正宗君について

田山録弥





『徒然草』の作者を正宗君はよく持ち出すが、何処かそこに似たところがある。共通したところがある。島崎君がよく芭蕉翁を持ち出すのと比べて見て、そこに非常に興味があると思ふ。
 芭蕉と兼好とは、全く種類の違つた人間で、兼好が進歩して芭蕉になるといふわけではない。兼好は何処まで行つても、ああした観察と皮肉と絶望とを持つて生きて行つたに相違ないし、芭蕉はまた芭蕉でいかに談林派の空気の中に生きてゐても、矢張あゝした真面目なところのあつた人に相違ない。さう見て来ると、人間のたちと言ふものは不思議なものだ。何処まで行つても変らないものだといふ気がした。
 正宗君が聡明であるといふことは、文壇での通り言葉であるが、私はそれには異存はない。しかし、世間から聡明だと言はれることは好いことであるか、わるいことであるか、それはわからない。私の考では、聡明な人はよくその聡明に捉へられるものである。人が愚かに見えたり、物の将来がはつきりとわかつたり、事件の表裏がすぐそれときめられたりするといふことは、非常に好いことではあるが、また羨しいことでもあるが、一面さういふ風なのが聡明に捉へられたといふことになるのである。つまり自分の智慧にあまりに信頼した形になるのである。自分ではさういふ気でなしに、ひとり手にさうなつて行くのである。賢人は賢に破れ、智者は智に亡びるといふことがあるが、さういふ形が何処からとなく出来て来るのである。


 正宗君の作品を読むと、皮肉な観察がいつでも出て来る。従つてそのかげにゐる作者がいつも傍観的な感じを持つてあらはれて来る。そんなことは何うでも好いぢやないかとは言つてはゐないが、何処かわきに捨てゝ置いてしつこくそれを見てゐるといふ形がある。それもそれに愛着して捨てたのではなくて、好加減に軽く捨て去つて了つたと言つたやうなものが多い。だから執着がさう深くない、従つてその作品を読んだ感じにも、間色が多く単色は稀である。
 正宗君に熱情を望むのは、望む方が間違つてゐるかも知れない。正宗君は岩野のやうなドンキホオテには何うしてもなり得ない人である。


 それに、正宗君は存外に世間といふものを重く見てゐる。それが主観的でないのだから、その主観に対して常に幻滅を感じてゐる所以である。そこに正宗君の矛盾がある。つまり根は存外理想家であるが、世間に対する標準が物質的なのである。そのために何処かそこにそぐはないところが出てゐるのである。隠遯的な気分はありながらしかも竟に隠遯的になることの出来ないのもそのためである。その点では著しく『徒然草』の作者に似てゐるのを私は見る。
 正宗君に取つては、世間はかなりに気になるやうである。さうかと言つて、世間には雑りたくはないし、世間と同列になつて好い気になどはとてもなつてゐられる質でもないが、しかしそれを見てゐると、さびしくつてじつとしてはゐられなくなるといふやうな風もないではないのである。その作品にはさういふところがよく出てゐる。


 私などが見ると、あのすぐれた簡潔な筆致は、夷の思ふところではないといふぐらゐに立派であるが――また細く物を刻つて、濃淡の影を巧につけるあたりは、文壇にも他に比類のない第一人者であるのは、言ふを待たないと思ふが、しかももう少し心を開いて出て来ることは出来ないものか。あゝいふ風に世間に対せずに、人間に対せずに、もつとザツクバランに出て来ることは出来ないものか。魂も何をもそこにそのまゝ出して見せるといふやうなことは出来ないものか。それは兼好に芭蕉を望み、芭蕉に兼好を期待するやうな不可能を笑はれるかも知れないけれども、しかし私はさうした心持を常に正宗君に対して持たずにはゐられないひとりであつた。
 正宗君から見たら、さうしたドンキホオテは馬鹿々々しくつて見てゐられないかも知れない。また、無意味に熱情を振り廻したり、魂を安価に売物にしたりするものは、見てゐても見てゐられないのかも知れない。そこにかれの聡明が目覚めてゐるとも言へる。しかしそれをひつくり返して、始めにも言つたやうに、聡明のために災されてゐるとも言へないだらうか。人を見るのにも小さく疎く見、人に触れるのにも狭く浅く触れるやうになりはしないか。こつちで十分に心なり魂なりを開かなくては、向うでも十分にその心なり魂なりを開いて来る筈はなくはないか。従つてその理解したと思つたことが本当の理解でなくて終りはしないか。近松秋江氏などに比べては、その技巧、その筆致、とても比べものにならないほどすぐれて居るけれども、しかも『黒髪』のやうな人の心の核心に触れるやうなものに乏しいのは、矢張現代の兼好法師であるかたちか。否、否、私は決してさうは断定しない。私はかれが心の扉を上か下かに開くことに由つて、その心境のぐつと一変して行くことを常に期待してゐるひとりであることをはつきりと私は此処に言つて置きたい。


 正宗君が今日まで芸術的虚無を保持して勇ましく進んで来てゐる形は、文壇の誰にも増して常に私の尊敬してゐるところである。かれの作品は、宗教にも、学問にも捉はれて来てない。況んや当時の思想に於てをやである。前に言つた賢明に捉へられるといふこと、それさへ除けば、あとは玲瓏透徹した一面の鏡であると言ひ得ると私は思ふ。
 それにしても、私は正宗君の作品を随分長く見て来た。殆どその処女作と言つても好い『旧友』なども割合によく記憶してゐる。『泥人形』あたりの心持もよくわかる。『毒』あれなどはことにすぐれた作である。『二家族』の中にある心持なども、私には忘れられない。最近になつて、いくらかサンボリカルな戯曲や小説を書くやうになつた心持にも同感が出来る。


 世間に重きを置く心持が死に重きを置く心持と続いてゐるのなども面白い。それは誰でも孤独に住すれば死を怖れる。死ほど醜悪なものはないと思ふ。しかし正宗君の死に対する心持は、人一倍鋭いやうに思はれる。かれには死が一番問題になるやうである。※(始め二重括弧、1-2-54)そんなことを言つたつて何うせ死ぬのではないか※(終わり二重括弧、1-2-55)※(始め二重括弧、1-2-54)何うせあと十年か二十年の命ぢやないか※(終わり二重括弧、1-2-55)かう言つて常に齷齪と暮してゐる人間を罵つたり笑つたり苦々しく思つたりしてゐるが――そこにかれの死に対する考へ方がはつきりと出てゐるが、一歩を進めて、さういふ風に死を怖れ人生をはかなむと同時に、刹那の充実といふことをもつと深く考へることは肝心ではないか。生きてゐる間は、いくら老いても、まだ死ではない。その刹那々々に於いての充実は誰でも同じやうでなければならない。死にぴたりと面してこそ死のことも考へなければならないが、それ以前に死に対して畏怖を抱くといふことは、ある程度までは空想化で、むしろそれはロマンチツクであると言つても好いくらゐである。老ゆるといふ心が起ればこそ年を取るので、刹那的に考へて来れば、青年の中にも無常があるのであるから、別に老ゆるとかいふことはない筈である。矢張、私達は生きてゐる中は、この刹那に生きて、若い時も今も同じやうな熱意と真面目とを保持しなければならないのではあるまいか。しかし、正宗君に取つては、岩野のやうな死は、想像するだに堪へないやうなものであるかも知れなかつた。
 曾つて二三年前、大磯に正宗君を訪問したことがあつたが、その時夫人が、『あれで中々神経が強う御座いましてね、ちよつとでも病気など致しますと、すぐにでも死ぬやうに思ふと見えまして、わしはもう死ぬかも知れん! などゝお国訛まで出て参るので御座いますから、それはいかにも心細さうなんですから――』かう言はれたことがあつたが、そのさびしさが、その芸術的虚無の保持のさびしさが、染々と自分にも感じられて何とも言はれない気がしたことが思ひ出された。子供のないのも、正宗君に取つては、さびしい原因のひとつであらう。





底本:「定本 花袋全集 第二十三巻」臨川書店
   1995(平成7)年3月10日発行
底本の親本:「花袋随筆」博文館
   1928(昭和3)年5月30日
初出:「新潮 第四十一巻第六号」
   1924(大正13)年12月1日
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:津村田悟
2021年2月26日作成
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