批評

田山録弥




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 批評といふものは、他に対して自己を発見することである。他のわる口を言つてゐる言葉の中に、却つて自己の弱点を示してゐるやうな場合がよくあるものである。
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 つまり互ひに刺違へてゐる形である。だから小説の批評などにしても、その小説と批評とを両方並べて読んで見なければ、本当のことはわからない。思ひもかけず、その批評の中に却つてわる口を言はれた作のすぐれてゐることを裏書してゐるやうなのを発見することが往々にしてある。
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 批評は滅多に出来ない。何故と言ふのに、注意しないと、その批評の中に、自分の弱点やら欠点やらがかくすところなくあらはれて見えて来るものであるからである。また、自分の心の底に人知れず深く蔵つて置いたやうなものまでも、いつかそこに歴々とあらはれ出して来るからである。
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 批評をされることも厭なことだが、批評をすることも厭なことだ。成らうことなら、批評も聞かず、批評もせずにゐたいものだが、何うもそれではこの世の中が成り立つて行かないから為方しかたがない。
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 人間は矢張死んで了つた後でなければ、本当の批評を得ることは出来ないものだといふことを、私は此頃つく/″\思つた。
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 生きてゐる中は、褒めていけず、わる口を言つていけず、いくら本当のことを言はうと思つても、無意識的に、めつきをせずにはゐられないのだから困る。
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 親友だからと言つて、わざとその人の欠点や弱点を大袈裟に批評したり何かするものがあるが、私は取らない。さうかと思ふと、その反対に無闇にその人を賞めちぎつてばかりゐるものがある。それも私は取らない。何故なら、何方も本当でないからである。心に虚偽の影がかすめて行つてゐるからである。
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 賞めるといふことが、そしるといふことと同じであるやうな場合を私はよく見出す……。
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 若いものは老いたものに喰つてかゝるやうな場合が多い。また新たに進んで来たものは、ふるくゐるものをきまつて押しのけやうとしたがる。そこに、いやな争闘が起つて来る。しかも実際は、喰つてかゝらなくとも、老いたものは、すぐ過ぎ去つて了ふし、旧るくゐるものは、早晩必ずその地位を新たに進んで来たものに譲るのだから、何もそんなにしなくつても好ささうに思はれるが、さて、実際に臨むと、さうは行かないものらしい。何うも為方がない。
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 ある作家は悪評ばかりを受けたために、大家になつた。またある作家は好評ばかりを受けたために大家になつた。
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 若い時考へると、今でさへかうだから、今に、何んなにでもえらくなれると思はれるものだ。その癖、時はかれに決して『豪さ』を齎らして来ない。進歩? 退歩? 時には、人間は唯、移り変るばかりではないかとさへ思はれるやうなことがある。
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 自分の手や足だけでも、本当に、いつが一番大きかつたといふことを知ることは出来ないと思ふ。
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 いくら悪評でも、てんから相手にされないよりは好いに違ひない。しかし、てんから相手にされないといふこともまた決してわるくはない。そこからすぐれた芸術が生れて来る。
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 罵詈ばりはいけないといふ。批評ではないといふ。しかし罵詈悪口まで行かなければ、本当のことが言へないやうな場合がよくある。罵詈は批評の尖つたものではないか。また熱したものではないか。
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 腹が立つたら、出かけて行つて、なぐり合ふ方が本当だ。罵られて黙つて引込んでゐるのは文士位のものだ。しかし、これも損得そんとくを考へてゐるのだと思へば、別に問題にするにも当らないけれど……。
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 兎角、人間には、目下のものとか、年の下のものとかを馬鹿に考へたがる癖がある。そのため『貴様なんかに、俺の書くものはわからない』などゝ言つて、よく若い人達に怒られたり何かするが、それは別として、たしかにある時期に達しなければ、またある経験をその批評家が積まなければ、その作者の書いたある特殊のものをすつかり理解することが出来ないといふやうなことはあり得ることを私は思ふ。矢張作の批評は、批評家専門の人達に由つてされるよりも、作者に由つてされた方が、理解も深く、思ひやりも十分で、具象的なところまで入つて行つて貰ふことが出来るやうに私は思ふ。
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 批評家の批評は、多くは学問的である。また抽象的である。作家が夢にも思はないやうなことを捜し出して、得々としてゐるやうなことが往々にしてある。それに、空疎な見方が多い。





底本:「定本 花袋全集 第二十四巻」臨川書店
   1995(平成7)年4月10日発行
底本の親本:「黒猫」摩雲巓書房
   1923(大正12)年4月15日発行
初出:「電気と文芸 第五号」電気文芸社
   1920(大正9)年12月1日
入力:tatsuki
校正:hitsuji
2021年3月27日作成
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