花の咲きはじめるのを待つのも好いものだが、青葉になつてから、静かに上野の山あたりを歩くのもわるくない。桜の開落は少しあつけないが、その頃になると、椿だの、
『春雨にやつれしさまを見せじとや晴るればやがて花のちるらん』これは松波遊山翁の歌だが、花の盛にはいつでもそれを思ひ出す。やや感傷癖に過ぎるやうではあるが、咲きそろつた花に雨がしめやかに降つたりすると、さういふ気がする。それに、四月の末頃には時ならぬ凄じい雷雨がよくあるのである。『夜もすがら寝られざりけりこの雨に今年の花も散るかと思へば』私はある時さういふ歌を詠んだ。
『都をば春にわかれて来しかどもおく山桜いまだにほはず』伊香保とか、那須とか、日光とかいふ山の中に残桜を尋ねる心持もまた忘れ難い。都会は既に青葉である。日影が美しくかがやいてゐる。それであるのに、奥山はまだ雪が深く、花どころか、温泉場が一軒二軒やつと扉をあけたくらゐのものである。那須あたりは、五月の初めに行つても、まだ綿入が欲しいくらゐだ。
京都は何処に行つても花があるが、私の忘れられないのは、矢張大原の奥から鞍馬あたりを彷徨した時である。
『大原や蝶も出て舞ふおぼろ月』実際、あそこいらの感じはその一句に尽きてゐると言つて好い。寂光院や、三千院や、後白河法皇が鞍馬でも落附けずにあの薬王坂を越して、大原から
春の色彩の一番濃やかだつたのは、何と言つても紀州の旅だ、あそこは春の来るのも、花の咲くのもぐつと早い。三月の末にはもはやあたりが菜の花や梨の花で彩られる。大きな夏蜜柑が黄ろく熟して見られる。蛙が頻りに鳴く。唯、雨が多いが、それも取りやうによつては、却つて春を濃にした。私は今でも終日ぬれそぼちて岨から岨へと歩いて行つたことを、渓に沿つた路を歩いて行つたことを思ひ起す。高い山の上に花の咲いてゐるのを見て、『いかにして種は生ひけんと思ふまで高き高根に花の咲くかな』と詠んだことを思ひ起す。また凄じく巴渦を巻いた
山から山。村から村。筏師の定宿になつてゐるわびしい小さい旅舎。さういふ谷合に花の白く咲き満ちてゐるさまは、とても都の人達の夢にも見ることの出来ないものであらう。私は玉置山から
もう一つ春の花の印象として忘れられないのは、北京の郊外の玉泉山のあの天下第一泉の碑の立つてゐるところで、柳の花の飛ぶのを見たことであつた。
春ののどかなところとしては、