樹木と空飛ぶ鳥

田山録弥




 この頃の庭は落葉で埋れて見る影もない。いかにも冬ざれといふ感じである。それに山の手は霜柱が深く立つて、塵埃ごみが散ばつても、紙屑が風に吹き寄せられても、それを掃くことも出来ない。樹木もすべて死んだやうで、寒気の強い朝などには、厚ぼつたい常磐木の葉ですらわるくしぼんだやうになつてゐる。熱帯地方にその故郷を持つた八つ手のやうな植物がことに目に立つてやつれきつてゐるのも無理はない。
 庭の掃除が出来るやうになるのは、毎年四月上旬から中旬にかけてであるが、早くその時がやつて来れば好いと思ふ。此頃では、たまさかに木戸を明けて庭に入つて見ても、何も心を惹くやうなものもない。野椿の紅いやつもまだ咲き出してはゐないし、花の中で割合に早い木瓜などの蕾も固い。沈丁花はそれでもいくらかふくらみかけてゐるけれども、それがあの高いかをりを放つまでにはまだひまがあるだらう。青木のつら/\した緑葉に赤い実の生つてゐるのがせめてもの庭の色彩といふべきであらう。

 何といつても此頃は梅だ。私の庭にも梅の老木はかなりにある。角筈つのはずの銀世界のやつをそのまゝ移して持つて来たものもある。しかし大抵実を目的にしてゐるので、花が遅い。三月の中頃にならなければ満開といふわけには行かない。唯、一本、門内にあるのが早いが、それもかなりに古い梅であつたが、矢張近所の工場の煤煙にたゝられて、今は半ば枯死しようとしながら片枝ばかり花を着けてゐる。いかにもあはれである。一体、東京の近郊には、野梅がかなりに多く、何処に行つても、垣根に添うたり、川に臨んだり、丘につたりして、一二本、または五六本咲いてゐたりしてゐたものだが、今では工場や汽車の煤煙にたゝられて、さうした風情も多くは見られなくなつた。惜しいことだ。

 梅の花は碧い空にすかして見た形が何とも言はれない。全く星である。空にでうされた星である。私の家にあるやつは、銀世界の古物で、もう余程わるくなつてはゐるけれども、それでも苔蘚たいせんなどはかなりに多く、剣戟のやうな枝に一面に花をつけて碧空に聳えてゐる形はちよつと奇観である。ひまがあつたら来て見給へ。お茶ぐらゐはさし出しても好い。
 そしてこの梅は庭の外囲ひの方に五六本あるが、今でもかなりに実が生つて、毎年自分の家で漬けるくらゐは採れることになつてゐる。曾つては七斗も生つて、持余して八百屋に売つたこともある。
 梅の花が過ぎると、私の庭も次第に花で彩られて行く。前に言つた沈丁花、木瓜、椿、この椿の中にもいろいろなやつがある。絞りもあれば咲きわけもある。真白なのもある。野椿の紅いのもある。そしてこの花の寿命はわり合に長い。二つきぐらゐは咲いては落ち、咲いては落ちしてゐる。たゞ、わかれ霜に逢つて花片はなびらがわるく黄いろく焼けるのはあまり好いものではなかつた。
 山吹の咲く頃になると、庭は花で満たされると言つて好い。それに、その時分には草木が芽を出すので、色彩は非常に豊かになる。それに、桜もかなりに多い。門のところにあるやつは、家をつくつた時、五十銭ほど出して買つたもので、大きさも径五寸ぐらゐのものだつたが、今は大きくなつた。近所でも目に立つほど大きくなつた。立留つて見て行く人達も多くなつた。

 樹木といふものは面白いもので、つくづく見てゐると、矢張我々人間と同じだなといふ感に打たれずにはゐられなかつた。矢張、そこに競争心理がある。エゴイズムがある。自分が小さく低い中は、つとめて陰忍いんにんして枝も十分に張らずにゐるが、一度それを乗り越したとなると、大きな枝を縦横に張つて、今まで押へられてゐた隣の樹をすつかり蔽つて了ふやうにはびこるのなども面白い。また深い繁みの中から青空を青空をと望んで、幹だけで、一本の枝も出さずに、長く真直まつすぐに延びて、やつとひろびろした青空に出たやつが、折角枝を張つて見ると、幹が細く長いために、風などに逢つて、思ひきりいぢめられて、何うして考なしにこんなところまで延びて来たらうと思つてゐるらしいのなども面白い。かれ等も矢張考へ考へ幹を養ひつゝ傍ら枝を張つて行くのであるが、穉樹わかぎの中は、さうした思慮にも乏しいと見えて、グングン延びて行つて後悔してゐるやうなのを私はをりをり見かけることがある。
 次に、樹木の葉の日影に渇仰する形も驚かるゝものがある。何うかして日影に逢ひたい。何うかして十分に日の光線を吸ひたい。この希望は樹木に取つては非常に重大であるらしい。それは人間でも何うかして日の当るやうなところに出たいと言つて苦しんだり努力したりするものだが、樹木にはそれ以上であるらしい。その証拠には、日蔭にえた樹木が光線に逢ひたいばかりに、自然に幹が曲つて行つてゐるのをさへ私は見出したことがある。ことに常に日影に眷恋けんれんしてゐるあの八ツ手などは光線のある方へとぐんぐんその枝やら幹やらを延して行つた。

 柿の木も私の庭にはかなりにある。少くとも十二三本はある。大きいやつは、角筈の叔父が呉れたのだが、穉樹の成長した方のは大抵その当時岐阜の蜂谷の苗木を柳田君の呉れたのがそのまゝ大きくなつたのである。もう何れもこれも皆な実が生り出して、その時節にはいつも奇観を呈するのが常になつた。ことに、去年などは叔父の呉れた方のきざがきが二本とも鈴生だつたので、秋が更けるまで行く人の眼を引いた。子供がよく垣をくゞつて採りに来た。垣根は繕つても繕つてもすぐまた壊された。ある時などは子供が二三人も平気で樹の上にのぼつて採つてゐるのを、家内が見出したので、それを咎めると、『叔母さん少しおくれよ!』と言つて容易に下りて来ようともしなかつた。柿の実などもさう沢山に生るやうになると、完全に他から保護することは難かしいことであるといふことを私は痛感した。
 さう沢山あるのなら、ドシドシやれば好いではないか。何も問題にしなくても好いではないか。他から見てゐるものは屹度さう思ふに相違ない。現にそれに似た言葉を私は二三度耳にもした。しかしそれは矢張傍観者の言葉である。当事者には通用しない言葉である。何故といふのに、柿の実はいくら鈴生になつても限りがある。貰ひ手には際限がない。また貰ひ手の方から考へて見て、その際限のない無数の貰手の中の一人か二人が何の理由があつてそれを貰ふ権利があるのか。やるなら、皆なに公平にやらなければ不愉快である。それは自然にあるものなら、丁度そこに運好くやつて来たといふだけの理由で、大勢の中の一人二人がそれを採つても差支ないが、不自然ではないが、所有されてゐるものは、自然にあるものとはちがふ。一人二人だけにやるといふことはなんだか不公平で、不愉快である。どうせやるなら、みんなにいちどきにわけてやつて、時の間にさうした目ざわりのものをこのあたりから亡くして了ふ方が好い。

 樹木が多いので、わたり鳥などもよくやつて来た。今は鶯がチヤツチヤツと言つて梢から梢に飛んでゐるが、暖かい日にはホウケキヨと変な節で鳴いて家人を驚かした。『おや、もう鶯が鳴くよ』家内はこんなことを言つて窓を開けて見たりなどした。秋は目白がよくやつて来た。四十雀もやつて来た。また何といふ鳥か知らないが、馬鹿に羽や毛の色彩の美しいやつもやつて来た。私はさういふ渡り鳥を見ると、いつも遠い遠いかれ等の故郷とかれ等の目ざして飛んで行く歓楽境とを頭に描いた。そしてさういふ小鳥達の自由で楽しさうなのに引きかへて、自分等のいかに大地に縛られてゐるか、いかに一ところに離れられないやうに膠着こうちやくされてゐるかといふことを考へて、人間のあさましい運命を嘆くといふほどでないにしても、あの小鳥のやうであつたら何んなに好いだらう。何処へでも思立つたところへ飛んで行かれる身であつたら何んなに幸福だらう。かう思つて、その小鳥のチヨンチヨン枝を伝つて飛んでゐるのをじつと羨しさうに私は眺めた。
 何んでもその小鳥の目ざして行く歓楽境には、あらゆる花が咲き、あらゆる木の実が結び、気候も温かに、不足なものとては何ひとつないといふことであるが――それも行つて見たのではないからよくはわからないが、兎に角さういふところを持つてゐる小鳥は羨しい。しかしそれは人間ばかりではあるまい。人間はそれでもまだ足があつて何処へでも行ける。行かうと思へば小鳥の故郷へでも何処へでも行けぬことはない。それから思ふと、初めからそこに生れついて、枯死するまでそこを一歩も自動的に動くことの出来ない樹木などが見れば、もつともつと羨しいに相違ない。さう思つて私はいつも放浪したい心を押へた。

とうさん何うしてさうなの? 今日もお友達が言つてゐたが、あなたのところのお父さんぐらゐ空を見てゐるかたはないわねえ? と言つてゐたわ――』かう総領の娘はよく言つたが、実際、空ほど私の心を惹くものはなかつた。碧い碧い空。雲の漂つてゐる空。樹の影の映つている空。星くづのキラキラと輝いてゐる空。他界の消息のそれとなく耳傾けらるるやうな空。ことに、風の吹く時には、空は驚異のやうに私には感じられた。私は樹木といふ樹木を動かしてあたりに恐ろしい力に展けて行く風といふものの行方をじつと見送つた。人間に取つても風は恐怖に値ひしないことはなかつた。私は柿の木の風に倒れるのをおそれて、何遍も何遍もその幹に棒杭をかつてやつたことを思ひ起した。また、強く風の吹く日には、倒れたり折れたりする樹木のことが心配で落着いて家に坐つてゐられなかつたことを思ひ起した。
 雨も不思議だつた。大きな樹の枝を地にして、脚長く落ちてくる雨! 樹木ばかりでなく、人間の心の中までも浸み透つてぬらして行く雨! サツと何かの魂であるかのやうにあたりを驚かして降つて行く雨! 『夜を深み時雨も道に迷ふらんかどのあたりを行かへりつゝ』と誰かが詠んだ不思議な雨! 人間は馴れきつて了つて、別に何とも思つてゐないけれども、そんなことを不思議にすると、却つて笑はれたり何かするくらゐが落ちになつて了つてゐる。けれども、しかも私には単に雨とか風とか言つておしまひにして了ふことは出来なかつた。ある魅力がそこから常に強く私に迫つて来た。
 樹木があるがために、空は一層複雑に私には見えた。時には赤く染つた空をその絶間に見ることもあれば、また時には梢の上はるかに月の美しく浮び上つたのを見ることもある。空はそのためにいくつにも割れて見え、綴られて見え、しきられて見えた。柿の実が五つ六つ秋の午後の空に赤く浮ぶやうに綴られてゐたのを見たことなどもあつた。

 粗末に建てた家屋が存外いつまでもそのまゝであるのも不思議だ。かと思ふと、その時仏壇を拵へて、『いつかはこゝに入るのだな? 何だか縁起がわるいな?』こんなことを言つて気にしたが、今だに達者で、二三年の病気にも堪へて、そのままになつてゐるのも不思議である。人ばかりが老いて、家屋はそのまゝで長く保たれてゐるといふ風にも言へるが、またその反対に、人の命といふものは、さうもろいものではない。いつまで生きてゐるかわからない。八十までも平気で生きてゐるかも知れない。こんな風に思つて見ることも出来る。何が何だかわからないやうにも思はれる。
 門もあまり大き過ぎて、人にいろいろなことを言はれたが、現に、押川春浪などには、面と向つて、門ばかり大きくしてゐる俗物さ加減を痛罵されたが、実はあれも自分の好きでやつたわけでもなく、家屋を請負つた材木屋に長い間あの槇の木の柱が使ひ途がなくて寝かされてあるやつを体好く押しつけられて、いやとも言へずにあゝした門が出来上つたわけだつたが、その門も主人と共に老いて、今では建て替へなければならないくらゐに朽ちて了つた。それも不思議なひとつと言へないことはあるまい。
 樹木の大きくなつたことも非常だ。今では夏は道から家屋が見えないくらゐだ。この附近はわるく開けて、煤烟も多く、附合ひもうるさく、引越して来た時のやうな静けさはとても味ふことは出来なくなつたが、矢張、地や家屋に縛られて、何処にも飛んで行くことの出来ないあはれさ! みじめさ! しかし余りに興に乗つて勝手なことを長く書き過ぎた。許し給へ。





底本:「定本 花袋全集 第二十四巻」臨川書店
   1995(平成7)年4月10日発行
底本の親本:「夜坐」金星堂
   1925(大正14)年6月20日
初出:「新潮 第四十二巻第三号」
   1925(大正14)年3月1日
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:hitsuji
2022年4月27日作成
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