捨身になるといふ言葉がある。これも矢張さうである。自暴自棄の心境は、生も滅もすつかり傍にやつて了つたやうな形であるが、捨身はさうではない。滅の中に力強い生を発見した形である。それから自然主義時代に、『あきらめ』と言ふことがよく口に上つたが、そしてその『あきらめ』といふことを単に妥協風に考へて卑しめたものだが、この『あきらめ』も消極的でない限り、矢張生を
勝つといふことと敗けるといふこととこれも矢張生滅の裏表の心理である。『敗けるが勝』その反対に、『勝利者の悲哀』乃至『勝利の犠牲』といふ言葉がある。勝つといふことに敗けるといふことが連り、敗けるといふことに勝つといふことが相繋つてゐるのである。
生滅の刻んでゐるリズム、これほど確とした大きな立派なものはない。細は何処までも細で、大は何処までも大である。我々は一日乃至一秒時間の中にもこの生滅のリズムの刻んでゐるのを認めることが出来ると共に、無窮の人生と宇宙の間にもその波の起伏してゐるのを認める。文芸上ロマンチイシズムの次に自然主義が起り、自然主義の次に理想的民衆主義が起りつゝあるのも、実はその一
人を押詰めて見る。一度は押詰められても、
政治界でも、文壇でも、又は普通のあらゆる社会でも、この細かい生滅の心理が、その底の底の一番底の微妙な根柢をつくつてゐるのである。空気とか、暗流とか、気分とかといふことは、その底から起つて
男女の間に横はる深い心理、時には死に達するをも辞せないやうな、又時には尋常茶飯事として淡々水の如く思はるゝやうなさうした矛盾した心理、そこには殊にこの生滅の心理が、深く根ざしてゐることを私は思はずにはゐられない。男女の仲を知ることは、物の哀れを知ることだと昔の人も言つてゐるが、私は、『物の哀れ』どころではない、男女の心理の生滅の中から深い貴い不可思議な真理をさがすことが出来ると思つてゐる。男女の仲の苦悶に深く浸つて、その中から生滅の真珠を探し出すことが出来る人は、少くともその慧の非常に聡明な人であると言ふことが出来る。
私は曾て男女の別れるについての苦悩の脱却順序を、気象の三寒四温の理にあてはめて説いたことがあつた。三日寒くつて四日温かい。三日思詰めて四日思ひあきらめる。そしてこれを何遍も何遍も繰返して行く中に、春は夏になり夏は秋になり冬になると同じやうに、別れの辛さも段々まぎらされて薄くなつて行くのである。『ルウジン』の中のナタシヤが捨てられて苦しむ
そればかりではない。実際の社会でも、難かしい問題に出合すと、『まア、放つて置け、その
破壊の裏に建設があり、建設の裏に破壊があるといふことも矢張同じ理である。決して絶対の破壊がなく、又絶対の建設がない。仏教の
こゝにかういふことがある。ある人が来て、俸給の先月から増したことを話した。又ある人が来て原稿料を高くしてやつたことを話した。私達はこの増したこと、高くしたことに就いて喜びとし、又誇りもするであらう。一応はそれで好い。しかし私達はもう少し深く考へなければならない。その俸給の増して行くといふことは、他日その職をやめられる
私は余程前から物に捉へられないことの工夫を説いた。一切の事、捉へられてはいけない。金に捉へられゝば守銭奴になつて其自由を失ふ。女に捉へられゝば遊蕩児になつてその自由を失ふ。名誉もさうである。富貴も又さうである。艱難もまたさうである。捉へられてはいけない、かう私は度々言つた。ところが捉へられないといふ事を誤解して、消極的にそれを解した。ある人はそれを『事なかれ主義』又は『あきらめ』又は『不努力』『客観主義』などといふ方に持つて行つた。傍観的に言ふことは、熱のない主観の乏しいものだと思つた。成ほど若い人達にはさう単純に考へられるであらう。捉へられなければ全力を挙げることが出来ないと言ふであらう。それは若い人達に取つては無理のない言葉であり解釈である。何故ならば、若い人達は、根本には矢張この生滅のリズムを持つてはゐるけれども、その生存上、ある時期までさういふことには無意識でゐなければならないと言つたやうなところがある。であるから、生に
捉へられないと言ふ心は、だからこの生滅の心理に深く触れて行つた形であるといふことが出来る。『不努力』どころか、完全な努力をしようがために自己の自由を保留してゐる形である。退いて自己を養ひ且つ豊富にしようとする形である。
維摩経は主として解脱を説いた経文である。それも病といふものを主として解脱を説いてゐる。従つて私の考では、この経文は小乗から大乗に入つたばかりのときの心境を説いたものであらうと思ふ。不治の病は病にあらず、凡百の病、治癒し得べき病は、皆な自己に着するより起ると言つてゐるのは面白い。それに生滅の心理も可成に深く説いてゐる。しかし維摩の態度に何処か
では芸術の至難境は何処にあるかと言ふと、矢張この生滅の不可思議の心理を表現する所にある。
だから、ルレーヌがあゝした形に行つたのも面白ければ、ユイズマンスがあゝした神秘の境を晩年に心がけて行つたのも面白い。トルストイにも、フロオベルにも、モウパツサンにも皆なさうした処がある。ユウゴオなどにもある。
運命とか宿命とか言ふことを外国人の作者はよくいふ。神秘、象徴、さういふことをもよく口にする。しかもこの運命とか神秘とか言ふことは、ツルゲネフのやうなドリイミイな感傷的なものではなく、又メーテルリンクのやうな抽象的、舞台的、形式的のものではなく、もつと深く日常の生活の中にも根深くあらはれてゐるものではないか。外国の作家は
先月あたり『早稲田文学』に出たカアペンタアの『感想』を読んで見たが、あれなどにも、流石は聡明な思想家だと思はれるやうな生滅の感想が多く書いてあつた。かれが今回の戦争、又は文明、文明と人間との交渉、それから起る顛倒、さういふものについていかに深く感じてゐるかといふことを考へるのも興味があつた。
しかしかういふ風に、人間が平等観を持して来る心理状態は、私達はもつと細かく研究して見なければならない。主客融合といふ事は、私は四五年前に、長岡の温泉に行つての帰りにつく/″\体感して、自分ながらかういふ心の起つて来るのを不思議にしたが――一時は『心の迷ひ』のやうな気がしたり、『こんな消極的な考を持つては