脱却の工夫

田山録弥




 O事件に対するB同人の批評は多くは普通道徳を照尺にしたやうなものであつたが、中でK・Y女史の談話は、自己の実際を背景にしたものだけに一番面白いと思つた。この中には、男女問題の空気がかなりに細かく理解されてあつた。単に第三者の想像以上にある確実なものをつかんでゐる。そこが面白いと私は思つた、それから、その帰着点を子供と母親といふ点に持つて行つたところも女らしくて、いかにも本当であるといふことを点頭うなづかせる。しかしN氏の子供に対する態度の批判にはもつと先がありやしないかと私は思ふ。そこにN氏の性質があり境遇があり、またそれから生まれて来た運命があるのではないか。又、そこに深い、今回の事件を惹き起すやうな悲劇が横つてゐるのではないか。
 私の考では、事件後のO氏とN氏との心理状態を注意して見たいと思ふ。そしてそれに由つて始めてO氏とN氏との人間としての本当の価値が批判さるべきであらうと思ふ。
 しかしこの事件に、自暴自棄といふことがその背景を成してゐたといふことを私達は考へて見なければならない。又、さういふ空気から醸されて来たといふことを遺憾としなければならない。人間が自暴自棄になつた形ほど悲しむべきことはないと私は思ふ。

『日本主義』に出てゐる岩野君の国家と個人との議論は、流石に学者達の単なる研究と排列とは違つて、深いところに達してゐるのを私は見た。イギリスの妥協主義なんかを、本当の個人主義と同じやうに見たり言つたりするやうでは、個人即国家、国家即個人と言ふやうな深いところが理解され得べき筈がない。
 岩野君は流石に深く物を見てゐる。優強者といふものゝ見方も同意だ。しかしマツクス[#「マツクス」は底本では「マックス」]、スチルネルの言つたやうな吸収主義に就いては――強者ばかりの人生といふやうな哲学に就いては、私はまだ多少の疑ひを持つてゐる。

 K氏の『銀貨』といふ小説を、A氏が遊蕩いうたう文学の中に入れなかつたと言つて、作者自身が喜んでゐるのを私は滑稽だと思つた。『銀貨』などゝいふ作は男女のことなんか少しも考へてもゐないし、知つてもゐないといふやうな作である。何処かで聞いた話を敷衍ふゑんしたにとゞまるやうな作である。こんなものよりも、遊蕩文学者と言はれるN氏とかT氏とかY氏とか言はれる人の作の方が何れだけ深く男女のことを知つてゐるかわからない。又どれだけ深く男女のことを考へてゐるかわからない。遊蕩文学の議論には別に意義といふほどの意義もないが、深く入りもせずに、また考へもせずに、若い心と言つたやうなもので、上段から振翳ふりかざした形が馬鹿々々しい。

 否定と肯定、これは楯の両面である。又作者の心的状態のその折々にふれてのあらはれである。或は否定し、或は肯定する。否定は肯定を経て来た否定であり、肯定は否定を経て来た肯定でなければならぬ。そこに始めて意義がある。従つて理想主義も単なる理想主義では詰らない。最初から持つてゐる欲するといふ念の単なる発現であつてはつまらない。何故なら、さういふ理想主義はすぐ打壊はれるから……。否定しなければならないやうな時期にすぐ到達するから……。

 I氏の『自然主義前派』の議論は面白いけれど、何うも言ひ方が変だ。つかんでゐるものを徹底的に言はずに、ぐる/\廻つてゐるやうな言ひ方をしてゐる。八百長らしいやうなところがあつて厭だ。氏は『社会と個人』について、曾て細かい研究を公にしてゐる。そしてそれには、大に首肯されるやうな処がある。それから又社会と個人との関係について、何方かと言へば、自力よりも他力の方に偏つてゐるやうな形を見せてゐる。従つて孤独といふものについての価値の氏の意見は、何うも私などゝは余程違つてゐるのを感ずる。

 社会なんか、うんと馬鹿にしたいと私は思つてゐる。何故なら、社会と言ふものは、人間の持つた表面的、第三者的で出来てゐるものであるから、主として形式と想像と社交とで成立つてゐるものであるから。噂話の世の中であるから。
 その証拠には、人間が少しでもその深い自己を出して来ると、屹度社会と衝突する。社会が目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)はる。我儘だと言ふ。そしてその形式で縛らうとする社会は人間をして深い自己を出させまい、出させまいとしてゐる。深い衣でそれを包まうとしてゐる。その衣は所謂社交である。しかし、一面から考へると、社会はさうして置かないでは困るのかも知れない。我儘が沢山露骨に現はれては厄介ものかも知れない。
 私の考では、社会改良といふことは、人間がお互に根本の自己を露骨に現はすといふ処から出発して来なければならない。それ以外の動機を動機にした社会改良は、すべて第二義的で、妥協的であると言つて差支ない。

 私はある夜、救世軍が鍋を出して街頭に叫んでゐるのを見た。馬鹿々々しいと思つた。食へない奴は餅なんか食はんたつて好かりさうなものだと思つた。
 と、またその近所の路傍に、十二三位のと九歳位との二人の女の児が、唄をうたつて路傍の人の施与せよを乞ふてゐるを目にした。その周囲には、人が黒山のやうに立つてゐる。いづれ、さういふことを幼い者にやらせて、かげで指揮してゐるものがあるに相違ないが、私はその指揮者の男を打なぐつてやりたいと思ふほどだつた。弱いものをだしに、幼い者をだしにさういふことをさせる奴位腹立たしい事はない。この他にも、私の家の周囲などを、不幸な身の上を唱歌にして唄はせて、幼い子供達をだしに哀を乞うてゐる奴がゐるが、あゝいふ奴は殊に憎むべきだ。慈善を稼業にしてゐる奴、それでも貧しい人間が餅が食へるぢやないかと言つて得意にしてゐる奴、さういふ奴は人間の魂といふことを知らないのか。人間の価値と言ふことを知らないのか。
 しかし、その二人の幼い者が、寒い空に、足袋もはかずに、大抵なら今時分は暖かく床に眠つてゐる頃なのに、かうして機械的にサノサなんか唄つてゐるのを見ると、堪らなく可哀相な気がした。矢張、私も人の親だ。憎むべき指揮者の目的を達せさせるのが腹立たしいと思ひながら、外套のポツケツトにあつた十銭銀貨の二つをかれ等に与へた。そしてさういふ醜い光景を見るのを怖れるやうにして、私は別な通りの方へ行つた。

『実生活』といふ雑誌に、何か書けと言ふから、感想を書いた。そして好い加減に題をつけ給へと言つて送つた。と、記者は『陥没して了ふ人』といふ題をつけて、そしてそれを雑誌に載せた。
 イヤな題だと思つた。記者のさかしらもやり切れないと思つた。処が、その次の『実生活』で、その感想を土台にして、私に何か言つてゐる。貴様はさういふ旨い者を食つたり便利なものを利用したり婢をつかつたりする位置にゐるから、さういふことが言へるのだ。もつと虚心になつて貧しい者に同情せよと言ふやうなことを言つてゐる。無論、さうに相違ない。旨いものを食つたから旨いものも旨くなくなつたり、電車の便があるから電車の不便を言ふやうになつたりしたのだ。それに違ひない。経験をしないで、誰がさういふことが言へるものか。その経験したことの上に立脚して、そして善いが善いでない、わるいがわるいでないと言ふことを私は証明したのだ。貧富とか、名誉とか、さういふことは人間には何でもないことだ。人間にはもつと大切なことがある。根本のことがある。実生活なんかよりももつと大切な、考へなければならないことがある。さういふことを言つたのだ。それを『貴様は今だからそんなことを言ふ』といふ風な語調で言はれては、折角の僕の経験から立脚した根本論も、ちつとも君方にはわからないといふことになる。馬鹿々々しい骨頂だと思つた。

 人間には位置と境遇とがある。それを度外しては、議論をすることも何も出来ないが、しかし、成るべく位置と境遇とに捉へられたくない。本当の根本で物を言ひたい。又、見る方でも、位置と境遇とは見ないわけには行くまいけれど、成るたけ、それに捉へられないやうな見方をして貰ひたい。言つてゐるのは、Tが言つてゐるのでなくて、人間が言つてゐるのだと言ふ風に見て貰ひたい。中心をつかんで貰ひたい。

『孤独の価値』と言ふことを私は曾て書いたことがある。今でもそれを信じてゐるし、力強いあるものを求め得たやうな気がしてゐる。孤独の中から湧き出した積極的気分、社会と人間とに対する積極的気分、これが非常に私にある光明と力とを与へた。
 漱石氏の頭悩の解剖された中に、追跡狂の痕跡があつたと言ふが、我々には誰にでも多少さういふ痕跡はないものはないと言つて好い。私などもさういふものに苦しめられたことが度々どゞある。そのため、物が書けないで懊悩したり苦悶したりした。『孤独』と言ふことや、『孤独』をいかに取扱はうと言ふことや、乃至は『孤独』に堪へられないで困つたといふことなどは、皆なさういふ処から来たのである。今でも何うかすると、矢張、この『追跡狂』に襲はれる。しかしそれを駆逐するには、『孤独の中から湧き出した積極的気分』それが一番対症薬として有効に役立つやうである。実際、書けなくつて、五日も六日もぐづ/\してゐる位、人間を不健康に狂的にするものはない。『イヤな仕事だなア』とさういふ時にはいつでも思ふ。
 モウバツサンが[#「モウバツサンが」はママ]一面、実際の方から、一面さういふ方から、あゝいふ末期まつごを得たことなども、私は深い意味があると思つてゐる。

 私の持つたセンチメンタリズム、自分でもまた出たなといつでも思ふのだが、又何うして、さういふ気分が多くあるのだかと思つたが、此頃漸くその理由がわかつて来た。父親に早く別れて、母親の手に育つたといふことが第一の理由である。維新の破壊の大波をかついだといふことが第二の理由である。家道振はず、つぶさに艱難を嘗めたといふことが第三の理由である。矢張、私は境遇に捉へられてゐるのである。艱難に捉へられてゐるのである。実に情けないことだと思ふ。
 私に比べて、国木田君はさういふところがなかつた。父母共に健全で、家道もさう貧しくなかつたので、素直に生立ち、素直に考へ、素直に世間を見ることが出来た。女々しい涙を私がこぼすのを不思議にしてゐた。それから考へても、境遇、社会などと言ふものは、人間を畸形にすることおびたゞしいものである。だから、脱却といふことは肝心だ。脱却の不断の工夫、さういふ処に仏教が重きを置いてゐるのも無理はない。





底本:「定本 花袋全集 第二十四巻」臨川書店
   1995(平成7)年4月10日発行
底本の親本:「毒と薬」耕文堂
   1918(大正7)年11月5日発行
初出:「文章世界 第十二巻第一号」
   1917(大正6)年1月1日
※誤植を疑った箇所を、底本の親本の表記にそって、あらためました。
入力:tatsuki
校正:hitsuji
2019年9月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード