手品

田山録弥




 矢張私達の問題は、作者の頭の中のイリユウジヨンを如何にそこにあらはすかといふことが大切であつて、古来幾多の作品に徴してもそれだけはたしかであるやうである。それは時代的背景とか、時代的思想とか、またはその時の調子とか気分とかいふものも決して度外視することは出来ないけれども、さういふものはその表現の中に必然にあらはれて来てゐなければならないもので、私達作者に取つては、その表現といふことが一番肝腎であるのである。
 その証拠には、何処に行つても何ういふ合評の席に行つても、一番先きに問題になるのは、その表現の巧拙乃至自然にあるやうである。いかに作者がその持つ頭の中のイリユウジヨンをはつきりとそこにあらはしてゐるか。眼に見えるやうにあらはしてゐるか。浮彫のやうにあらはしてゐるか。またいかにその細緻な表現を示してゐるか。さういふことが一番先に問題になるやうである。さういふことが何より先にその作品の価値を決定的にして了ふやうである。いかに内容が立派であつても、いかに思想がすぐれてゐても、またいかにそこに盛られてある作者の体験が本当でも、単にそれだけでは、そのイリユウジヨンがはつきりとあらはされてゐなくては、多くは単なる記録になつて了ふやうである。従つて私達作者の第一にやらなければならないことは、そのあらはすといふことで、それを絵画の方で言つて見れば、絵具の雑ぜ方とか、色の出し方とか、刷毛のつかひ方とかいふ技巧方面のこと、更に言ひ換へれば手品とか仕懸けとか言つた方のことが作者としては最も必要なことなのである。やれ内容が何うの、思想が何うのと言つてゐるひまに、少しでもその作者独特の色彩なり調子なりを出すことに苦心しなければならないのである。自分の眼で見、耳で聞き、心で感じたことを出来るだけユニツクにカンバスの上にあらはすことに努力しなければならないのである。つまり芸術に携はるものとしては、それが最初の出発点であつて、そしてまた最後の到着点でなければならないのである。さうかと言つて、私は技巧論者ではない。技巧だけが芸術だなどゝ言ふものではない。もつともつと先のことを言つてゐるのである。
 私達は古来幾多のすぐれた作品が、これを小にしてはその折々の文壇の潮流、これを大にしてはその時代々々のすさまじい潮流の中に浮きつ沈みつゝ漂つて来たさまををり/\想像して見るのであるが、その中には其の持つ思想の重たい為に深く沈んで仕舞ふものもあらうし、またあまりに軽すぎて忽ち流されて了つたものもあるであらうし、ある動機で岸にくつ着いたまゝ動かずにそこに留まつて了つたものもあるであらうし、それはさま/″\であつたらうと思ふが、その中でも、流されずに沈まされずに今日まで伝はつて来てゐる作品はそれは思想ではない内容ではない体験ではない――否、さういふものゝ上に超越したもの、即ち鮮かに表現されたものであるといふことを私はつく/″\と思ふのである。
 敢て外国の文字にその例を求めるまでもない、日本の文字でも、はつきりとそれが証拠立てられてゐる。あらはされたものはいつでも貴い、いつでも人を動かす、また決して古くならない、一時は沈むことはあつても、すぐまた浮び上る。何故といふのに、それは具象的であるからである。生きてゐるからである。本当の人間が呼吸してゐるからである。人間といふものゝ滅びない間決して変らないものがそこにあらはされてゐるからである。変らない悲哀、変らない歓喜がそこにあるからである。思想としてでなしに、内容としてでなしに、または単なる生活記録としてでなしに、事実として、人間として直接に私達の面を射るからである。『源氏物語』の朽ちないのもそこにある。『大鏡』『枕草子』の今日猶ほ残つてゐるのもそこにある。その具象的表現があざやかであるがために、そのために、遠い昔も今の如くに思はれるのである。またそこに描き出されてゐる人々も単なる記録中の人々でなしに、肉あり血もある人としてあらはれて来るからである。西鶴のものなどが他の同時代の作者に比して、意識的に滅ぼされやうとしても、しかも滅ぼされずに今日まで残つて伝へられて来てゐるのは、矢張その具象的表現が立派であるからである。その中にその時代を、またその人物を、その悲喜をはつきりと現はして来てゐるからである。馬琴が其後の時代を表したやうに表面的でなく、また抽象的でなく、はつきりと具象的にあらはして来てゐるからである。
 フロオベルやゴンクウルのものの古くならない、いつも矢張そこにある。しかし、遠い昔をわざわざ此処に引いて来るまでなく、今の文壇に月々にあらはれて来るものに由つて見ても、その表現といふことがいかにその作品の価値を絶対にするかといふことが着々として感じられて来るのである。はつきりとそのイリユウジヨンがあらはされたものに向つては、誰でも頭を下げないわけには行かないのである。
 だから前にも言つたやうに、あらはすといふことは、芸術の最初の出発点であると共に最後の到着点であらなければならないのである。作者は片時もそれを忘れたり怠つたりしてはならないのである。それは批評家の場合とか、思想家の場合とかには或はそれはあてはまらないかも知れないけれども、作者にあつては、それは一生ついて廻つてゐる問題である。絶えずその色を鮮かにし、その調子をユニツクにし、その心を流動させるために、そのためにのみ実人生、実生活に向つて絶えず密接な触着を試みてゐるのである。
 更に言ひ換へれば、その作者の頭に映つたイリユウジヨンをいかにして芸術にして表現するかといふ手品――手品と言つては語弊があるかも知れないが、実人生から実生活から、または古人の本の中から探し出して来て、そしてそこにひとつの立派な芸術創造をしなければならないのであるから芸術は難かしいのである。表現であればこそ難かしいのである。
 ところが今の文壇の若い人達はさういふことには余り重きを置いてゐないやうである。またさういふ方面は単なる技巧であると言つて、それに携はるのを屑しとしないやうである。つまりそんなことはもはや卒業して了つてゐると言ふのであるらしい。
 しかし実際それは単なる技巧だらうか。さう簡単に十年や二十年で卒業することの出来るものだらうか。むしろ私はそれとは丸で反対な考へを持つてゐる。そのあらはしの方法は、卒業どころか一生経つてもその腕の十分でないのを嘆かなければならないやうなものだと思つてゐる。いくら磨いても磨いてもそれでも足りないものであると思つてゐる。否もうこれで十分だといふやうな自負心が少しでも出れば芸術の女神は今まで此方に向けてゐた顔をそのまゝ向うに向けて了ふやうなものだ、と私は思つてゐる。名人! 名匠! 技巧の冴え! そんなことを鼻にかけるやうになつたらもうお了ひである。そしたらその微妙な芸術の手品は手品でなくなつて了つてゐるのである。それほどあらはすといふことは難かしいのである。進歩か。退歩か。否、進歩しないものゝ手品は、必ず退歩して行つてゐるものであることを覚悟しなければならないのである。芸術の手品は決していつも同じところにじつとして留つてゐるものではないのである。
 だから諸君はもう少し芸術に専念にならなければならないのではないか。詰らない心の浪費をやつたり、論理の遊戯をやつたり、空想の洪水に漂つてゐたりするひまに、もつと色のつけ方とか、感じの出し方とか、細かい空気の描き方とか、さういふものゝ方に全力を尽す必要がありはしないか。その方が得ではないか。大きな荒地を征服しやうとするには、何うしてもその土地の隅の方からコツ/\やつて行かなければならないのではないか。いつか征服して見せる、征服して見せると言つてゐても、その隅から着々として手をつけて行かなければ結局その大きな荒地は荒地のまゝで何うにもならないのではないか。私達も曾つてさういふ心の時機に到着して、これはいつまでもこんなことをやつてゐては駄目だ。兎に角やることだ。小さな豚小屋のやうなバラツクでも建てた方が建てないよりは増しだと思つて、そしてコツ/\やつたことを覚えてゐるが、諸君ももう少し引返して来る必要があるのではないか。何うかしてひとつでも本当にあらはして見たいといふ努力に戻つて来なければならないのではないか。そこに私は本当の道があると思つてゐる。





底本:「定本 花袋全集 第二十三巻」臨川書店
   1995(平成7)年3月10日発行
底本の親本:「花袋随筆」博文館
   1928(昭和3)年5月30日
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:岡村和彦
2018年9月28日作成
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