「椿」序

田山録弥




最近五六年間に書いた小品を集めて『椿』といふのは、別に意味のあることではない。丁度それを輯めようとする頃、椿の花が殊に私の眼に附いたからである。私は丁度其時友人のフランスに立つのを送つて、箱根まで行つた。国府津、酒勾、鎌倉の海岸には、葉の緑に、花の紅い野椿が到る処に咲いてゐて、それが降りしきる雨の中にはつきり見えてゐた。私は南国の春を想像した。椿油の出来る島々のことなどを思つた。それに、私の庭にも、椿の花が多い。父親の遺愛のものなどもある。私が書斎で筆を執つてゐると、をり/\花の落ちる音が重く聞えたりする。春の花の中で椿の花の印象が私にはかなりに多い。で、『椿』といふ名を此輯に得ることになつた。

大正二年四月
著者





底本:「定本 花袋全集 第二十七巻」臨川書店
   1995(平成7)年7月10日発行
底本の親本:「椿」忠誠堂
   1913(大正2)年5月5日
初出:「椿」忠誠堂
   1913(大正2)年5月5日
※底本における表題「序」に、底本の親本名を補い、作品名を「「椿」序」としました。
入力:tatsuki
校正:hitsuji
2022年4月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード