野の花を

田山録弥




静かに木の立つやうに


 静かに木の立つたやうに、物も思はず、世も思はず、自己をも思はず、人間をも思はず――。

唯自然に


 慈悲と言ふことも、頭に上つて来なければ来なくとも好い。他でもなければ自でもなく、自でもなければ他でもない。飽くまで唯、自然に。


 障子の桟にもう動けなくなつた蠅が一つとまつてゐる。辛うじて紙につかまつてゐるだけで、もう少し経つたら、ばたりと落ちて死んで了ふだらうと思はれる。それでゐて、容易に死なない。朝日がさして来ると、また動き出す、はしやぎ出す、場合に由つては再び飛ばうとさへした。

社会と平行になるには


 いかに社会の中に自己を発見しやうとしても、社会はいつも余りに平凡であつた。余りに外面的であつた。また余りに微温的であつた。それは、自己の魂を取巻てゐる雰囲気だけは、何うやら彼うやら社会と接触することが出来ても、魂まで接触させることは竟に竟に不可能であつた。私の経験した所では、社会と平行になるといふことは、自己の魂を亡くすことであつた。自己の本当のものを失ふことであつた。私は思つた。『私の魂はいつも社会に向つて出て行かうとはしない。社会に容れられると否とに拘らず、私の魂はいつも一つところにゐる。何うすることも出来ないところにゐる』

物語の程度


 箇人同志ならば、大抵な場合、直ちに此方の魂で、向うの魂を引出して来ることが出来る。つかみ出しても来ることも出来る。しかし、社会はさうした魂を持つてゐない。引出して来やうにも、さうした魂がない。だから困る。
 何うしてさうだらう? 箇人の堆積から出来上つた社会に、何うしてさうした魂がないだらう? つまり箇と箇との触れ方が、多く繁くなつて行くにつれて好加減になつて行く傾向があるからである。お話乃至物語以上に深く触れて行かない形があるからである。人情と義理の程度に留つてそれから先に一歩も出て行かないからである。では、何んな社会でも、何んな黄金時代の社会でも、何うしても、さうした箇の魂を、社会は持つことは出来ないのか? 私は出来ないやうに思ふ。箇と社会とは、到底ぴつたりと一致することは永久に出来ないもののやうに思ふ。

政策


 社会の為めにする政策は多すぎるほどある。箇のためにする政策は?

後者を選ぶ


 箇に社会が圧せられる時代がある。社会に箇が圧せられる時代がある。何方が好いか? 私は無論後者を選ぶ。何故かと言へば、箇の妥協化、箇の平凡化よりも、振張しんちようされた箇の方が確かに生気に富んでゐると思ふからである。魂があると思ふからである。

社会と作家


 社会なしには絶対に生存することの出来ない作家がある。憫むべきかなである。箇が社会に引張られて行くのでなしに、社会が箇に引張られて行く時、始めてそこにすぐれた文学があり、すぐれた作家があり、すぐれた文壇があるといふものである。

ある作家


 今のやうに作家が社会的な低い標準に向つてはしつてゐる時代には、とても優れた作を期待することは不可能である。何うも為方がない。

野の花を


 さうした世心のない、社会的野心のない、唯、自分が書きたいと思つたから書いたといふやうな純な作品を私は欲する。庭園の花よりも野の花を。

機械の音


 機械の音、不愉快な機械の音――

山茶花


 山茶花は私は好きだ。中でもことに赤いのが好きだ。葉そのもののうつりも好い。それに、その花の咲く頃の初冬の空気が好い。いかにもその赤い花と緑の葉とがその冴えた空気の中にぴたりとされてあるやうに感じられる。硝子戸を透して見たのなどは殊に好い。

忍従の気分


 加能君の作を傍観的だと言つた私の言葉に対して、加藤君は、『いや傍観的ではない、忍従的だ』と言つた。私はさうは思はない。さうは思はない。現に『世の中へ』などでも、忍従の事実はあつても、忍従の気分を私は何処にも発見することが出来なかつた。その反対に、絵を見るやうな気はしたけれども――。

結社の流行


 結社の流行、これは好いことかわるいことか。好いこととも言へれば悪いこととも言へる。まだ一人立の出来ない意気地なさを指摘して笑つてやつても好い。『寒声や闇を怖れぬ四人づれ』かう言つて、昔も結社朋党して本を出した人があつたことを私は思ひ出した。

自分のこと


 本当に自分を出すといふことはむづかしいことではあるけれども、時に由つては、その方が却つて楽で且つ自由であることがある。本当に自分のことを出したく思つてゐて、何うしても出すことの出来ないほど悲しい辛いことはない。

暖かな日


 窓に、暖かな日が当つて来た。さつき動けなかつた一疋の蠅が、果して勢好く飛び出した。
 私はじつとそれを眺めた。

一張一弛


 昨年は病気や何かで、旅行らしい旅行もしなかつた。唯、夏に、子供達を伴れて、金華山に行つて見ただけだつた。好きな関東平野にもいつにない御無沙汰をした。従つて、筆を執るのも億劫おつくうで、万止むを得ないものゝ他は作といふ作もしなかつた。矢張、一張一弛、止むを得ないことではあるが、いかにもさびしい、悲しい辛い一年だつた。何うかして、今年は、もう少し生気を振ひ起したいものであるが――。

病気


 病気は私にいろいろなものを教へた。過度の労働は決してすべきものでないといふこと、心の浪費は成るたけしないやうにしなければならないといふこと、箇は遂に何処まで行つても箇であるといふこと、その他、何につけ彼につけて、いろいろなことを私は考へさせられた。心持が感傷的になるといふことは、確にその人のある衰頽を示したものであるといふことなども思当つた。
 しかし、病気はさう大して人間を悲観させるものでもなかつた。それ相応に、ある種の力が出て来た。その病気を支えるだけの力が出て来た。
 病気は生活の方法をも一変させた。今にして考へて見ると、一年前の自分と今の自分とでは、かうも違ふかと思はれるやうな生活の仕方をしてゐる。そして、別に不自由をも感じてゐない。それに、一番不思議なことは、病気の時よりも、健全の時の方が、一層死といふことについて多く考へるといふことであつた。病気になつては、考へたり空想したりするには、死はあまりに近すぎた。

何でもなかつた


『酒を飲まずにゐられるだらうか?』『煙草を飲まずにゐられるだらうか?』かう其時は思つたものだが、いざとなればそんなことは何でもなかつた。人間はその時に際すれば、何うでもなつて行くものだと私は思つた。何んな辛い生活でも、その人に取つては、一面何処か楽しいとか、面白いとかいふところが出て来るに相違なかつた。

無抵抗主義


 無抵抗主義と言ふものは、凡そこの人間世界のあらゆる抵抗、争闘をやつたものの後の心に油然として湧き出して来たやうなものであらねばならなかつた。また、人間の何うすることも出来ないものであることや、他人の何うすることも出来ないものであることを痛感したものゝ上にひとり手に起つて来たものでなくてはならなかつた。抵抗したり、争闘したりした上の無抵抗主義である。決してあきらめではなくて、さうなければならないことを痛感したものである。覚醒である。復活である。一大転換である。押詰めれば、何うしたつて、そこまで行かなければならないのである。
 だから、争闘をやつて見ることも必要である。争闘の無益を知るために、勝敗の馬鹿々々しさを知るために、敗者必ずしも敗者にあらず、勝者必ずしも勝者にあらざる細かい心理を知るために――。または勝敗などといふ小さな心持を以てしては到底満足に人間のことを理解することの出来ないものであらうといふことを知るために――。更に言ひ換れば無抵抗主義の大乗に達するために。
 私の経験では人間は、四十までは、主として社会を対照にして生きて来るものだ。何でも、社会に出て行きたい、行きたいとばかり思つてやつて来るものだ。さて四十を過ぎて、人間の峠に達すると、今までは上つて来たものが――唯、無闇にわき目も振らずに登つて来たものが、急にあたりを見廻すやうになる。凡そ人間の一生の中、この時期ほどいろいろなものが見える時はない。またいろいろもののはつきりと考へられて来る時はない。従つて今までわからなかつたものがずんずん理解されて来る。横からも見えれば、縦からも見える。登つて来た路を材料にして、これから先の路をも判断することも出来る。自分等の前に歩いて行つてゐる人に由つて、自分のやがて行くべき路を想像することが出来る。つづいて、今まで黄金界のやうにして望んで来た社会のこともはつきりとその真相を見ることが出来て来る。理解の時代、従つて幻滅の時代、更に言ひ換れば、正しくあらゆるものに対する時代がわれ等の前にやつて来るのである。そしてそこから無抵抗主義らしい気分なども静かに湧き出して来るのである。
※(始め二重括弧、1-2-54)人と人との事がつらい。自分ばかりでなくて、他が存在することが辛い※(終わり二重括弧、1-2-55)
 かう昔は思つたものだが、その時になると、すつかり変つて、
※(始め二重括弧、1-2-54)人の中に私がゐる。私の中に他人がゐる。皆な同じ人だ。同じ血が流れてゐるのだ、同じ心が棲んでゐたのだ。人と人とがかうしてあることは、辛いどころか、却つてそれが力になる※(終わり二重括弧、1-2-55)
 かういふ風に思ふやうになるのである。

それは話?


 しかし、それは話である。それを持つて行つて、誰にも当てはめやうとは、私は決して思つてゐない。だから誰でも思つたままに、自分の通つて来るところを通つて来るより他に為方がない。争闘も必要であらう。勝敗も必要であらう。無理解も必要であらう。労働問題も必要であらう。改造も必要であらう。何故なら、さうした混乱を多く甞めれば甞めるほど、社会も箇人も少しは磨かれて好くはなつて来るであらうと思ふから――。
 然し、然し、いざといふ最後の影響の上には? 心理の上には? ?





底本:「定本 花袋全集 第二十四巻」臨川書店
   1995(平成7)年4月10日発行
底本の親本:「黒猫」摩雲巓書房
   1923(大正12)年4月15日
初出:「文章世界 第十五巻第一号」
   1920(大正9)年1月1日
※初出時の表題は「小鳥の影」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:hitsuji
2021年12月27日作成
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