自他の融合

田山録弥




 自他の融合と言ふことに就いて、文壇には猶ほ深く考へなければならないことが多いと思ふ。自己の心理をいかに他に発見し、又他の心理をいかに自己に発見するかといふことは、芸術の標準を上げる上に於て、最も必要なことである。一度自分で体感したものを、もう一度他にひつくりかへして見るといふこと、自己の経験を他の中に発見するといふこと、またこれを大きくひろめて言へば、自然と自己とをいかに一致させるかといふこと、『箇』と『全』とをいかに融合させるかといふこと、この大問題は、文壇ではまだいくらも考へられてゐないやうに私には思はれた。
 主観、客観の議論は、随分昔から続いて来たものだ。その即と不即とによつて作家の意見が違ひ、批評家の議論が異り、随分すつたもんだをやつて来たものだ。しかし、この議論はこれからもまだ長く続くであらう。人生のある間、芸術のある間、無限に続いて行くであらう。
 私の創作の小さな経験で言つて見ても、努力と精進との、又は懊悩と煩悶との中心は、矢張この主客の融合乃至即不即と言つたやうな箇所に存してゐたことを思はずにはゐられない。一方は主観から、自己から行つた逼真ひよくしんの可能と、一方は客観から、他から行つた逼真の不可能と、それと相対して、客観でなければ何うしても渾然として宙宇ちううに浮び上るやうな作品を得ることの出来ない必至の事実、又は自己を没却して了はなければ他が完全に浮び上つて来ないやうな事実、これを学問とか実際世間とかに持つて行けば、慾を離れなければ、自己を離れなければ、公平な客観化が出来ないといふ事実、さういふものが、いつも、作をするに際して、深い細かいある『あらはれ』を見せて来ることを私は常に感じた。そして主観を押しつめれば客観性を生じ、客観を抽象すれば主観性を生じて来るといふことを私は思つた。私は今でも、矢張その二つのものゝ間に、右したり左したり迷つてゐるものであるが、尠くとも、作家は勿論、批評家はこの深い微妙な交錯に十分な注意を払はなければならない。
 私は最近の小説を読んで、その感じを言ふに就いても、つくづくさうした考にたれずには居られなかつた。人道主義とか、自然主義とか、乃至社会主義とか言ふことは、概して主観方面、人間の持つた要求方面から出たことで、文壇では主としてその潮流の変遷推移に議論を集めてゐるやうであるが、これも私は決して悪いとは思はないが、しかし、芸術はそこに踏留ふみとまつてゐるものではなくて、その一歩先の、主客合一、乃至主客即不即の境まで入つて行かなければならないものではないか。
『自己たれ』『自己に真実なれ』かういふモツトオは、何処まで言つても通用の出来るものだが、その『自己たれ』『自己に真実なれ』が、単に人間の要求方面に留つてゐては、甚だ心細い次第である。この『自己たれ、自己に真実なれ』も無限の階段のあることを私達は考へなければならない。
 しかし此処では、かういふ議論は暫く措いて、私は島崎君の『海へ』と高浜君の『一日』(中央公論所載)と小山内君の『泥の山』を此処に挙げる。この他にもさうした作品があつたかも知れないが、兎に角この三つが、私にあることを考へさせた。
 三篇とも、皆な自己、乃至自己の周囲を書いたものである。私なども随分自己や自己の周囲を書いて来た。そして『君の作品は日記のやうなものだね』かうよく言はれた。『それをもう一度引くりかへさなければいけないんぢやないか』かうも言はれた。この批評は一面真理であると私は考へた。芸術としては、それも好いが、自己乃至主観の方から見、要求又は逼真の方から見れば、寧ろその方が本当であると思はれるが、しかし前に言つた即不即の深遠な芸術観から見れば、それでは満足してゐられない点がある。トルストイは多く自己を描いた作家だ。従つて逼真の程度は深く且細かいが、客観化かくくわんくわと言ふ意味から言ふと、フロオベルの方が大きい。そしてその反対に、逼真の方はピントがトルストイほど合つてゐない。しかしその自己を描いたトルストイですら、前に挙げた三つの作品のやうに全然自己ではない。自己を書いた他に、猶多くの客観性をその作品に賦与してゐた。
 しかしこの三つの作品にも、おの/\がある。『海へ』はそれでも客観性がかなり多く出てゐる。単なる自己描写と言つて了ふことの出来ない処がある。作の陰に微かながらもある背景がある。それに比べると、『泥の山』は全く単なる自己描写だ。作者は何ういふ積であゝいふ記述をしたと思はれる位である。面白いのは事柄ばかりで、その事柄が何等芸術品として内容と深い関係を持つてゐない。読者は恐らく『はゝア、かういふことがあつたか』と思ふに過ぎぬであらう。『一日』になると、全く日記だ。巧みな日記だ。或は作者も日記として書いたのであるかも知れない。そしてそれに満足してゐるのかも知れない。或は日記即芸術と思つてゐるかも知れない。又さうした芸術観のある程度まで文学の上に成り立つかも知れない。しかし日記であることは確かである。由来ゆらい『ほととぎす』派の写生は、さういふ処から発達して来た。長塚節氏の『土』は、その派の最もすぐれたものであるが、あの作なども写生と言ふ上の価値で、芸術といふ上から大きく見て言ふと、全体の感じに於て、非常に曲つたり歪んだりしたものだ。
 しかし『一日』に書かれた人生の事実は、私達の共鳴せずには居られないものであつた。すべてよく書いてあつた。よく出てゐた。主人公の心持などもよく解つた。しかし、作者は何故これを独立した一芸術品として描かなかつたであらうか。何故十分な客観化を加へやうとしなかつたであらうか。日記即芸術、写生即芸術の芸術観を持してゐる為めか。さうも思はれるし、又さうも思はれない。
『海へ』はモウパツサンの『水の上』ほど焦々した気分は出てゐなかつたけれども、又平面な描写の中にをり/\入り込んで来る追憶が、十分な効果を挙げるのをさまたげたが、しかし落附いた気分と美しい情緒とは、筆の上に躍然としてあらはれてゐた。相変らず詩人的な気持ちの好い作であつた。
 里見君の『恐ろしい結婚』は、私の前に言つた自他の融合を少くとも心がけて、そして失敗した作だ。里見君は、これを表現するのに、『ある生活の断片』とかいふ作のやうにして表現すべきであつた。それを、さうはせずに、一度引くり返して見た勇気には感心するが、そのため、すつかり、似非者えせものになつて了つた。又、不得要領のものになつて了つた。ある思想を拙く盛つたやうなものになつて了つた。これを見ても、客観化、自他融合といふことの如何に芸術の至難境にあるかを私は思はずには居られない。
 これと比べると、有島君の『イエツタトリイチエ』は、かうも筆の触りや、感じや気分が違ふものかと思はれた。これは面白い物語ではあるが、丁度ツルゲネフのものに伊太利の気分を交ぜたやうな感じのするものである。作者の芸術的情緒も、概して詠嘆的且つ詩人的である。それに、作者の位置の見すかされるやうなのも物足りない。
 芥川龍之介君の『偸盗』はまだ未完だ。従つて十分なことを言ふことは出来ないが、『芋粥』『半巾はんけち』『運』などゝ比べると、もつと巧みにその客観化の手腕を見せたやうな作であつた。勿論、作中人物の内部の心理で、事件を運んで行つた形は、巧みなやうであつて実は巧みでない。それに、沙金といふ女の心理、(未完だからよくはわからないが)それを取り巻く婆さんや兄弟の心理、その自他融合が余り深くぴつたりとは行つてゐない。好い加減な程度で、逼真の度が足りない。しかし、これは矢張、前に言つた至難境であるから止むを得ないことだ。
 谷崎君の『玄奘三蔵』は面白い作だと思つた。君には一種面白い独創なところがある。写生とは丸で反対に出て行つたやうな形で、それで自然に肉薄しやうと常に心がけてゐる。『人魚の嘆き』は私はつい手元になかつたので読まなかつた。しかし、二三年前に読んだ『お艶殺し』とか、『熱風に吹かれて』とか言ふものに比べると、根調も手法も違ふが、余程『自然の面影』といふものが、作に顕はれて来るやうになつたと思ふ。ロマンチシズムでも、これなら新ロオマンチシズムと言つても好いやうな気がした。それに、作としても骨折つて書いてある。これを先月書いた里見君の『三人の弟子』に比べると、その根調の相違は勿論、軽く浮ついてゐない処だけでも非常に好い感じを人に与へる。それに、『三人の弟子』は、客観化が中ぶらりんで、悟空、悟浄、八戒の行動が若い仲間達の太平楽を見せられたり、聞かせられたりするやうな処があつてイヤだツた。しかしそこが面白いんだと里見君は言ふかもしれない。『玄奘三蔵』には、作者はすつかり作の陰になつてゐた。唯、初めの一頁ほどのイントロダクシヨンは、あんなものはなくつても好いと思つた。
 水上瀧太郎氏の作品は、三田文学に出る時分はついぞ一度も読む機会がなかつた。帰朝してから後、最初に、この前の『船中日記』を読んだ。それは余り感心しなかつた。描写の上に非常に濃淡があつて、全体のタッチも乾いた感じを私に与へた。ところが、今度の『新小説』に出てゐる『同窓』には、心を惹かれた。全体としてやはらかな上品なゆつたりした気分である。貫いた線を余り真直にしすぎたやうな処があるが、出て来る人物もそれぞれ活躍して、あの酒を飲む川辺かはべさんなどが殊によく出てゐた。矢張 Ich-Roman ではあるが、所謂私といふ主人公にも、客観化がかなりによく施こしてあるのを私は見た。そして『泥の山』の主人公のことなどを比べて考へた。
 或は『泥の山』の方が、徹底してゐるといふ意味から言つたら徹底してゐるのかも知れない。又新しいかも知れない……こんなことをも私は考へた。
 同じ雑誌に出てゐる谷崎君の『詩人のわかれ』はつまらなかつた。愚作と言つても好いかもしれない。
 中村星湖君の『帰朝者』もよく出来てゐる方だ。君の努力は『女のなか』時代から見ると、そのいやに尖つた、神経質のところと、一方また気の利かない田舎者らしいところと、忠実すぎて間が抜けてゐるといふやうなところを脱して、次第に物を正しく深く複雑に見るといふ境にまで進んで来た。この作など、書きやうによつては、単なる追憶記になつて了ふものである。又単なる自己描写になつて了ふものである。しかし、さうはならずに、主観と客観とが、ある程度まで融合されて、かうした作品となつてゐるのは、君の芸術のある発展を示した好箇の証である。『桜咲く頃』つゞいて『火』といふ短篇も面白かつた。しかし『火』もさうであつたが、この『帰朝者』も後半に至つて、印象がすつきりと素直に入つて来なかつた。尻つぼまりのやうな気がした。あそこまで書かなければ承知が出来なかつた作者の心は、矢張まだ主観に捉へられてゐるためではないか。ある要求以上に芸術の境を打立てゝゐないのではないか。
 要求と言ふことは、理想と言ふことは、それは好い。又誰れでも持つてゐる。しかし、『自然を深めよ』と言つて要求したところで、いかにその自然を深むべきか、又いかにその深い自然に到達すべきか。又人間は一生かゝつて何の位まで自然に肉薄して行けるものだか。さういふことを言はずに、唯『自然を深めよ』と要求してばかりしてゐたつて仕方がない。イヤ、しかし、これは君の『帰朝者』について言ふのではなかつた……。
 正宗君、徳田秋声君、この二君は、その成功不成功は兎に角置いて、『自己』から進んで『他』へ入らうとして努力して居る作者であることは、誰も認めることであらうと思ふ。ある人が秋声君に、『久しく逢はないけれど、君のことは君の作で読んでゐるので皆な知つてるよ。日記だからな』かう言つたら、君は、『馬鹿言つちや困る。僕のは日記ぢやないよ』と言つたさうだが、秋声君の作にも日記らしいものが二三ないではないが、しかし日記として見られては、さういふのも道理だうりだ。何方かと言へば、秋声氏の作品には、『自己』を離れたものが多い。又『自己』にしても離して描いたものが多い。『あらくれ』は無論だが、『足跡』などでも『自己』は巧にかくされてある。正宗君の作風はやゝ違ふが、矢張さうした努力はしてゐる。東京朝日に出た『波の上』なども、新聞で毎日読んでは冗長なやうな気がするけれども、男女のもつれを二条ふたすぢはつきり出して見せたところは、凡手の及ぶ所ではない。今度の『出戻り』などでも、殆ど隙がない位に『他』がよく描けてゐる。妾の方などは殊によく出てゐた。これを押進めて、自然に肉薄した大きなものを書くやうにするのが、芸術上最も難かしい境で、そして又た努力して行かなければならない境ではないか。
 但し、正宗君の作の全体の感じの中で、不思議に思ふことは、波のうねつて行くやうな風に、その間々に低い調子のところがあるが、『波の上』にも、『出戻り』にもあるが、あれは何うしたものか。その体質に由るのか、それとも亦精神によるのか。又、この二つの合したところにあらはれて来る現象か。
 加能作次郎君の『漁村賦』は骨を折つた作である。文章のタツチなどにも気持の好い処がある。しかしその外形と内面との間に隙があつて、外形ばかり徒に華かで、内面は割合に豊富でないといふやうなことを人に思はせる作である。漁村のカラアもかなりよく書いてあるが、もう少しロオカルであつて好いと思ふ。しかし、主人公の海男のロオンマンスは、いくらかはビヨルンソンを偲ばせるやうなところがないでもない。
 上司かみつかさ君の作は『子を棄てる籔』と『狐火』と両方読んで見た。何方も上方気分のよくあらはれてゐる作である。『子を棄てる籔』は、何処か西鶴の『文反古』の中にあるものを私に連想させた。『矢張大阪気分だなア』と私は思つた。此処で西鶴と比べて批評するのも変なものだが、西鶴にはしかしもつとわるくひねくれたものがあつた。深さがあつた。人生を深く体感した上に起つて来る嘆声のやうなものがあつた。上司君にもそれがないではない。何方かと言へば、上司君の作は、皮肉に富んだ作である。鋭い皮肉ではないが、巻きついて来るやうな皮肉が、いつも作の全面に漲つてゐる。そしてユーモアにも富んでゐる。作者が蔭で笑つたりからかつたりしてゐる。時には人形つかひが人形を巧にあやつツてゐるやうな気のするものもある。従つて、人間が人間として完全な取扱を受けてゐないやうなことが度々ある。西鶴にはそれがない。
『狐火』は、君の多い作品にいつも見る追憶風のものにある村の人物や事件を交ぜて書いたものだ。矢張細かい巧緻な筆で、濃淡なく書いてゐる。或は作者はこの『狐火』に就いてある神秘なものを象徴的にあらはして見やうと心がけたかも知れなかつた。しかし、その現はし方がぼんやりしてゐるので、さう取つて好いかわるいか、ちよつと私にはわからないやうな気がした。
 豊島与志雄君の『生あらば』、久米正雄君の『エロスの戯れ』、谷崎精二君の『淡雪あはゆき』この三つをも読んで見た。
 三つとも『自己』小説であつた。或は他人を書いたと作者は言ふかも知れないが『他』を書いても、矢張『自己』小説の範囲を脱することが出来なかつた。『他』が『他』になつてゐなかつた。(こゝで言ふ他は、単に他人といふほどの意味ではない)
 この三篇の中では、『淡雪』が一番すぐれた感じを私に与へた。この作者のものは、この前にも二三度読んだことがあるが、次第に主観の中から客観性をつかみ出さうとし、又は主客合一の境に入らうとしてゐるのが微かながらも指点してんされた。それに、人間を観察する力がかなりにすぐれてゐて、『淡雪』の中の女でも、斉田でも皆なはつきりとよく描けてゐた。最後のシーンを雪の夜にしたのなども、あゝした感じに伴つてゐて好い。話さうとして話すことの出来なかつた形も好い。
『生あらば』はそれから比べると、余程センチメンタルである。『淡雪』もセンチメンタルではあるが、これは一層さういふ気がする。それだけまだ根調に、真面目な正直な弱いやさしい心がある。下宿の老婆に対する描写なども、ちよつと見ると不調和な不似合なやうな気がするけれど、そこがまたその弱い心と相つゞいてゐる。文体がイヤに長たらしく、張り詰めて居ないのも、矢張それにつゞいてゐると言つて然るべきであらうと思ふ。
『エロスの戯れ』は一番見劣りがされた。三つの奇遇をわざとらしからぬやうに表現する技倆もなければ、友人の妻もはつきりと描かれてゐなかつた。浅見が割合によく出てゐたが、主人公の方は少しも客観化が施されてゐない。そして、全体の調子は、『淡雪』『生あらば』に比して、わるくすれて、無邪気な落附いたところが段々なくなつて行つてゐるやうなのを私は見た。
『末流の子』は私は読まなかつたけれど、この前に挙げた三篇に比して塚越君の諸作の方が余程主観から脱却したやうなところがあつた。言ひかへれば、客観化があつた。自己の要求ばかりに捉へられて、周囲を見廻すことの出来ないやうな張詰めた心でないといふことがわかつた。先月の『開墾小屋』などは、さう大したすぐれた方ではなかつたけれど、それでもかうした『自己』小説の上に一歩を抜いてゐた。
 しかしながら、新しい時代に、さうした多くを望むのは、寧ろ間違つてゐる。新しい時代の人達は、世界は自分だけの世界だと思つてゐる。また、自分の見たり聞いたりしたことでなければ、本当でないやうな気がしてゐる。又、それが本当である。一時代前の人達と次の時代の人達との間には、必然な自然法則としてさういふ深い越ゆべからざる溝が掘られてある。でないと、さういふ溝を掘つて置かないと、あとから続く人達の要求がそのために鈍らせられたり、歪められたりする。危険である。大切な時期をわるくいぢけたものにして了ふ恐れがある。であるから、自然はそこに深い溝を掘つた。
 唯、さういふ新しい時代も、自から味ひ、自から苦しみ、自から批評する中に段々人間と自然とに対する理解が出来て来て、要求ばかりではゐられないと思つたり、『つまらぬ理想』だつたと思つたり、古人の心が段々自己として生きて来たりするのである。里見君の『恐ろしい結婚』の客観化に於いての失敗などは、その努力の階段に於いての最良の薬であると言はなければならぬ。
 里見君の作に、その他に、『ひえもんとり』といふのがある。この作などは、君の作中では殊につまらぬものであつた。尖つた神経も、かう焦立つた心を持つて来ては、何うしても、『自然』の姿を失つて来る。『箱根行』あたりの静かな、謙虚な心持ちに戻つて行く必要があると思ふ。
 所謂人道主義の群の主張する議論の中で、『余りに人間が安価に取扱はれた。世界はあまりに醜化しうくわにすぎた。人間はもつと本当の価値を要求する権利がある』さういふ意味の一条は最も至当な要求である。それあるが故に、又それあるのみに由つて、私は似非自然主義の安価な告白時代、又は歓楽を追求して情緒にのみ生きやうとして享楽主義時代、それ以上に私はある意義を其処に認めた。しかし、観察の武器を捨て、解剖の大刀を捨てゝ、赤手で『自然』の中に入つて行つて、そして猶ほ且つよく溺れず焼けざるものが何処にあるであらうか。又、さうした突詰めた、向ふ見ずの、無意識の中から、果してまことのかくれた芸術の真珠がさがし出されるのであらうか。『日本武尊やまとたけるのみこと』などゝいふ脚本の、独りよがりになり、又感想文になり、空虚なる文字になつたのも、止むを得ないではないか。
『父の死』といふ作があつた。有島君の作である。作としては、よく描かれてある作ですが、Ich-Roman ではあるが、客観化は余り施してはないが、死に瀕した父もよく描けてゐたし、それを囲繞する家族の情味も豊かであつた。ある処は読者に涙を誘ふやうなところもあつた。しかし、作者のあの立場と態度を、私が『生』を書いた時の立場と態度とを比べて見ると、そこに両極のやうに隔つたあるものを考へずには居られなかつた。『生』は人生の醜化であるかも知れない。又その醜化であるがために人間と人生とがよく出てゐないかも知れない。しかし作者は『父の死』の作者が泣いたよりも、もつと泣いたかも知れない。もつと痛切に人間と人生とを憎悪する心に燃えたかも知れない。観察を武器にし、解剖を大刀だいとうにしたものゝ苦しい人知れない悶えは、モウパツサンの『水の上』にも、島崎君は『海へ』の中へも書いてあるが、自然派の作品を読んで、その中から、醜化ばかりを見て、その苦悶と涙とを探すことの出来ないやうな人は、あき盲目も同然、ふんと言つて笑つて過ぎ去つて了つても好いやうなものだ。人道主義を標榜する率直な無邪気な作者や批評家に雷同する人達の危険は、実に其処にあるのである。
 世間をあのやうに憎悪したフロオベルから、観察に富んだ解剖にすぐれたあの大きな作が生れた。又、あのいこぢな、旋毛つむじまがりの、善とか美とかによく反撥する性質を持つたトルストイから、あの人間の愛に満ちた作が生れた。私達は静かに考へて見なければならない。





底本:「定本 花袋全集 第二十四巻」臨川書店
   1995(平成7)年4月10日発行
底本の親本:「毒と薬」耕文堂
   1918(大正7)年11月5日
初出:「太陽 第二十三巻第五号」
   1917(大正6)年4月27日
※「タッチ」と「タツチ」、「ロマンチシズム」と「ロオマンチシズム」の混在は、底本通りです。
※初出時の表題は「最近に読んだ小説」です。
入力:tatsuki
校正:hitsuji
2020年11月27日作成
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