若い人達のためには、私は第一に勉強することを勧める。しかし勉強と言つても書くことばかりではない。読書すること、見学すること、論議すること、すべてそれを指して言つてゐるのである。若い頃にはいくらあせつても、実人生のことには容易に本当に触れ得るものではないのである。父母兄弟、叔父伯母、さういふものの中にその一部を発見するにはしても、十分にそれを理解することは出来ないものである。従つて余りに年若くて、実人生に触れるといふことは、決して好いことでも幸福なことでもない。むしろ早く触れたがために、却つてその発達が小さくなつて了ふやうな場合がよくある。『あまり早く世間に出たのがわるかつたのだ……。そのために、あの人は平凡になつて了つた……』かうした言葉を私はよく耳にする。
私の考では、実人生に打突かるのは、成るたけ遅い方が好い。遅ければ遅いほど好いと言つても好いくらゐである。私は二十五六になつて初めて実際に目を向けたといふやうな青年を愛する。性の目覚が若い人達を無茶に実人生に駆つて行かせるやうな形を私はよく知つてゐるけれども、それはぢつと抑へてゐなければならないものである。若い人達には力強くそれを抑へるだけの義務もあれば勇気もあるといふことを私は知つてゐる。
だから、若い人達は書物の中から実人生を学んで置く必要があるのである。それに依つて知るより他手段がないのである。それに、凡そ書物といふものには、何んな書物にも、科学書にも、哲学書にも、小説にも、戯曲にも、断片的な感想にも、皆な人生が書かれてあるのである。否、何んなつまらぬ本にも一つとして人生の書かれてないものはないと言つて好いのである。それは見やうによつて、そこから人生の一つしか持つて来ることの出来ないものもあらうし、五つ持つて来るものもあらうし、その人の読書眼の如何によつていろいろであらうけれども、兎に角書物の中には何んな書物でも一つ一つ人生が展開されてゐるのである。だから若い人達のためには、この書物に親しむといふことは非常に大切なことである。
ところが此頃では、さういふ方面は閑却されて、頻りに文壇意識ばかりを振り廻してゐるやうである。それは文壇意識も大切でないことはない。現代の文壇と作家とに通ずることは最も必要である。しかし余りにそれにばかり没頭するといふことは、その精を耗らし魂を萎縮せしむるといふ上に於て非常に損である。そのために中途で筆を捨てなければならないやうな形になつた人達を私は沢山に知つてゐる。だから、をりをりはさういふ焦々した文壇意識から離れて、静かに外国文学でも研究するといふことが好箇の鎮静剤になるのである。
此頃は大衆文芸などが栄えて、外国文学研究は、いくらかお留守になつたやうであるが、これなども決して好いことではない。江戸時代の文学(化、政度)は、殆ど研究に値ひするものはないと言つて好いくらゐ貧弱である。近松、西鶴以後はさう大して振つた文学はないと言つても差支ないくらゐである。そんな空気に捲き込まれずに、大戦以後のヨオロツパの文学を研究することが最も必要である。
すぐれた作を生み出す努力も結構だが、細かに部分々々について研究し、感じ、描き出すことも大切である。いくら大きな絵を書いたところで、その部分が、山が、松が、松の葉が、乃至は人物の著物の襞が、その襞のつくつてゐる影が十分に描かれてなければ、粗笨徒らに他の笑ひを買ふに留つて了ふであらう。だから物の形を賦すといふことは、非常に大切なことである。さういふ最初の部分から、飽きずにコツコツやつたものが、その最後の勝利を占めるのである。その証拠には、全体の感じよりも、部分々々の巧みさの方が却つて人の心を惹きつけるものなのである。鋳金のタガネ彫が刀の使ひ方を重く見るのも、絵画の色の出し方が個人々々によつて秘密な特色を持つことが肝心であることも、皆なそれを言つてゐるのである。椿の葉一枚の写生でもすぐれた傑作であり得ることが出来ることを私達は考へて見なければならない。
新感覚派とか表現派とかいふ運動も、さういふ意味――つまり新しいテクニツクを文章の上に用ゐて、今まであらはし得なかつたものをあらはさうといふのならば、私なども非常に賛成であるばかりでなく、現に私などでも、さういふことに就いて、その当時出来るだけの骨を折つた経験を持つてゐないこともないのである。私などでも新しい字を使ふことについて非常に苦心した。何うも日本在来の文字には、さういふ感じをあらはす言葉が少いと言つて、つとめて外国の文学の言ひあらはし方を模倣した。またその言葉を翻訳して、不妥当でない限りそれを使用した。それでもいつもヨオロツパの文学の言葉の自由なのに、豊富なのに、何とも言へない影やら彩やらを持つたものの多いのに空しく憧憬した。それでも明治の中期あたりの文学からは、ずつと新しくなつて来てゐるのである。新しい言葉も、めづらしい表現法もドシドシ利用して来てゐるのである。だから、さういふ意味ならば、新感覚などといふことは、矢張り私達のやつた努力を、私達が老いて昔のやうであり得なくなつたのを、それを物足りなく思つて、そのまゝ続いてやつてゐると言つて決して差支ないであらうと思ふ。
それならば私は何の文句もないのである。いくらでも新しい言葉をつくり、新しい表現法を用ゐ、今の時代をあらはすに適当な結構を考へ出すべきである。唯、私の希望するのは、それをやるに当つて、つとめて真面目であらんことである。面白半分にやつてゐたのでは、いつまで経つても、とても碌なものになりつこはないであらうから……。
人生への触れ加減も、さういふ風な実際的な努力や勉強と常に並行して進むやうであつて欲しい。尾崎紅葉は、その門人達が外国の学問をすることをあまり好く思はなかつた。かれは口癖のやうに言つた。
『碌々文章も書けもしない中から、外国ものなんか読んだつて、生意気になるばかりで、碌なことはありやしない。それよりも筆を磨け。手近なところから始めよ。眼ばかり高くつて、他のアラばかり見えて、自分がやると、その半分も書けないやうではお恥しい次第だ!』それはその当時にあつては、余りに自己の文筆の巧みなのに自惚れてゐるやうに考へられて、多少の反感を持たずにはゐられなかつたけれども、しかも、今日考へて見ればそこにも動かすことの出来ない理由があるのである。実際、並行して進まなければいけない。筆ばかり進んでも駄目だが、心ばかり進んでも駄目である。二つのものがかけ離れた時には、その後れたものがそこに近寄つて来るまで待たなければならないのである。さうした経験を私も度々してゐる。
私にしても紅葉さんの眼には生意気に映つたのである。眼高手低の一書生として映つたのである。従つてもう少し書く方を修業したら何うだ! といふ風に度々言はれたのである。それを鼻の先でフンと笑つて吹飛ばしはしなかつたけれども、いくら筆は旨くつても、内容がなくては駄目だといふ風に考へてゐたので、それを余り身に泌みてきかなかつた酬ひが一生ついてまはつてゐて、今だに文章が旨くかけないので苦しんでゐる始末である。
もう一つ紅葉さんの言つたことで、今でも私の頭に残つてゐるものがある。それは他でもない、小説家は学問を深くする必要はないが、何でも一通りは知つてゐなければならないから、耳と眼を働かせる必要があると言つた一語である。『耳学問! 耳学問! それが肝心だ、何故つて、身一つでさう何事をも実験するわけには行かないからね』かういふことも聞いたことがあつた。
耳学問! それは取りやうによつてはわるく誤解されるかも知れない。しかし紅葉さんの言つたのはさういふ風に言つたのではない。小説家である以上、何でもある点まで知つてゐなければならないといふことを言つたのである。しかし今の文学青年などには、さういふことはあまりに幼稚過ぎると思はれるかも知れない。そんなことは言はずと知れたことである。かうも言はれるかも知れない。しかしそこに捨てられない真理があるのである。現に、私などの年になつても本当だと思はれた真理が蔵されてあるのである。ことに、学問を深くする必要はない! といふ言葉は今でも古くはされてゐない。
学者になつて了つては、小説は書けない。つまりそれを言つてゐるのである。学ぶ必要はあり、いかやうに取入れる必要はあり、知つてゐるのに多いといふことはないが、しかしそれに捉へられては駄目である。それを駆使して全く自分のものにしなければ駄目であるといふことを言つてゐるのである。かういふことをあの紅葉さんが言つたのは面白い。芸術の心の境は、何んなものにでも捉へられては駄目であるといふことはこれでもわかる。
今の若い人達は、何うだらうか。矢張さういふ風に
いくら文壇の檜舞台に出たところで、その持つてゐるものに本当の価値がなければ、出たところで何の効もないものなのである。否、檜舞台に出れば、好い場合には好いが、わるい場合には二重にわるくなつて来ることを覚悟しなければならないのである。大きな檜舞台で失敗したものは、大抵は取りかへしがつかなくなるものである。その例は随所に転つてゐるのである。
だから諸君はあせる必要など少しもないのである。ゆつくり構へて時機の来るのを待つてゐて好い。勉強してその内部を豊富にしてさへ居れば、時はひとり手に諸君をその檜舞台に伴つて行くのである。
鴎外さんも晩年になつて、さういふ意味のことを言つてゐたが、結局芸術は、自然を師とするものであるらしい。師匠とか先生とかは何もない。もしあるとすれば、唯自然にあるばかりである。自然に頼つて砥礪するばかりである。かう言ふと、リアリズムの芸術だけを認めてゐるやうに誤解するものがあるかも知れないが、それはさうではない。サンボリカルなものも、メルヘン風なものも、表現派風なものもすべてその中にこめて言つてゐるのである。南画でも自然を師としてゐる。土佐絵でも自然を師としてゐる。さういふことを私は言つてゐるのである。アラン・ポウのやうな小説でもその中に自然がはつきりと動いてゐるので、それであゝいふ風に、読者を引きつける。又あの外形を見ただけでは、リアリズムとは非常に遠い謡曲でも、やはり自然を師としてゐるので人を動かす。さういふことを私は言つてゐるのである。『ハンネレフの昇天』の中にも、『ピツパ・タンツト』の中にも、また今年の新年の作中に評判になつてゐる武者小路実篤の『愛慾』の中にも、自然が生きて動いてゐるので、それで人の心を惹くのである。更に言ひ換へれば、何等かの形で自然に肉迫してゐるからである。
私などにしても、翻つて考へて見ると、随分いろいろな形を取つて来た。決して大道ばかりを歩いてはゐなかつた。時には行詰りになつてゐるやうな小道にも入り込んだ。わざとわき道にもそれて行つた。イズムといふやうな穽にも入つて行けば、型といふやうな無活動な心の境にも入つて行つた。しかし私は幸にしてさういふところに入りきりになつてゐなかつた。そこに坐りきりになつて了ふやうな心の位置をつくらなかつた。それは何ういふ工夫かと言へば、皆な自然を師としたためのお蔭である。私はいけぬとなると、すぐそれをバラバラに打壊して自然に趨つた。そしてそれを手本にして再びそこから出直して来た。自然からは、いくら汲んでも汲んでも尽きない新しい泉が滾々として常に流れ出して来てゐた。
いざと言つたら、静かに落付いて自分の心を見る。そこに自然が敏活に動いてゐる。どうにもならない自然が――。正確な時計の針のやうにいつもチツクタツクと動いてゐる自然が――。その本体を全く意識して了ふなどといふことは到底出来ないけれども、しかも刻々に私達の身に近く迫つて来てゐる自然が――。それに触れ得て私達は初めて生甲斐のあるのを感じ、この人生の徒爾でないのを感じ、人間の生命の忽かせにすることの出来ないのを感じ、芸術を感じ、表現を感じ、恋愛を感じ、死を感じ、地獄極楽を感じ、定を感じ、涅槃を感ずるのである。諸君といへどもまたそれに過ぎないのを私は静かに考へるのである。(この一篇はあるところでの講演)