墓の上に墓

田山録弥




 銘々めい/\に、代り代り人生の舞台に出て行く形が面白いではないか。古来何千年の昔から人間がやつて来たと同じやうに、波の上に波が打寄せて来るやうに……。
 我々は墓の上に墓を築きつゝあるのである。ロマン・ロオランが死者に逢ふといふことは自分の生を段々送つて行くことだと云つたが、実際さういふ気がする。父母の生活は年を経るに従つて次第に私達の心と胸とによみがえつて来る、父母も、又その父母も、祖先も皆な我々の中に生きて動いてゐる。
 我々は矢張父母や祖先の苦んだ人生の重荷と艱難と苦痛とに堪へて生きて行かなければならないのである。又、その人生の重荷と艱難と苦痛とに堪へてこそ、我々は我々の生を完成することが出来るのである。完成は死でそして亦再生である。
 後に続くものに対する愛、さういふことを私はよく考へた、新時代に対する反抗と言ふが、反抗どころか、私は無限と同化と愛とをそれに感ぜずには居られない。何故なら、その人達に由つて、私達は後に蘇ることが出来るのであるから、その人達が真に深く真面目に私達のことを考へる時が来るのであるから。それは今日、父母や祖先の生活が新しく蘇つて来てゐるやうに。
 若い時分にあつては、死は一種の恐怖であつた。いつ何処からこの死が突然躍り出て来るかわからなかつた。それほど若い心は死といふものを理解することが出来なかつたのである。若い心に取つては、死はまだあまり遠すぎた。縁がなさすぎた。
 しかし、今では、死といふものに対しても、微かながら理解が出来て来た。兎に角あと十年なり十五年経てば、当然いやでも死んで行くのである。さう思ふだけそれだけ死に近づいてゐると共に、死がもう不自然に突然にやつて来るものでないといふことが思はれた。死は、今では決して恐怖ではなかつた。『時』といふことを感ぜざるものよ、盲目なるものよ、鈍感なるものよ。なんじはかの流動の枢軸の動く音をきかざるか。人生と宇宙との廻転して行く凄じき響を耳にせざるか。
 総べて善である。すべて好き日である。すべて美である。苦しむものよ、その苦みを去れ、歎くものよ、その歎きを去れ、悲しむもの、その悲しみを去れ。爾の前には、すべて善きもの美しきもの、はなやかなるもので満されてゐるではないか。
 新しい時代は、多くは抽象たるをまぬがれない。又多くは思想たるを免れない。しかしこれは止むを得ないことだ。読書から帰納して得て来たものと、血肉からぢかに絞り出して得て来たものとでは、仮令たとひその内容は同じであつても、全然違ふものであることを我々は考へなければならない。万巻の書より得た知識、それを我々は常に生かすことを考へなければならない。
 最初の無我と最後の無我とを比較せよ。これは同じ形であつても、決して同じものではない。
 しかし、新時代に、最初の無我に、最後の無我を求めるものは、これは求めるものゝ誤である。最初の無我は、これから益々生の巴渦うづまきの中に突進しやうとしてゐる。そしてそれがその生の意義である。最後の無我は、おもむろに再生を夢みつゝある。死を夢みつゝある。そしてこれも亦その生の意義である。
 中心をつかまうとしてはいけない。又ある完全な統一を求めてはいけない。この大きな自然の統一には、中心と言ふものがあるのではない。又人間の考へる統一と言つた様なものがあるのではない。自然は唯体感し得べくして知感し得べきものではない。
 私が妻を持ち、子を持つた時に感じたやうなことを、又人が感じつゝある。そしてそれを筆にのぼせてゐる。唯、その間に横つてゐる差違は、根本の差違ではなくて、時代の差違である。そしてこの時代と言ふものは、衰へたり栄えたり亡びたり興つたりして来たものである。それは歴史がよく示してゐる。進歩か、それとも退歩か、又は単なる変化にとゞまつてゐるのか。こゝに至ると、科学者の研究も、又窮すと言はなければならない。
 しかしこの根本に横はつてゐるものゝ進化、それに科学者はいくらか手をつけてゐるにはゐる。それは貴ばなければならない。しかし、それがこの大きな自然に比して何んなに小さなものであるか。文明とはこの小さなものゝ名の変形だ。
 所謂コバのれないといふことは、人間として自由に飛び自由にけることの出来ないことを意味してゐる。何物かに拘束されて、善悪の標準とか、乃至好悪の念とかに拘束されて、十分にこの生に触れ且つ味ふことが出来ないのを意味してゐる。しかしこのコバの除れるといふことは、人間が自由を欠いてその魂を失ふことではない。兎角、世間にはこのコバのとれたといふ人間に、魂を失つたものゝ多いのを見る。これはコバの除れないのよりもつとわるい。此処にも即不即、離不離の原則の横つてゐるのを私は見る。
 コバの除れない作者の多いことよ。又コバのとれすぎた作者の多いことよ。
 自然主義をはきちがへて、魂を失つた人間の多いのを私は処々しよ/\に見る。しかし、これは自然主義の罪ではない。又その責任でもない。かれ等は自然主義の何物であるかを最初から痛感してゐない、又体得してゐない。自然主義がかれ等の自己の根本の中から湧き出して来たのではない。模倣、似非学問、似非知識の当然の酬である。
 ある人と話した時、日本には何うして立派な批評家がないんだらうといふ話が出た。日本の新文壇ももう長い年月を経過した。一人位フランスのフルヌチールのやうな、又はデンマルクのブランテスのやうな大きな批評家が出ても好ささうなものだ。『しかしそれには矢張経済関係があるんでせう』かうその人は笑ひながら言つた。成ほどさうかも知れない。創作家としてはどうやらかうやら立つて行けても、批評家としては食つて行くことが出来ないかも知れない。しかしそれは余りに批評乃至批評家を馬鹿にした話ではないか。
 その人は又言つた。『しかし、ツルゲネフ論とか、イブセン論とか乃至島崎藤村論、正宗白鳥論とか言つても、それがどれだけ本当のことが言へるか何うか疑問だ。我々は我々だけでも、正確にお互のことを知つてゐるとは言はれない。それを人の話やら作物やらでちツと位覗いたとて、何うしてその人がわかるものか。人間はお互同士のことが互にわからないやうに始めから出来てるではないか』さうだ、本当だ。さればこそ、批評の難きは創作の難きと同じだといふのである。さればこそ、立派な真面目な批評家の出んことを望むのである。
 批評は主観的には非常にわけがない。何故なら、主観的批評は多くはその批評したものゝ解剖ではなくて、自己の不平不満をそれによつて叫んだものゝやうなものであるからである。従つて、批評されたものゝ当体は、一毫も増しもしなければ、一毫も減じない。甚しいのに至つては批評がその批評したもの当体にちつとも触れてゐないものすらある。自己の感想にとどまつてゐるものがある。更に甚しいのは、それこそ却つて本当の批評だといふものすらある。
 かうなると、貴様は貴様のことを言へ、おれは己のことを言ふと言つたやうな調子である。さうなつては批評はあつても無くても同じやうなものだ。
 所謂内容は多くは思想だ。抽象して来たある思想だ。はゝア、かういふもんかなとか、又は成ほどかうだと言つたやうなものだ。従つて其の感じなり体得なりが、その感じた人のある境遇、ある位置、ある学問、ある年齢から起つて来るやうなことが多い。殊に若い人達は、さういふ感じを度々起してゐないから、一層それが有意義に、宇宙の奥義でも捉へたやうな気になる。
 しかし、さういふものも幾度か打消され、又改められるのが人生の常である。又人間の常である。そしてその幾度か打消され改められた上に、渾然として、理窟でない思想でない抽象したものでないある自然の面影が浮んで来るのである。
 ところが、この自然の面影が、理窟や抽象的に捉へられた人達から見ると、あまりに何方つかずな、あまりに茫漠とした、又あまりに捉へどころのないものゝやうに物足らなく映つて見えるのである。それはその筈だ。まだ度々打消したり改めたりして見たことがないから……。
 批評家は作品に対して、少なくともその作者の『打消したり改めたり』した心の経路の程度をよく理解することなしには、完全に作者を点頭かせる批評は出来まいと思ふ。
 作者としては、内容などと言ふことよりも、その自然の面影の浮んで来る境に達せんことを常に心がけてゐるのである。何遍も何遍も感じては打消し、打消しては感じ、更に又それを何遍となく改めて見てゐるのである。それは作者の生活である。作品に内容の有無、意義の有無を問ふことを唯一の標準としてゐるやうな批評家は、批評家としては、頗ぶる幼稚なものである。
 書を名山に蔵して、知己を千歳の後に待つといふことは、今の世では、迂遠うえんな馬鹿々々しいやうな気がするが、しかし、真に理解して呉れるものゝ尠いといふ上に起る作者の嘆声としては、尤もなことであると思ふ。
 作は言ふまでもなく自己がするのである。自己の内部の必要に迫られてするのである。従つて自分が一番よくこの価値を知つてゐるのである。その時はちよつと[#「ちよつと」は底本では「ちょつと」]分らなくつても、少し経てば、一番公平な判断を作者自身がすることが出来るのである。
 私なども度々思ふ。何うも矢張、自分と同じ心の位置に身を置いた人でなければ、本当に了解して貰ふことは出来ない。それを思ふと、書いて世の中に発表しても、矢張、昔の支那人のやうに、書を名山に蔵したと同じ形になる。それに、又作者が一々その完全な了解を読者乃至批評家に望むのは無理である。作者の書いた心持乃至経験にぴたりと合ふやうな読者があるといふことは、それは千万人の一人で容易にそれは望むべくもない。しかし、名山に蔵して置いても、埋もれずにいつか蘇つて来るのであるから、作者は嘆声位は発しても好いが、失望するには当らない、前の数千年が現にさうであつた。後の数千年も矢張さうだ。いつか一度はそれに心から触れるやうなものが出て来ないとも限らない。
 矢張自己である。根本である。それさへあれば事足りるのである。





底本:「定本 花袋全集 第二十四巻」臨川書店
   1995(平成7)年4月10日発行
底本の親本:「毒と薬」耕文堂
   1918(大正7)年11月5日発行
初出:「文章世界 第十二巻第三号」
   1917(大正6)年3月1日
※初出時の表題は「小さな低気圧」です。
※誤植を疑った箇所を、底本の親本の表記にそって、あらためました。
入力:tatsuki
校正:hitsuji
2020年3月28日作成
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