迅雷

田山録弥




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 およそ雷で一番恐ろしいのは、山の上で逢つたことだ。私は日光の山奥でさういふ経験を甞めたことがあつた。雨は車軸を覆すばかりに降る。風は凄じく下から巻きあげる。それに、電光が交叉して、そこでも此処でも雷が轟く。何とも言はれない恐ろしさだつた。
 日本アルプスの登山者なども、何うかすると、さういふ目に逢ふといふことであつた。さういふ時に注意しなければならないことは、身の周囲に金属をつけておいてはならないことで、蝙蝠傘や、眼鏡や、懐中に持つてゐる金に感電して、命を失つたものも決して尠くないといふことであつた。
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 幼稚な頃にも、雷の恐ろしかつた経験が一度あつた。
 何でも五歳か六歳位であつたらうか、母親の膝に抱かれて、じつと雨戸の隙間から光つて来る電光を見てゐたことを覚えてゐる……。その音も恐ろしかつたに相違ないが、それよりも、電光の間断なしに光つたさまは、今でもはつきりと思ひ浮べることが出来た。矢張、眼で見たものゝ方が長く印象されて残つてゐると見える。ザツと降頻る雨、間断なしにピカ/\光る電光、その中ををり/\つんざくやうに轟いて通つて行く雷!
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 死んだ川上眉山は、不思議に雷の好きな人だつた。雷が鳴り出すと、家に落ちついてゐられずに、よく雨を衝いて出かけた。それと反対に、生田葵山きざん氏はまた雷が大嫌ひで、それが少しでもきこえ出すと、顔が青くなつた。新宿停車場で、一度ひどい雷に逢つて、一時気絶したことがあつた。
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 私の生れた平野は、雷の多いところであつた。それと言ふのも、五六里を隔てゝ山が取巻いてゐたからであらう。ある日は赤城から来た。またある日は日光から来た。秩父の方から来るのは富士から来ると言つた。この中で一番烈しい性質を持つてゐたのは、日光から来る奴で、そつちの方に黒雲が出て、遠くで轟く音でもすると、人々は皆々警戒して、大きくならなければ好いがなア……と思つた。
 しかしその烈しさは痛快でないこともなかつた。黒雲の中に幾条となく電光のきらめきわたつて見えるさまや、時の間にその電光雷声が広い野に漲つて来るさまは、今でも私にある爽快な感じを誘つた。それは同じ関東平野でも、東京などでは見たくても見られないやうなものであつた。
 従つて雷の被害は、かなりに多いらしかつた。豪雨の中に落雷に逢つて、一家全滅したのを、晴れた後わざ/\見に行つたことなども覚えてゐるが、それは悲惨なものであつた。城址の土手の上の大きな杉の木の斜に裂けて白く見えてゐるのなども、今だに私の眼の前にあるやうな気がした。
『今日のらいさまは日光だから、油断がならない』
 かう言つて、祖父はいつも線香を立てゝ跪座きざしてゐた。
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 私の生れた町から一里半ほど隔つて、板倉といふところに、雷電を祀つた祠があつた。私達は祖父に伴れられて、よくそこにお詣りに行つた。
 今、考へて見ると、不思議なやうな気がするが、野に住む人達は、その雷電を本当に神と信じて、そしてその被害を免るゝために、そこにお詣りに行つたのであるらしかつた。祭礼の日には、境内が立錐の地もないほどに、参詣の人達で埋められた。
 今でも覚えてゐる……そこにはがま真菰まこもが青い芽を出してゐて、杜若かきつばたなどが咲いてゐた。そこで、祖父はいつも鯰の煮たのか何かで酒を飲んだ。
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 節分の時にまいた豆を、翌朝早く起きて、それを長火鉢の抽斗ひきだしに紙袋に入れてしまつて置く。そして初雷の時に出して食ふ。それは雷の被害を免れるためのまじないであつた。これを見ても、私達の生れた平野には、いかに雷の被害の多かつたかを想像することが出来ると思ふ。
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 この間、かういふ話をきいた。
 これは矢張、その野に住んでゐる人であつた。家は富むといふほどではなかつたけれども、地主で、遊んで食つてゐることの出来るものであつた。夫婦の他に、老いた母がゐた。
 ところが、この夫婦はいつも喧嘩ばかりしてゐた。それには、主人に他に女でもあつて、それでめてゐたのか、それともまた性質が互ひに合はないので、常にしつくり行かなかつたのか、それは何方だかわからなかつたけれど、兎に角、結婚してから二十年といふもの、常に出るの入るのと言つて揉めてゐた。現に、妻の方から出て行つたことも二度も三度もあつた。しかしそれでも、きつぱりと別れて了ふわけには行かなかつた。仲裁の人達が手を引くころになると、いつも二人は何方からか寄つて来て、そしてまた一緒になつた。
『もう、構はんでおいて下さい……。あれは、もう、くせ見たいなもんだで。中に入つて心配するものは馬鹿を見るだで……。何方がわりいといふこともねえ、嫁がわりいわけでもねえ、子息がわりいわけでもねえ――あゝいふ二人ふたりなんだで……。本当に構はねえでおいて下さい……』かう後にはその老いた母親さへ全く匙を投げるやうになつて了つた。
 何でもそれはつい此間のことださうだ。矢張二人は喧嘩してゐたさうだ。出るの入るのと言つてゐたさうだ。相変らずいろ/\な人が仲裁に入つてゐたさうだ。ことに、今度はその喧嘩がいつもと違つて深酷しんこくで、これではとても駄目だと誰も思つたさうだ。ところが、丁度その時雷雨があつた。何でもヒドい雷雨だつたさうだ。雨ばかりでなく、風も強かつたさうだ。その時、夫婦は長火鉢のところに向ひ合つて面白くない顔をして坐つてゐたが、急に、二階に風雨の吹き込む気勢がしたので、主人はそれを見るためにそのまゝ立つて二階の階梯へとのぼつて行つた。と、かの女もそれを見るつもりだつたか、そのまゝ立つてあとからつゞいた。と、それと同時に、凄じい電光がひらめいて、主人の持つてゐた金槌に感電し、つゞいて、妻の頭の簪に感電して、そのまゝ二人とも、すつとも言はず死んで了つたといふことであつた。
『フム』
 それをきいた時には、私は思はずかう言はずにはゐられなかつた。そんなことはないとは百も承知して居りながら、何となく神業かみわざのやうな気がして為方がなかつた。偶然にしても、あまりに不思議な偶然と言はなければならなかつた。
 さう言へばかうした話は、『新著聞集』などによく書いてある。昔の人達が雷を神業にした形が、いろいろに私に思ひ出されて来た。
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『はたゝ神鳴りやむまでは凉しとも思はざりけり夕立のあめ』かうした歌を昔詠んだことを私は思ひ起した。兎に角、雷電は不思議なものだ。いろいろなことがわかつてゐても、不思議なものだ。それに、あの凄じく威嚇される形が恐ろしい。今になつても――電光と雷声と一緒にやつて来るやうになると、私は落附いて一ところに坐つてゐられなかつた。ある人は言つた。『雷の鳴る時一ところに集つてゐるのはいかんね。そのため、一家全滅した例はいくらもあるよ。成るたけ離れてゐる方が好いね』でも、離れてひとりではゐられさうにもなかつた。





底本:「定本 花袋全集 第二十四巻」臨川書店
   1995(平成7)年4月10日発行
底本の親本:「黒猫」摩雲巓書房
   1923(大正12)年4月15日
初出:「電気と文芸 第二巻第六号」電気文芸社
   1921(大正10)年6月1日
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:hitsuji
2021年11月27日作成
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