女の温泉

田山録弥





 女に取つての温泉場――関東では伊香保が一番好いといふのは、昔からの定論であるらしかつた。果してさういふ風にあの湯が効目きゝめがあるか何うか。それは知らないけれども、細君同伴で一まはりも湯治して来れば、屹度子供が出来るなどゝ言つたものであつた。兎に角あそこは女に取つて好い温泉場であるに相違なかつた。第一、行くのに便利であつた。上野から足、つちを踏まずに行く事が出来た。それに、山も大して深くはなかつた。女が馴れ親しむのには丁度好かつた。
 散歩区域としても、物聞山ものきゝやまがあつた。湯元ゆもとがあつた。更に遠く榛名湖はるなこがあつた。夫婦お揃ひで可愛い子供を伴れて駕籠かごか何かで路草を食ひながら、春ののどかな日影に照されつゝ、あのスロオプをのぼつて行くさまは、ちよつと絵のやうな感じをあたりに与へた。駕籠の中の細君は、道々採つたわらびをハンケチに巻いて持つてゐて、駕籠が休む度に、そこから下りて、あたりの草原の中を頻りに探しなどした。『さうですね。あそこの蕨はちよつと面白いですね。私、榛名に往く途中に手に持てないほど採りましたからね。さう五月の初でしたね。あの時分はあそこは何とも言へませんね。のんきで、暖かで、のんびりして、本当に温泉場に来たやうな気がしました』かう私の知つてゐる細君は云つた。
 あの明るい五月の新緑! 何も彼も新しく生き返つた様なあの日の光! それに林の中に透き通る様な駒鳥の高いさえづり! 実際、春の温泉場としては、あそこに越すところはない様な気がした。否そればかりではなかつた。秋の初茸狩がまた面白かつた。それはあの電車の伊香保に着かうとするあたりの左側の松山に多く出るのであるが、春の蕨狩りに比して、決して劣らないだけの興味があつた。女でも子供でも時の間にかごに一杯になるほど、初茸を採つて帰つて来ることが出来た。
 それにあの眺望――濶々ひろ/″\としたあの谷と山との眺め、雲の眺め、赤城山あかぎさんの大きな姿を前にした形は、家庭の煩瑣にのみ精神を疲らせられた細君達に取つて、どれほど生き返つた心持を漲らせる対象となるか知れなかつた。


 塩原も女に取つては、好い温泉場であるに相違なかつた。そこも矢張春が好かつた。新緑の頃が好かつた。明るい日の光線が長く谷の中にさし込んで、渓流が丸で金属か何かのやうに美しく砕けた。ことに忘れられないのは、門前の手前から一支流に遡つて、あの塩の湯に行くあたりであつた。あそこらはいかにも名所図会の挿画にでもありさうな風景で、渓は渓を孕み、谷は谷に連り、浴舎は浴舎に接するといふ風であつた。あの塩の湯の谷合に湯が湧き出して、そこに大勢男女が混浴してゐるさまなども、明るい日影の下で見るとそのまゝ面白い絵になりさうに思はれた。
 塩の湯の旅舎のあるところから、裏道をちよつと向うに出て来ると、丸で別天地とも思はれるやうな山村が開けた。そこには桃や桜が一面に咲いてゐた。渓流の音があたりに反響するやうにきこえた。かと思ふと、ところ/″\に野碓ばつたりがかゝつてゐて、水が満ちて来る度に、そこに人でもゐるかと思ふやうに、ばつたりと音を立てた。『こんなところに住んでゐたら、世間も何もありやしないね! のんきで好いね』かう言ひながら、私は妻と共に小太郎淵の方へと歩いて行つたことを思ひ起した。
『箱根と塩原と、どつちが好いでせう?』
 こんな質問に私はよく出会でつくわすが、それにはいつも返答に困るが、渓流としては無論塩原の方が好く、温泉としては無論箱根の方が好いと言ふやうな抽象的なことを私は常に言つた。電車が出来てから、箱根は却つて奥の方が好くなつた。湯元や塔の沢よりも、強羅がうら仙石せんごく小湧谷こわくだにの方が好くなつた。
 それに、女性に取つては、温泉の泉質なども問題にならないわけには行かなかつた。いくら好い温泉でも、酸性泉や硫黄泉では女には強過ぎた。従つて草津や那須の湯は、都会の女達にちよつと向きさうには思はれなかつた。箱根でも、蘆の湯などは女には駄目であつた。
 炭酸泉、アルカリ泉、単純泉――さういふものでなければ女には向かなかつた。従つて塩原では福渡戸ふくわと、塩の湯あたりが好かつた。


 伊豆では修善寺しゆぜんじ、そこは何と言つても好い温泉場であつた。胃腸に効能があるばかりでなく、あたりのさまがいかにも静かで、すつかり心を落附かせることが出来た。但し冬は他の伊豆の温泉に比してさう暖かであるとは言へなかつた。暖かいのが希望ならば、此処よりも長岡の湯の方が好かつた。
 長岡は近年非常に流行し出した。冬は停車場から温泉のあるところまで、常に客が絶えないといふくらゐであつた。丘陵の中の猫の額のやうな狭いところではあるけれども――またその湯の量も多いといふわけには行かないけれども、居ごゝろは[#「居ごゝろは」はママ]さう大してわるくなかつた。海が近いので魚なども新かつた。
 伊豆の此方こつち側では、熱海あたみが一番好いわけでなくてはならぬのであらうけども、どうもそこは評判が余り好くなかつた。滞在費なども旅舎に由ての差違もあるであらうけれども、伊東あたりに比べて非常に高いらしかつた。何うしても三分の一は高いらしかつた。それに、あそこの間歇泉は塩類泉なので、いやに執着しつつこいやうなところがあつた。肌への当り具合もわるく刺戟性に富んでゐた。
 伊豆山いづさん、それから湯河原、こゝらあたりもあまり居ごゝちが好いとは言へなかつたけれども、冬は暖かで静かで落附いてゐるので好かつた。湯河原は女の温泉としては、やゝ強すぎるやうな感じがした。
 しかし何と言つても、東京附近では、伊豆相模さがみの温泉に出かけて行くより他為他が[#「為他が」はママ]なかつた。山は寒かつた。伊香保なども冬はとても落附いて女の行つてゐることの出来る温泉ではなかつた。
 女性でも伊豆の湯ヶ島あたりまでは、入つて行くことが出来るであらうけれども、あれから天城を越して、その向うにある温泉――湯ヶ野、谷津やつ蓮台寺れんだいじ、加茂あたりまで出かけて行くことは難かしかつた。沼津から海をわたつて、土肥とひの穴の湯に行くのも大変であつた。


 夏になると、何うしても山の涼しいところへと、人々の足は向いて行つた。しかし、山と言つても、非常に涼しい、夏も至らないといふやうなところは、余程深く入つて行かなければならなかつた。少くとも千メートル以上の山地に入つて行かなければならなかつた。しかしそれは日本の女にはちよつと出来かねた。日本アルプスの上高地かみかうちや、白骨しらほねや、中房なかふさあたりに行つてゐれば、山も深いし、夏も至らないし、それこそ理想的の避暑地であるけれども、とても女はそこまで入つて行く事は出来なかつた。
 日本の避暑地では、今では日光、軽井沢、富士見、赤倉、野尻などを推してゐるが、温泉のあるところとしては、何うしても赤倉を先づ第一指に屈しなければならなかつた。そこは夏の温泉として、あんな好いところがあるかと思はれるくらゐ好いところであつた。眺望の好い点から言つても、伊香保などはとてもその足元にも追附かなかつた。
 温泉があつて、それで眺望の好いところは、此処と陸前の青根と、下野しもつけの那須と、この三つだと私は思つて居るのだが、その中でもこの赤倉は、殊に深く私の心を惹いた。そこからは北の海が見えた。米山よねやま萃螺すゐらが見えた。晴れた日には、遠く佐渡の島影をもゆびさす事が出来た。そしてそこの高原には、桔梗、われもこう、刈萱かるかや、松虫草などがさながら毛氈をいたやうに美しく乱れ開いた。


 北国の温泉では、山中と和倉とが一番多く人の口にのぼつた。流石に昔からきこえてゐるだけに、温泉としても特色に富んでゐるし、めづらしい風俗も持つてゐた。蟋蟀橋あたりもちよつと景色が好い。しかし山中よりも和倉の方が、温泉場としてはすぐれてゐると私は思つた。勿論、一方は海の温泉であり、一方はまあ山の温泉ではあるけれども――。
 この他に、湖の温泉として片山津の温泉があり、更に越前に来て、蘆原の温泉があり、その向うに三国みくにの古い港があつたりしてちよつと行つて見るのに面白いところであつた。これ等はすべて汽車の線路近くにあるので、女でも何でも行つて見ることが出来た。
 越後では、先に言つた赤倉温泉、それから頸城くびきの山の中に松の山温泉といふのがあつて、これは女の病気によくきくといふことであるが、交通が不便なので、地方的にしか知られてゐなかつたが、一昨年あたりから、頸城軌道が出来て、それが幹線の黒井からわかれて、かなりに奥深く入つて行つてゐるので、何でもその終点駅からは、松の山温泉までいくらもあるまいといふことであつた。そこあたりにも、段々都会の女達が入つて行くやうになるであらうと思はれた。その温泉あたりでは勿論食ふものはないにはないけれども、非常に安く滞在してゐることが出来るといふ話であつた。
 新潟から先きへ行くと、瀬波せなみといふ面白い温泉が村上町のすぐ近くにあつた。そこは女達でもわけなく入つて行ける様なところであつた。日本にも他に、何処にさうした見事な噴出泉が見出されるであらうか。それは今から二十年ほど前に、石油を掘るつもりで、井戸を掘つたのであつたが、そこから石油の代りにその噴出泉が、二十四五丈の高さに奔騰したのであるといふことであつた。そして、そのために、そこが、その松山の中が、忽ち温泉町を形ちづくるに至つたのであるといふことであつた。今でも松山の上にその噴泉の高く※(「風にょう+昜」、第3水準1-94-7)つてゐるのが遠く停車場の方から見えた。


 出雲大社いづもたいしやに参詣する途中では、一番先きに例の近畿地方に有名なの崎温泉があつた。宝塚、有馬、道後などに模倣したものだが、却つてそれよりも見事な位であつた。此処の湯は、女の病気にも非常に効目きゝめがあるといふことであつた。従つて浴客が常に絶ゆることがなかつた。それから伯耆はうきに入つて、東郷湖畔に東郷温泉があつた。湖の温泉としては、日本でも屈指のものであつた。旅舎の半は湖中に浮んでゐて、室の三面を鏡の様な水光が取巻いた。こゝでは鰻が名物であつた。
 この出雲大社参詣に比べて、更に面白いのは、大阪から瀬戸内海を航して、九州の別府まで行く、くれなゐ丸の航程であつた。この汽船の上の甲板では、美しい海――ことに静かな、絵のやうな、島の沢山浮んでゐる海の絵巻をひろげて行つた。一枚々々ひろげて行つた。その中には屋島もあれば、小豆島せうどしまもあり、来島くるしまの瀬戸もあつた。ちよつと上陸すれば、金比羅こんぴらの長い長い石段もあつた。そして例の高浜からは、日本で一番昔からきこえてゐるあの道後の温泉へも行けた。そこは位置としてはさう好いところではなかつたけれども、また湯の量もさう大して多くはなかつたけれども、しかも、その感じはいかにも古く、湯そのものにも年代がついてゐて、肌への当りも至極やわらかであるのを感じた。それに、このあたりは、冬暖かに、春の来ることも早く、三月には、最早畠に菜の花などが咲いた。鮒屋といふ旅舎の古風なのも、あたりの感じに伴つてゐて好かつた。
 こゝで一夜泊つて、翌日再び汽船に乗る。この航路には、他にも沢山汽船の往復があつて、何の船にでもわけなく乗つて行く事が出来、又半日ほどかゝつて、その日の午後の四時すぎには、乗客達は九州の山の姿を、はつきりとその前に見出すことが出来た。


 別府は日本では最も女性に適した温泉場であつた。そこには、いろ/\温泉があつた。温まる湯もあれば冷える湯もあつた。蒸湯もあれば砂風呂もあつた。それに、町としてもわるくきまり切つた温泉場でなしに、一方漁市らしいところもあつて、同時に地方の一中心を成してゐる町らしいところもあつた。それに、その周囲に見るところが多かつた。大分に行つても半日は楽に遊べた。浜脇に行つても、二日や三日は倦まずに滞在してゐることが出来た。観海寺から八まん地獄の方へ行つて見ても好いし、金輪かなわから亀川の方へ行つて見ても好かつた。更に半日を費せば、宇佐八まんにお詣りすることも出来た。耶馬渓やばけいの谷ふか[#「渓く」はママ]入つて行くことも出来た。
 これで大分から犬飼いぬかひへ行つてゐる汽車が熊本の方から来てゐる汽車に連絡するやうになれば、阿蘇の方まで入つて行くにも、さう大しておつくうではなかつた。女でも何でも楽に入つて行くことが出来た。さうすれば、世界にもめづらしいと言はれてゐるあの阿蘇の噴烟も、あの宮地にある阿蘇神社も、その火口瀬くわこうらいである数鹿留すがるたきも、戸下とした温泉も、栃木温泉とちぎのをんせんも、みんなその行程の中に入つて行つた。否、更に熊本から海をわたつて、島原半島の小浜おばま、雲仙岳あたりの温泉あたりまで行くことが出来るやうになるに相違なかつた。


 女の人達に取つては、しかしさうした旅行は容易に望むことは出来なかつた。思ひ立ちさへすれば――馴れさへすれば、別に面倒なことも何でもないのであつたけれども、しかし、さうした旅行よりも、ある温泉の一室に落附いて、のんきに一週間なり十日なりを過す方が楽みでもあり、その心持にも適してゐるらしかつた。家庭の煩瑣な刺戟――時にはそのために、根も性も尽き果てゝ了ふやうな焦燥いら/\した心持から、兎にも角にも自然の静かな懐の中に入つて行くといふことは、女の人達に取つても、何とも言はれない慰藉であるに相違なかつた。否、時にはそれとは丸で違つて、楽しい新婚の二人づれの山駕籠などもあるかも知れなかつたけれども、しかもさうした楽みは、時の間に過ぎ去つて了ひ易かつた。また時には、全く老い去つた女が、さびしくひとり山の湯に浸つてゐることなどもあつた。何は兎もあれ、女達のためには、伊香保、塩原、別府などが最も適した温泉ではなからうかと私には思はれた。





底本:「定本 花袋全集 第二十七巻」臨川書店
   1995(平成7)年7月10日発行
底本の親本:「海をこえて」博文館
   1927(昭和2)年11月25日
初出:「婦女界 第二十五巻第六号」
   1922(大正11)年6月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※初出時の表題は「温泉から温泉へ―女の人達のために―」です。
入力:岡村和彦
校正:hitsuji
2022年1月28日作成
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