小説への二つの道

田山録弥





 何うも、事実を書くと、兎角平凡になり勝である。なら想像で拵へ上げたものは何うかと言ふのに、これも本当でないので、矢張面白くない。兎角、その奥が見透かされさうになる。
 苟も小説家である以上、自分の経験したものばかりを――つまり Ich-Roman ばかりを書いてゐるのでは、甚だ物足らない。何うかしてあらゆる種類の人物を紙上に活躍させたい。あらゆる世間の状態を書きたい。かう誰でも思ふに相違ない。しかし、それが容易に出来ない。言ふべくして容易に行はれない。人間の種々相を描いて、それが第二の自然でもあるかのやうに、渾然としてその前にあらはれて来るといふことは容易なことではない。従つてさうした計画は多くは失敗する。よくその奥が見透かされたり、作者の小さな意図があまりにはつきり現はれ過ぎたりして、迫実と言ふ上から言つても、第二の自然を創造するといふ上から言つても、大抵は隙が出来る。
 つまり事実、または自己の経験してきたと同じやうな的確さを以て、更に言ひ換へれば、『自然』と同じやうな複雑さや単純さを以て、縦横自在に、別天地をつくつて行くと好いのだけれども、何うもそれが容易なことでは出来ないのである。


 で、噂の世界――即ちお話の世界も、作者に取つては、ある程度まで必要なことになる。そこから作者は人間の心や、自然の姿や、奥深い神秘の形をも探し出すことが出来る。しかし、このお話の世界は決して自己の内部の光景とは同一ではない。誇張もあれば、虚偽もある。好加減な断定もあれば、馬鹿々々しいお世辞もある。裏もあれば表もある。とても、このお話の世界だけでは、人間の本当のことはわからない。わかるのは唯ほんの外面だけである。だから、時々はこれを自分の内部の光景と照し合せて見なければならない。厳密に照し合はせて見なければならない。ところが、何うかすると、そのお話の世界を照し合はせて見なければならない。本当の自分の内部の光景が、少しも出来てゐないやうな場合がよくある。つまり、お話の世界にすつかり圧倒されて了つて、それが、すべての人生であるといふ風に見てゐるのである。さうした心持が、よく作者を低級な通俗がゝつた方へと伴れて行くものである。
 それに比べると、自己の内部の光景を主にしたものは、仮令、小さくとも、つまらないものであるとも、兎に角、さうした隙がない。そこには実感がある。実感の迫実がある。馬鹿に仕切つてしまふことの出来ない何物かゞある。そのために、そつちの方に向つて進んで行くものが多いのであるが、何うもそれだけでも物足りない。小説として物足らない。
『もう少し何うにかなりさうなもんだ……あれぢや丸で日記だ……』かう言はれても為方がないといふやうな形になる。
『何うも、そこが難かしいんだ。この外部と内部とがぴたりと合つた上に、それを縦横に駆使して、第二の自然を創造するといふことが難かしいんだ……。それが出来れば、もう大したもんだ』かう私はある人に言つた。『だから、こんなことは、実際にはありやしない……。確かにありやしない。かう思ひながらもその創造された世界に引寄せられて行くほどの作品なら、もう、それは余程すぐれた作品であると言はなければならない……。何と言つても、兎に角小さいなりにも、その世界がつくられてゐるのだからね』
『それはさうですね』
 この二つの道――一つは内面から、一つは外面から、この二つがぴたりと相合ふやうにならなければ本当でない。しかし、それは容易に達せらるべきものではない。


 私は一つの心を本として、唯々それに縋つて、そこにあらゆる人間の心を見出さうとつとめた。私はある所まで行くことが出来た。人間の心もいくらかわかつて来たと思つた。しかし、しかし、しかし……矢張その底は、その奥は、本当につかむことが出来なかつた。


 心の苦しみを誇張して、或はこれを『人間苦』と言つたり、或は『世界苦』と言つたりして、その『苦』を持してゐることを、自分の唯一の把握のやうにも、または唯一の生命のやうにも思つてゐるものが往々にしてあるが、これなどは生命を浪費するものゝ最も甚しいものではないか。また世間に対する見得の最も甚しい見得ではないか。
 この世間に心から触れたと思つたこともあつた。またこの世間の巴渦うずまきの唯中に深く自分が浸つてゐると思つたこともあつた。またそれとは反対に、全く世間から離れて了つて、即きたいにも何うしても即くことが出来ないと思つたこともあつた。また時には、いくら振り捨てゝも振り捨てゝも、世間があとからついて来て、うるさくて煩さくて為方がないやうなこともあつた。世間対自己の問題は実に面倒臭い。一生、何うしても世間を離れることは出来ないのか。
 その昔、人間には貴賤もなかつた。尊卑もなかつた。父子兄弟、君、臣の区別もなかつた。長幼もなかつた。皆な個人であつた。てんでんばらばらであつた。そして、動物のやうに、唯、食ふものをさがして歩いた。寒い時には、木の葉の衣を着たり、鳥獣の皮を剥いで来て着たりした。至極自由であつた。しかし、その時分には、さうして暮してゐても、餓えないだけの物資が野山に沢山にあつたから好かつた。次第に人間は多くなつて行つた。そしてその結果として、互ひに食を争はなければならなくなつた。人間は互ひに相殺さなければならなくなつた。自然の結果として、勝者弱者の区別が出来て来た。もはやてんでんばらばらでゐることは出来なくなつた。征服者と被征服者との区別が出来てゐた。次第に、それが君臣の区別、貴賤の区別となつて行つた。そして今日のやうな面倒臭い世間の状態が出来て来た。そしてその結果として益々人間は弱くなり、妥協が上手になり、おべつかゞ上手になり、他にすがることが上手になつた。
 だから、征服被征服の思想は、かうした階級制度をつくつた第一歩と言つて然るべきである。そこからあらゆる人生の不安や、不幸が生れ出して来た。
 これを再びもとに戻さうとする運動――さうした運動も今は必要になつて来た。それほど階級制度の妥協や虚偽が赤くただれた形を持つて来た……。赤く爛れた場合には、何うしても荒い手術をしなければならなくなつて来ると同じやうに――。


『芸術は理窟ぢやないですからね。さうかと言つて内容でもありませんからね。だから、困るんですよ。その証拠には、批評をするなんて言つたところで、ちやんと標準なんかゞあつて、そしてやるわけぢやないんですから、此方のすべてを持つて行つて、向うのすべてにぴつたりと打つつけるやうなもんですからな。だから、容易に言ふことは出来ないんですよ』
『それはさうですね』
『もつと入つて行つて言つて見れば、作者自身でも、何うして、さうした作品が出来たかわからないやうなもんですからね。それほど細かい気分のもんですからね。ですから見る人に由つては、面白くも見えようし、またつまらなくも見えようツて言ふもんでさ。だから、芸術なんて言ふのは、知らん顔をして投つて置くべきもんでせうね。共鳴するものには、黙つてゐても共鳴しますからね』
『それはさうですね』
『それに、作者の方にも、それぞれ心の径路がありましてね。段々変つて行くやうなもんですからね。初期と晩年との作品を比べて見ると、往々にして、これが同じ人の作かと驚かれるやうなこともありますからね……。一概にきめて批評することは出来ませんよ』
『さうでせうね。ある歌詠みの話ですが、その標準はぐんぐん変つて行くさうですからね。去年詠んだ歌がすつかり今年は駄目になつて見えるやうなことがよくあるさうですからね……?』
『さうですとも……。人が批評しなくつても、ドシドシ、自分でつまらなくなつて行くから面白いもんですよ。一刻だつて心は動かさずにゐるやうなことはありませんからね。そして、その心について、その人の芸術も絶えず動いて行きますからね』
『よくしたもんですね――』

 結んで容易に解けなかつたものが、ひとり手に解けて行く形は面白かつた。さういふ時には、わけても『時』といふものゝ働きの生き生きしてゐることを思はせられずにはゐられない。

 近頃また少し小説を手にし始めた。里見君の『父親』は結果がやゝ芝居がゝりにすぎたやうなところがあつたが、それでも立派な作だつた。あの才筆は容易に真似が出来なかつた。細田君の『母の零落』といふのも読んで見た。私も矢張、秋声氏の批評に同意する方だが、しかし、あの行徳に行くあたりの心持はよく書いてあつたと思つた。この作者のものはこれが始めてだが、もう少し読んで見たいと思つた。芥川君のものも二三読んだ。『南京の基督』も面白かつたが、それよりも短かい『槍ヶ岳紀行』を私は取つた。いかにもすぐれた気のきいた印象的のものであつた。宇野君のも一つ二つ手にして見た。特色はあると思ふけれど、余りに無駄が多くはありはしないか。
 今月になつてからは、正宗君の『毒婦のやうに』と秋声君の『厭離おんり』とを読んで見た。正宗君のものには一つの創造された心の世界があつて、それがぐんぐん無理と思はれる方にまで人を引張つて行くに引替へて、秋声君の方には、もつともつと先きがあるのに、つとめて、その手綱を伸ばすまい伸ばすまいとしてゐるやうなところがあつた。両方とも、面白いすぐれた作だと思つた。





底本:「定本 花袋全集 第二十四巻」臨川書店
   1995(平成7)年4月10日発行
底本の親本:「黒猫」摩雲巓書房
   1923(大正12)年4月15日
初出:「文章世界 第十五巻第十号(秋季特別号)」
   1920(大正9)年10月1日
※初出時の表題は「庭の青い苔」です。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:hitsuji
2021年10月27日作成
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