわけであるが、しかし物には程度がある、何も出来もしない癖に、活字になることだけを目的にしたつてしようがないではないか。昔はすぐれたものならば、地に埋られても滅びず、火に投じられても焼けず、おのづから神明の加護があつて、必ず朽ちるものではないと言つてゐるが、それはまアかけ値があるとしても、好いものならば必ず世に出る。それはたしかである。さういふ意味から言つて、あまり世に出たがるのは、芸術でもやらうとするものに取つて、一面耻かしい形もあるといふことを知らなければならない。

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 震災後文壇は著しく変つて来てゐる。矢張、一時期が劃されてゐるやうな気がする。もちろん、それは好く変つてゐるといふのではない。或はわるく変つてもゐるだらうし、低級にもなつてゐるだらうし、面白半分にもなつてゐるだらうし、わざと人生問題などといふ形而上の思想を避けてゐる形もあるだらうし、つとめて目前の利害を対象にしてゐる形もあるだらうし、その他にも仔細に見たら、いろ/\なことがあるだらうが、兎に角文壇は変つて来てゐる。そこに面白い流動が認められる。





底本:「定本 花袋全集 第二十三巻」臨川書店
   1995(平成7)年3月10日発行
底本の親本:「花袋随筆」博文館
   1928(昭和3)年5月30日
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:津村田悟
2021年6月28日作成
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